ゴジラvsシンデレラガールズ   作:キシ

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[追加]〈エピソード8.5:逆光〉

 

 あの日の出来事を今でも覚えている。

 

 7年前、私は北海道にいて、あの日、何かが私のいた街を襲ったのだ。

 焼け野原になった街の中で、私はずっと父と母を探し続けていた。 幼く、弱い私は、炎に囲まれた瓦礫の中で、ずっとずっと声を張り上げていた。

 肌が焼け爛れそうなほどの熱気を残して、全てを破壊し尽くしたあの黒い影はいつのまにか消えていた。 あれが何だったのかは今でも分からないが、その時、私は全てを失ってしまったのだということを、あの人に抱きしめられるまで気づかなかった。

 

 幼い私を力の限り抱きしめて、あの人は泣いていた、泣いていたから、私も泣いた。 一人ぼっちになった事を知って、それでも唯一残った大切な人の存在を知って、泣いた。

 

 それから、私にとってあの人は世界そのものになった。 あの人を守る為ならば、私はどうなったっていい。

 

 私の命に替えても、お嬢さまだけは──。

 

 

 

〈2025年12月12日、13時07分〉

 

 本格的な冬の到来を知らせる鋭く冷たい風が吹き、空には重たい曇天が広がるばかりの旧首都・東京。

 この日、成宮由愛と三船美優は東京のG対策センター極東本部を訪れていた。

 度重なる怪獣災害に見舞われ都市機能をほぼ完全に失った東京には既に住民の姿はなく、かつて世界最大級とも評された大都市は見る影もない廃墟の街と化し、G対策センター極東本部を構える軍用都市となっている。

 2人が大阪G対策センターから来た理由は、やはり由愛の“予知”によるものだが、その内容は内密にされており、一台の車を借りて美優の運転で東京郊外へと向かっていた。

 ゴーストタウンとなった都心部と違って山間の方には僅かながら人が残っており、今も使われている屋敷はいずれも富裕層の別荘などがほとんどではあるが、自家発電や地下水を利用して慎ましく生活する人々もいた。

 

 今回目的地となるのは前者、富裕層の別荘である屋敷のひとつだ。 古くからこの土地に住む名家で、名を黒埼という。

 現在の当主はルーマニアで暮らしているらしく、屋敷にはその一人娘と使用人の2人だけが住んでいるというのは、極東本部情報部による報告書に記載されている。

 若い少女の二人暮し、という事以外に目立ったところは無いが、由愛が直接向かうということはそれだけに確信的な何かがあるという証拠だ。

 

「……由愛ちゃん、ずっと黙ってるけど大丈夫?」

 

「…………はい」

 

 由愛の返答は至って淡白で、さもすれば生気が宿っていないと言える程に冷たかった。

 不機嫌な訳ではない、由愛は不機嫌になると分かりやすく「怒ってるな」と思えるくらいハッキリと態度に出るし、至って子供っぽく可愛らしいものだ。

 それはともかく、朝からずっとこの調子で早朝にいきなり美優の部屋を訪ねてからの開口一番が「東京に行きたい」だったので、わざわざヘリを飛ばして極東本部に立ち寄り、かと思えば今こうして老朽化も激しい山沿いの道路を走らされている。

 

(また“巫女の職権乱用だ”なんて陰口を叩かれそうね……)

 

 いったい幾つの報告書をこなさなければならないのかと、考えるだけで憂鬱な気分だった。

 何よりも問題視すべきは、今この時点で「最も優れた能力を持つモスラの巫女」がG対策センターを離れてしまっている事だ。 平時であればさほど重大な問題にはならない由愛の行動は、ことこのタイミングにおいては少々厄介な事案だった。

 

 今、地球上にはキングギドラがいる。

 

 ゴジラが消息を絶った今、紛れもなくあれは最強最悪の怪獣であり、ゴジラ出現以上の緊急事態である。

 しかも太平洋を北上し日本に上陸する可能性が高いと見られている今、モスラの力を借りるというのは当然の選択になる。

 歴史上たった1体しか観測されていない唯一の宇宙怪獣キングギドラは、文字通り人知を超えた存在であった。

 大気を意のままに操る能力によって巨大なスーパーセルを引き起こし、暴風雨を引き連れて無差別に破壊し尽くすその行為は、攻撃対象が「人類」ではなく「地球」そのものと言っても過言では無い。

 なにせ「自然発生では無い自然災害」というこの上ない矛盾に満ちた現象を意図して引き起こすのだ、それは大自然のサイクルを真っ向から叩き壊す神をも恐れぬ冒涜と言っていい。

 

『ゼロは現在太平洋を北上中、上陸の可能性大、各センターは注意されたし』

 

 車の衛星通信機から国内のG対策センター全基地へ向けた情報が伝えられる。 ゼロ、とはキングギドラの事を指す通称で、キングギドラが初出現してから正式に名前が決まるまでの間仮称として使われていた「モンスターゼロ」の名残だ。

 それはともかく、最悪の事態だと言っていいだろう。 もちろん、由愛の他にも各地のG対策センターには少なくとも1人はモスラの巫女が常駐している。 もしもの時は彼女らが対応してくれるだろうが、それでもやはり「成宮由愛がいない」というのはそれだけでも不安を募らせる要因の一つになり得る。

 それほどまでに、由愛への巫女としての信頼は強い。

 

「分かっています」

 

 美優の抱く不安を察してか、重たい沈黙を破り由愛が口を開く。

 

「私がどれだけ皆さんに必要とされているのかは……ちゃんと分かってます、でも、今だけは……この不安を先に取り除いておかないと、ダメなんです……」

 

「……話してくれる?」

 

 由愛と最も近くにいる美優でさえ、何の目的があって黒埼家へと向かっているのか、何度質問しても教えてくれなかった。 キングギドラ接近よりも急を要する事など果たしてあるものか? そんな疑問を抱えながらもこうして由愛の要求に答えているのは、美優が今の役職に就くにあたって心に決めた覚悟があるからだ。 必ず、由愛と共にこの世界を守るという覚悟が。

 そして、ついに由愛は語り始めた。 始まりはいつも通りの、お決まりのセリフからだ。

 

「夢を見ました」

 

 ある程度の力を持つモスラの巫女ならば、誰しもが自覚的に見る──正しくはモスラに見せられる予知夢。 故にモスラの巫女達はみな口を揃えてそう切り出す。

 

「いつも通りの、暖かな草原で私はモスラを見上げていました……けど何も言ってこないので、私は、モスラに語りかけました……」

 

 由愛が他の巫女と決定的に違うのは、他の誰にもできない「モスラとの対話」が可能な点だ。 常にモスラ側からの一方的な言葉しか届かない他の巫女と違い、由愛はモスラとの受け答えによってより正確でより未来までの予知を可能としている。

 しかし、この日だけは訳が違ったようだ。

 

「でも……何も返ってきませんでした……何を聞いても、どれだけ待っても、モスラは何も語りかけてこなかったんです……」

 

「そんな事……」

 

「……初めてのことです……」

 

 由愛の声色には不安や焦りといった感情が篭っていた。

 

「しばらく待っていると……いつも暖かい夢の中で、突然空が曇りだして……強く風が吹いたんです……そして……」

 

「そして……?」

 

「…………モスラが、真っ黒に塗りつぶされました……まるで、その、“日蝕”のように……」

 

 そして目が覚めた、と由愛は最後に言った。

 巫女でない美優は彼女たちの見る夢がどのようなものであるかは、想像の域に留まる。 それでも異常事態である事は分かる、由愛ですら初めての経験だと言うのだから、前例は無いものと考えて間違いないだろう。

 

「目が覚めてから私はすごく嫌な予感を覚えて……試してみたんです……けど、ダメでした」

 

「何を試したの?」

 

「─────」

 

「……え…………!?」

 

 絶句する、とはまさにこの時の美優を表すための言葉だ。

 由愛から語られたその言葉を聞いて、あえてG対策センターに何も伝えること無く単独行動をしている理由が見えてきた。

 

「そんな……そんな事って……!」

 

 同時に、この事をG対策センターに伝えるべきではないのか?とも思った。 しかし、由愛は今起こっているこの事態を解決する糸口を探しているのだ、あるいは、この事態を招いたなんらかの「理由」を。

 

「…………黒埼さんの別荘に向かっているのは、何故なの?」

 

「ごめんなさい、それも伝えるべきでした……実は、モスラとの交信を一切取れなかったわけじゃないんです……夢から覚める前のほんの一瞬、モスラが振り絞るようにして見せてくれたんです」

 

「……何を……?」

 

「あの建物を」

 

 車窓からは既に、目的の黒埼邸が見えていた。

 

 

 

〈同日、13時36分〉

 

 東京郊外の山奥にひっそりと建てられたその屋敷は、しかして近隣にあるどの別荘よりも存在感を放つ荘厳な見た目をしており、ルーマニアの建築を参考に設計された「小さな城」とも形容できる。

 築30年は経っているらしく所々に綻びは見て取れるものの、山林を背負いつつ街の方を見通すこともできる丘の上という絶景のロケーションも手伝って、「綻び」はむしろ「風情」へと昇華されている。

 

「…………来客?」

 

 門前に車が止まる音がしたので2階の窓から外の様子を覗くのは、この屋敷に住む2人のうちの「使用人」である白雪千夜だ。

 黒く短い髪は、前髪が横真っ直ぐに切り揃えられ、その冷たい瞳は主人が趣味で見繕ったメイド服の可愛らしさとは少し噛み合わない。

 じっと息を殺して車を見張っていると由愛と美優が門前に立ってインターホンを鳴らした。 黒埼の関係者以外がこのインターホンを鳴らすのは初めての事だし、大抵の場合は無駄にだだっ広い庭にヘリでやってくるから、門前に人が来ること自体珍しい。

 

「…………」

 

 見たところ、特に害は無さそうだ。 物腰の弱そうな女性と少女の2人組は親子には見えない年の差だったが、わざわざこんな所へ律儀にインターホンまで鳴らして尋ねてきたのだから、怪しい勧誘なんかでも無いだろう。

 千夜は1階まで降りて、2回目のインターホンが鳴らされる前にドアホンを繋ぎ応対する。

 

「……何でしょうか?」

 

『あ、突然申し訳ありません、私はG対策センターの三船美優と申します、お話したいことがあるのですが、その……』

 

「……」

 

『えっと……』

 

 なぜ言葉に詰まる? と怪訝に思うのはごく自然な事だ、美優の口調からはやけに迷いが見て取れる。 何をどう話すべきなのか纏められていないのだろう。

 G対策センターという名もあまり好きでは無い、このまま追い払ってやろうと口を開いた、その矢先。

 

『あなたは、もしくはあなたと一緒に住んでいる人は、何か不思議な夢を見る事はありませんか?』

 

 と、不意にもう1人の少女の声が聞こえて、千夜は言葉を引っ込めた。

 

『……それはモスラの見せる夢です、私は成宮由愛、モスラの巫女です』

 

 モスラという聞き覚えのある言葉に、モスラの巫女という初めて聞く言葉を繋げられて、千夜は思わず混乱した。

 最も、一番その言葉に驚いたのは美優の方らしく、なにやら慌てた声が聞こえてくる。 後で知った事によると、どうやらモスラの巫女とはG対策センターが秘匿している情報で、間違っても一般人に知らせてはならない事だったらしい。

 なお、由愛がモスラの巫女の存在を一般人に明かしたのはこれで2例目だ。

 

『モスラは夢の中で、この家を映し出してくれました……あなた達がきっと鍵なんです、モスラを塗りつぶした黒い影の真実を、探るための』

 

「…………宗教勧誘なら他を当たってください、貴方がたに合わせる顔は──」

 

「いいよ、入っちゃってー」

 

 突然、背後からドアホンに向かって投げかけられたその声に、千夜はギョッとして振り返った。

 いつのまにか、音もなく後ろに立っていたその少女は、腰の下まで伸びた美しい金髪を宙に踊らせながらくるりと反転し、えらくご機嫌な足取りで応接室の方へ向かっていく。

 

「お嬢さま、何者かも分からない人間にこの家の敷居を跨がせることなど……」

 

「何者かは分かってるじゃない? G対策センター、うん、その響きだけでちょっとワクワクしちゃう♪」

 

 などと鼻歌交じりに、裸足のままちょっぴりステップを踏んだりしながら廊下を渡っていくのだから、千夜はもう何も言い返すまいと思った。

 

「…………お嬢さまの許可が下りました、門に鍵はかかっていないので手で開けて車で入ってください、玄関の前に駐車して結構です」

 

 そう手短に伝えてドアホンのスイッチを切り、早足で応接室に向かう。

 彼女は既に客人をもてなすことで頭がいっぱいなようで、戸棚からアメリカ産の高級クッキーの缶を取り出して、皿に空けようとしていた。

 

「お嬢さま」

 

「あ〜……ん?」

 

 そしてストロベリージャムの乗ったクッキーをつまみ食いしようとした所で彼女──黒埼ちとせは手を止めた。

 

「なぁに千夜ちゃん? あ、もしかしてこのストロベリーのクッキー欲しかった? いいよ、あ〜んして♪」

 

「しません」

 

「え〜〜〜っ?」

 

 ぷくっ、とわざとらしく頬を膨らませて抗議の意を唱えた後、千夜がいやに真剣な目でじっと見つめてくるので、ちとせは手に取ったクッキーを皿に並べた。

 

「赤いジャム、血みたいで綺麗だと思わない?」

 

「何故あのような者たちを家に招き入れるのですか」

 

 わかりづらい冗談を躱して、千夜は問い詰める。

 質問に対してちとせは、意味もなく視線を周囲に漂わせながらしばらくの間を置いて、答えた。

 

「面白そうだから」

 

「…………」

 

「嘘じゃないよ? 実際退屈でしょ? 身内か関係者以外は誰も来ないこんな“隠れ家”にわざわざ来るなんて、よっぽど切羽詰まってるんだよ、声でわかる」

 

「……確かに、出鱈目を口にしているとは思えませんでしたが……」

 

「それにあの子たち嘘はついてないよ、私見たことあるもの」

 

「何をですか?」

 

「モスラの夢」

 

 

 

〈同日、13時45分〉

 

 黒埼邸に招かれた美優は、外見の印象通りの厳かで広々とした内装に驚き、千夜の案内で応接室に入るまでの間もついつい周りを見渡して、この広さにも関わらずホコリひとつ落ちていない清掃の徹底ぶりに気づいてまた驚いた。

 対照的に、まだ年端も行かぬ少女であるはずの由愛は終始落ち着いており、余計なものに目を配る事すらしなかった。

 あるいは、そうする心の余裕もないのだろうか。

 

「いらっしゃ〜い♪ 私がこの家の主、黒埼ちとせだよ♪」

 

 最後に「正確には違うけど」と小声で付け足しながら、ちとせはどうぞどうぞとばかりに入ってきた2人の背中を軽く押して、ひと目で相当な高級品だと分かる上座のソファーへと案内した。

 千夜は紅茶が入ったティーカップを3人の目の前に置くと、立ったまま扉の側へと下がって行った。

 

「千夜ちゃんも飲めばいいのに」

 

「仕事ですので」

 

 歳もそう変わらない2人のやり取りを不思議そうに見ながら、美優はゆっくりと紅茶に口をつける。

 真ん中に置かれたガラステーブルも高級品、おそらく並べられたクッキーや紅茶も上等なものに違いないと思い、つい粗相がないようにと思うと緊張してしまい、カップを持つ手が小刻みに震えている。

 

「お、おいしいですね……」

 

「うちの使用人は何をやっても一流だからね〜♪」

 

 と言って笑うちとせだが、件の使用人は相変わらずの無表情……というか、立ったまま目を閉じていた。 それも使用人の勤めという事だろうか、日本で本物のメイドを目にする日が来るとは思わなかった。

 

「さて、おいしい紅茶も味わったところで……本題に入ろっか」

 

 どこかだらしなさも感じさせるゆるい口調はそのままに、声色だけを変えたちとせの声に美優はゾクリとした。

 不思議な感覚はずっとあった、この黒埼ちとせという少女は一言で言えば浮世離れした空気を纏っている。 こうして目の前に座って紅茶をすすっていても、妖艶で、掴みどころのない煙のような存在に思わせる。

 端的に言えば、人と話している気がしない。

 

「…………さきほど伝えた、モスラの夢について心当たりはありますか?」

 

 ごくり、と息を飲み込んでから発した美優の言葉に、ちとせは一言で返す。

 

「あるよ」

 

「ほ、本当ですか!? それは……例えば……」

 

「草原に立ってる夢でしょ? 空には光り輝く太陽があって、それがモスラなんだよね」

 

 本日何度目かの絶句、こうもあっさり答えられたのも驚きだが、由愛が一瞬見ただけのこの屋敷に、本当にモスラの巫女がいたという事にも驚いた。

 すっかり慣れたつもりでいたが、由愛のモスラの巫女としての能力はまだまだ想像の上を行く。

 

「でもね、アレがモスラという名前の怪獣だと知ったのはモスラの事が公表された2年前が初めてだよ、まして私以外にあの夢を見ている子がいるなんて思いもしなかった」

 

「そう……ですか……ではモスラと、モスラの巫女についてお話したいと思いますが、いいですか?」

 

「うん、私もあの夢の事が知れるなら助かるな」

 

 相手がモスラの巫女であるならば、ある程度の情報を開示する事ができる。 美優はモスラとモスラの巫女について教えられる事を可能な限りレクチャーした。

 その間も千夜はまるで人形のように微動だにせず、話を聞いているのかどうかも分からなかった。 ただ少なくとも、見聞きした秘密を勝手に漏らすような人間では無いだろう。

 よほど知りたかったのか、ちとせの食いつきは強かった。 説明の端々で質問をしては、興味深く美優と言葉を交わしている。

 そして会話を続けながらも、視界の端で由愛が紅茶を一口含んだ後に渋い顔をしてこっそりスプーン山盛りの砂糖を追加していたのを、ちとせは見逃さなかった。

 

「…………うん、よく分かったよ、ありがとね」

 

 一通りの基本情報を伝えた上で、最も優れたモスラの巫女である由愛ですらモスラとの交信ができない事態に陥っている事まで教えて、レクチャーは終了した。

 

「でもね、ひとつ謝っておかないといけない事があるの、先に言わなかったのが悪かったんだけど」

 

「? なんでしょうか?」

 

「モスラの夢は見たことがあるだけで、今も見れてるわけじゃないんだ……この家の事、少しは調べてから来たんだと思うけど、年齢までは調べる時間が無かったのかな」

 

「年齢……あっ、もしかして……!」

 

「私、先月19歳になったの」

 

 モスラの巫女は14歳頃をピークに、18歳までに全ての能力を失う。 例外のないモスラの巫女のルールだ。 ちとせは1年前にはすでに巫女としての期限を過ぎていた。

 確かに、今朝になって急遽調べてもらった程度の情報だ、いくら優秀な情報部とはいえ時間が無さすぎる。 しかもキングギドラ接近という緊急事態にあって、そこまで調べる余裕はなかっただろう。

 

「そうでしたか……」

 

 空振りに終わった、と思ったその矢先、ここまで意味深に黙していた由愛がその口を開いた。

 

「そのモスラが“日蝕”のように黒く染る夢を見たことはありますか?」

 

 由愛の声は、日常会話のそれとは異なる印象を抱かせるものであった。

 普段は控えめな声でゆっくりと喋る由愛だが、こういった場面ではその口調はなりを潜めたかのようにハッキリとした喋り方をするようになる。 そうなる要因は彼女のモスラの巫女としての使命感から来るものなのかもしれないが、この口調になる時、由愛はなにかが乗り移ったかのように見える事がある。

 

「日蝕…………ううん、無いかな」

 

 一方でちとせの口調は少し弱まった。 さっきまで紅茶の渋みに抵抗を示していた、年相応に可愛らしい少女とはまるで別人のような雰囲気に少し押されたのだろうか。 ちとせの表情は今日一番に真剣だった。

 

「……千夜さん……でしたよね、あなたは?」

 

 由愛の質問の矛先はこの数分間気配すら消していた千夜に向けられた。 不意の質問にも動揺することなく、口以外は一切動かさずに千夜は答える。

 

「いいえ、お嬢さまが不思議な夢を見るという事は以前から何度か聞かされましたが、今日まで信じていませんでした…………いつものキャラ付けだと思ってたので」

 

 最後に小さく余計な一言が聞こえたが、気のせいだろう。

 

「そう……ですか……」

 

 この非常時においてモスラが無意味なものを見せるわけが無い、この家には必ず何かがあるのだと思っていたが、完全に空振りに終わってしまった。

 

「今、この国にキングギドラが迫っています」

 

「ん……? うん、それはわかってるけど……急に違う話?」

 

「モスラはこの地球が生み出した精霊、というのは美優さんが言ってくれた通りですが……もともと、“地球”はゴジラのような怪獣と戦うためにモスラを生んだわけではありません」

 

「へぇ……?」

 

 全く違う切り口からの話に、ちとせは改めて興味を示す。 それは美優の説明から漏れていた「モスラの本来の存在理由」についてだ。

 

「この地球が本当に警戒したもの……それは、宇宙からやってくる外敵でした、ただゴジラという強すぎる生物を抑え込むために、やむを得ず戦っています……と、モスラが教えてくれました」

 

「本当にモスラとお話できるんだね♪ ……まあそれはさておき……つまりキングギドラこそがモスラが……ううん、この地球という惑星そのものが想定していた敵だと……そういう事だね?」

 

「はい、だからこそ何かヒントが欲しかったんです……この、今までにない危機からみんなを助けられる……方法を」

 

「…………ごめんね、本当にわからないんだ、少なくとも由愛ちゃんが知っている以外の事は何も、ね」

 

 ちとせの声は普段よりも1段低く、小さなものだった。 その口調に込められた感情は、力になれない事を気に病んでの物なのか、それとも……。

 由愛がそんな事を考えていた時、美優は上着のポケットからスマホの振動を感じ、取り出す。 すぐに極東本部に戻るようにとのメッセージが届いていた。

 

「由愛ちゃん……もう……」

 

「……わかりました」

 

 2人は立ち上がり、軽く会釈すると千夜が応接室の扉を開ける。

 

「貴重な時間を取らせて頂きありがとうございました」

 

「ううん、外からのお客さんなんて初めてだから楽しかったよ……安心して、今日聞いたことは絶対に秘密にするから」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 結局、この家を訪ねて得られたものは何も無かった。 そんな失望と焦りはいくら平静を装うとしても、美優の表情からは完全に消えていなかった。

 それは由愛も同じだった、ここへ来れば解決の糸口が見つかると思っていたのに「何も無かった」では冗談で済まされない。 強い力を持つが故に例え目の前に怪獣がいても落ち着いたままでいられるが、今回ばかりは本当に後がない。

 

「じゃあ、お互い無事だったらまた会いましょう、その時は紅茶じゃなくて甘いココアを用意しておくね♪」

 

 キングギドラ接近の可能性が高い事はすでに全国に発信されている、ちとせもテレビか何かでその事は知っているはずなのに、不気味なほどに楽観的だった。

 だからこそ、由愛は彼女には何かあると思っていたのだが、結果は見ての通りだ。

 塀の門まで見送りに来た千夜は、2人の乗った車が走り去るのを確認して門を閉じ、館に戻った。

 そして玄関の扉を開けて中に戻った所で、廊下に倒れているちとせの姿を見て青ざめた。

 

「お嬢さまッ!!」

 

 うつ伏せに倒れていたちとせの体を抱きかかえて仰向けにする、その額からはだらだらと汗が流れ出ており、息は荒く、顔は火照っているようなのにまるで凍えるように手先が震えていた。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

「すぐにお部屋に……!」

 

 千夜はちとせの体を抱えて、寝室へ向かう。 こういった事が度々あるのでちとせの寝室は1階にある。

 立って歩く事もままならないちとせをなんとか支えながら、部屋まで運ぶ。

 

(まさかずっと!? 応接中もずっと苦しいのを隠しながら対応して……なんて事だ……全く気づけなかった……!)

 

 ちとせをベッドに寝かせて、汗ばんだ額を拭う。

 生まれつき体は弱かったが昔はここまで酷くはなかった。 歳を重ねる毎にだんだんと症状は悪化したが、いかなる医療機関でも原因を突き止めることはできなかった。

 ただただ、体が弱く時折高熱を出して倒れる、それしか分かっていない。

 

「お嬢さま……」

 

 両親のいるルーマニアを離れて日本に住んでいるのは日本にしか住んだことの無い千夜のためでもあるが、この悪化し続ける症状を隠すためでもある。

 ちとせの容態が年々悪化している事を知っているのは千夜だけだ、だからこそ、自分がちとせを守らなくてはいけない。

 

「……なぜ、あの者達を屋敷に入れたのですか? こんな体で無理をなさらないでください……」

 

「あはは……なんで……かな……でもね、知りたかったのは……本当なんだ……」

 

「モスラの事を、ですか?」

 

「うん……私ね、あれが、千夜ちゃんを守ってくれるって……思ってた……モスラだったら……本当に、守ってくれるよね……」

 

「…………」

 

「ね、千夜ちゃん……? もし怪獣が、この世からいなくなったら…………昔みたいに、笑ってくれる……?」

 

 それだけを言い残して、ちとせは糸が切れたように力が抜けて眠った。

 詰まったような浅い寝息を立てながら眠るちとせの額をもう一度そっと拭って、千夜は立ち上がる。

 

「必ず、お守りします」

 

 “嵐の王”の接近を知らせるように、いつの間にか降り出した雨が窓を叩いていた。

 

 

 

〈同日、16時22分〉

 

 予測通り、キングギドラは進行方向を変えることなく日本に上陸した。 太平洋に展開されたGフォース海上部隊と海上自衛隊の共同部隊による総攻撃も通用せず、千葉県を横断し東京への侵入を許した。

 国分寺跡地に建てられたG対策センター極東本部は、残存戦力を可能な限り投入し迎え撃つ構えだが、恐らく──いや、間違いなく足止めにもならないだろう。 それでも動かなければならないのが、防衛組織というものだ。

 

「みんな! 慌てず地下シェルターに避難して!」

 

 美優の先導でM研究所の巫女と職員たちが駆け足に廊下を進む。 キングギドラの引き連れてきた巨大な暴風雨がガタガタと窓を鳴らし、雷が間近に落ちる度に巫女たちの悲鳴が上がった。

 極東本部にいるのはいずれも小学生の子供たちばかりで、14歳になったばかりの由愛でさえこの中では最年長だ。 年下の子達を守ろうという意識が働いてか、由愛もまた少女たちを励ましながら積極的に誘導に回る。

 

「由愛ちゃんも早く!」

 

「は、はい!」

 

 2人で窓側に立って少女たちを暴風雨から守る、その時。

 風に乗って舞った石ころが窓ガラスをガシャンッ、と突き破り由愛たちに襲いかかった。

 

「くっ……!」

 

 由愛が咄嗟に手をかざすと、飛来する石ころもガラス片も時間が止まったように浮いたままピタリと動きを止める。

 超能力は他の巫女とは全く異なる由愛だけの力だ。 念動力によって物体を動かすことも止めることもできるし、徳島で光の目の前でやって見せたように催眠術を使うこともできる。 由愛が最も優れた巫女と称される理由のひとつ。

 

「由愛ちゃん……みんな! 急いで!」

 

(力は使える、なのにどうしてモスラの声は聞こえないの……!? どうして……モスラを……!)

 

「由愛ちゃん!」

 

「……っ! 今行きます!」

 

 美優の後を追って走り出すと、止まっていた石とガラス片が思い出したように元の軌跡通りに吹き飛び、壁に当たる。

 

 地下シェルターへの避難が完了して数分後、極東本部に最接近したキングギドラはメーサーやロケット弾による攻撃もものともせず、引力光線で反撃を繰り出した。

 威力こそゴジラの熱線よりも劣るが、3本の首からなる連射力は圧倒的だ。 基地に備え付けられた武装の悉くを破壊し、発進したメーサーヘリやメーサータンクも為す術なく撃ち落とされる。

 そして、キングギドラが他の怪獣と比べて異質なのはここからだ、キングギドラはそれ以上の基地への攻撃を行うこと無く、頭上を素通りした。

 もしこれがラドン等であれば基地を完全に破壊しようとしただろう、だがキングギドラにとって人類も、怪獣すらも敵ではない、初めから眼中にもない。

 キングギドラの目的も正体も不明だがひとつわかる事がある、それは、キングギドラにとって地球の原生生物は全くもって攻撃の対象では無いという事だ。 稀に児戯のように他の怪獣を弄び殺す事はあっても、主な行動は“ただ移動しているだけ”にすぎない。

 キングギドラにとって興味があるのはただひとつ──この地球という“惑星そのもの”だ。

 

 地球がゴジラ以上に恐れ警戒し続けていた真の敵は、その黄金の両翼を羽ばたかせながら黒埼邸へと迫っていく──。

 

 

 

〈同日、16時44分〉

 

 黒埼邸の庭先からは、東京の街並みが一望できた。 ちとせはこの景色を気に入っており、晴れた日は必ずと言っていいほどここに座ってなんでもない時を過ごしていた。

 けれども今に限って見えるものは、まるで壁のように立ち上り、生き物のようにうねる暗黒の積乱雲だ。

 時折走る雷光を背にして、3つ首の竜のシルエットが怪しく浮かぶ。 このまま日没を迎えれば、月も星も見えないこの空をキングギドラが横切っていくだろう。

 厚手のレインコートは、それだけでは暴力的なまでに冷たい雨風から千夜の身を守るには力不足であったが、無いよりは遥かにマシだ。

 千夜は防水性の袋に入れた1枚のキャンバスだけを手に、なにゆえか庭先でキングギドラの到来を待っていた。

 

「来い……お前がなんだろうと、地球の意思がなんだろうと、関係ない……私は、私の世界を守ってみせる……」

 

 あの時の誓いを決して忘れはしない。 身よりも無い千夜を、友達だからという理由だけで助けてくれたちとせを、この命に代えても守る。

 由愛たちの話は聞いていた。 モスラの巫女の使命も、自分とは境遇が違うだけでやっている事は同じだ。

 いや、巫女だけではない。 G対策センターにいるもの、自衛隊に属するもの、みんな何かを守るために決死の覚悟で恐怖と戦っている。

 

「私は……!」

 

 そんな人達とは違い、千夜は自分があまりにも無力で矮小な存在である事を誰よりも自覚していた。 自分の人生を掬いあげてくれたたった1人の恩人も守れない、ちっぽけな存在であると。

 今目の前に迫っている怪獣は、そんな自分とは比べるべくもない途方もない暗黒だ。 世界を飲み込むほどの闇だ。

 

「それでも私は……私の世界を守る!」

 

 昏い雲を突き抜けて、それはついに姿を晒した。

 嘶く3つ首、天を覆う翼、尊大な王の如き様を色にしたかのような黄金の鱗。 嵐の王──キングギドラ。

 

 千夜は歌を紡ぐ、故も知らぬ歌を。

 

「…………お前がこの星を、人々を守る存在であるならば」

 

 袋を取り払い、キャンバスを掲げる。

 描かれていたのは黒い油絵具で記した、太陽を象る紋章であった。

 

「お嬢さまを守ってみせろ! モスラ!!」

 

 千夜は──モスラの巫女であった。 ちとせが語っていた夢も、今日2人に聞かされた事も、全て見てきた。

 夢の中で聞いたモスラの声、夢の中で見た太陽の紋章、夢の中で覚えたモスラの歌。 そのどれもが曖昧で、一本の線で繋がらなかったものが、あの2人の話を聞いた事でついにその輪郭を捉えた。

 千夜のモスラの巫女としての能力は、G対策センターで保護されている巫女たちと比べても強く、たった1人でモスラを召喚するだけの力を秘めている──はずだった。

 

「な……何故だ……!?」

 

 しかし、モスラは現れなかった。 手順を間違えてはいない、太陽の紋章も正しく描写されている。 モスラを召喚できない要因など何一つ見当たらない。

 千夜は間違っていなかった。 だが、由愛は黒埼邸に向かう道中の車の中で、こう語っていた、「試したけどダメだった」と。

 何を試したのかと美優が問いかけ、由愛は答えた。

 

 モスラの召喚、と。

 

「どうして……どうしてなんだ! モスラ! 応えろ!! お前が守ってくれるんじゃないのか! お前が、お嬢さまを……この星を……!」

 

 絶望が胸を支配する。 力なく膝から崩れ落ち、キャンバスを地面に落とす。

 無情にもキングギドラは迫る。 このまま進路に巻き込まれれば間違いなく命はないだろう、キングギドラは千夜にも、ちとせにも気づくことなく、人間が知らず知らずのうちにアリを踏み潰すように、2人の命を奪っていくだろう。

 

「頼む……モスラ……お嬢さまを助けてくれ……! 私には何も出来ないんだ……弱い私には……何も……!」

 

 涙は雨に溶け、声は風に呑まれ、熱を奪う冷たさは心までも凍りつかせて、千夜は絶望の淵に落ちてゆく。

 

「これ以上、私から何も奪わないでくれ……!!」

 

 最後に絞り出した想いも、全てが無意味だった。

 何故モスラは姿を見せないのか、由愛の声すらも届かないあの日蝕の正体は、黒埼邸を見せた意味はなんだったのか。

 巫女である自分こそが由愛の語っていたカギではないのか。 そう思っていたが、この非情な現実が不正解であると物語っている。

 だが、答えを知っている者はいた。

 

「……お嬢さま……?」

 

 レインコートも羽織らず、なすがまま雨に打たれながら、ちとせは千夜の前に立ちキングギドラを見つめた。

 

「ごめんね、千夜ちゃん」

 

 振り向く事無く、ちとせは語り出す。

 

「私、嘘をついてた。 私が見る夢はね、いつもいつも曇り空で、太陽はずっと黒く染められていたの」

 

「それは……由愛という少女が語っていた……」

 

「あの子の話を聞いて、夢の中で話しかけてみたんだ……そしたらね、応えてくれたよ……そう、ずっとずっと、答えは私にだけ示されていたんだ」

 

 ちとせは手をかざし、歌を奏でる。 モスラの歌とは違うその旋律を口ずさみながら、ちとせはあの日の事を回想する。

 あの日起こった悲劇の、真実を──。

 

 

 

 

 

 あの日の出来事を今でも覚えている。

 

 私は北海道に住む白雪の家を訪れていた、家族ぐるみの付き合いだけど、私にとってはあの子と会えるのが楽しみで仕方なかった。

 お日様のように笑うあの子の笑顔を見る度に、私も笑顔になってしまう。 この世を遍く照らしているかのようで、この暗く沈みこんだ世界すら救ってしまえるかと思うほどに、眩しかった。

 

 だけど、その日怪獣が街を襲った。 なんて怪獣だったのかは忘れたけど、私は必死だった、何をしたのかも分からなかった。 けど、呼び寄せてしまった。 太陽すら食い尽くすような真っ黒なものを。

 幼い私には何も理解できず、その手綱を握る事もできなくて──暴走を許した事で、先に現れた怪獣よりもずっと大きな被害を齎して、怪獣を倒した後もそれはひたすらに暴れ続けていた。

 

 いつのまにか、それは消えていた。 残っていたのは、燃え盛る廃墟とあの子だけ。 全てを壊した怪獣は、私が呼んだものだった。

 だから私は、あの子だけは絶対に守ってみせると心に決めた、笑顔を忘れたあの子がまた、昔のように笑ってくれるようになる日まで、守ってみせると。

 

 これは罪滅ぼしだ。 あの子の笑顔を奪ったのは私、あの子の未来を奪ったのは私。 私はあの子を騙している。

 ずっとずっと怖かった。 真実を知ったらあなたは、私の手をすり抜けてしまうかもしれないから。 あなたを守るフリをして、ずっと自分の罪を誤魔化し続けていただけの私を、見捨てるかもしれないと思ったから。

 

 でも──だからこそ伝えるの、許してくれなくてもいい。

 今度こそ間違えない、今度こそ私は、私に与えられたこの力で、守ってみせる──。

 

 

 

 

 

「────ッ!? う、うぁあぁぁ……!!」

 

 美優は異様な光景を目の当たりにした、極東本部地下シェルターに避難していたモスラの巫女たちが一斉に頭を押えて苦しみ出したのだ。

 

「みんな!? 由愛ちゃん! どうしたの!?」

 

「ダメ──ちとせさん、それを呼んじゃダメ!!」

 

「ちとせちゃん……っ!? あの子は……モスラの巫女じゃ……!」

 

「それは……守るための力じゃない……全てを壊してしまう……!!」

 

 由愛はうずくまって苦しみながら、絞り出すように声を上げる。

 全てのモスラの巫女が同時に感じたはずだ、この場にいる者だけではなく、世界中の全ての巫女たちが、そのドス黒く異質な存在の気配を。

 彼女らを支配していたのは“恐怖”だった。 ゴジラや、キングギドラとはまた違う、決してこの世に現れてはならない存在。

 

 それを生み出したこの地球が、あえて封印していた禁忌の力──その名をちとせが口にする時、黒き太陽が顕現する。

 

 

 

 

 

「来なさい──バトラ」

 

 まるで恐怖というものを忘れたかのような、優しい口調だった。

 キングギドラの行方を遮るように厚い雲が割れ黒い光が降り注ぐ──真っ黒な光芒、という矛盾を孕んだ表現が今は相応しい。

 漆黒の鱗粉によって形成された球形の光を纏いながら、バトラと呼ばれたものはゆっくりと地に降りる。 得体の知れない存在を目の前にしてキングギドラは動きを止めて、唸り声を上げ威嚇した。

 

「由愛ちゃんはひとつ間違えていたの」

 

「……お嬢さま……?」

 

「モスラの光を遮ったのは日蝕じゃない、ただ黒い太陽が輝いていただけ……千夜ちゃんは覚えてる? あの姿を」

 

 千夜は目をこらす、黒い鱗粉の球体の中に薄らと見える怪獣は、X字に広げられた細長く鋭利な4枚の翼を持つ黒いモスラのような姿をしていたが、とても同質の存在とは思えない禍々しい見た目でその頭には触覚の代わりに大きな角を生やしていた。

 初めて見る怪獣、だと思った。 だが覚えている、記憶の端に封じ込めたはずの記憶が、どうしようもなく鮮明に蘇りあの怪獣を知っていると本能が訴えかけてくる。

 

「まさか……あの時の……!」

 

 全てを奪い去った黒い影が、そこにいると。

 

「許して欲しいなんて言わない、恨んでくれたって構わない……私の罪を無かったことにはできない」

 

「…………」

 

「だから見ていて、今度こそ私が、千夜ちゃんを守ってみせる──私に従え、バトラ!」

 

 ちとせの呼び声に応えるように沈黙を続けていたバトラが動く。 纏っていた黒い鱗粉を広範囲に展開し、ドーム状に広がって自身とキングギドラを閉じ込める。

 それを敵対行動と認めたキングギドラが引力光線を吐き出すと、バトラはモスラのものと同じ半透明のバリアを展開して光線の軌道を逸らすと、ドームの壁に当たり吸収されていく。

 

「鱗粉が光線を受け止めた……!?」

 

 千夜が驚くのも束の間、バリアに吸収されたエネルギーはバトラへと送られ、赤黒い稲妻のような光線となってバトラの角から発射されてキングギドラの翼を貫いた。 決して致命傷ではない、この程度のダメージは数秒もあれば完全に再生する。 だが、問題はダメージそのものでは無い、ダメージを受けたという事実の方だ。

 一瞬、己の身に何が起こったのかをキングギドラは理解できなかった。 そして認識した、この地球には“ヤツ”以外にも敵がいるのだと。

 3つ首から同時に放たれる引力光線が一本の束となって襲いかかるも、バトラはそれをヒラリと回避してドームに吸収させた。 高速でキングギドラの周囲を縦横無尽に飛び回りながら稲妻を放ち、キングギドラは全方位から襲いかかる攻撃を空間を歪ませて軌道を逸らす。 それもまた鱗粉に吸い込まれてバトラへのエネルギーとして還元される、このフィールドにおいてバトラは無敵だ。

 

「攻撃が届かないなら、バトラ!」

 

 ちとせの命令を受け取り、バトラは羽から鱗粉を振り撒くと、そのひとつひとつが破裂し雷撃となってキングギドラを攻める。

 超重力のバリアで遠距離攻撃も通用せず、接近する事もできないが、空間一面に散布される鱗粉は不可避だ。

 

「そう……いい子だね……そのまま従いなさい……うっ!」

 

「お嬢さま……どうされたのですか……?」

 

 あのキングギドラに対して終始優位を取り続けるバトラの姿に釘付けになっていた千夜は、不意に聞こえたちとせの苦しむような声に振り返る。

 どういうわけか、ちとせは片膝をついて胸を押えていた。

 

「お嬢さま!」

 

「大丈夫……今度こそ、制御してみせる……!」

 

 バトラの力は、あまりにも強大で凶暴なものであった。 なぜ、ちとせだけがバトラを認知し呼ぶことが出来たのかは分からない、だが禁忌の存在とは、誰にも制御できないからこそ禁忌なのだ。

 荒れ狂う“破壊者”を鎖でつなぎ止める行為は、それだけでちとせの命を削っていた。

 

「まだ……戦える……まだ……!!」

 

 その時、キングギドラは大きく広げた翼から無数の雷撃を辺り一面に放出した。

 雷同士がぶつかり合いながら枝先を分けて広がり、ドームの中を雷で満たす。 まるでバトラの鱗粉に対する意趣返しのような、絶対不可避の範囲攻撃。

 全方位を同時に守ることは出来ない、直撃を受けたバトラはフラフラとバランスを崩し、それを見逃さなかったキングギドラが左右の首でバトラの両翼に噛みつき、ゼロ距離で引力光線を浴びせかける。

 バトラの体が吹き飛ばされ地面に叩きつけられる、4枚の羽のうち噛み付かれた2枚の羽は中ごろから千切れ、痛々しい有様だ。

 

「何をやってるの……まだ戦えるでしょう! バトラ!」

 

 ちとせの叱責を受けてなのか、キングギドラのさらなる追撃をすんでのところで躱してバトラはなんとか体勢を立て直す。

 速度は失われたがまだ舞うことはできる、バトラは最後の攻勢に転じた。 エネルギーを吸収する鱗粉の壁は、バトラに攻撃力を還元するためだけのものでは無い。 今のキングギドラの全包囲攻撃で十分すぎるほどのエネルギーを蓄えることができた。

 

「黒い粒子が範囲を狭めていく……」

 

 ドームはキングギドラを中心点として収縮し、キングギドラだけを包み込んだ。 攻撃を加えて破壊しようとしても鱗粉の密度は広範囲を囲っていた時とは段違いで、その全てを吸収する。

 先程もキングギドラにダメージを与えた鱗粉爆発、鱗粉の一つ一つが雷撃となって襲うあの攻撃を、莫大なエネルギーを蓄えた高密度粒子全てを使って繰り出す。

 

「炸裂しろ!!」

 

 ちとせの合図とともに、大爆発にも似た赤黒い雷が弾け飛ぶ。 その余波となって散った雷は辺りを無差別に襲い、山の地形すらも簡単に変えていく。

 全てが一瞬だった。 一瞬で、想像を絶するほどのエネルギーを炸裂させた。 山が大きくえぐれ、周辺の木々が燃えている。 恐ろしい破壊力だった。

 

「…………そんな……」

 

 爆心地の煙が晴れ、キングギドラの姿が顕となる。 その黄金の体には、ただひとつの傷すら無い。

 一方向だけの防御では防ぎきれない、脱する事もできない状況に追い込まれたキングギドラだが、バトラ最大の攻撃の破壊力を決して見誤らなかった。

 

 この程度の攻撃では致命傷にならないと見抜き、あえて何もしなかった。

 

 肉体に大きなダメージは受けた、両翼は完全に焼ききれたし、どれだったか首の一本も吹き飛んだ。 だが、その程度の傷は数十秒もあればなんとかなる。 ゴジラに匹敵する再生能力、キングギドラはバトラと己との力量差を見誤らなかったのだ。

 

「……戦え……戦えバトラ!!」

 

 一瞬、絶望がちとせの心を支配した。 しかし、そんなものは認めない。 ここでキングギドラを倒せないようなら、自分だけがバトラを召喚できる理由はなんなのか、千夜の人生を奪ってまで醜く生きてきた意味はなんだったのか。

 

「戦えぇぇぇぇ──────ッッ!!!!」

 

 命の限り泣き叫ぶちとせを、千夜は強く抱き締めた。

 力いっぱいに、しかして深く暖かい慈愛の心を持って、抱き締めた。

 

「あ──ぁ──?」

 

「もう泣かないで」

 

 不意に掛けられたその言葉を、ちとせは覚えている。

 

「千夜……ちゃん……?」

 

「大丈夫、私があなたを守るから」

 

 千夜は7年前のあの日、自分が言われた事を、ちとせに返す。

 解放されたようにちとせの体から力が抜ける、自分自身を縛っていた呪縛が、音を立てて砕けていく。

 バトラは──煙のように消えていった。 同時に、自分の中からバトラと繋がっていた感覚も無くなっていくのを感じた。

 そして無言のまま、千夜を抱きしめる。 雨と風に奪われた体温をお互いの鼓動で温めていく。

 

「千夜ちゃん……これからも一緒にいてくれる? これからも、私の友達でいてくれる?」

 

「うん」

 

 返事を聞いて、また強く抱き締める。 長い道のりだった、それでも2人は、ようやく通じ合えた。

 

 ──キングギドラが迫る、その時だった。 ぶ厚い雲を貫いて一条の光が大地を照らした。 黄金の光、暖かく、優しく、強い、黄金の太陽が降り立つ。

 

「モスラ……なのか……」

 

 傷は癒えたとは言え、消耗は激しい。 今目の前に現れた敵もまたさっき倒した者と同格の力を持つとすればさすがに不利だと、キングギドラは悟った。

 キングギドラは反転し海の方へと飛び去った。 モスラは追跡するでもなく黄金の粒子を散布し、戦いによって傷ついた大地を元の形に戻す。

 見上げていた2人をモスラは一瞥する。 何を思っての一瞥なのかを推し量ることはできないが、不思議な安心感が2人にはあった。

 モスラが消える。 そこでようやく、雨風がまだ止まないことを思い出したように、ちとせが小さくくしゃみをした。

 

「えへへ……」

 

「…………家に入りましょう、お嬢さま」

 

「……うん……そうだね、千夜ちゃん」

 

 微かな笑みだった。 嬉しいのか、悲しいのか、はたまた恥ずかしいのか、どうして笑ったのかは2人にもよく分からないけれど、2人はほんの少しだけ、笑った。

 

 

 

〈同日、20時19分〉

 

 なんとか一難去った極東本部は、しばらくの間キングギドラの被害から立ち直るために忙しない日々が始まる事になるだろう。

 由愛と美優は大阪支部に帰投するためのメーサーヘリに乗り込み、既に関東上空にいた。

 バトラが消え去ったその瞬間、モスラとのリンクが回復したのを感じた由愛は間髪入れずにモスラを召喚、ちとせと千夜を危機から救う事に成功した。

 

「本当に良かったの? もう少し、話は聞けたと思うけれど」

 

「はい……ちとせさんがどうしてバトラと繋がっていたのかは、多分ちとせさん自身分かっていないと思いますし……もう、バトラが表に出ることは無いと、モスラも言っていましたから」

 

「済んだこと、という訳ね……」

 

「…………それに……今は早く戻って、次に備えないといけません……」

 

 不穏なその一言に、美優は無言で由愛の顔を見た。

 

「美優さん、大阪支部に戻ったらみんなに伝えてください……これはたった今、モスラから教えられた事です……ついに、目覚めてしまいました」

 

「……何が……?」

 

 由愛は答えた。 その口から発せられた恐るべき名を耳にして、どうしてか美優は落ち着いていた。 ただ、来るべき時が来てしまったのだと、覚悟はできていたから。

 

 

 

 

 

 ──数日後。

 

 あれから、日本以外の幾つかの国を襲撃したキングギドラは、インド洋上空を渡っていた。 接近を察知してこの海域に住む怪獣たちは一目散に逃げ出し、また別の海洋で目撃される事態へと発展する。

 もはや近隣に怪獣はいない、キングギドラがそう考えていた矢先、海面を割って何か黒い物体が覆い被さるように体を広げて襲いかかってきた。

 キングギドラは食いつかれるよりも早く、空間を歪ませて物体との間に見えない壁を作り出すと、その黒くドロドロとした不定形の物体は、空間の歪みでねじ切れながらも肥大化を繰り返しなんとか形を保っている。

 不定形なものに形を保っているという表現は些か怪しいものではあるが、とにかくそれは──ヘドラは必死だった。

 

 しかしヘドラは──決してキングギドラに襲いかかった訳では無い、むしろその逆、キングギドラに助けを求めたのだ。 追跡者から身を守るために、より強い力を持つキングギドラを盾にしようと考えたのだ。

 

 海面が煮えたぎっていた──海は水蒸気となって爆発し、熱線がヘドラを襲う。

 幸運だった、もしもヘドラが飛び出してこなければ、バリアを張っていなければ、今の熱線は間違いなく直撃していただろうと、体の殆どを焼き尽くされて落ちていくヘドラの死骸を見ながらキングギドラは思った。

 

 海面が盛り上がり、それは姿を見せた。 咆哮で空気が震え、凄まじいプレッシャーを感じ重力が増したのかとさえ錯覚する──この地球でただひとつ、キングギドラはその存在だけを恐れていた、それが今、再び目の前に現れたのだ。

 

 

 

 

 

 (ゴジラ)が、目覚めた。

 

 

 

 

 

〈エピソード8.5:逆光〉 ─完─

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