「夢乃!」
肌寒くなりはじめた十一月の中頃。
あばら家の縁側に座る夢乃の耳に、聞き覚えのある、だが久方ぶりとなる男の声が聞こえた。
月を見上げていた彼女が視線を下げると、嬉しそうに駆けてくる男の姿が見える。
ここ二カ月ほど、二人はまったく顔を合わせていなかった。
杏寿郎が柱となった後しばらくして、甘露寺や他の継子が出来てからは数日に一度ぐらいしか顔を合わせる機会もなく。
その後も任務が入れば甘露寺らが同行していたため、夢乃とは完全に別行動であった。
甘露寺が継子を止めたのちは、完全にすれ違いばかり。
もっぱらあばら家のちゃぶ台の上で交わす、文でのやりとりばかりだった。
だから杏寿郎は喜んだ。
だから出迎えた彼女を、抱きしめた。
「は? おい、煉獄っ」
「ただいま、夢乃! ここのところずっとすれ違いで、俺は寂しいと思った! 君はどうだろうか? 同じ気持ちだと俺は嬉しい!」
「同意を求めるなっ。私は別に寂しいなんて思っていないっ」
といいつつ、杏寿郎の姿を見て思わず立ち上がって出迎えたのは夢乃である。
寂しくなかった訳などない。
が、そんな様子を一切見せない夢乃に、杏寿郎は肩を落とす。
「むぅ、まだ俺の独りよがりなのか?」
「聞くなっ。で、そっちの様子はどうなんだ」
この話を続ければボロが出る。そう思って夢乃は話題を変えた。
再び縁側に腰を下ろせば、その隣に杏寿郎が座る。
「うむ。実はめでたいことがあった!」
「ふーん」
「小芭内が柱になった!」
「小芭内? あー……知り合いだったか?」
「うむ!」
伊黒小芭内が、下弦の肆を仕留めた。
それによって柱が増え、これで七人となった。
「確かにいいことだな。あと二人か。柱が九人揃うのも、ここ数十年ではなかったことだし」
「うむ、俺もそう聞いている。君が鬼殺隊士だったこともそうだったのか?」
夢乃は頷く。
一時は僅か二人だった時もあったと、そう話す。
そしてこの百年の間で、柱が九人揃ったこともあったが数十日後にはひとり減り、また減り。
「柱になったからといって慢心せず、常に技を磨いて高見を目指せ」
「うむ! 心得た! では夢乃、付き合ってくれるだろうか?」
そう言って杏寿郎は日輪刀を置いて、縁側の脇に立てかけた市内を手に取る。
これを握るのも久しぶりだと思い、軽く二、三度振った。
「手加減は抜きだぞ」
「承知した」
剣術──だけでみれば、まだ夢乃のほうが幾分上手である。
だが杏寿郎は単純に力でそれを上回った。
この日は十打ち合って、そのうちの七回は杏寿郎が一本取っている。
だが杏寿郎は満足していないし、夢乃は自分を不甲斐なく思って苛立つ。
(このままじゃ十本中、十本取られかねない。もっと鍛錬しなければ)
(十本全て取れるようにならねば、彼女を守ることなど不可能! もっと鍛錬せねばな!!)
お互い別の事を思いながら、その結論は同じだった。
暫く汗を流した後、いつものように沢から水を汲んで来て風呂に火を入れる。
湯が沸くまでの間、杏寿郎は炎の呼吸の技を磨く鍛錬を始めた。
「そういえばお前、壱と弐、あと伍と玖だったか? 他の呼吸はどうした」
「参と肆も使えるぞ!」
「じゃあ陸から捌は?」
「使えないな!」
そこは胸を張って言うところじゃないだろうと、夢乃は考える。
「俺は、三冊の指南書から独学で学んだ。基礎は父上に教わったが、呼吸を学ぶ前に……」
酒に溺れた──とは夢乃も知っている。
「指南書三冊か。少ないのでは?」
「うむ! 残りはどこにあるのか分からん! 探してみたが、見つからなかったのでな」
「ふーん。ふぅ……漆の型なら見覚えはあるのだけれど」
「本当か! どんな型だ?」
杏寿郎はガシっと夢乃の肩を掴んで引き寄せる。
「おいっ」
「どんな型だろうか!?」
「近いっ。痛いっ」
「あ、すまん」
言われて杏寿郎は彼女の肩を掴んだ手を離す。
離して、夢乃の手を握りなおした。
変わってない。何も変わってないと夢乃はつっこみたくなる。
「型は?」
「待てまて。何度か見たことがある程度で、んー思い出すから待て」
「うむ、待とう」
「その前に手を放せ」
「何故か?」
放せと言っているのに、何故と問われることに疑問を抱く。
この男は天然だろうか?
きっと天然だ。
ちょっと腹立たしくなり、手が使えない夢乃は思わず頭突きを喰らわせた。
「よもやっ。痛いではないか!」
「痛いのはお互い様だっ。型を思いだそうとしているのに、貴様が手を握っていては気が散るだろうが!」
「集中すればいい! これも鍛錬の一つ」
「なんの鍛錬だ! ただ握りたいだけだろうっ」
夢乃がそう叫んだあとで、杏寿郎はふと考え込む。
考えて、その通りだと思った瞬間に赤面した。
杏寿郎は無意識のうちに夢乃に触れている。
無意識だからこそ恥ずかしいという気持ちはない。
ないのだが、意識すると途端に気恥ずかしさがこみ上げてくる。
ヒリヒリと痛む額を押さえながら、ぼそりと呟く。
その言葉は肯定するものだったが、夢乃には届かなかった。
彼女は立ち上がり、竹刀を手にして炎の呼吸の型を思い出そうとしている。
(煉獄はたしか──)
と思ってから、浮かぶのはすぐ傍で額を撫でている煉獄杏寿郎の姿。
(そっちじゃないっ)
と言い聞かせて目を閉じるが、やはり杏寿郎しか出てこなかった。
意識しているのではなく、代々の煉獄家男児の容姿が似ているから仕方ないのだ。
夢乃の同期である煉獄は、杏寿郎よりはやや大人しい方だろうか。
好青年ではあるが、杏寿郎ほど声が大きい訳でもない。
記憶にある当時の炎柱はやや厳しい印象があった。これまた杏寿郎とは性格が違う。
ただ、特徴的な髪色、瞳の色が同じなため、どうしても被ってしまうのだ。
(煉獄家の遺伝子はどうなっているんだ……)
と、やや呆れるほど。
(はぁ。とにかく思い出さなきゃな。漆は──)
確か漆は中段のか前から入ったはず──そこまで思い出してから、夜空を見上げた。
「キョージュロ。キョージュロ!」
「む、要か」
夢乃も竹刀を下ろし、舞い降りてくる鎹烏に視線を向けた。
「キョージュロ。任務、任務ダァー」
「了解した。今度はどこだろうか?」
「四谷! 隊士、眠リカラ覚メナイ!」
「眠りから? どういうことだ、要」
「キョージュロ、行ケ!」
行けば分かる。逆に言えば行かなければ分からない。
そういうことかと、杏寿郎は支度をする。
日輪刀を腰に差し、振り向きざまに夢乃へと視線を向けた。
「君も」
そう言って、鼓動が高鳴る。
一緒に来て欲しい──と口に出すのが恥ずかしかった。
「少し待て。それと、そこの残念な風呂の火を頼む」
夢乃はそう言うと、あばら家の中へと入っていく。
暫くして日輪刀を腰に差し出てきた。
「奥の部屋で火鉢を焚いていたんだ」
「そうか! 最近は寒くなって来たからな」
要は杏寿郎の肩に乗り、東だ東だと叫ぶ。
二人は山を下り、東の四谷方面へと向かって歩き出した。