「人の価値観なんて十人十色で、誰か一人を基準に一概に決め付けていいものでも無い。他人に左右されやすい上に、世の常に流され流動的に変わってしまう程度のものでしかなく、普遍で不変な価値観なんて無い。けれどそれでも私は不変であり続けたい、だってそれが私の願いの形だから」 by向坂颯
どうして?
そんな疑問が鎌首をもたげる。
ぎゅっと抱きしめられた柔らかな体から伝わるその震えをどうにか止めてやりたくて。
自身に預けられたその体の背に手を回し、もう片方の手で自身の胸に押し付けられた頭をそっと撫でてやる。
どうして?
と、同時に再び抱いたその疑問。
何故彼女がここにいるのか、けれどそんなもの分かりきっている。
ただ理解したくないだけだ。ただそうではないと信じたかっただけだ。
それで何か変わるわけでも無いのに、それで事実がひっくり返るわけでも無いのに。
それでも、と思わずにはいられなかった。
最愛の妹が、こんな世界に関わっているなんて。
知りたくなかった。けれど知れて良かった。
「…………
ぎゅっと体を押し付け、泣き縋る少女の名を呼ぶ。
その小さな頭をゆっくりと、自身の熱を押し付けるように撫でていく。
どうして?
どうして、彼女はここにいるんだろうか?
どうして、こんなことになったのだろうか?
疑問は湧いて尽きず、けれど答えは出なかった。
* * *
時間を一時間ほど巻き戻す。
俺と少女…………和泉緋咲がやってきた男女、新藤ユウキと合流してからのことだ。
「見つけたぞ、緋咲」
イサと名乗った男は、少女…………緋咲を見て、半眼でそう呟いた。
どうやら知り合いらしい、と思ったが、けれど少女、緋咲のほうは首を傾げる。
「えっと、あなたたち…………どちらさま?」
不可思議そうな表情で首を傾げる緋咲に、二人が顔を覆い、やっぱりか、と言った。
「支部にメモ帳忘れていったなあ? なんでお前はそう忘れっぽいんだ」
「仕方ない、それがヒサの代償だから」
イサが呆れたように呟き、女がすかさずフォローに入る…………フォロー、なのか?
いや、待てそれより何かおかしな言葉が。
「代償?」
緋咲も気になったのか、鸚鵡返しにその言葉を問い返す。
すると、イサが少しだけマジメな顔をして。
「お前、そこまで忘れちまったのか…………? まさか、使ったのか?
そう言った。
「魔…………法…………?」
何だそれは、そう問おうとした、次の瞬間。
ぱりん、と何かが割れるような音。
その音に過敏に反応したのは、自身と緋咲だけであり、イサともう一人の女はどこか安堵したような表情を見せた。
「な、なんだ……これ……」
ボロボロと景色が崩壊してく、と言うなんとも不思議な光景に体が震える。
そんな自身を安心させるかのように、イサが大丈夫だ、と告げる。
「虚界から現実へと戻されているだけだ、つまり、もう安心だ」
その言葉の意味の半分も理解はできなかったが…………それでも、もう安心だ、と言うその言葉に気が抜けるのを感じる。
「あ、おい、大丈夫か?」
崩れ落ちる体、慌てたようにイサがそれを支える。けれど、極限の状況で、今まで抑えていた疲労が、それから開放されたことにより、一気に襲ってきて…………ぷつり、と。なんの抵抗も無く、俺の意識は闇へと落ちていった。
目を覚ますと、揺れる車内だった。
「…………どこだ、ここ」
「あ、起きた?」
むくり、と起き上がる。と、自身が起きたことに気づいた少女、緋咲がすぐにこちらに声をかけてくる。
その声に、運転中であったイサと呼ばれていた彼もまたこちらに気づく。助手席に乗る女も心配そうにこちらを見ていた。
「おう、起きたか、体にどこか異常ないか?」
そう問われ、まだ半分寝ぼけたような頭で、いえどこも、と返す。
と、同時にようやく気づく。
窓の外を見れば、見慣れた街並み、そしてそこにはきちんと人の姿があり。
「……………………戻ってこれた?」
そんな自身の呟きを聞いたイサが、ああ、と返す。
「本当に、ヒサがいたにしてもよく生きてたなお前。けど、もう大丈夫だ」
その言葉に、大丈夫だという保証に、また意識が飛びそうになる、がなんとか保つ。
そもそも、聞きたいことは山のようにあるのだ、こんなところでまた気絶していられない。
「聞きたいことがあるんですが」
そう前置きすると、まあそうだろうな、と言わんばかりの雰囲気でイサが、何だ、と返してくる。
「あの変な場所は…………一体?」
まず疑問だったのはあのおかしな街。自身の住む町、
疑問に思わないほうがおかしい、だから尋ねると、イサは思考をまとめるように数秒沈黙し、やがて口を開く。
「虚界…………俺たちはそう呼んでいる。俺たちの住むこの世界、現世と薄皮一枚隔てて存在するエネミーたちの住処、ってこと以外実はほとんど分かっていない」
「…………虚界…………エネミー?」
「エネミーってのは、あの世界に跋扈している化け物どものことだ。世界の裏側に蔓延る怪物たち。つっても安心しろ、あいつらが表の世界に出てくることは無い、エネミーは虚界を超えられないからな」
その言葉に、思わず安心する。と言うか、当たり前だろう、あんな化け物がこちらの世界に来れるなんてそっちのほうがぞっとしない。
さて、疑問が一つ解決したところで、次の疑問が沸く。
「…………アンタたちが言っていた、
瞬間、車内に沈黙が下りた。魔法、など明らかに正気の人間が真顔で使うような言葉ではない。
だが、あの異常な世界の裏側を見てしまった現状で、決してあり得ない、と言えるようなものでもない。
何よりも…………自分は見てしまった。何の道具も持たず、何をしたのかも分からないまま、ドラゴンの首を落とした紫と言う名の少女を。
あれをただの手品だ技術なんだと片付けることはできなかった。
否、自身の本能的な部分が叫んでいた、あの光景の異常性を。
誤魔化しに一切応じない自身の態度を察したのか、それとも別の理由があったのか、やがてイサは諦めたようにため息を吐き、語り始めた。
「魔法とは…………お前の想像してるようなものと考えておおよそ間違いは無い。正確な定義としては、人の魂の奥底に眠るその人物の根源を象った法則を意図的に引き出し、世界を、事象を改変する力。それが魔法だ…………と言っても簡単には分からないか。簡単に言えば、そいつにとって最も印象深く心の奥底に刻み付けられたもの、それを現実に投影するのが魔法だ。それは生まれつきのものであったり、日々の積み重ねによるものであったり、そいつのトラウマだったりな、とにかくそいつにとって最も根底にあるもの、それが魔法となる。だから逆に言えばそれがないやつはどうやったって魔法を使えないし、それがあるやつは誰だって魔法を使いえる」
最も、そう簡単に使えるものじゃないがな、とイサが口にする。
「そして」
とイサが前置きし…………自身にとって最も重要なことを口にした。
「あの虚界に入ることができるのは、魔法を使うことのできるやつだけだ」
つまり。
「お前も、魔法を使える…………つまり、そういうことだ」
ようこそ、世界の裏側へ、男はそう告げて、笑った。
* * *
車が止まったのは、伊佐波新聞と書かれた新聞社の駐車場だった。
「………………ここは?」
「俺たちの拠点、みたいなもんかねえ」
とりあえず入れ、と言った空気を感じ黙ってイサたちへと追従する。緋咲は最初は呆けたように事務所を見ていたが、やがて、まるで住み慣れた自宅のような気安さで事務所へと入っていった。
入り口の自動ドアが開く。一歩足を踏み入れる。そして、立ち止まる…………そこに一人の少女が立っていた。
その少女を見て、あまりの予想外に俺は固まる。他の三人もやや驚いたように立ち止まっていた。
「……………………
自身と同じ白に近い灰色の髪をリボンで結び。
いつも半分閉じたような目に不釣合いな大きな眼鏡。
十五にもなるのに、未だに小学生と間違えるような低身長。
知っていた、俺は…………少女が何者なのか、知っていた。
当たり前だ、だって彼女は…………。
自身、向坂仁の妹、向坂颯に他ならないのだから。
「……………………!!」
自身の姿を見た颯がいつも半分落ちかけた瞼を大きく開き、それから自身へ向けて走り出す。
とてとてと走り、そのままぼすん、と俺の懐へと飛び込む。
「……………………兄さん…………兄さん」
肩が震え、僅かに涙声が混じるその様子に、そっとその頭に手を置いてやる。
「大丈夫だから…………お前の知らないところで、勝手にいなくなったりしないから、だから、安心しろ」
ゆっくりと、その頭を撫で、気持ちが落ち着くまでそうしてやる。
どうして?
そうして思ったのは、そんなこと。
どうして最愛の妹がこんなところにいるのか。
けれど答えは分かっている。先ほどイサがこう言った、俺たちの拠点みたいなものだ、と。
その拠点にいる、しかもやってくる側でなく、出迎える側である…………つまり、そういうことなのだろう。
「……………………颯」
妹の頭を撫でる手に僅かに力が篭る。
つまり最愛の妹は、自分よりも以前にこの世界に関わっていた、と言うことに他ならず。
知りたくなかった、そんなこと。
けれど知れてよかった、そんなこと。
自分の知らないところで、妹がそんなことになっていたなどと思うと、忸怩たる想いがこみ上げて来る。
いや、先ほどまでのことを考えれば自分がいたところで何ができる、と言った話だが。
それでも…………自分の知らないところで、妹が危険な目に遭っていた、そう考えれば怒りに震えるのが兄と言うものである。
時間にして数十秒ほど、颯がようやく自身から離れる。まだ多少、潤んだ瞳をしているが、それでも表情を取り繕う程度の余裕は取り戻していた。
「………………兄さん、ついて来て」
そう言って颯が歩き出す。その後ろ姿を見ながら、ふとそう言えば一緒に三人がいたのだと気づき、視線をやるとちょうど向こうもこちらを向いていた。
颯とイサたちを見遣ると、イサが告げる。
「彼女についていけばいい、恐らく支部長のところに案内されるだろうから、そこで聞きたいことを全て聞いて来い」
願わくば…………そうイサが前置きし。
「お前が俺たちの仲間となってくれることを願ってる」
そう告げ、三人はどこかへと行く、緋咲だけはこちらを見て手を振っていた。
そのまま三人が廊下の奥へと消えていくのを見届けながら、視線を颯の元に戻す。
二階への階段の手前でこちらを見ながら待っていたので、そちらに向けて歩きだす。
傍まで行くと、再び颯が歩き出す。
しばしの沈黙が続く、俺はそうでも無いが、颯はそれほど無駄話の好きな
けれど、目的地に着くまでにどうしても一つだけ聞きたいことがあり、立ち止まる。
「……………………兄さん?」
自身の動きを察した颯が立ち止まり、振り向く。
「なあ颯、一つだけ聞いていいか?」
何か? そんな風に首を傾げる颯に、たった一つだけ、聞きたかった疑問をぶつける。
「お前、自分で望んでここにいるのか?」
その問いに、颯が口を閉ざす。
目を閉じ、数秒沈黙し、そうして。
「うん………………理由は色々だけど、私は自分で
目を細め、颯を見つめる。射抜くような俺の視線に、けれど怯むこともたじろぐことも無く、しっかりと視線を返してくる。
そんな妹に、苦笑する。張り詰めた空気が弛緩した。
「そうか………………ならいい、お前がそれでいいなら、俺もそれでいい」
「………………ありがとう、兄さん」
そんな妹の言葉に笑って返す。
やがて、一つ扉の前で、颯が立ち止まる。
扉をコンコン、とノックし、どうぞ、と言う返事と共に扉を開く。
「いらっしゃい、颯…………そちらの人が?」
そう尋ねてくるのは、広い部屋の真ん中に置かれた机に座る一人の少女だった。
こくり、と颯が頷くと、少女がこちらを見つめ、笑う。
「こんにちわ、キミが向坂仁くん? 私がこの神ヶ原市の
そう笑う少女は、黄に近い金の髪を靡かせた年の頃中学生くらいの少女であった。
ただ、その身にまとう雰囲気が、明らかに子供のソレではない。
颯と言う実例がいるだけに、受け入れるのは簡単だった。
「えっと? よろしくお願いします?」
多少疑問系ではあったが、そう言って頭を下げると、少女…………桜野由紀が笑みを深くする。
自身の明らかに大人に対する態度に、笑みを深くしたのだと知ったのは後の話である。
「ふふふ…………そうね、よろしく」
そう言って微笑む少女に、颯がジト目で見つめる。意図を察するに早く進めろ、と言ったところか。
少女もそれを察したのか、さらに笑う。
「じゃあ話を続けましょうか。今日キミが見たもの聞いたものについて…………詳しく、ね」
魔法とは、人の根源を現実に具現化することである。
人の心の最奥に刻み付けられた、つまり原風景を法則化し、現象化し、現実へ投影し、具現化する。
実は魔法を使える資質を持つ人間と言うのは非常に多い。要は自身の中で最も大事だ、と言えるものがあればそれだけで魔法を使う資質になる。
だが実際に魔法を使えるようになる人間は少ない。同じ資質を持つ人間でも、魔法を使える人間と使えない人間がいる。その差は何なのか…………答えは簡単で、自身の資質を自覚できるかどうかの差だ。
世界を歪めるほどの強く、強烈で、鮮烈で、悪辣なほどに心に焼き付いてしまったソレを自身が認めることができるかどうか。それが差となる。
ソレを認めると言うことは、人より一歩外れるということだ。そんなにも強く、強烈で、鮮烈で、悪辣なものを普通の人間では直視することはできない。だからこそ、ソレを認めることができると言うことが即ち、普通の人間ではないと言うことの証左になってしまう。
人は異端を嫌い生物だ。集団の中のたった一つの異常すら探りだし、見つけ出し、排除しようとする。
だからこそ、魔法使いなどと言う異端は過去、真っ先に排除された。
だが、同時に人は和を好む生物だ。人は一人では生きられない、などと言う言葉がある通り、常に群れていようと集団を作る性質がある。
だから、魔法使いが集まって集団を作った。人の視線から隠れ、社会の中に紛れ、そうして異端なる力を律し、
だが力を持った人間とは、得てして傲慢にもなりやすいものである。
当然だが、自由に魔法の力を振るえないことに不満を持つものが現れる。
そうした魔法使いは、密かに社会でその力を振るい、数々の悪事に手を染めていく。
焦ったのは他の魔法使いたちである、自身たちの存在を隠すために“組織”を作り、規律を生み出したと言うのに、それをこうも無視され目立つような真似をされては、その被害は自身たちにまで及ぶ。
だからこそ、“組織”の魔法使いたちはそうした魔法使いを秘密裏に取り締まった。
面白くないのが取り締まられる側の魔法使いたちだ。実際に、異端とされ排斥されたからこそ、人間社会に恨みを持つものも多く、そのはけ口として魔法を使っていた者たちがそれを禁じられ、無理矢理大人しくさせられる、それはそれはストレスの溜まる日々だった。
再度言うが、人間は集団を作る生き物だ。それは生存知識であり、最早本能と言っても過言ではない。
故にこそ、魔法使いの中の異端たちがさらに集団を作る。一人、二人と集まり、その数が“組織”に対抗できるほどに増えると、彼らは“組織”からの脱退を宣言、同時に“
かくして、魔法使いたちは二つの勢力に分かれることとなった。
魔法使いたちを律し、社会に準じて生きようとする、
魔法使いたちが自由に力を振るい、その力で社会の上に立とうとする、
「という訳で、私たち“組織”と“結社”はもう何十年と争いあってるのよ」
語られた内容は、自身の想像を遥かに超える内容であり、思わず眩暈すらした。
自分たちが暮らしている平和な社会の裏での魔法使いたちの命を賭けた激しい戦い。そんなものは、まさしく非現実的であり、非日常的である。信じろと言うほうが無理であるが、それでも颯が否定しない以上、それは事実なのだろう。
「さて。そんな前置きはさて置きましょう…………キミだってそんなこと聞きたくてここに来たわけじゃないでしょうしね」
「え…………あ、はい」
あまりにも壮大な話に忘れかけていたが、そんなことを聞きたくてここに来たわけではないのだ。
「と言っても、一から語るとあまりにも長くなるから…………そうね、そちらから聞きたいことを聞いて頂戴?」
「…………じゃあ、遠慮なく。まず聞きたいのは、あの化け物だらけのおかしな街のことです」
「ああ…………虚界のことね」
虚界…………キョカイ、どうやらイサの証言との食い違いは無さそうだった。
二人が共謀して俺を謀っているのでない限り、イサから聞いた話は本当のようだった。
例え二人が共謀して俺を謀っていたとしても、颯が同じ部屋にいる限り、そんな嘘あっさりとバレるに決まっている。
あまり歓迎することではないのだが…………ここまで案内してくれたことと言い、さきほどのイサたちの態度と言い、颯はこの組織の中で一定の信用を得ているようだった。それはつまりそれだけ長い時間を共に過ごしてきたことの証でもある。あまり手放しでは喜べないが、それでも右も左も分からない中で、事情を知った信頼できる家族がいる、と言うだけで俺は大分運が良い類だろうと思う。
「虚界は現世と薄皮一枚隔てた向こう側。世界の裏側と言ってもいいわ…………と言っても、あの世界については良く分かっていないのよね」
虚界は、エネミーたちの巣窟だ。
現代兵器のほとんどがエネミーに対して有効的な威力を持たず、故にこそエネミーに対抗できるのは魔法使いだけである。
そもそもエネミー、あの怪物たちが何なのかすら、未だに分かっておらず、その生態も謎に包まれている。
あるいは、あの世界はこことは全く別の異世界なのだと言う者もいた。それを全くの間違いだとけれど笑うことのできる者はいなかった。
朝に黒い太陽が昇り、夜に蒼い月が昇るあの世界を、一体どうして自身たちを同じ世界などと言えるのか。
むしろ異世界だと言われたほうがまだ納得できる。だがそれにしては、虚界は現実世界を模倣し過ぎている。
結局、何から何まで謎の謎。分かっていることは入り方と出方だけだ。
「入る方法はね、魔法を使うことよ」
魔法とは世界を歪める。どんな魔法だろうとその規模の大小に関わらず、確実に世界を歪める。
そして、歪みが広がり過ぎた世界には、一時的に穴が開く。
穴が開くと、穴の周囲にいる魔法使いたちは全て虚界へと引きずり込まれることとなる。
「俺があの世界にいたのは…………」
「恐らく、あの付近ではイサたちが戦闘していたから、その時開いた穴に巻き込まれたのね」
つまり巻き込まれただけ、その答えに膝を落ちそうになる。
あんな死にそうな目に遭って、その理由が偶々そこにいたから。
ふざけるな、と怒りたくなる。だが助けてくれたのも彼らなだけに、怒るに怒れない。理由はどうあれ、颯もいる組織なのだ、できれば嫌いたくは無かったし、嫌われて颯の立場が悪くなるようなことも避けたかった。
心を冷静に保ち、話を続けてくれ、と目で訴える。その自身の対応に、少しだけ目を丸くしながら少女が口を開く。
「出る方法だけど…………ずばり、時間経過よ」
「…………何?」
あまりにも意外と言えば意外な方法に、目をきょとんとされる。
世界が歪めば虚界への穴が開く。だが本来、現世と虚界は交じり合わない境界線がある。
魔法はそれに穴を開けてしまうが、世界は一個人がどうこうしたところでそう簡単には壊れたりしない。
恐るべき修正力により、穴を急速に塞いでしまう。
穴が塞がると虚界へと迷い込んだ現世の人間たちは、現世へと帰還することとなる。
それがどういう原理かは分からないが、現世の人間は虚界にとって異物であり、虚界から弾かれるのではないか、と言うのが濃厚な説だった。
現世から虚界への穴は一方通行であり、虚界から戻るための方法はまさしく待つしかない。
そう…………ただ待つ以外に方法はないのだ。
あの怪物だらけの世界で、ただ待つ以外の方法は無い、のだ。
「それがどれほど難しいか、キミなら分かるよね?」
魔法と言う超常の力を持ったとしても、所詮は人間だ。
些細な失敗、僅かな恐れ、一瞬の不注意、そんな小さなことが命の危機に直結する虚界では、魔法使いと言う人種を持ってしても命の危機を感じざるを得ない。
魔法と言うのは確かに常識ハズレの力ではあるが。
虚界に住むエネミーたちもまた、現世では考えられない異常な力を持った個体ばかりがいるのだから。
「そこで、キミに一つやってもらいたいことがあるわ」
と、少女がトン、と人差し指で机を叩き、そう言った。
やってもらいたいこと? と鸚鵡返しに尋ねると、ええ、と頷く。
「それは、この組織とか言うのに入れ、とかそう言うことか?」
こう言うもののお約束と言えるものを言ってみたが、少女が首を振る。どうやら違ったらしい。
「まあ、入ってくれれば嬉しいけれど、JPDJSは魔法使いが平和に暮らすことを優先してるわ、IEIと違ってその辺りは強制しないわ」
なるほど、と納得する。ちゃんと掲げた理想に沿った活動をしているようだ。まあ颯がいるのだから、と最初からそれなりに信用はしているが。
だったらやって欲しいこととはなんだろうか、と首を傾げると、それを察したように少女が続きを答えた。
「やって欲しいことは簡単よ…………魔法を覚えてもらいたいわ」
未覚醒の魔法使いと言うのは先も言った通り、世界中にたくさんいる。
だがそれを覚醒させられる魔法使いは非常に少ないとも。
さらに虚界へと
ここで勘違いしがちだが、未覚醒の魔法使いは虚界へ墜ちることは無い。だが、半覚醒状態にある魔法使いは墜ちることがある。どう言う基準なのかは分からないが、少なくとも言えることは、半覚醒状態にある魔法使いは自覚的に魔法を使うことができない。けれど、虚界へと墜ちる条件のようなものを満たしてしまっている。
それはつまり、魔法と言う唯一の防衛手段も持たず、あの
「虚界へ墜ちた時、落ちた魔法使いたちは基本的に虚界の各地にバラバラに散ってしまう。だから虚界へ墜ちた時、基本的には単独で行動することになるわ……………………だからこそ、自衛の手段が必要となる。それはキミも分かってるよね?」
こくり、と頷く。
脱出の方法、そして自衛の手段。
その二つがあの世界にあって、俺が探し出そうとしたものである。
脱出の方法はすでに知った、時間経過で出られる、それがどれほどの時間か、今日のことを考えれば半日以上と考えておいて間違いないだろう。
そしてもし自衛の手段を持てるなら。
「恐らくキミは魔法使いとしてすでに半覚醒しているわ…………だから、これから先、また虚界へと落ちる可能性は決して低くない、それほど魔法使いたちは頻繁に争っている。そしてだからこそ、キミがまた巻き込まれる可能性は決して零とは言えない、むしろ高くあるかもしれない」
それは虚界だけではない。
もっとも多くの人間を殺すのは、同じ人間である、と言う言葉があるが、まさしくその通りで、虚界などと言ういつ起きるかもわからないものよりも、はっきりとした脅威としてあるのが、同じ魔法使いである。
「すでにキミはIEIの魔法使いと接触しているわ…………紫、その名前に聞き覚え、あるわよね?」
「………………………………ああ」
助けはしてくれた、だがその後、自身たちを置き去りにして去っていった。それをどうこう言うつもりは無いが、この“組織”とやらの気質からしたらあり得ない、と思った。だから消去法で“結社”なのだろうと言う予想はしていた。だがこうしてはっきりと言われると、僅かな動揺に襲われる。
「彼女を通してキミと言う半覚醒の魔法使いの情報はIEIに渡っている、そうなればIEIだって動くかもしれない。JPDJSよりも戦力を増やしたいIEIもまた、魔法使いの確保に必死だからね」
そうなれば多少強引な手段を使ってでも自身を確保しようとするかもしれない。
そんな脅しにも似た言葉に、背筋がぞっとする。
「だから魔法を覚えて欲しい。どんな魔法であれ、魔法使いは覚醒したその瞬間、人から一歩外れるわ。その分、人外の力を得ることができる」
魔法も使えない半覚醒状態の資質者などカモでしかないが、魔法に覚醒していれば、それだけで相応の抑止力になる。
と、まあそんな説明もあり。
「だから、キミには魔法に覚醒してもらうわ」
そんな少女の言葉に、了解、と頷く。
だが魔法に覚醒する、と言うのはどうやればいいのだろうか?
そんな自身の疑問に、少女が端的に答える。
「そうね、まず最初にこれだけは聞かせてちょうだい」
それまで少女に張り付いていた笑みがふっと消え、無表情に少女は問うてくる。
「キミの根底、心の一番奥にあるもの、それは何?」