その日、男は憂鬱だった。
東京大学理科三類を主席で卒業し
学位と医師免許を取得の後、国家公務員一種試験に合格した彼は国家の為にと警察庁のキャリア官僚として
2年間の現場経験を経て本庁に戻ったのだが
上司の栗原人事課長に言い渡されたのは
「書庫11号室への配属となった」
書庫とは警察庁の中で使う備品や押収した証拠類
または不要となった書類を一時保管あるいは永久に眠らせておく地下にある倉庫のようなもので
彼、秋山慎一には甚だ似つかわしくない部署であったからだ。
さらに秋山を憂鬱にさせたのは栗原人事課長のもうひとつの司令であった
「書庫11号室審議官警視正の広瀬真奈美を監視してもらいたい。」
書庫11号室がある警察庁地下3階に向かう秋山の足取りは重く、栗原人事課長との会話を思い出していた。
「監視…ですか」
「秋山も聞いたことはあるだろ?広瀬警視正の話は」
「ええ…同期はみんな言ってました、なんでも…その」
「変人広瀬。か」
「…はい」
「アメリカのマサチューセッツ工科大を卒業後、犯罪者行動心理学の学位を取得異例の速さで出世し今や警視正だが…彼女の捜査はなんとも」
「どういうことですか?」
「それを秋山に監視してほしい」
「…それは」
「広瀬警視正は書庫11号室で未解決事件の捜査を担当しているのだが、なんとも彼女の手法はオカルトじみていてな、秋山の科学的見地から見た彼女の仕事が適切かどうか調べてもらいたい」
「僕の科学的知見ですか」
「広瀬警視正の行動は逐一レポートにして提出するように」
「…わかりました」
地下に降りるため乗り込むエレベーターの中でさえ
周りのヒソヒソ話すような声や自らの不幸を笑っているかのような目に秋山の足取りは更に重くなっていった。
地下3階にエレベーターが到着し「地下3階です」というアナウンスが鳴るころには秋山一人だけで、薄暗い廊下と連立する鉄のドアを今にも焼ききれそうな蛍光灯が照らしている。
ついさっきまで秋山を乗せこの異空間に誘ったエレベーターボックスは秋山を置いて自分だけ上に登って行った。その証であるパネルの光を見て心の底から沸き上がる声がした
「…帰りてぇ」
人のために、国家のためにと突き進んできた
人間がここまでの堕落をする空間、あるいは雰囲気とは一体どういったものなのだろう。
人の気配すら存在しない廊下を歩いていると
ひとつのドアに【書庫11号室】の文字があり
秋山は決意を固めノックして室内に入った。
「…ごめんください」
「どうぞ~」
「あ、あの」
「ここには日本中の厄介事しかないわよ~」
「今日からこちらに配属された秋山警視です、よろしくお願い致します。」
「そう、話は聞いてるけど急に人手を増やしてくれるなんてね。ところであなたはどんなヘマをしてこんなところに飛ばされたのかしら」
「ヘマなんてとんでもありません。広瀬警視正、これまでに心理学を使った犯人像の絞り混みから幾つもの難事件を解決に導いてきた方の側で仕事ができるのは光栄です。」
「ふーん。じゃあきみは柔軟な考え方ができるのかしらね?」
「といいますと?」
「これを見て」
そう言うと広瀬は広さ12畳程度で四方を書類棚に覆われた室内に、斜めに置かれた自分のデスクにあるプロジェクターを作動させ、反対側にあるスクリーンを開いた。
スクリーンには山中と思われる森林のなかですでに息絶えている女性の遺体が写し出された。特に腐敗した様子もなく今にも動き出しそうな遺体を見て怪訝な表情を浮かべる秋山に対し、広瀬は顔色を変えることなく話始めた。
「彼女の名前は伊東美智子、家族から失踪による捜索願いが出されていて当時の警察組織が受理したときは17才。3日前、岐阜県天狗山で登山をしていた旅行客によって発見通報されたわ。目立った外傷もなく、先日の解剖の結果死因は凍死。死後1日ってところみたいよ」
「待ってください!凍死?今は7月ですよ」
「ええ、でも彼女はまるで解凍されたような状態で発見されたわ。防御創ひとつなくね」
「まだ若いのに…なんて酷いことを。であれば複数人数による犯行、または怨恨による拉致などの可能性は」
「ん~ありえないわね」
「なぜ?」
「彼女の戸籍、見てみる?」
広瀬から渡された事件のファイルを目にした秋山は絶句した。
「…これ、嘘ですよね…」
「ん~私も偽物だったら楽だったのよね」
「これ…戦前の戸籍じゃないですか!」
「そう、彼女伊東美智子は昭和8年7月20日生まれ。今生きてたら87才ね」
「当時の警察組織って…」
「ええ、戦前の大日本帝国下の警察よ」
「いくらなんでもあり得ませんよ!だって遺体はどうみても10~20代それにこの遺体が丸被だって証拠はあるんですか!」
「もう、怒鳴らないでよ!」
「す、すみません…」
「伊東家は戦前から続く名家みたいなの。だから写真も多く残っていて照合するのに助かったわ」
「…そんな」
「ふふ、瓜二つでしょ?」
「お孫さんかもしれないじゃないですか」
「伊東さんのご家族は全員ご存命よ、先日確認したわ。それに鑑識に回したけどほぼ本人だという結果になったの」
「…では、この方は一体」
「それに今回のように捜索願いが受理されて数十年経って遺体が当時のまま見つかるといった奇妙な事件が他にもあるの」
「そんな」
「これは千葉県の事件に、こっちは三重県、1年前に発見されたこの遺体。こちらも同じような経緯で発覚したけど、これも岐阜の天狗山なの」
「…一体、これはなんですか」
「外傷はないと言ったけど一つだけ被害者に共通して背中にアザがあるの」
「…このアザは…」
「ええ、見方によっては何かの顔みたいよね」
「広瀬警視正はどのように考えているのですか?」
「さぁ?」
「さぁ?ってここまで資料を集めで事件を紐付けしたのにプロファイルはしていないのですか?」
「だってもう70年も前の話よ?それに」
「それに?」
「どう!あなたは幽霊を信じる?」
突拍子のないことを聞かれた秋山は
「そういうことか」と目の前で説得力のある
説明をしていた広瀬という人物が急に幼く見え
笑ってしまった。
「広瀬警視正。幽霊や心霊、オカルトの類いに関して僕の意見は存在しないです」
「なぜ?」
「科学的に実証できないですしパターンがありません。人為的なものではないとしても、台風や水害、地震といった自然界のものでも前兆やある程度のパターンはあります。パターン分けできないし、何より人の証言でしかオカルトの存在を確認できません」
「はいはい。よくできました」
そう言って手を叩く広瀬に若干の苛立ちを覚えた秋山は栗原人事課長に言われた命令を思い出し、この書庫11号室を抜け出してまともな部署に戻る決意をした。
「…広瀬警視正は信じているのですか?」
「ん~まだわからないことがあるから断定はしないわ。秋山書庫11号室へようこそ。あと私のことは広瀬でいいわ、警視正なんて堅いのきらいなのよ、あと今日から出張よ現地の県警には話してあるから」
「え、現地って」
「岐阜に決まってるでしょ」
「ちょっと待ってください!」
「わからないことは現地で調べる、ポリ公の本分でしょ?丸被がどうして冷凍コロッケみたいに凍らせられて70年後の今、発見されたのか調べに行くわよ」
「コロッケって…」
「私の車でいくから地図とかナビお願いね!」
警察庁の1階車両玄関で広瀬を待っていると
一台の爆音を放つスポーツカーが近づいてくる
秋山が再び怪訝そうな表情を浮かべると
助手席側の窓が開き、車内にはスーツにサングラスといった出で立ちで広瀬が運転していた。
「早く乗ってちょうだい」
「あの…この車は」
「ん?私のGTRよ」
「…それはわかるのですが」
「じゃあ問題ないでしょう?早く乗って」
促されるまま姿勢を低くし、スポーツカー独特の座席に着座した秋山は車検のことやマフラー音の響きから違法改造、何より警察組織の一員としてどうなのかと考えながら広瀬の操るGTRでナビの操作をしていた
「あなたの捜査活動は随時上に報告させてもらいますから、そういった命令を受けてます」
「やっぱりね、てことはきみはスパイだ」
「人聞きの悪いこと言わないでください僕は科学的な見地からあなたの捜査が適切かレポートを出すのが仕事です」
「それをスパイっていうんじゃない」
「僕の出すレポートがあなたにとって良いものか悪いものかは広瀬警視正次第ですよ。あくまでも第三者です」
「じゃあ今のところはどうなのよ?」
「知りたいですか?」
「やめとくわ。あなた秋山だっけ?嫌な性格してるわね」
「憎まれ口叩いてないで運転に集中してください」