種族【カリドゥス・ヴォルフ】
三つ目の獰猛な狼で、体長はおよそ2〜3m。部分的に先祖返りして体格は一回り大きくなり、額には第三の目を開眼した。哺乳類に大別されるムカシトカゲ類と同様、第三の目は視力が無い一方で熱探知に優れる。
第三の目によって風下の恒温動物の把握すら可能とする上、知能にも優れ、夫婦や兄弟で伏兵や包囲を行い獲物を追い詰める戦略性も併せ持つ。そのため、狩りの成功率は高く、滋養に富む美味な部位のみ食して獲物を放置することもままある。
こうして良質な物を多量に摂ることで、その身にも旨味が蓄積し上質な鼬肉のような甘味と旨味を持つようになるため、偶に頂点捕食者の標的になる。
突如として現れた肉食獣を目にすると、此度も脳内に情報がよぎる。
そして今、自分の眼前にて、オオカミあるいは野犬のような生物【カリドゥス・ヴォルフ】が、少女を襲わんとしている。
一応、少女は長い棒を携えてはいるが、3匹もの肉食獣を相手取るには明らかに役不足だ。リーチはあるものの殺傷力が低く、撃退には至るのは難しい。
すると少女は、突如として長い棒を腰だめに構え、襲撃者から目を離さないまま後ろ向きに走り出した。
何をするのかと瞠目した瞬間、棒高跳びの要領で体を捻り、川を飛び越えたのだ。
なるほど、少女はこうして川を渡り、探索してきたのか。随分と手慣れている。これならば捕食者の追跡が困難になる上、深度のある河川も踏破しやすくなって行動半径が広がる。
恐らくは、あの長い棒を杖代わりにしたり、高所にある木の実を落としたりして練度を高めた結果なのだろう。
しかし【カリドゥス・ヴォルフ】も、ここを縄張りにしているのは伊達ではない。傍目には見えない渡河ルートを把握しているようで、3匹の内、2匹が落葉に隠れた飛び石や流れの緩い場所を伝って河を渡り始めた。
2匹の【カリドゥス・ヴォルフ】が間隔を開けて渡れば、岸から長物で上陸を阻止することはできない。木に登って逃げようにも近場には低木しかないとなれば、少女は再び川を越えなくてはいけない。
それを理解しての渡河なのは、残った1匹が対岸で回り込んでいることからも明白だ。
このまま放置していれば、あの少女は命を奪われてしまう。
自然の摂理と言えど、いいのか?このまま見過ごして。
助けたとして、感謝されることは無いだろう。それでも、心が迷うより早く体が動き出していた。
感情が、今すぐ助けろと背中を押す。
理性が、情報源を逃すなと語りかける。
見殺しにすれば寝覚めが悪い上、この少女は「何故、古代生物がいるのか」「何故、人間がいるのか」等への手掛かりとなり得る。
感情面でも、実利面でも、動く理由があるのなら、動かない訳にはいかない。体と第六感が最適解を先取りしたようだ。
顔に打ち付ける冷水が燻っていた頭を冷やし、眼前へと集中力が高まる。
1,2メートル先、狼の躍動で水が逆巻く。
川を駆け抜ける肉食獣の四肢が、雷のように水中へ突き立てられては姿を消す。チャンスは僅かしかない。しかし、その数瞬を見極め、砂泥に埋め込まれる脚へ横から喰らい付くことに成功する。
急に川へ引き摺りこまれた三ツ目の狼は、狼狽したのか激しく暴れ出す。しかし、突如として勢いを増した水流に脚を取られ、転倒してしまう。
あの狼は何が起こったのか分からないだろうが、これは大自然に遍在するダイナミクスによるものである。
川の流れに乗った足払いの如き突進とともに、強烈な水の吸い込みで大気の大槌を水面に落としたのだ。
大気は均衡が崩れた時、大きな圧力を放つ。草をそよがせる程度の人の呼気ですら、ストローで気圧差を作れば容易くコップ一杯を空にできる。
ならば、水位すら下げさせる吸い込みが生む結果は如何程か。
川を押し潰す大気圧を生み、口を潰されたホースのように猛る水流を作り出す。
不安定な体勢で激流に飲まれた【カリドゥス・ヴォルフ】の1匹は、下流へと飲まれ押し流されていった。
川に残ったもう1匹は衝撃的な光景に肝を冷やしたのか、慌てて仲間のいる対岸に引き返し、身震いしながら逃げ去り出す。
当然か。
その身は骨張ってもおらず、その動きには決死ではなく嗜虐が宿っていた。飢えてもいない中で命を賭けられるはずがない。
危難から逃れた少女もまた、暫し呆然とした後、急いで川から離れるように駆け出した。それはそうだ。自分だって同じ立場なら逃げている。
(よし。これで良い。)
一見すれば手掛かりを失ったかのようだが、今ので十分な情報を得ることができた。少女は草をかき分けながら一目散に逃げ出したので、恐らくは最短ルートを取っている。そしてその方角は拠点へと続いているはずだ。
水のない所に生活拠点は建てられないため、遡上しつつ同じ方角へ向かえば遠からず発見できる。
下流の狼が這々の体で去っていくのを片目に、拠点が存在するであろう上流へと頭を向けた。ここの人類は、生態ダイナミクスの中で予想を超えて危険に晒されているのかもしれない。