「やはり十二鬼月か」
杏寿郎が産屋敷家へと呼ばれたその日、彼は帝都へ向けて出立していた。
ただし、任務はまだ遂行されない。
他の隊士らが揃うのを待つためである。
それも翌日には揃うだろう。
現在、杏寿郎の隣を歩くのは夢乃ただひとり。
「うむ! お館様の話では、おそらく──」
「……覚えているか煉獄。以前、私が手負いの鬼が語った銃を持った共喰いの鬼の話を」
「共食い……そういえば」
任務に向かった杏寿郎とは別行動をしていた夢乃が出会った手負いの鬼。
その鬼には銃弾のあとがいくつもあった。
そして襲った鬼は銃を持ち、そして鬼を喰らっていたという。
「鬼を喰えば、無惨からの血が濃くなる。だが、基本的に共喰いはしない。いや、出来ないと言った方が正しいか」
「出来ないとは、どういうことだ夢乃?」
「無惨だ。奴が共喰いさせないようにしている。言っただろう。鬼は奴に支配されていると」
鬼舞辻無惨の名を口にすれば呪いが発動し、鬼は死ぬ。
それだけではない。
無惨が否とする行動を、鬼は取ることができないのだ。
「隊律か」
「そうじゃない。それをしようとすれば、体の自由が奪われる。だから物理的に出来ないのだ」
「よもや……無惨にはそのような力まであるのか。いや、だがそうするとその鬼が共喰いをしていたというのは?」
「無惨に許されたのだろう。そうすることを」
夢乃の視線が険しくなる。
共喰いを許され、無惨の血が濃くなった鬼が十二鬼月になっている。
「階級が高いかもしれない。気を付けろ、煉獄。下弦であっても壱や弐は強いぞ」
「肝に銘じよう。だが、たとえ上弦であろうとも、俺は引く訳にはいかない」
「馬鹿なことを言うな! 上弦など……上弦などと決して戦ってはダメだっ。今のお前では、一合と持たず殺されるだけだぞ!」
あの時の自分のように──夢乃は心の中で言葉を続けた。
上弦の壱。
長い黒髪に、六つの目玉を持つ異形の鬼であった。
無傷で下弦の壱を倒した自分を、瞬きする間に打倒した相手だ。
(確かに今煉獄は、あの時の私よりも強いだろう。だからといって──)
上弦の鬼相手では、例え禄だろうと敵わないだろうと思う。
悲痛な面持ちで、夢乃は杏寿郎の羽織を握った。
「上弦に出くわしたら、全力で逃げろ」
「逃げる? だが俺は──」
「逃げろ!」
夢乃は縋るように声を張り上げた。
その瞳には涙さえ浮かぶ。
「ゆめ──」
「お願い……上弦の鬼とは……戦わないでくれ」
その願いは不自然なものだった。
鬼舞辻無惨。
鬼の始祖を倒すことを条件に、夢乃は杏寿郎に鍛錬をつけていたはず。
にも拘わらず、その鬼舞辻よりも弱いことが確定している上弦の鬼と対峙するなと言っているのだ。
それはつまり、鬼舞辻とも戦うなと言っているに等しい。
震える夢乃の肩を抱き寄せ、杏寿郎はその耳元で囁く。
「大丈夫だ夢乃。俺は強くなる。今よりもずっと、ずっと強くなる」
それは決意にも似た言葉。
強くなったところで、人が果たして上弦の鬼を倒せるのか。
夢乃は未だ拭えぬ不安の中、記憶の片隅でふと何かを思い出しかけていた。
その何かを思い出そうとすると、同時に自身を死の淵に叩き落した異形の鬼の顔を思い出してしまう。
ぶるりと身震いをし、夢乃は自然と杏寿郎の胸に顔を埋めていた。
「夢乃?」
名を呼んだが、夢乃は応えない。ただ小さく震えているだけだった。
(そうか。夢乃は上弦の鬼に、一度は殺されたのであったな)
それを思い出し、杏寿郎は包み込むようにして彼女を抱きしめた。
夢乃が杏寿郎の胸に顔を摺り寄せれば、彼の鼓動がはっきりと聞こえた。
ただそうすることで満たされ、そして安堵する。
生きている。
今こうしていることで、杏寿郎は確かに生きていた。
それだけが夢乃の救いだった。
どれだけそうしていただろうか。
杏寿郎の胸に埋めていた顔を離し、ぐいっと押しのけるようにして離れた。
そしてすぐに前を向き歩き出す。
「夢乃?」
「て、帝都に急ぐぞっ。お前が遅刻すれば、示しがつかないだろうっ」
そう話す彼女は、一向に杏寿郎を見ようとしない。
だが横に並べば、その顔が真っ赤であることが月明かりの下ですら容易に分かった。
ふっと笑い、杏寿郎も前を見て歩き出す。
「わ、笑うな!」
「ぷはっ。気づいたか」
「気づくわ! もう、知らんっ」
すたすたと歩き出す夢乃の後を、杏寿郎が慌てて追う。
そして彼は今度の任務について、夢乃の手を借りないと宣言した。
「ひとりで殺るというのか?」
「うむ! お館様からは、俺の実力を示せと言われている。故に今回は俺ひとりの力で倒さねばならないということだ」
「柱就任の試験であれば、まぁそうなのだろうが……」
だが──
神社での冨岡といい、先日の遊郭での胡蝶といい。
「私の手を借りた者もいるだろうに」
「……そう言えばそうだな!」
はっはっはと、杏寿郎は腕を組んで笑った。
だが直ぐに夢乃へと視線を戻して、こう話す。
「俺は、君の力を借りずに十二鬼月を倒さなければならないのだ。これはお館様がという訳ではなく、俺自身がそうしなければと思っている」
「お前が? 願望か、ただの」
「まぁそうなるな! だが、そうでなければ鬼舞辻の頚など取れぬだろう?」
真っ直ぐ見つめる焔色の瞳には迷いはない。
その通りだ。
(煉獄には強くなって貰わねば。上弦の鬼を……私が不安を抱く必要がないほど圧倒できる力で、倒して貰うために)
夢乃は目を閉じ、小さく頷いてから杏寿郎を見た。
「分かった。私は今回、高みの見物といこう。だがお前がやられるようなことがあれば、十二鬼月の頚は私が獲るぞ」
「はっはっは。そうならないよう、頑張るとしよう!」
そうして二人は改めて帝都へと向かって歩き出す。
「ところで煉獄」
「ん、なんだ夢乃!」
「……弟子は来るのか?」
「その手はずになっている!」
真っ直ぐ前を見つめて答える杏寿郎に、ほんの少しだけ夢乃は苛立ちを覚えた。
「初任務なのだろう? そんな娘を、十二鬼月の任務に連れて行くのか? やっぱりお前は鬼だな」
「違うぞ夢乃。俺は鬼じゃない」
と、いつものように杏寿郎は真顔で答える。
「甘露寺なら大丈夫だ。だが何があるか分からない。君にはぜひ、甘露寺を陰ながら助けてやって欲しい!」
「……私がお前の弟子を?」
「もう弟子ではないな! 今は共に任務に励む、同じ一隊士だ!」
(励むも何も、その娘は今回が初任務だろうに。私は……その娘よりお前のことのほうが──)
そう考えてから夢乃の思考が停止する。
自分は杏寿郎の方が、なんだというのか。
何故あの娘のことを考えるともやもやするのか。
何故杏寿郎があの娘の話題を出すと苛立つのか。
考えたくない。
答えを出したくない。
そう祈った夢乃は、突然駆け出した。
「先に帝都へ入る。のんびりしていたら、到着することには陽が昇って死んでしまいそうだからなっ」
そのまま夢乃は杏寿郎をひとり置いて走った。
後ろでは杏寿郎が自分の名を呼んでいるが、お構いなしに走る。
やがて明々とした道へと入ると、陽を避けられる場所を探して路地へと向かった。
人の気配もしない暗がりへとやって来ると、ようやく背中を壁に預けて呼吸を整える。
呼吸はすぐに整っても、胸を締め付けるものは拭えない。
「願うな……考えるな……。私はなんだ? 私は誰か?」
答えは──鬼だ。
鬼だからこそ、人と共に生きることは出来ない。許されない。
たとえ許されたとして、人はいつか死ぬ。
自分はどうだ?
鬼舞辻が生きている限り、自分も生き続ける。
百年先も、二百年先も。
杏寿郎に寄り添ったとしても、別れは必ずやって来る。
この百年間、友であった者たちもみなそうして彼女を置いて逝ってしまった。
その喪失感を二度と味わいたくないからと、夢乃は人と関わることを避けたのだ。
「私は鬼。私は……鬼」
まるで呪詛のように、夢乃は自分にそう言い聞かせた。
外伝のあたりは、夢乃目線を多めにしてお届けしようと思います。
煉獄さん視点の外伝がありますし、オリジナリティを出すために夢乃視点の方がいいかなと思いまして。