『今年の怪獣被害は、日本では9月に中国地方を襲ったオルガのみに留まっているものの、死傷者、行方不明者合わせて20万人もの被害者を出す痛ましい事件となりました』
『オルガはその後太平洋へと飛行し逃亡、G対策センターによれば太平洋上空で完全な撃破に成功したと発表されています』
『この10年間で全世界での怪獣被害による死傷者の数は3億5千万人にまで上っており、怪獣の出現頻度も増加しています、日本でも今日までに850万人もの死傷者が出ていて、そのうちの600万人がゴジラによるものです』
『ゴジラはこれまでに4度人類の前に出現し、2011年東京で600万人、2014年にアメリカで1,860万人、2017年に中国で2,670万人、2018年に再びアメリカで970万人もの被害を出していまして、その合計は5,900万人と怪獣被害者全体のおよそ16.8%がゴジラによる物です』
『それもたった4度の出現でです、小型や幼体の怪獣を除いて世界中で既に400頭もの怪獣が出ている事を考えれば、この数字がいかに恐ろしいものか分かりますね』
『2018年の出現時にはアメリカGフォースが米軍と共同開発した地中貫通型爆弾によって、初めてゴジラに傷を負わせる事に成功しましたが、そこで判明したのは恐るべき回復力です。体表に数メートルの穴を開けたにも関わらず、僅か10秒で傷が完治したと報告されていて……』
『申し訳ありません、ここで臨時ニュースをお伝えします。一昨日八ヶ岳で出現が確認された怪獣クモンガが今朝、山梨県春日山で発見されたとの情報があり、Gフォースが捜索に当たっています。また、先日オーストラリアに出現したカマキラスの接近も予想されるため、近隣にお住まいの皆様は自主的な避難の用意を──』
……連日連夜続く怪獣に関するニュースにはうんざりだ、昨日と今日だけでも一体何度ゴジラの名を耳にしただろうか。
ため息を吐く少女はテレビのリモコンをテーブルに戻し、時計を見た。静寂を取り戻した部屋では秒針の音がよく聞こえる。
「…………もう行かなきゃ……」
部屋の明かりを消して外に出る、そこそこいいビジネスホテルを取ってくれたらしくベッドの寝心地は良かったが、彼女にとってホテルの部屋は、牢屋のように窮屈だった。
〈2021年12月16日、7時13分〉
神奈川県横浜市、かつて首都圏に含まれ隆盛を誇ったこの街も、10年前までと比べれば随分と人が減った。
ゴジラ被害の復興が間に合わず日本が東京を手放し、東京都に住んでいた人間の殆どが関東各地に散らばった事で一時期その人口は爆発的に増えたが、怪獣はより人の集まる場所を狙う。
同じ場所に多くの人間が集中するとその被害は取り返しのつかない物になるとして、政府は人口の分散を図り、結果的に神奈川の人口も2011年と比べて8割にまで減少した。
それでも他の地方と比べればまだまだ人は多く、怪獣の出現があれば多大な数の被害者が出るのは明白だ。
現在まで神奈川はほぼ怪獣被害が無く、比較的平和な都市であるが……この地球上にもはや安全な場所はない、いつ訪れるかも分からない「その日」を、誰もが恐れているのだ。
「ふぁ〜あ……ったく、里奈のやつ……あんな夜中まで長電しやがって……」
そんな神奈川に生まれ育った向井拓海は、こんな世の中に生きてきたためか(あるいはそうでなくてもなのか)生き残るためには強くあらねばと、真っ直ぐに生きることを嫌った不良だ。
変わってしまった世の中を生きるためには強くなくてはいけないと、道を踏み外しアウトローに生きる人間は10年前と比べてかなり増加した。もっとも拓海はそれほど重篤なわけでもなく、たった今も重たい瞼を擦りながら嫌々にも学校へ向かっている途中なのだが。
「う〜、さみぃ……うおっ、と」
「きゃっ!」
12月の寒気に体を震わすと、視界の外側から小さな影がぶつかってきて拓海はよろめいた。
尻もちをついて地面に倒れたのは青い髪の少女だ、倒れた衝撃でトートバッグの中身が散乱している。
「あーあ……ったく、前見ねーと危ないだろ」
拓海が散乱した荷物を拾おうと手を伸ばすと、彼女はそれより先に素早く荷物を回収しさっと立ち上がった。
アーチ状に揃えられた前髪が印象的な、短い青の髪に赤ブチのメガネ、背は低く顔立ちも幼いが中高生くらいに見える。
「失礼しました」
「あ? ってオイ!」
と、深々に礼儀正しく頭を下げたあとで、急いでますので、とだけ言い残して早歩きで去っていく。拓海は声をかける暇もなく、立ち去る彼女の後ろ姿を呆然として見つめていた。
少ししてから、どうにも自分の顔を見て歩き去ったように感じて拓海はイライラを募らせた。
「チッ、人の顔みて逃げやがって……ん?」
ひとり悪態をついていると、ふと足元でぱらぱらと紙の擦れる音が聞こえた。それは製本されたドラマの台本のページが、風でめくられる音だった。
拾い上げてホコリを払うと、表紙に持ち主のものと思われる名前が書かれていた。
「岡崎泰葉……? 聞いたことねーな」
その名に欠片も興味を示すことなく、拓海は再び大きな欠伸をした。
〈同日、7時24分〉
横浜市営地下鉄・新横浜駅、B1F女子トイレ内。
「そんな……嘘でしょ……!?」
泰葉が個室内で荷物を確認していると、台本が無いことに気づいた。
落ち着いて記憶を手繰る、朝はニュースを見ていてその時に荷物のチェックをしていた、台本は入っていたはずだ、一番最後にバッグに入れたのを覚えている。
ならばホテルを出てから紛失したということになる、つまり……。
「さっきぶつかった時だ、焦ってて気づかなかった……あぁぁぁ、もう……!!」
くしゃくしゃと髪を乱す、無くしたなどといえるわけがない、役者として台本を管理することは絶対の義務であり全て自己責任だ。
しかもよりによってまだ未発表のドラマの台本だ、第三者に見られるだけでも最悪と言っていい。
「探しに行くしかない……!」
現場に残っている可能性はある、なくても良識ある人間に拾われたなら交番にでも届けてくれているだろう。だが一抹の不安はある。
(さっきぶつかったあの人、ガラの悪い雰囲気の女の人……ダメだ、信用出来ない……!)
「すぐに行かなきゃ……! あっ!」
「おっと!」
個室のドアの施錠を解き急いで飛び出すと、長いツインテールの少女とぶつかる。
ドアの向こう側に対する配慮の欠如、こうなる事を予測して動けなかった自分が悪い……一瞬にして陥る自己嫌悪のスパイラル、泰葉は咄嗟のことに焦り言葉が出ない。
さっきもそうだ、足元を見て走っていたからぶつかった。どれもこれも自分の不注意が招いた事態だ。
「大丈夫ですか? どこか痛いところは?」
一方で相手は冷静だった。
その少女、中野有香は後に聞くところによると空手を初めとしたいくつかの武術を学んでおり、急にドアが開いたくらいでは咄嗟に防御できたのだとか……。
何はともあれ優しい人で助かった、と泰葉はぺこりと頭を下げる。
「大丈夫です、ごめんなさい! 今、急いでて……」
「あーーー!!」
入口から聞こえた大声に2人がぎょっとして振り向くと、そこに向井拓海の姿があった。
なぜこんな所に? と焦る泰葉は、息を切らしながらずんずんと歩み寄る拓海の迫力に気圧され身構えるが……。
「はぁ……はぁ……テメーだろ岡崎泰葉って! ホラ、落としもんだぞ!」
「あ、あっ!」
拓海は手に持っていた台本をずいっ、と差し出すと、泰葉は慌てて手に取りパラパラとページをめくる。
間違いなく自分のものだ、汚れもついていない、台本の無事を確認すると、深く息を吐きながら「よかった……」と小声で漏らす。
「おはようございます、拓海さん!」
「あ? って有香かよ、朝から声がでけー奴だな……」
拓海と有香、2人は同じ学校に通うクラスメイトだ。家が近く毎朝同じ電車に乗っているものの、普段からそれほど親しくしている訳ではないのだが、有香はわりとグイグイ来るので拓海はちょっとだけ彼女が苦手だった。
「……台本、届けてくれてありがとうございます、では急いでるので」
あまり関わりのなさそうな雰囲気なのに親しげにしている2人の関係性に少しだけ興味があったが、今はそんな時間ではないと泰葉は台本をしまい、今度こそ現場に向かおうとした……しかし。
「わっ!?」
「っと、地震か!?」
トイレから立ち去ろうとしたその瞬間、大きな揺れが3人を襲う。
ただの地震ではない、短くそして強い振動と、同時に爆発音のような激しい音が鳴り響いてきた。外から聞こえてくるようだが、さほど遠くない。
「きゃああああああああああ!!!!」
揺れが収まると、今度は通路の方から女性の悲鳴が鳴り響いた。いや、それだけではない、多数の人間の絶叫と怒号が飛び交っていて、駅構内は尋常ならざる喧騒に包まれていた。
「っ!!」
「あ、おい!」
咄嗟に体が動いたのは有香、それに続いて拓海が後を追う。通路側に顔を出すと、何かに追いかけられているのか逃げ惑う人々の姿がある。
すると、スーツ姿の中年男性がこちら側に走ってきてトイレの入口を過ぎ、壁際へ倒れ込むようにして身を縮めた。
「おいオッサン! 何があった!」
「お、お前らっ! 早く逃げ……あぁ!!」
男は自身を見ている2人の視線の反対、通路側にいた“それ”の接近に気づく。つられて有香と拓海も視線をやろうとするが、男はすぐさま立ち上がって2人をトイレの中へと突き飛ばした。
「うぁっ!」
「ってぇ! 何すんだこの……」
直後、ブッ、と短い音の後に、トイレの出入口が蜘蛛糸のようなもので塞がれ、男は勢いよく射出された糸に絡め取られ再び壁へと飛ばされ磔になる。
「ぐぅ! 来るな! やめろ……あぁぁぁぁああぁぁ!!!!」
ガチン、ガチン、と床に鉄を打ち付けるような高く耳障りな音が何重にも聞こえる、その音は急激な速度でこちらに接近し、目の前で止まった。糸で塞がれた出入口からではよく見えないが、隙間からでもその黄色と黒の縞模様に彩られた巨躯を確認できる。
クモンガ……それは蜘蛛型怪獣の幼体だった。幼体と言えどその大きさは頭から腹の先まででも約2メートルを超える。
男の声が、クモンガの糸を吐き出す音が聞こえる度に小さくなっていく、紛れもない、クモンガによる“捕食行動”だ。
「お、オッサ……んんっ!?」
声をあげようとする拓海の口を有香が塞ぐ。
クモンガは男を糸で雁字搦めにして繭のように包み込むと、次は繭に噛み付いて溶解液を流し込む、クモンガはこのようにして繭の中でドロドロに溶かした餌を蓄えるのだ。
そんなおぞましい光景を2人は息を殺しながら糸の隙間越しに見つめていた。悲鳴を上げるわけにはいかない、何より目の前で行われる殺戮に身が硬直して動けない。
繭が揺れ、男の悲鳴が漏れ聞こえてくる。それは男の最後のあがきだった。 流れるような一連の捕獲動作が終わる頃には、男の悲鳴が聞こえなくなっていた事に気づく。
男を狙って吐き出した糸で出入口を塞いだことでトイレの中に残る“獲物”が見えていないのか、クモンガはそのまま反転して通路側に帰っていった。
「…………有香、もういいだろ」
「あっ……す、すみません……」
拓海が口を塞ぐ有香の手を退かし、ゆっくりと体を起こす。
体がひどく重たく感じる、頭もぼうっとして何を考えていいのか分からない、脳裏に浮かぶのは嫌でも焼き付いた男の顔とクモンガの姿、耳には悲鳴がいつまでも残っているのが鬱陶しくなり、拓海は壁を強く殴る。
「クソっ……!」
助けられた、助けられなかった、そんな悔しさに心を痛める拓海と有香の姿を、泰葉は冷ややかな目で見つめていた。
──2021年12月16日7時30分、クモンガの幼体の大群が横浜市営地下鉄の線路内に出現、新横浜駅及び隣接する駅構内にいた利用客を捕食し占拠。同時刻、横浜市の地中からクモンガの成体が出現。
〈同日、7時40分〉
『ご覧下さい! 体長30mほどのクモンガがビルの屋上に居座っているのが見えます、現在地下鉄内でクモンガの幼体が大量発生しているとの情報が入っていますが、まだ地上に出てきているのは確認できません! 近隣住民の皆様は決して地下鉄の出入口に近寄らず、速やかに避難してください!』
「……さすがに、怪獣災害の報道は情報も含めて早いですね」
有香はスマホでニュースを見ながら冷静に事態の把握に努める。家族への連絡は取れて、お互いの無事は確認できていた……自分が新横浜の地下にいることは秘密にしたが。
「おう、無事ならいいんだ、まあお前の住んでるとこなら遠いし大丈夫だとは思うが……あたし? 心配すんな、もう避難してるから、スマホの充電が減るからあんま連絡してくんなよ、じゃあな」
「……里奈さんですか?」
「おう、あのバカ寝坊してまだ家にいたらしい」
それなら安心だと有香はほっとした様子で笑顔を見せる、有香と拓海は同じクラスでも、今話していた藤本里奈は別のクラスだから有香もそんなに話したことは無い。ただ、2人の仲の良さは学校では有名で友人関係な事は有香も知っていた。
「…………」
そんな2人の関係にももはや無関心で、泰葉は個室の便器蓋に腰掛けて、じっとスマホを見つめている。ちょうどマネージャーから撮影中止の連絡が入ってきたところで、身の安全を報告していた。
じきに帰ってきた返信は「身の安全を第一にお願いします。」だった。
「私の代わりなんていくらでもいるくせに……」
「なんか言ったか?」
ぽつりと零れた独り言に、拓海が反応する。クモンガの気配も遠のき静寂に包まれたトイレ内では、軽い独り言でも聞こえてしまう。
「あなたには関係ないことです」
「あぁ? なんだその言い方は!」
「まあまあ拓海さん……」
有香に宥められた拓海はあからさまな不満を顕にしたまま、泰葉の2個隣の個室に入り、蓋を下ろしたままの便器に乱暴に腰掛けた。
トイレで寛ぐというのもなんだが情けない気持ちだが、幸いにもトイレ内は清潔そのもので不快感はなかった。Gフォースによる救助を待つ間ならば、ここで耐えられそうだ。
「……」
「……」
「……」
それから数分間、拓海は静かに目を閉じ、有香は妙に気まずくて何も出来ずじっと壁にもたれて立っていた。
泰葉だけは退屈しのぎに台本をチェックしており、紙のめくれる音だけが聞こえる中で、刻一刻と時間が流れていった。
「……なあ有香」
「ん……はい?」
「救助、遅くねーか?」
有香が眠気で若干寝落ちかけていたところで、不意に声をかけられてハッと目を覚ます。
怪獣災害発生から15分、確かにGフォース出動の速報は入っていない。
「そうですね……憶測ですけど、避難が遅れているのと、私たちのように地下で生き残った人がいる可能性を考えてGフォースが攻撃を躊躇っている……のかと」
「んな悠長な事してられんのか? こうしてる間にもクモ共はどんどんナワバリ増やしてんだろ、まず親グモをぶっ倒してから……」
「ちゃんと話を聞いてましたか? その親グモを倒した被害で私たちが死ぬかもしれないってその人は言ってるんですよ、少しは考えてください」
「黙れコケシ頭!!」
「誰がコケシですかこのチンピラ!」
「ま、まあまあ……!」
フンッ!とお互い同時にそっぽを向く、壁2枚に隔てられた個室に座っていて顔も見えないはずなのに、どうしてそういう所だけはピッタリ息が合うのだろうか。
(うぅ……気まずい……というか私だって拓海さんと普段そんなに話す訳でもないのに仲介役って、間が持たなすぎる……それに、岡崎泰葉ちゃんだよね……? なんだかテレビとは随分雰囲気が違うような……)
たまにドラマで見る顔だし、さっき拓海がはっきりと岡崎泰葉という名前を出していたので間違いない。
岡崎泰葉、一昔前に天才子役と言われ一世を風靡した俳優だ、昔からバラエティなどにはほとんど出ないのでどんな人物なのかは分かっていなかったが、随分と感じの悪い印象を受ける。
(……最近は全然見なくなったな)
そう、それも随分と昔の話になってしまった。成長して「子役」でなくなった泰葉は、急速にテレビからその姿を消していったのだ。
芸能界、特に子役という期間限定の肩書きは入れ替わりが早い、きっと踏み込めない事情があるのだろうと、有香は余計な詮索はしない事にした。
「……ふぁ〜あ……あー……」
「…………はぁ……」
拓海は退屈そうに頬杖をつきながら貧乏ゆすりし、有香はずっと壁に背を持たれて2人が喧嘩しないように気を張る。
「…………」
再び訪れた静寂の中で泰葉はずっと自分の事を考えていた。
もし助けが来なかったらどうなる? いずれクモンガは自分たちを見つけて捕食しにかかるだろう、そうすれば……もし自分が死んだら?
多分……簡単に訃報が流れて終わりだろう。悲しむ人も多少いるかもしれないが、業界で見れば自分ひとりの損失なんて大したものじゃない。
──ちゃんと台本通りにできて偉いね。
まだ幼い子役だった頃、そんなことを言われた、ちゃんと指示通りに演技すれば周りの大人たちは手放しで褒めてくれた。
──どうして言う通りにできないんだ?
時が経っていつの間にか自分が子役じゃなくなった頃、大人たちは小さなミスに対しても厳しい言葉を浴びせるようになった。
大人として、役者として見てくれている証拠だって? そんなもの、取り繕っただけの薄っぺらな詭弁に過ぎない。
勝手に天才子役と持て囃しながら、やったことと言えば自分をダシにした金儲け。ファンだと思っていた人間も、大多数は「子役」じゃなくなれば興味をなくし離れていった。
──やる気がないなら代役を立てるだけだぞ。
どうせ私じゃなくていいなら、最初から頼らないで欲しかった。
可愛いお人形が欲しいだけなら、最初からそう言ってくれればよかった。
私は、人形になんかなりなくなかったのに。
『あっ……あれは何でしょう? 突如としてクモンガが占領しているビルとは別のビルの屋上が、今大きな音と共に一部倒壊しました! Gフォースの攻撃はまだ開始されていないはずですが……』
いつの間にか有香がスマホで見ていたテレビ中継の音声に、泰葉はハッとして顔を上げる。
『透明な何かが……蜃気楼のように一部の景色が歪んでいるようにも見えます……あっ、カマキラスです! 成体と思われる大きなカマキラスが姿を表しました!』
「まさか……!」
「はァ!? またなんか出てきたのかよ!」
カマキラス……名前の通り、カマキリ型の怪獣で、クモンガと同じく30m前後の巨大な体を持ち、場所を問わずクモンガとほぼ同時に出現する事で知られている、そして……。
「通路の方から音が……クモンガが戻って来たのでしょうか……?」
「いや、違います……多分これは……」
甲高いふたつの音……クモンガとカマキラスの幼体の威嚇し合う鳴き声が、静寂の地下に反響する。
「クモンガとカマキラスのナワバリ争いです!」
「えっ……!?」
泰葉の言葉に2人は驚きと焦りを顕にする、問題はクモンガだけではなくなった。
詳しい理由は分かっていないが、クモンガとカマキラスはどれだけ離れた場所にいようと何故かほぼ同時に出現し、お互いに引き合い争い合う生態をしている。
だが2頭が実際に邂逅する事はさほど多くなく、まさか今この日本で巻き起こるなど予想していなかったが。
「カマキリまで出てきやがったのかよクソ! おい、脱出すんぞ!」
「え、でもっ!」
「静かにしてればまだ見つかりません、ここはGフォースの救助を待つべきです」
あくまでも冷静な判断を通そうとする泰葉に対し、拓海は彼女の前に立ちはだかり睨みつけるが、泰葉は目を合わせようとせずじっと俯いていた。
「その救助がいつまでも来られねぇって分かりきってるから言ってんだよ!」
「ならお2人で脱出してください、私はここに残ります」
頑なに意見を譲らない泰葉に痺れを切らした拓海が有香の方を振り返る。
「…………有香、武器になりそうなモンはあるか?」
「拓海さん!」
「アイツらはナワバリ争いしてる、ならしばらく駅ん中歩き回るはずだ、ここもすぐに見つかる!」
「けど、出たら確実に見つかります!」
「だとしても逃げ場のないここよりはマシなはずだろ!」
「それは……」
拓海の考えは間違っていない、有香は拳を口元に当てて考える。
脱出しようとすれば確実に見つかる、ここから出口はすぐ近くだがクモンガの糸がどれだけ張り巡らされているか分からないし既に外にまで侵攻している可能性もある。だが……むしろ問題は頭上だ、この駅のすぐ近くで成体が睨み合っていてはいつぶつかり合うかわからない、そうなれば……。
「いつここが崩落してもおかしくは無い……」
「おっ、決まりだな! これ使え!」
拓海は掃除用具ロッカーからモップを取り出し、先端を外した持ち手だけを有香に手渡して、もう一本自分用のものを調達する。
「泰葉さんは本当に行かないんですか?」
「行きません」
「でも……きゃあ!」
「なっ!?」
その時、再び大きな揺れが襲ってくるのと同時に、トイレ内の……否、駅構内全ての電気が落ち、辺りがたちまち真っ暗闇になった。
見えてはいないが天井や壁にも小さくヒビが入っている箇所がある。どうやら外で2体の怪獣が激突し、その影響で停電が発生したようだ。
「嘘だろ、これから脱出しようって時に!」
「しっ! 何か聞こえます……」
畳み掛けるような苦難、右も左もわからない状況に脱出さえより困難な状況になった矢先、すぐ側まで怪獣の足音が迫っていることに気づく……しかし、クモンガは金属質の爪を立てながら歩くのですぐに分かるはずだ、聞こえてくるのはカサカサとした乾いた音。
(この音、クモじゃねえ……耳を済まさないとほとんど聞こえない!)
足音がトイレの出入口で止まる、糸の隙間からギロリと大きな複眼がこちらを睨み、拓海と有香が怖気ですくみ上がる。さすがの泰葉も冷静では居られず汗を滲ませながら、じっと音を立てないように縮こまっていた。
拓海は覚悟を決めて息を飲み込む、下手を打てば今この場で殺されかねない状況だ。
数秒の静寂を断ち、ヒュッと風を切るような音と共にカマキラスの鎌が振り抜かれ、クモンガの糸がバラバラに解けていく。
出口は確保出来た、しかし、暗闇の中不気味に光るカマキラスの目は、はっきりとこちらを捉えていた。
「ぉぉぉぉオラァ!!」
恐怖で怯む体を気合いで奮い立たせ、拓海は大きな複眼にモップの柄を突き立てた。
脆いガラス玉のように砕けた複眼から血が吹き出て、カマキラスはめちゃくちゃに鎌を振り回す。
「危ねっ!」
鎌を振るう度、壁がまるで豆腐のように切り裂かれて崩れ落ちていく。しばらくのたうち回った後、カマキラスは倒れ完全に動かなくなった。
「クソっ、壁が崩れてこれじゃ隠れてることにならねえ!」
「脱出を余儀なくされましたね……外も安全とは言えないでしょうがここは迷っていられません!」
有香は泰葉の手を引く、もはや四の五の言っていられる状況ではない。
「脱出します!」
〈同日、8時10分〉
「そんな、出入口が塞がれてる……!」
トイレの傍にあった外へ続く階段は、ビッシリと張り巡らされたクモンガの糸によって完全に封鎖されており、光さえもほとんど遮られた状態になっていた。
「これじゃどの出口も同じか……!」
「いや……」
泰葉はカマキラスの習性と出現の仕方を考えた。今朝ニュースで確認したがカマキラスはどうやら一昨日オーストラリアに出現したものの突如姿をくらましたらしく、それが海を越えてここまでやってきたと考えられる。
姿を背景と同化できる上に高速で飛行し体温も低いカマキラスは非常に捜索しづらく、Gフォースの包囲網から逃れやすい。つまり、カマキラスは今日本に上陸してきたことになる。
(だとしたら……)
「カマキラスは地上から地下へ侵攻してきた……?」
「! つまり、どっかにカマキリが入ってきた出口があるって事か!」
「あくまで憶測ですが可能性は高いかと……」
拓海と有香は顔を見合せ頷く、可能性があるならば今は賭けてみるしかない。
「でも、この駅の外から入ってきたとは保証できません! もし線路を伝って隣の駅から来ていたりしたら……!」
「かもしれません、でもあそこには居られない、せめて別の避難場所を駅構内から探す必要はあります!」
有香の言う通りだ、最悪でも別に隠れる場所を見つけなければ救助を待つことも出来ない。3人はいずれにしてもこの暗闇の駅構内を動く必要がありそうだ。
ならば……選択肢のない選択を、泰葉は選ばざるを得ない。
「わかりました、私も付いていきます……ただ」
「ただ?」
「……私が足でまといになっても、お2人は迷わず私を見捨てて逃げてください」
それは決意を込めた一言、泰葉はこの2人と行動を共にしても邪魔になる事が分かりきっていた、共倒れという最悪の結果になるくらいなら、1人で救助を待つつもりだったのだ。
「そ、そんなこと……!」
当然、有香が反対することも察していた、まだ出会って数十分しか経っていなくても、様々な人間を観察してきた泰葉は有香がそういう人間だと見抜けた。
「だりーこと言ってんじゃねえよ! テメェが足でまといにならないよう気合い入れて付いてくりゃいいだろ!」
だが向井拓海は見たことの無いタイプだった。見た目も性格も不良そのもの、絶対に関わるべきではない人間だと……そう思っていたのに。
「でも……!」
「でももへったくれもあるかよ、お前は見捨てない、1人でも多く生き残る、そのつもりでいろって事だ」
言ってることがめちゃくちゃだ、何一つ論理的な言葉が出てこない。しかも意見を曲げない頑固さだけはかなり強い、なんとも厄介な性格だ。
ただ、不思議とそれが嫌ではなかった。
「……わかりました、では私がスマホで明かりを灯します、怪獣は夜目が効くようなのでもはや問題にはならないでしょう」
根負けした泰葉は、スマホを取り出しライトを付ける。照らすのは数メートル先、足元だけに留める。
「よし、行くぞ!」
「押忍!」
3人は歩き出した。いつ怪獣が現れるかも分からない恐怖に飲まれないよう、必死に勇気を振り絞って、暗闇の中へと歩みを進める。
少し歩くとクモンガの糸が大量に張り巡らされたエリアにたどり着いた、恐らく通路そのものが塞がっていたが、カマキラスが通るために切ったと思われる抜け道が出来ていたので、糸に触れないよう慎重に歩く。
そしてよく天井の方を見ると、そこには大量の「繭」がぶら下がっていた。有香と泰葉は足元を見ていて気づかない様子だったが、それに気づいた拓海は静かに舌を鳴らす。
(嫌なもん見ちまったな……)
考えなくてもわかる、全て人間だ。
それもクモンガの溶解液で溶かされて中身はドロドロの液状になっているだろう、さっきトイレを出た時に壁側を見ても、あの庇ってくれた男の繭が無かったのはここに運ばれたからだ。
(せめて見つけてやりたかったけど、これじゃ分からねぇ……悪ぃな、オッサン……)
心の中で自分たちを救ってくれた名も知らぬあの男性に謝罪し、拓海は前を向き直し歩き出した。
さらにしばらく歩いた先に左に曲がる道があるので進んでみたが、そこにあった7番出口はまだ塞がれていた。
諦めて元の道に戻ろうと振り返った時、あの鉄を打ち付けるような不快な足音が道の向こうから迫ってきていた事に気づく。
「今度はクモか!」
クモンガの歩行速度は想像以上に早く、位置を捉えた次の瞬間には接敵する、距離にしてわずか1メートル半の距離。
赤く不気味に光る無数の目がこちらを見つめ、大きな顎を開いてガラスを引っ掻くような耳障りな鳴き声で威嚇する。
「っ……、泰葉さんをお願いします!」
その恐怖に怯むまいと、有香が慣れたフォームで柄を構えクモンガと睨み合う。緊張の数秒、先に動いたのはクモンガだ。
吐き出した糸を躱し一気に距離を詰める、鉤爪による引っ掻き攻撃を見事な槍さばきでいなし、目にも止まらぬ突きの2連撃でクモンガの目を潰す。
「セイッ!」
攻撃は止まらない、暴れ回るクモンガの足を紙一重で回避しながら、有香は立て続けに目を潰していく。
やがてクモンガは大量の出血により死に絶え、有香は柄についた血を払う。
「すごい……!」
「フーーー……私、空手だけじゃなくて槍術も習ってるんですよ、怪獣蔓延るこのご時世ですからね」
ふふん、と胸を張り誇らしげに鼻を鳴らす有香の傍らをすり抜けた拓海は、有香の背後に音もなく忍び寄っていたカマキラスの細首を全力で殴りつけ、頭を吹き飛ばした。
意外にも幼体の体は脆く、思った以上に戦いやすい。
「アタシも鍛えてんだよ、このご時世だからな。」
「……精進します」
などと緊張感に欠ける会話を広げる2人をみて、泰葉は唖然としていた。
(何なのこの人たち……!?)
強い、あまりにも強すぎて、泰葉は何か信じられないものを見ている気分だった。 だがこの2人となら、あるいは……泰葉はそんな希望を抱いた。
来たを戻り左へ、ここから先は出入口が多くカマキラスの侵入ルートを見つけられる可能性が高まる。
そして意外にも、それだと思われる出入口をはっきりと見つけ出すことが出来た、またも左へ曲がった3番出口付近に、外から差している光が見えた。 しかし……。
「こいつら……!」
そこへ至る一本道に、2頭のクモンガが立ち塞がっている。しかも蜘蛛糸がここまでと比べて段違いに多く、もし触れたら一巻の終わりだ。
(2頭同時、しかもこの足場の悪さ! この2人がどんなに強くても流石に分が……!)
「……拓海さん、ここで命をかける覚悟はありますか」
「あァ……おい泰葉、アタシと有香がアイツらを引き付けてる間にお前はなんとか地上まで逃げろ」
「え?」
「ここから先を走り抜けるのはどう考えても不可能です、足元に気をつけつつ、なんとか出口まで行ってください。」
「待って! 3人で逃げるんじゃないんですか!?」
不意に出された想定外の言葉に混乱を顕にしながら、泰葉は2人の表情を伺おうと顔を覗く。その目は闘志をむき出しにしながら真っ直ぐにクモンガを睨みつけてはいるものの、隠しきれない緊張と焦りと恐怖が見て取れる。
覚悟の上の言葉だ、だけど無謀な考えだと言うのは2人が1番よく分かっている。それでも、誰かが生き残らなければならないからこそ、その決断は下された。
「時間がねえ! やるぞ有香!」
「はい! なんとかスキを作りますから、その間に逃げてください!」
「ちょっと……!」
止める暇もなくクモンガに飛び込む2人、蜘蛛糸が多く足場の悪い中で、必死にクモンガの攻撃を躱し続ける。さっきまでの戦い方じゃない、明らかに押されている。
「……くっ!」
決心を固め泰葉は走り出した、地面に張られた蜘蛛糸だが、この太さなら簡単に見極められる。
しかし動きの遅い泰葉をクモンガは見逃さない、鋭い鉤爪のある足でその背中を狙うが……。
「ハッ!」
有香の鋭い一撃が足を折りちぎった、怯んだクモンガの顔面に次の一撃を加えトドメをさす。
「行って!」
「……っ!」
再び走る、出口はもう目と鼻の先。階段下までたどり着きその先を見上げると、蜘蛛糸が切断され通れるようになっていた。
「やった……これなら……!」
そこで泰葉は気づく、この暗闇の中で明かりを付けていたのは自分だ、その明かりが無くなった今、2人はどうやってクモンガと戦う……?
「きゃぁぁ!」
有香の悲鳴に振り向きライトで照らすと、足に蜘蛛糸が絡まって地面に倒れ込んでいた。さらに拓海が戦っていたクモンガの姿が見えない、暗闇に乗じて場所を移動したのだ。
「クソッタレが!!」
有香を守るために拓海は果敢に挑むが暗闇でクモンガの位置がよく分かっていない、適当に柄を振り回しているだけのようだ。
「何見てんだ! 早く逃げろ! そっからカマキリも降りてくるかもしれねーんだぞ!」
「行ってください! 私たちは大丈夫だから……!」
「だけど……!」
「言う通りにしろ!!」
「……っ!!」
(言う通りに……言うことを聞かなきゃ……!)
そうだ。言うことをちゃんと聞いていれば誰も文句を言わない、私がお人形になればいい……。
……何故だろう、どうしてみんな私に言うことを聞かせようとするんだろうか。私は精一杯やってる、なのにどうして誰も認めてくれなくなったの?
誰も私を見ていない、私が演じる「誰か」を求めている。
なら「私」の存在は何? 私は何者かになれる都合のいい着せ替え人形なの?
「違う……私はっ!」
最初はよかった、自分が別の誰かになれるのが楽しくて、自分がちゃんと言う通りにすれば大人の人たちも喜んでくれるから......だけど自分が大人になるにつれて、この世界がそんなに簡単なものじゃないと気づいた。
頑張らなければ見捨てられる、自分の代わりはいくらでもいる、もがいて足掻いて必死に埋もれないように頑張ってるうちに、自分が何のために別人を演じているのか分からなくなって……。
でもそうじゃない、自分を決められるのは自分だけ、全ては私自身が選択したこと。だから逃げない、それが間違いだとしても、苦しいことだとしても、せめて後悔だけはしたくない。
泰葉は走った、迷いなく足を踏み出した。不気味な音が響く、死の匂いがする暗闇の中へと体を翻して。
「泰葉さん!?」
「はァ!?」
有香が落とした柄を拾って、有香の足に絡みつく蜘蛛糸をちぎっていく。思った以上の強度で苦戦するが、全くちぎれない程ではなかった。
「泰葉さん、どうして……!?」
「私は!! 誰かの言いなりになるだけの人形じゃない!!」
叫んだ、自分の言葉で。
自分の内に秘められていた情熱が弾ける、誰かの言う通りになる人形のままじゃない、岡崎泰葉の決意と決断がその体を奮い立たせる。
「泰葉さん……」
「切れた! 拓海さん!!」
蜘蛛糸を完全に切ったが、有香はすぐに立ち上がれない。泰葉が柄を投げつけると、それをキャッチした拓海は2本の柄を操ってクモンガの攻撃を捌き、怒涛の連打を頭に食らわせる。
「オラオラオラオラ!!」
やがてクモンガは完全に沈黙、泰葉が戻って明かりを灯してくれなければ確実にやられていた所だが、なんとか怪我なく撃退することが出来た。
「ハァーー……はぁ……ヘヘッ、この向井拓海をナメんじゃねぇぜ……!」
拓海が荒く肩で呼吸をしながら2人を振り返ると……。
「伏せろ!!」
……本当に厄介なものだ、硬い爪を持つゆえに足音が響くクモンガに比べて、ヤツは音もなく忍び寄る。
拓海は振りかぶって真っ直ぐに柄を投げつけると、伏せる泰葉と入れ替わりに立ち上がった有香がそれを受け取り、いつの間にか目と鼻の先にまで迫っていたカマキラスの複眼を貫く。
恐るべき反応速度と理解力で、有香は瞬時に拓海の意図を理解し、最前の手を繰り出した。
「あぐっ!」
だが不用意に力を入れたせいで、蜘蛛糸に絡まれた時に挫いた足が痛み、有香は倒れ込んだ。
「しまった……!」
目を潰されたカマキラスがやたらめったらに鎌を振り回して暴れる、そのひとつひとつが、壁と床を切り裂きバラバラにしていく。
「……っ!!」
逃げられない、有香は動けず、泰葉は恐怖に怯み腰が抜けていた。
振り下ろされる鎌は、紛れもなく泰葉の命を奪うものだった……しかし。
「ぐああぁあぁぁ!!」
駆け寄った拓海が泰葉とカマキラスの間に割って入り、泰葉の襟首を掴んで力任せに放り投げる。カマキラスに背中を見せた拓海は、バッサリと容赦なく背を切りつけられた。
「拓海さん!!」
ついに倒れ込む拓海、それだけで命を奪うほど深い傷ではないが、溢れ出した血がもう地面にまで伝っている。これではもう戦うことも逃げることもできない。
最後の抵抗を終えてカマキラスは息絶えた、だが状況はどんどん悪化する。
一連の騒動を聞きつけてか、暗闇からクモンガの増援が迫り、階段からまた数匹のカマキラスが降りてきたからだ。
「くっ……!」
有香は再び柄を構えようとするも、片足を負傷してはうまく立ち上がることが出来ない。
(逃げないと……! 逃げて拓海さんと有香さんの治療を……病院に……守らなきゃ、守られた分、私が守らなきゃ……!)
目の前に迫る死に、己の無力さに、泰葉は大粒の涙を流しながら、動けなくなった拓海の体を引きずって壁際まで逃げる。
そんなことをしても無駄なのは分かっている。それでも、生き残りたいという本能だけが、その心と体をつき動かしていた。
(あと少し、あと少しだったのに……!!)
とうとう死を覚悟したその時、地下を揺るがすほどの凄まじい爆発音が聞こえた。
最初にクモンガの成体が出現した時の非ではない、クモンガは揺れに伴う音だったがこちらは違う、爆音その物が振動として建物全体を揺るがしたのだ。
それは一瞬の出来事……しかし、その一瞬の爆発音こそが泰葉たちの命を救った。
「怪獣たちが、逃げていく……?」
何かを察したかのように、クモンガとカマキラスの幼体が文字通り蜘蛛の子を散らすように一斉にその場から逃げていった。
わけも分からず唖然とする3人、恐る恐る周囲を警戒してみても帰ってくる様子はない。
「今なら行ける……? 泰葉さん、拓海さんをお願いします!」
「は、はい!」
泰葉は拓海に肩を貸して半身を支えつつ立ち上がり、有香はなんとか片足をかばいながら柄を杖代わりにして歩いた。
「クソ……いってえな……」
弱りきった拓海の掠れ声、体を支えている腕に流れ出る血の熱さを感じている。もう時間が無い、一刻を争う事態になってしまった。最悪の結末が頭を過り、泰葉はその度にそんな事にはさせないと心に発破をかけた。
「拓海さん……もうすぐ出られます、有香さんも一緒です……皆で逃げられますよ……!」
「……あぁ」
泰葉は一歩ずつ、重たい足取りで階段をのぼりながら泣いた。あのまま逃げていたら本当に最後の別れだったかもしれないと思うと、感情がぐちゃぐちゃに溢れ出して止まらなくなった。
「台本……届けてくれて、ありがとう……!」
「……あー……まあ、どーいたしまして……」
たったそれだけの言葉を、気持ちを、泰葉はいつの間にか忘れていた。
詳しく読んだわけじゃないが、拓海は拾った時に台本の中身を少しだけ覗いていた。たくさんの付箋と、蛍光ペンによるセリフのチェック、余白を埋め尽くすほどのメモ、あれほどの努力をどうして出来るのか、きっと凄い役者なのだろうと、拓海は少し身震いしたほどだ。
「……根性あるぜ、お前」
ふっ……と、拓海は静かに笑った。
「拓海さん、泰葉さん……! 外です、出られました!」
最後の一段を踏みしめついに地上へとたどり着く、ついに脱出できた……だが、それに歓喜したのも束の間、泰葉たちは空に立ち込める黒煙に気づき、言葉を失った。
「建物が……」
クモンガとカマキラスの成体が居座っていたはずだが、その姿が見えない。ビルの屋上付近ごと消し飛んでいたのだ。
「Gフォースの攻撃……?」
その時……遥か遠方からあの声が聞こえた。姿は見えないが、確かにこの空に、この街に、その咆哮は響き渡った。
ズン、ズン、と鈍い足音が聞こえる。それは何度も何度も繰り返し見せられた記録映像で聞いた音……有香は心臓を抉られるような凄まじい悪寒を覚えて、すぐさまスマホを取り出しニュースを確認した。
「まさか……!!」
最悪の予感、あの声、あの足音、幼い頃から繰り返しニュースや怪獣に関する番組、果ては学校の特別授業ですら何度も聞いてきた物にそっくりだ。
そして有香の予感は……不運にも的中することとなる。
『速報! 速報をお伝えします!』
流れてきたのはさっきまでのヘリからの実況ではなく、スタジオからの報道だった。本来冷静であるべきニュースキャスターが激しく取り乱した様子を見せ、鬼気迫る表情と声色でそれを読み上げた。
『たった今、鎌倉に新たな怪獣が上陸! ゴ、ゴジラです、ゴジラが出現しました!』
「…………え?」
そうぽつりと漏らしたのは3人のうちの誰だったのか、そんなことは最早どうだっていい。
そのニュースを聞いた全ての人間が我が耳を疑っただろう、何かの間違いだ、これはきっと悪夢だ……ニュースを見た誰もがそう願ったに違いない。
だが現実は、時として最悪の形を成すのだ。
『繰り返します! ゴジラが、ゴジラが日本に上陸しました!』
この空と大地に、死神の足音が残響する。
──2021年12月16日、8時19分。
ゴジラ、鎌倉に上陸。約20km離れた位置でナワバリ争いを繰り広げていたクモンガとカマキラスを熱線により撃破。その後、茅ヶ崎市にあるG研究センターへと進行開始。
──その日、茅ヶ崎市内において発生した謎の怪獣との戦いについて詳細な記録は残されておらず、G対策センター属する国連は、その存在を闇に葬った。
〈エピソード3:死神の足音〉 -完-