夏と言えば、インドア派でない限り、皆が一様に思い浮かべるのは海水浴だ。そんな訳で飲み会で顔を合わせた一同は車二台を走らせながら伊豆半島に向かっていた。親睦を深める為と言う名目の元に企画されたこの一泊二日の旅行。参加しているのは和也とエミヤ、木部に栗林。大学の先輩である笹野や、麻美を含めた女性らの計八人。今回は麻美の参加が確定していた事もあり、旅行の発案者である笹野は飲み会の件を踏まえて和也を誘わないつもりでいたのだが、何故か麻美は和也の参加を強く薦め、容認した。
「本当に来て良かったのかな、俺。」
「あー...飲み会と同じメンツだからな。でもまぁ、麻美ちゃんは気にしてないと思うぞ。笹野先輩が本人から聞いたってさ。」
不安げな和也の疑問に同車している木部が答えた。それを聞き、少しだけ安堵する彼だったが、やはり実際に本人と話さなければ分からない事もあると気を引き締める。因みにエミヤはもう片方の車に乗車しており、これまた不思議な事に栗林と会話を弾ませている。実家の林檎園についての軽い相談を真剣に聞き取って的確なアドバイスを口にしてくれているエミヤに栗林の好感度は鰻上りだ。
「おぉ、あっちは何か楽しそうにやってるな。で、カズちん。千鶴ちゃんはやっぱ無理だったのか?」
「あ.......。」
「どした?...何かあったのか?」
目の前の男は和也にとって信頼に足る人間で幼馴染。では彼には話すべきではないのか、あの日の夜の出来事を。和也の中で僅かな迷いが生じる。木部は自分達の関係を本物だと信じて疑わず、幸せを願ってくれている。なればこそ、これ以上は嘘を重ねてはならない。だが和也は恐れた、恐れてしまった。千鶴は偽の恋人で、彼女との関係は既に終わったのだと告げた後の木部の反応を想像して。
「(こんなんじゃ...婆ちゃんにすら話せやしねぇじゃんか、クソっ。)」
「本当にどうした、顔色悪いぞ。......喧嘩したんなら、ちゃんと仲直りしろよ。」
「あぁ...ごめん、ありがとな。」
飲み会が終わったあの日の夜。和也は千鶴との関係を終わらせるべく、行動を起こした。
「婆ちゃんに、別れたって言うよ。」
今の状態が長く続けば、必ず何処かで襤褸が出る。自分が責められるだけなら構わない、それだけの事をした。だが、我儘に巻き込まれた千鶴までもが糾弾される事態はあってはならない。取り返しのつかない事態を招く前に、自分から千鶴を解放するのだ。和也の下したその判断は正しかった。
「だから、水原はもう自由だ。」
途端、千鶴の目が鋭く細められる。彼女の中でふつふつと湧き上がるのは和也に対する怒り。家族を想う和也の気持ちに感化され、同情心を誘われ、この一週間を和也に付き合い続けた。飲み会での弁舌と言い、今の言葉と言い、彼は確かに成長している。それはとても喜ばしい事で、笑顔で関係の終わりを快諾するべきなのは分かっている。なのに、この感情は一体何だ。本当はこんな怒り、抱くべきではない。相反する思考と感情、千鶴は自身の内側で発生した異常を表には出さず、和也の横を静かに通り過ぎた。
「......そう、勝手にしたら。」
「(あの時の水原......やっぱり怒ってた、のか。でも、何で?衛宮さんに聞いても、自分で考えろって言われたし。)」
あれから車を走らせて一時間。目的地に到着した和也達一行は現地のホテルで受付を済ませ、海へ直行の流れが出来上がっていた。皆が夏の陽気に心を弾ませる中、和也だけがホテルの窓際で佇んでいる。その顔には憂愁の影が差し、彼の立つ空間は温度が下がって見える。
「(理由が分からなくちゃ、迂闊に謝れないしなぁ。)」
脳裏を掠めるのはあの日の夜に垣間見た千鶴の複雑な表情。瞬間的にだが、和也は彼女から発せられた怒気も感じ取っていた。何故、いつも冷静な千鶴があんなに感情を顕にしたのか。原因が自分の言動だとしても、彼女は偽の関係に乗り気ではなかった。怒る理由など微塵もないはず、寧ろ喜んで然るべきだ。
「かーずくんっ。」
「ん?え...あ、ま、麻美ちゃん!?」
窓際に立つ彼の顔を横から覗き込むようにして現れた麻美に和也は瞠目する。飲み会の日から日が経っていないのにも拘わらず、躊躇う素振りすら見せずに接触してくるとは和也も予想していなかった。
「そんなに驚かないでよ〜。それで、どうしたの。そんなに辛気臭い顔して......あっ、もしかして彼女さんと喧嘩でもしちゃった?」
「そ、それは...えっと...。」
「...話しづらい事聞いちゃったね、話題変えよっか。私、丁度和くんに聞きたい事があったんだよね。
...衛宮士郎さんの事、詳しく聞かせてほしいな。」