顔面に鬼を模した仮面を付けた若造の噂がスラム街で広がっていた。単独で現れたその鬼がまず行ったのは、スラムマフィアの乗っ取りだった。力と金が支配するその世界で圧倒的な武力を示した鬼にはあらゆる攻撃が効かなかった。
いや効いてはいた――ときたま腕を切り落とされ、足を砕かれ、全身を穴だらけにされても、気にもせずにすぐさま治して突撃を繰り返しただけで。そうして、一月と経たず勢力図を塗り替えたその鬼は、なにをどうやったのか、民間企業と連携してスラムの住民に仕事を割り振り始めた。
だからこそ、スラムの一角で診療所を開く壮年の元に鬼が現れるのに、そう時間はかからなかった……。
――路地裏。
「うおおおおおおおおおっ…!!! ふっ――――ざけんなぁ!
一撃の速度で二連撃入れてくるとか人間かてめぇ…っ!!」
ゴロゴロと地を這う音と、鉄材を切り裂く硬質な音階。
昼日中であっても、迷い込んだものを逃がさないという悪意に染められたスラムの一角で、最近話題の鬼仮面は追い詰められていた。この国に住んでいる者なら、その顔を見ただけで生まれたばかりの赤ん坊でも泣き止むと揶揄された存在。このスラムの中では誰もがその壮年の名前を呼ばず、だれもが口をそろえて、畏敬の念とともに【将軍】と呼び顕されるものに。
「……そういう貴様こそ。
体術の方は滅茶苦茶だが、よく視える眼を持っているようだな。
今のを避けられるとは思っていなかったぞ」
「そいつはどーも。だが同じ手は二度と俺には通用しねぇ。学習したぜ」
「……天賦の才というわけではないようだが、貴様のその学習速度は厄介だな。
私が一度出した体の動きをそこまでパターン化して想定出来るものか…?
貴様ほどの武の使い手が、師もなく、また、戦場に立ったこともないなどと
にわかには信じられん話だ」
「だーかーらー!! 俺は平和的に話し合いに来ただけって言ってるだろうが!!!!」
「……果たしてそうか? 貴様の言動は胡乱なところが多すぎる。
この診療所の存在も、私が面倒を見ている娘のことも、そして――――っ!!!」
斬る、弾く、斬る斬る斬る、いなす避ける弾く。
斬る、合わせる、斬る斬る、合わせる合わせる反撃。
「……わずか数合。
私は武器で、貴様が素手であるのにも関わらず。
反撃できる余裕すら生まれるとは一体どういうことだ?」
「言ったろ、同じ攻撃は通用しねぇって」
そんな簡単な話ではない。目前で滅茶苦茶な構えをとって相対している鬼仮面の戦闘技術はあらゆる意味でちぐはぐだ。今まで取らなかった筋肉の動きを見せるとき、鬼仮面の視線は必ずそこに集中する。だから、視線の動きにも、緩急織り交ぜたフェイントにも簡単に引っかかる。だというのに、必ず対応してくる。よほど全身の筋肉に自信があるのか、人体の稼働限界に挑むような回避のされ方をする。その割に体力を消耗している様子もない。なんだこいつは。私は何と戦っているのだ。本当に人間かこいつは。そしてどちらからの刺客だ?
「……貴様。どこで造られた化物だ」
「ようやくお話しする気になってくれたってことでいいかい?
…いいや違うか、最初に言ったことなーんも信じてくれてね―もんなー。
分かったわぁぁあかった。あんたが分かってくれないってことが分かった。
だからさ、最終手段を取らせてもらうわ…」
初めてそこで目前の鬼仮面は構えらしきものをとり、腹に強く力を入れたように思えた。
よく見ると、両手を口の両脇に持ってきて、今から叫びますと言わんばかりだ。
なんだ?といぶかしむ。
純粋な声量を武器にする戦士は過去幾つもいた。総じて接近戦が長じて接戦になった時に、相手の体勢を崩すときなどに使われる戦法で、こんな遠間の間合いでわざわざ大げさに構えをとるようなものでもない。なにを―――。
「ネオンちゃあああああああああああああああん!!!
おじいちゃんが虐めるよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「――――は?」
後日。――感染者診療所アザゼル。
高価なお茶請けが用意され、高級な茶葉を診療所の主が手づから淹れた。
思いつく限りこの場での最高級の持て成しが鬼仮面に饗されていた。
「――いやぁ、悪いねぇ。こんなに歓待してもらっちゃって」
一方、その持て成しの準備をした壮年の機嫌はちょっと過去の経験を思い出しても比較できないほど最降下していた。
「……警戒が先に来て、斬りかかったのはこちらに非礼がある。当然のことだ」
当然のことだと言いながら、鬼仮面の対面で茶をすする壮年の手はプルプルと震えていた。
…聞けば、そもそも鬼仮面がスラムマフィアをどうこうしたという話の起点は、
壮年が目に入れても痛くないくらい大事にしている娘から始まったのだという。
鬼仮面が娘の友人を助け、その友人を助けたことで目を付けられ、二人に請われてどんどん人助けをしているうちに結果的にすべてのスラムマフィアに喧嘩を売る羽目になったのだという。そしてネオンと鬼仮面は別れ際、たわいもない約束をしたのだという。
それは、すべてが終わった後でも献身的にスラム住民の医療的ケアを行う鬼仮面にネオンから言い出したことで。「あなたが困ってたら、今度は私があなたを助ける!」というなんとも微笑ましいもので…いやその結果「おじいちゃん大嫌い!」と言われたのだが。精神的ダメージがとても深い。嫌いじゃなくて大嫌いだぞ、私はこれからどうやって生きていけばいいんだ……?分からない、分からないぞ。ここまで絶望の深い自問自答も過去類をみないのではないのか…?
「あー。その、なんていうか。大丈夫かよ」
「……大事ない。それで、なんだったか」
「この度、あんたらが住んでるスラムの頭になった…あー。オルグだ。
よろしくしてくれ。将軍さま」
「私の自己紹介は必要ないようだな」
「そりゃ。この国にいて、あんたのことを知らない奴を探す方が大変だ。
ーーそれで、俺が持ってきた話は受けてくれる気にはなったかい?」
ことわーーと言いかけて、背後からの視線に気がつく。
その視線はじっとりとしていて、ギラギラとしていて、あらゆることを責め立てているように感じ取れるものだった。……壮年の鋭敏な聴覚は不幸なことにも、その部屋の隅から感じられる視線の主のボソボソとした小さい呟きを明瞭に捉えてしまう。世界が終わる音がする。その音色は到底ではないが、受け入れられるものではなかった。
「ことわーーろうと思っていたが、気が変わった。
オルグのお節介を、感染者診療所アザゼルは受け入れる」
「そうかそうか!! いやぁ、ここまでした甲斐があったってもんだぜ」
「……ネオンがあそこまで懐いているのだ。悪漢ではなかろう、というのもある。
しかし、解せないことがある。オルグよ、君はいったいなんだ?」
「ーー化物さ。あんたの言った通りのな」
「……それは、先ほどから茶菓子に一口も口をつけようとしないことと、
関係していると考えても?」
「ーーそうだな。俺に口はねえ、鼻も、耳も、眼も。なにもないのさ」
そう言って、オルグは顔面を完全に覆うように装着していた鬼仮面を取り外す。
そこにあったのは無だった。いや、なにもないわけではなく。ただ、明確に人間でないことを示す冷たい鈍色の光沢が広がっていて。まるで、内部にある貴重品を守るかのような、容器を思わせる外観をしていて。そこまで観察してようやく。脊髄に液化窒素を流し込まれたかのような戦慄が、直感を伴って稲妻のように走り抜けた。
「ーーん? あぁ、ネオンちゃんは知ってるぜ。まだ戦い慣れてない頃は負傷がひどくてよ。
顔面が剥き出しになっちまったことが一回だけあってな、めちゃめちゃ怒られちまった」
いい娘さんだな、と。明日の天気は曇りじゃないかという程度の気軽さで、軽々に。
「……中身は」
「ん?」
「……中に。何が、入っている…?」
鈍色の球体が表情もないのに、ニヤリ。と笑った気さえした。
それほどに、オルグは自然体だった。まるで、これが。生まれた時から当たり前のような雰囲気を伴って。鈍色の球体に手を掛ける。
「……俺はこいつを見せるとき必ず質問するんだがな。 なぁ、将軍様よ。
お れ は な ん だ と お も う ?」
光。黄色の、いや黄金の、よく知る色だった。夏の花に、世界を照らす陽のように、都市を動かす水のように。分かってはいた、そうじゃなんじゃないかという確信はあった。軍の機密実験体が脱走して暴走したのかとさえ思っていた。警戒していた、隠れ住む場所が狙い撃ちされるかのように改善されていく姿に。笑顔を取り戻していく子供たちに、安堵さえ抱いていた。住みよくなればなるほど、安堵を得て、同時に警戒心は積みあがっていった。否定して欲しかった。目を背けたかった。
「……なぜ生きている」
絞り出すように喉から出た声は枯れていた。
「生きている。そうかい。生きているのかと問うてくれるか、うれしいね」
鬼仮面は元の様相に戻っていた。
「生きていると自覚した時からこうなんだ。
だから俺が生き甲斐を感じるときってのは、生きているやつが幸せそうにしていることさ」
「……生まれてから何年経った」
「一年も経ってないぜ」
「……まだ稚児も同然ではないか」
「俺もそう思うんだが、知識と年齢意識の高さはあってな、10歳だ」
「……なんということだ」
頭を抱え、もはや熟考も疑いも必要のないことだと判じた。
声、所作、それらすべてに欺瞞の欠片もない。そんな有様であっても真っすぐに生きてきた人間の姿がはっきりと見える。
「……先程、オルグの支援を受けると言ったが。条件をつけさせてもらう」
「将軍のところで毎日診察を受けないといけないという話以外なら喜んで」
「加えて、オルグには鍛錬を付ける。スラムの頭なのだろう?
万が一にでも、その頭を縦に真っ二つにされたらどうするつもりだ?」
「将軍以外無理じゃね?」
「――分かったか、クソガキ?」
「……オーケー、オーケー。分かったからその手を柄から離してくれ、流石にそれは死ぬわ」
――感染者診療所アザゼル。
そこは壮年の男性と少女が営む感染者のための施設だった。
しかし、ある日からそこを取り巻く環境は一変した。
表社会の弱みを握る男が、裏社会に新たに君臨し、統治し始めたのだ。
そうして時が経ち、その都市に運命の時が訪れるまで、アザゼルは都市住民に多大な影響を及ぼしていくことになる…。
ドクター殺戮機械化歩兵計画フラグを建てた。
主人公ノーリスクでシリアスできるからこの作品はほのぼのです。
量産品だから安心して見れるな!(なお、事実を知らない人間の心情を考えないものとする
読者の反応がよくて(とても重要、評価つけてくださいお願いします)、
wikiをもっと読み込んだら、第四話書けるはず。
…準備話から抜け出せなくて、全然火山に進めないぜ。