シャングリィラの純白   作:四ッ魔ヶ刻

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____回想____
「キャロル先生!こういう問題はどうですか!」
学院の回廊を歩く僕。呼び止める声に振り向くと、その特徴的な帽子を揺らしながらセオフィラス君が此方に駆け寄って来るのが見えた。息も整わないまま、セオフィラス君は口早に語る。
「とある少年が森で見たことのない蝶を捕らえました。少年はその蝶を標本にして展示会で披露しました。蝶の標本は美しさから忽ち話題を呼び、評判となり、多くの人が名も知れぬ蝶を一目見る為に展示会へ押し寄せました。しかしその実、少年が捕らえたのは蝶よりも美しく輝く新種の蛾だったのです!誰一人としてその事実に気付く事は終ぞなかったのです!」
脈拍もなく告げられた話に困惑するが、セオフィラス君はお構いなしに続ける。
「ここで問題です!少年が作ったのは蝶の標本かそれとも蛾の標本か!」
選ぶも何も少年が捕らえたのは蛾であると言ったのは君じゃないか。答えが明示されている以上、問題とは言えないな。
その答えを聞いたセオフィラス君はシルクハットのツバを指で撫でながら満足そうに微笑みを向ける。問いの意図を汲みれ取れない僕が彼に向けた表情はきっと怪訝なものだっただろう。
____________



帽子屋ハッタ、眠り鼠ヤマネ、三月兎ヘイア

 

 

 

「…それで、なぞなぞは解けました?」

茶会も(たけなわ)、紅茶を嗜む帽子屋にふと話し掛けられる。なぞなぞ?何の話だ?

「帽子屋さんが以前尋ねたじゃないですか!思った事を言ってくれなきゃっ!少なくとも少なくともそれは同じじゃないっ!」

生憎、物覚えが悪いものでな。忘れてしまったよ。

「むきーーーっ!淑女との約束を忘れるなんて全くもってっウダイずオ!いいですか、問題は一度しか言いませんからね!」

「以前に問題を出してるならこれは一度ではないのです…。」

「一度っきりじゃモノ足りないじゃないっ!」

「そうですよ!耳をかっぽじってよく聞いて下さい!」

忙しく、値段の記された(へり)を指で撫でる帽子屋。頭を帽子にかっぽじられている帽子屋の言葉にはある種の説得力に溢れている。

「ででん!『廃墟の町が月の裏側にそっくりなのはなぜか』」

ちちち、と舌を打ってリズムを刻む帽子屋。相変わらず、彼女の問いかけは意味が分からない。妙ちきに並べられた言葉を無為にさえ思えてくる。

「同感なのです…ぼくにもさっぱり分からないのです…。」

「んもーっ!簡単な問題も答えられない若者たちに帽子屋さんは感嘆!」

満面の笑みを浮かべた帽子屋が立ち上がる。

「正解はですね…ズバリ!『月の裏側に廃墟があるから』なんです!そう!因果が逆転している!それはまさに覆されるマッドネスが如く!嗚呼、尊きポロロッカ逆流現象よ!」

気紛れでこの連中の話に付き合ってみたものの、どうやら徒労に終わってしまいそうだ。若しかしたらアリスに関して、何か聞き出せるかもしれないと抱いた淡い期待も虚しく、兆しすらみられない。私の心に、些かの嫌味が沁み渡る。

 

会話の内容は兎も角、見て()れだけは英国式であるのが此のお茶会の特徴だ。紅茶だけでなく、とりどりのパンや菓子が陶磁器を飾っていた。私は退屈凌ぎに取り分けられた茶菓子を一つ齧る。さく、と噛み砕けば仄かなバターの香りと共に舌先に甘味が拡がる。これまで菓子を好んで口にした事は無かったが、今の私の口元の淋しさを紛らわすのには充分な甘さであった。また一つ、茶菓子を咀嚼しながら私は思い返す。そういえば、アリスは甘いお菓子が大好きだった。中でも彼女は特にキャンディーが好物で、私が緑の飴玉をあげるとアリスは美味しそうに其れを頬張るのだった。私は菓子を食べるアリスの笑顔が大好きだった。その笑顔はどんな菓子よりも甘い至福の一時を私に授けるのだ。一目でもいい、何時かの様に、あの笑顔を見たい。口元に残る甘味がアリスとの再会を渇望させる。アリスに、逢いたい。そうだ。アリスとの再会が叶ったら、アリスをこの茶会に招待してあげよう。紅茶は飲めたものではないがお菓子なら溢れる程にある。きっと満足してくれるだろう。会話は通じないが話相手だってたくさん居る。この場所でなら、また黄金の一時を過ごせるかもしれない…。

私は腰掛けたまま深く身を沈める。椅子の背に首を預けたまま、一つ息を吐く。…茶会の席で気が高調したのだろうか。有りもしない空想に耽って現実を見紛える自分が情けない。今はただ、アリスの手掛かりを探す事が何よりも先決なのに。こうして、気が触れた連中を相手におしゃべりに興じているのは何故なのか、自分でも理解らなかった。

 

「時に先生、紅茶に水銀は入りますか?如何(いかん)せん基準があやふやなもので…。」

私の心の内などお構い無しと言わんばかりに帽子屋はティーポットを担ぐと紅茶を自らのカップへ注ぐ。比重の差で沈んだ水銀がカップの底を濁らせていた。あれでは一口飲んだだけでは上層の紅茶しか流れて来ないのではないだろうか。

「先生って素敵ねぇ♡私も青少年に健全な性教育を施してアゲたいわぁ♡」

「ドッッッッッッッッスケベッ!お前が居座るナースオフィスなんて誰が通うんですかっ?」

「ベッドがあるならぼくが行くのです…。」

「YEY!!!イキたいなら最初からそう言えばいいのにっ♡」

眠り鼠に飛びつく三月兎。衝撃でテーブルクロスの上の陶磁器が音を鳴らす。カップがぐらと揺れたものの、水銀の重みが歯止めとなり倒れる迄には至らなかった。見れば、眠り鼠と三月兎は注がれた辰砂に全く口をつけておらず、帽子屋一人がポットを独占している状態だ。相変わらず紅茶を貪っている。

彼の王も不老不死を求めて水銀を口にしたと伝承に語られるが、帽子屋程に意気揚々と水銀を飲んだ者は歴史を洗い浚い調べた処で見つかりはしないだろう。

不老不死の霊薬とは、元を辿ると数多の仙人達によって調合されたモノであった。中でも水仙は水銀を原料に錬丹された丹薬によって不老不死へと至ったと云う。

本来毒でしかない丹砂が未知の効力で人の在り方さえも変貌させてしまう。しかし私が其の謎の掩蔽(えんぺい)を暴く事は決して許されないのだろう。何より許されないのは私や帽子屋の様な、死へと至らない者達なのだから。

「帽子屋さんは不死ニ非ズ!何時何時も未完の屍体なのです。」

そう言うと帽子屋は私に何処かはにかんだ表情を向けるのだった。

 

水仙という言葉は一般的には植物の名前で知られている。瑞々しい草色をした葉の上に柔らかな金色の花弁を咲かせる植物だ。何故花が中華の仙人に(なぞら)えられたのか。其れは水仙の可憐な容姿とは裏腹に球根が毒を含んでいる事に所以しているのだ。毒は次第に根を張り、生へと絡み付く。そう、私達不死者は決して不滅などでは無い。ある種のナルケーによって悪戯に生かされ続けているだけなのだ。息をすれば、私達は毒に蝕まれる。同時に其れは、身の奥に潜ませた鋭い棘や研いだ牙で護られた麗しい華の様な危うい魅力に成り得るのだ。

目の前の怪電波を撒き散らかす少女達も、少しは水仙を見習って奥ゆかさを弁えて欲しいものだ。

「失礼な!頭上をご覧なさい。あんなやけっぱちのマリアに比べれば帽子屋さんの方が随分魅力的ですよっ!」

「あんっ!そんな事言ったらまたジャブジャブ様にオシオキされちゃうわっ!」

「巣に居るときの方が珍しいのです…。鳴き声を聞かないととぼくはいつまでも眠たいままなのです…。」

「困った時は帽子屋さんの目覚まし装置におまかせあれっ!というかおまえ、起きてる方が珍しいだろ。」

先に三月兎の口にしたジャブジャブという名には聞き覚えがある。不思議の国に蔓延(はびこ)悪夢の内の一人。昏き底より出でる四つの悪夢に魂を奪われぬようにと、ノーデに忠告されていた。狂鳥ジャブジャブとは何者か、此の三人は見知っているのだろうか。

「時計塔が指し示すそのまた頂上!時合侘びた慈悲心鳥の遠い呼び声!誰が殺した風見鶏!猟奇の病状狂気の警鐘あまねくあらゆる戦争いっぱい!それでも貴方は灯台の戸を叩くというのか!マイト一発爆発させろぉぉぉ!」

言葉の勢いの侭、カップの辰砂を飲み干す帽子屋!美味い菓子とは裏腹に茶は見るからに有害だ。想わず眼を背けたくなる。放置されたヤマネとヘイアのカップは完全に冷め切っており、褐色に細かい塵が煌いていた。茶会で茶を飲まないとは本末転倒だ。そもそも此れだけ喋々なのだから茶を啜る余裕など無いのだろう。所詮は何も生み出す事なく無為に消費されるだけの会話だ。だが、私はお茶会を見ているとどうにも冷め切っているのは茶だけではない様に思えてくるのだ。

「どうしたんですかぁ?せかせかする必要はないんですよ?なんたってお茶会はまだ始まったばっかり!」

帽子屋は懐中時計を取り出すと掲げる様に見せびらかす。其の時計は随分と長い間ねじが巻かれていない為か、『今』を指し示したまま針は動かないでいた。

そう、この茶会では時間が凍結している。時間だけではない。止まった時間と共に愉しい、嬉しいといった感情、想い出や未来までもが行き先を捻った侭、枠組みに固定化しきっている。本来流動的である筈の其れを。厚い凍りの壁に閉ざしたまま。明日に吹く風など端から有り得ない。茶会と呼ぶには余りに保守的に過ぎて、【席】と言い得る方が相応しく思える。とはいえ、帰巣本能はどんな生物であろうと持ち合わせているものだ。彼女らにとっての守るべき家とはまさにこの茶会なのだ。ただ意味もなく吸った息を吐き出すみたいに。本能のままに、記念日を祝い続けている。(たけなわ)に差し掛かったまま勢いは衰えず、今日もお茶会は終わらない。

 

冷静になってみれば、こんな処にアリスを連れてきたとて何も生まれない事ぐらいすぐに推察できる。其れとも、もう二度と離れないよう手元に閉じ込めておこうと、無意識に思っていたのだろうか。此処で戯言を垂れ流すくらいであったら詩でも綴った方がきっと生産的だ。

「帽子屋さんに犬死に少年の代役を務めろと?月の光に照らされろと?うむ、よかろう!それもまた一興ですね!」

「ああっ♡!月にっ♡!月にっ♡!」

「詩人の末路は哀れなものだと聞くのです…。」

「違ぁう!元から詩人が哀れなんですよぉ!所詮は微醺(びくん)の合わせ鏡、何処まで行っても辞められ乃至(ないし)止まらない!世界の(はて)まで行ったって詩にピリオドはつけられない!陽が沈んでも一生掛けても抜け出せないなら正しくそれは草迷宮!だから、不死の帽子屋さんに任せる必要があったんですね。」

「きらきらコウモリ、お空は曇り…スペイン川まで、飛んでっちまえ…おひさまが沈んだら月は何色に光るのでしょうか…。」

「不死者が現実主義的なのは常として、それにしてもヤマネの平坦なねぼすけには参っちゃうなぁっ!」

「その心は?」

「合わせ鏡になっていると言ったばかりじゃないですかぁ!ちゃんと聞いて下さいよぉ!」

「ぶち犯すわよぉ!」

「なんでぼくが怒られてるのかわからないのです…大声を出されると眠れないのです…。」

「要はメルヘンが死なないみたいに、詩に終わりはないって事さ。」

「終わりのない者同士仲良くすべきだと思うの。例えば…セックスとかっ!」

「ビッッッッッッッッチが。4Pはやらねぇって言ってんだろっ!」

「5Pでも良くてよぉ?」

「素数ならありか。」

「よくないのです。」

談笑も盛った辺りで、私は彼女らに水を差さないよう静かに立ち上がりその場を後にする。断じて、何か厄介事に巻き込まれてそうになったからではない。

 

元々、終わらないお茶会に私が座るべき【席】など空いていないのだ。此処がどれだけ賑やかで暖かろうと、帰るべき場所が無いという事実が私に疎外感を苛ませる。

私には何も無い。

故郷も。

国も。

世界も。

残されているのはアリスだけ。

アリスが私の在処なのだ。

アリス……アリス……。

口にする程、恋しくなる。

探す程に見失ってしまう。此れではまるでかくれんぼだ。小さな体躯で何処へでも隠れられる少女に、私が敵う筈無いのだ……。

若しかしたら。

私は『不死の泥濘の中で踠がく様にアリスを探し続ける冒険』という【席】に囚われているのではないだろうか。あの狂妄の連中と同じで、【席】に着いたら最後、役から抜け出せずにいるのだ。私がアリスを探し続ける【席】に居る限り、私がアリスと再び相見える事は叶わない。均衡を喪った渾天儀の輪が不規則に廻り始めて元の経路を二度と辿ら無い様に。愛しき少女を見失った侭、何時迄も此の国を駆け巡る運命に在るのだ。世界は、目に映らない氷壁で覆われている。凍てつかせたまま、私を閉じ込めようとしている。

何故だ?

たった一人の愛すべき家族に逢いたいと願う事は其れ程迄に許されない事なのだろうか。

僕は唯、てのみたいに輝かしい一時を、君と過ごしたいだけなんだ……。

 

「お茶会なんてとっくに終わってるんだにゃ。」

 

顔を上げると枯れ木からチェシャ猫が私を見下ろしていた。

何だ其れは。此処は終わらないお茶会だろう。

「君が終わらせたのさ。退屈なお茶会を。その所為でアリスはメルヘンに誘われてしまった。お子様遊園地で、はしゃいで迷子にならないように少女をエスコートするのも紳士の役目じゃないのかにゃ?」

おまえもそうやって俺を【席】に宛がうつもりなのか。

「正直者は痛い目みる。常軌を逸した言葉に耳を傾けてごらん?次は君が迷子になる番だ。」

抽象な指示は助言に成り得ない。北を示さない羅針盤が一体何の役に立つ?

「そうさそれでいい。」

ああ神よ。全くこの国が不思議でならない。こんな会話を続けていたら私まで気が狂ってしまいそうだ。其れとも既に?一体何も指標に成り得ない。

 

まあ良いだろう。握られた鍵は私の手によって明かされようとしている。秘匿された狂気の根源を探るべく、私は厳粛たる時計塔へと脚を踏み入れた____。

 

 

 

 




____回想____
オックスフォードの光景には見慣れたものであったが、僕が教師としてこの場所を訪れたのは初めての事だった。見慣れた母校の光景の中に、僕は一人の少女を見つけた。水仙の花弁を連想させる柔らかな金髪に愛くるしい碧眼の少女。その可憐な天使の中に潜む劇毒を暴いてみたいと、願望が僕の奥底で微笑んでいたんだ。
それが、僕とアリスとの馴れ初めの一端であった。
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