「何かやらかしたのか?」
「あ、兄上!?」
杏寿郎の下へ鎹鴉の要がやって来て、杏寿郎には産屋敷邸への呼び出しが掛ったと告げた。
その話を聞いてのこれである。
「待てまて! お、俺は何もしでかしてなどいない! はずだ!」
「断言できないのか」
「兄上……」
「断言するっ。何もやらかしてなどいない!」
慌てて取り繕う杏寿郎の姿に、夢乃と千寿郎が笑った。
からかわれた──そう理解した時にはもう遅い。
「何か任務でしょうか? 要は何も言わなかったのですか?」
「いや、任務ではないようだ。お館様より伝えることがあるとか、そう言っていた」
「なんでしょう?」
「うむ。なんであろうな」
そう返事をして杏寿郎は夢乃を見た。
「行かないぞ」
「むぅ」
「一緒に行ったとて屋敷の中までは行けないんだ。ぼぉっと待つだけのために付き合わされる身にもなれ」
しかもまだ陽のあるこの時間には、夢乃はここから動けない。
夏のこの時期は陽が落ちるまでまだ数時間もかかる。
「ご当主を待たせるだけだ。さっさと行け」
夢乃はそう言って杏寿郎を払いのけるような仕草で手を振る。隣では千寿郎が兄に同情的な視線を向けていた。
がっくりと項垂れる杏寿郎だが、反論する気はない。
夢乃の言う通りなのだから仕方ないと、ひとり背を向けあばら家から出ていく。
「あ、兄上! 夜食は?」
「……よい。途中で飯屋にでも寄ろう。戻って来れるとしたら、明日の昼過ぎになる。その時には要を飛ばして知らせよう」
「分かりました。そうだ! 明日は鰻の蒲焼にしよう!」
「む! では是が非でも帰らねばな!! では、行ってくるっ」
やや元気を取り戻した杏寿郎は、足取りも軽やかに出立した。
それを見送って夢乃がため息を吐く。
「鰻で喜ぶとは、現金な奴だ」
「夢乃さんは鰻、お嫌いですか?」
「嫌い……ではないが、あそこまであからさまに喜ぶほどでもないというか……」
「じゃあ夢乃さんの分もご用意しますね」
「え、いや千寿郎。鰻は高価なものだから私のことなど考えずとも」
今度は夢乃があたふたするが、千寿郎はにっこり笑ってもう一度「用意します」と伝えて立ち上がる。
兄はいなくとも、父がいる。夕餉の支度をしなくてはいけないのだ。
「それじゃあ夢乃さん」
「ん、気を付けて帰るのだぞ。まぁまだ明るいから鬼の心配はしなくていいが」
「はい。では、また明日」
「ん」
千寿郎の姿が見えなくなると、夢乃は小さくため息を吐く。
あの様子だと、千寿郎は本当に鰻を持って来るだろうと考えると、申し訳ない気持ちにもなった。
安いものではない。
そして好物という訳でもない。
だから申し訳ないと思いつつ、こうなっては無下にも出来ない。
「鰻か……この百年、食べたことがないな」
どうせ持って来てくれると言うのなら、よく味わって食べよう。
それが千寿郎の好意に答えることにもなる。
そう考えると、明日が楽しみになった。
夜半過ぎ、産屋敷邸には杏寿郎の姿があった。
「急ぎであれば致し方ないが、そうでなければ明日でもよいのだが」
「しかしお館様がお呼び立てして待たせるのは申し訳ないと仰っておりますし、それに他にお待ちの方もいらっしゃいますので」
「他にも俺を?」
隠に案内され館の奥へと通されると、杏寿郎にとって見慣れた顔がそこにあった。
「あ、しは──煉獄さん」
「甘露寺ではないか? どうした」
「あ、はい……実はその……」
甘露寺蜜璃。
杏寿郎の元弟子であり、現在は鬼殺隊となった娘だ。
「杏寿郎、こんな時間にすまなかったね」
穏やかな声がして、杏寿郎はその場に膝まづく。
産屋敷家当主、産屋敷耀哉が妻あまねと共にやってきたのだ。
「いえ! お館様のお声が掛かれば、この煉獄杏寿郎、どこにいようとすぐに駆け付けましょう」
「頼もしいね、杏寿郎は。それでさっそくなのだがね」
耀哉は甘露寺に視線を送る。
「杏寿郎、柱になって間もないけれど、継子を持つ気はないかい?」
「継……子ですか?」
その一言で、自分がここに呼ばれた理由は察した。
甘露寺は炎の呼吸との相性が良く、その使い手でもある。
剣術を学んだことすらなかったというのに、杏寿郎の下で修業をして僅か半年で鬼殺隊になったのだ。
天性の才能があったのだと、杏寿郎は思っている。
確かに甘露寺は継子として申し分ない。
しかし杏寿郎は弟の千寿郎をいつか継子にという考えもあった。
同時に──
弟には平和な世界で生きて欲しいとも。
それでも千寿郎を継子にと考えるのは、弟がそれを望んでいるからに他ならない。
「杏寿郎の気持ちも分かるよ。弟の千寿郎を継子にと考えているのだろう?」
「え、あ……はい!」
「すみませんすみませんすみません師範っ」
「あ、いや。甘露寺は何も謝ることなどないのだ」
炎の呼吸の使い手が、二人してあたふたとする。
その様子を耀哉は眩しそうに見つめた。
彼とて杏寿郎らと歳はそう変わらない。だが年相応の若者らしさは、耀哉にはなかった。
「杏寿郎。何も蜜璃に炎柱になって貰おうという訳じゃないんだ」
「え? しかし継子にというのは」
「うん。君も知っての通り、未だ柱の空席は目立つ。少しでの可能性のある隊士には、積極的に柱の継子として鍛錬に励んで貰いたいと思ってね」
何も師と仰ぐ柱の後任になるためではない。
逆に空席を埋められないかという狙いがあってのことだ。
しかしそうなると杏寿郎には気になることがある。
自分は炎の呼吸を使う。だから炎柱だ。
甘露寺も炎の呼吸を使う。炎の呼吸を使うのなら、炎柱になるはず。
だがお館様は空席になっている柱の座を埋めたいと仰った。
では炎柱が二人になるのか。
そんなこと、聞いたこともない。
杏寿郎の頭の中がぐるぐると回転し、気づいた耀哉がくすりと笑う。
「実はね、蜜璃はもしかすると炎の呼吸の使い手ではないのかもしれないと、彼女がそう言ってね」
「甘露寺が、炎の呼吸の使い手ではないと?」
耀哉はこくりと頷き、それから甘露寺に視線を送った。
甘露寺も頷き、そこからは彼女の口から答えることに。
「先日の任務で私……こう……炎の呼吸とは違う、もっと胸が熱くなるような、そんな感じになったんです。ドキドキがズキューンで止まらなぁい! って!!」
ぐっと拳を握って力説する甘露寺だったが、杏寿郎も耀哉も、そして傍に控えているあまねも頚を傾げた。
「……もしかすると、炎の呼吸からの派生が生まれるかもしれないと思ってね」
「しかし、それと継子というのは?」
「うん。まずは基本から学ぶべきだろうと思って。彼女の中で炎の呼吸とは違う、何かを見つけられれば成長にも繋がるだろうから」
「は、はい! よろしくお願いします、煉獄さんっ」
「うむ。そういう事であれば、また壱から鍛え直してやろう!」
「う……お、お手柔らかにお願いします」
こうして甘露寺蜜璃は、再び煉獄家へと弟子入りすることになった──のだが……。
「それと杏寿郎。あと四人ほど炎の呼吸を使う隊士を、君の弟子として面倒を見て欲しいんだ」
煉獄家への居候は、甘露寺だけではなかった。