「...と言う事でして。衛宮さんが帰った後、あの病院に偶然入院してた水原のお婆さんとも鉢合わせちゃって、
まぁ最後はお互い別れた事にしようって納得したんですけど。」
「未だ家族には話せていない、と言う訳か。」
腕を組み、両目を閉じた後。片目だけを開いたエミヤの表情からは何の感情も読み取れない。故に和也は思った。怒られる、と。しかし、予想に反してエミヤの口から紡がれたのは和也の事情を慮った上での冷静な言葉だった。
「そう身構えてくれるな、別に私は君を叱るつもりはない。ただ...あの場での嘘の理由が祖母の夢を叶える為だと言うのなら、
そう言い、朝食を終えたエミヤは後片付けをするべく立ち上がる。そんな彼を目で追っていた和也は途中で時計へと視線を移すと慌てた様子で玄関へと向かった。時刻は八時、両親に大学へ遊びに行く訳ではないと啖呵を切った以上は真面目に講義を受けなくてはならない。
「俺、そろそろ大学行ってきます!」
キッチンの方で洗い物に取り掛かっているエミヤに届く声でそう言った和也は彼からの助言を反芻した後、強い決意を抱きながら玄関の扉を開けた。
「(衛宮さんの言う通りだよな、婆ちゃんの夢...いつか絶対に叶えてやんねぇと。)」
それから三十分後、大学の構内。在籍する生徒らが疎らに行き交う外の通路で和也が友人である木部芳秋や栗林駿と男同士のコミュニケーションに興じていた時、それは起こった。彼等の前で書類の束を落としてしまった一人の女性、その姿が和也の視界に飛び込んだ瞬間。女性と和也、二人は信じられない物を見るような目でお互いを見詰め合う。
「あっ...あ?え?」
服装や髪型、雰囲気こそ異なってはいるが三人の前で書類を落とした女性は和也がもう会う事はないと決めていたレンタル彼女、水原千鶴その人だった。
「は...あ?」
尚、千鶴と和也の関係性を知らない木部や栗林は何故二人が互いを凝視しているのか、全く以て事態を把握出来ていない。数秒間の沈黙、この状況で最初に動いたのは千鶴だった。落ちた書類を集め、早足でその場を去っていく彼女。その後ろ姿に視線を向けながら、木部と栗林が会話を始める。
「誰あれ?」
「確か、文学部の...いち...いち何とか...。」
そこで言葉を止め、栗林と木部は唯一彼女に見詰められていた人物。和也に狙いを定め、事の真相を探る為に動き出した。
「てかなになに、徒ならぬ雰囲気だったけど?」
「そうそう、彼女と何かあったのかな〜?」
詰め寄る木部と栗林。和也自身、まだ彼女が水原千鶴かどうかの確信がなかった為、安易に答えられる状態ではなかった。
「えっ、いやぁ...別人だったかも?」
「はぁ?...何だよ、期待させんなよ。」
「女なら見境なく知り合いに見えやがって、これだから童貞は。」
嘘を言っているようには思えない和也の曖昧な反応に、木部と栗林は興醒めした様子で離れていく。二人からの辛辣な言葉を浴びた和也は心の中で呟いた。
「(お前らも童貞だろうがっ!)」
そんな波乱の始まりの如き朝を迎えた和也は木部や栗林と別れて学内を歩きながら講義室へ向かっていた。脳内では先程の光景が何度もリプレイされ、その度に水原千鶴と例の女性が重なって見えてしまう。
こんな状態では講義に集中出来る気がしない。そう思った和也が気を引き締める為に両手で頬を叩いた直後。背後から何者かに強い力で引っ張られた彼は悲鳴を上げる暇もなく資料室へと連れ込まれる。
そして暗い資料室の中、扉を閉めた人物は和也へ向かって人差し指を突き付けた。
「誰にも言わないで!私の事は一切知らない、私達の間には何もなかった。約束して!」
三つ編みに黒縁の眼鏡。姿こそ違えと、その声は和也が一日前に何度も聞いたもの。
「お、お前...やっぱり水原...。」
「そうよ、バイトの事は秘密にしてるの。何か文句ある?
あれこれ噂されるのが面倒だからよ、だから...宣誓して。私とあなたはー!」
宛ら機関銃のように言いたい事を連発する彼女。もはや千鶴の独擅場と化した資料室の中では和也に反論する余地はない。
「わ、分かった!分かったからぁ!」
一度落ち着いてほしいといった和也の必死な思いが千鶴に伝わったのか、言葉という名の銃弾が飛び交っていた資料室は一気に静まり返る。
「はぁ...もういい。さようなら、二度と同意して送信しない事を祈っているわ。」
もう二度と会いたくないと暗に示された拒絶の言葉を受けて、和也はその場に座り込むしかなかった。
「(あぁ...何か色々とつれぇ...。)」
翌朝。木ノ下和也と水原千鶴、両者はアパートの廊下で再び顔を合わせていた。つまり二人は同じアパートに住んでいた上、隣人同士だった訳である。
「「はぁ〜!?」」
極端ではあるが、偶然が続けばそれはもはや必然。二人は出会うべくして出逢ったのかもしれない。
因みに和也の後ろにはゴミ袋を片手に持ったエミヤもいたのだが、その存在は空気と化していた。