ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
その日、アイズ・ヴァレンシュタインは当てもなくオラリオの中をふらふらとしていた。
じっとしていることは、まあ得意な方なのだろう。そう彼女は、自分を評していた。しかし同時に、苦痛なことでもあった。文字通りに、何もしない――それは、自分が何にも向かっていないことの証明に思えた。
こうして、街の中をただ散歩しているだけでも、じりじりとした焦燥感が背中をうっすらと焼いてくる。
アイズ・ヴァレンシュタイン。Lv.5の第一級冒険者。レベルアップの
今日も、望めるならば自己鍛錬をしたかったが。遠征の数日後であることから、それは却下されてしまった。愛剣のデスペレートはもちろん、予備の剣、果ては鍛錬用の剣までも没収された。ついでに、気晴らしに散策でもしてこいとホームまで追い出されて。
自然にため息が漏れ出て、次いで彼女ははっとし、周囲を見回した。アイズに注目をしている人間は、いくらかいる。が、それはおそらく、第一級冒険者を物珍しく見ているだけだろう。嘆息自体が目撃されたわけではなさそうだ。
(よかった……)
それ自体は、見られたからといって特にどうというものでもない。ただ、見せていいものでもない。ロキ・ファミリアの看板を背負っているのだから。
ファミリアの中枢メンバーというのは大変だと思う。幹部というのもまた。彼女に限った話ではないが、ファミリアの幹部というのは簡単には務まらない。
(私にできることと言ったら……)
そう、つまりは、つまらないことだった。内部に対しても外部に対しても、隙を見せない。その程度のことだ。
(難しいな)
目的地などなくふらつきながら、そんなことを思う。
自分より古参のメンバー曰く、昔のフィンなどはいけ好かないただのチビだったらしいが。今の彼からは、全く想像がつかない。普段の彼は、常にどこか超然としていて、支配者然としている。組織人として強いというのは、そういうところを指すのかもしれない。自分にはとてもではない。真似すらできないことだった。
あるいは単に、それがレベル差なのかも……
考えて、アイズはかぶりを振った。それを考えてしまうことは、控えめに言っても、とてつもなく陰鬱だから。
自分の成長は芳しくない。他者になんと言われようと、彼女はそれだけは強弁し続けた。
それは、遠征の度に思い知らされることだった。
強くならなければ。今よりさらに。誰よりも高く。
思いに、しかし体はついてきてくれない。心の中を、焦りという澱みが足下から絡みついてくるのを止められない。
(やめよう……)
ふっと息を吐く――今度はため息ではない――。歩幅を大きくして、街の中をふらついた。
オラリオに来てから十年近く。もはやここが故郷と言えるほどに、長く過ごした土地だが。彼女の行動範囲というのは、驚くほど狭かった。ロキ・ファミリアのホームに、買い物をするための繁華街、武器類を調達、整備するための施設、そしてダンジョンに潜るためのバベル――後者二つは、ほとんどイコールだが。その他の場所には、特に用事もなければほとんど足を運ばなかった。
なので、足が向くままに歩けば、自然と見知った場所になる。
近くの屋台でじゃが丸くんを買い、歩きながら食べる。急いだ訳でもないが、そもそもさほど大きなものでもないので、すぐ食べ終わった。
包み紙をくしゃりと握り、あたりを見る。道中に設置されているくずかごを見つけて、そこに入れて、またなんとなくの散歩を再開した。
繰り返し、アイズが見知ったと言えるほどの道は少ない。商業地を抜けてしまえば、次にたどり着くのはバベルだった。
(どうしよう)
摩天楼を見上げながら、考える。五十階建ての超巨大建造物は、足下から見上げると、その頂上がわからないくらい高い。もっとも、その下に続くダンジョンの方が、遙かに長大ではあるのだが。
バベル入り口前広場で、特にすることもなく立ち尽くす。
そのままいくらかの時間がたったところで、はたと気がついた。人の波が、アイズを避けて出入りしている。邪魔ではあるが、あえて注意するほどでもない。そんな風ではあった。
アイズは短く決断をして、バベルの中に入っていった。特に意味はない。ただ、ここまで来て戻るよりは、中の方がまだ何かしら真新しいものを見つけられるからかもしれない。その程度の考えからだ。
時刻は昼下がりといった頃。今の時間は、冒険者の行き来が一番少ない時間帯の一つだった。日帰りで潜るのも、遠征するにしても、大体は朝早くからダンジョンに入る。そして、帰ってくるのは大抵夕方だ。今の時間にいるのは、不慮の事故で戻らざるを得なかった者と、あとはアイズと同じく暇を持て余した冒険者だ。
ふらふらと歩いて、人が少ない場所にたどり着く。今は、そう。クエストボードの真正面というところだった。
彼女と同じように、幾人かがボードを眺めている。依頼を精査する、というよりは、単なる冷やかしに見えた。まあその点に関しては、自分も似たようなものなのだから何を言うのも不適格だろうが。
「おや、アイズ氏」
他の冒険者に溶け込むように眺めていると、ふと声をかけられる。
振り返ると、ギルドの男性職員が立っていた。顔は知っている。が、名前は知らない。その程度の関係でしかないということだが。
アイズは体ごと振り向いて、小さく頭を下げた。
「こんにちは」
「依頼を受けに来た……という訳でもなさそうですな」
言った彼の視線は、腰に向いていた。
ただでさえ私服な上、今日は武器も持っていない。まあ、そう判断するのは当然だろう。
「クエストの確認ですか。まあ、クエストは基本水物ですからな」
職員はなんだか納得顔で、うんうんと頷いた。そして、アイズから視線を外して、ボードの方へ向く。
つられて、という訳でもないが、彼女も同じようにした。
ボードに貼られるクエストは、極めて即効性を求められるか、じゃなければ無期限で塩漬けになっているかのどちらかだ。後は、何のつもりだかわからないような依頼も何件かあるが。こんなものが張られているのは、受ける意図も不明だが、それでも依頼を却下するほどではないとギルドが判断したからだろう。
と、アイズはボードの片隅にある依頼をなんとなしに見た。依頼はそこそこ昔からあるのか、紙が上からべたべたと張っては剥がされた痕跡がある。ただ、日焼けするほど昔ではない、というのはわかったが。
「気になるクエストでも?」
「いえ……ええと」
なんと答えていいかわからず、口ごもる。
依頼の内容が気になったと言うよりは、その中身があまりにも奇妙だったからだ。
実際、それは変な依頼だった。『急募。魔法使い求む。基本的に魔力を流すのみ。たまに魔法を使ってもらうだけの簡単なお仕事です。ダンジョンに潜ることはありません。昼食あり』と、要約すればそんなところか。後は待遇面やらが、手短にぽつぽつと書いてある。冒険者に依頼を出すならば極めて珍しい、時給制だとも書いてあった。用紙の最後には、アルテミス・ファミリアと依頼主の押印がされている。
「この依頼ですか。なんとも奇妙なものですな」
アイズの視線を追って、職員はつぶやいた。
「難しい依頼だとしか言いようがありませんな。いえ、内容がではないですが。ダンジョンに潜らない依頼をこの場に出すというのは、実際かなり珍しい。それも貴重な魔法使いとあっては、受ける者もまずいないでしょうな」
「そう……ですね」
困ったように眉をひそめる職員に、アイズも一応という風に頷いて見せた。
実際、魔法使いを要求するというのは、かなり難度が高かった。
魔法は、付与魔法や速攻魔法といった短文詠唱魔法であっても、場合によってはレベル差を覆してくれる力がある。長文詠唱の魔法であれば、それこそレベルを2、3上回ってくれさえする切り札だ。加えて、先天的な魔法使いというのは、ほぼエルフに限られる。なので、要求される人材は自然とLv.2以上になるわけだが。
時給は、上級冒険者を雇うにはややささやかだと言うより他なかった。加えて拘束時間もわからないのでは、困窮していても二の足を踏むのは分かる気がした。
「正直なところ、我々としてもクエストとして依頼するよりは、単にバイトを雇う形にした方がまだ人が集まってくると思うのですけどね。依頼主が信用がおけることと、特に問題のある内容という訳でもないので、こちらで掲載させていただいてはいるのですが。これほど長く置かれていると、むしろ断った方が相手のためになったのかも、と思わなくもありません。なにしろそうすれば、いつか魔法使いが来るだろうと思うこともなかったでしょうからな」
アイズをよそに、その職員はつらつらと語った。途中、暇なのかな、と思わなくもなかったが。まあ、今は一番人の少ない時間帯だ。案外本当に暇なのかもしれない。自分のように。
彼女は改めて、依頼を見てみた。それの条件は、はっきり言ってよくはない。まあよくないというだけで、悪いわけでもない。
細かい条件を目で追っていくと、以外と内容がしっかりしていることが分かった。休憩あり、途中で辞めるのも自由。違約金などはなし。少なくとも契約の上では、かなりの裁量が労働者側にあるように見えた。
「あの……」
「ですから、今度の会議にでも一度協議をして――と、しゃべりすぎましたな。申し訳ありません」
「それはかまいませんけど」
言って、アイズはそのクエストを指さした。
「これ、受けます」
「は?」
「ですから、このクエスト、私が受けます」
言うと、職員はしばらく呆然としていたが。やがてびくりとしながら、小さく肩をすくめた。
「いえ、ああ、その……。本当に、お受けになるので? いえ、悪いと言うことではありません。ただ、Lv.5の方が受ける依頼とはとても言えませんから」
「そうですね」
言葉には、特に反論するところもなく肯定する。
実際、上級冒険者が受けるような条件ではない。ましてや第一級冒険者となれば、まあ、考慮するにも馬鹿馬鹿しい内容ではあるだろう。
だが、アイズは微笑んで答えた。実際には、それは無理な作り笑いではあったため、苦笑にしか見えなかったかもしれないが。
「遠征も終わって、暇なので」
「……そうですか。では、そのように手配いたします」
今度は間を置かず、職員はすぐに答えた。
彼はクエスト用紙を剥がすと、そのまま受付カウンターに向かった。そこで用紙を一枚渡され、名前を一筆入れる。それだけで受注は終わった。
「これでクエストは受理されました。いつ頃向かわれますか?」
「今すぐ行きます」
「それではこちらの用紙をお持ちください。二枚目はホームの地図となっております。翌日にはファミリアにも通達があるでしょうが、これで今から訪ねても受付は可能でしょう」
「ありがとうございます」
小さく礼をして、アイズはその場を去って行った。
外に出て、彼女はとりあえず空を見上げた。バベルの中に入ってどれほど経った訳でもないから、太陽の位置は変わらない。それを眺めて、大体の時間を計った。今はおよそ三時手前といったところか。
(行っても大丈夫……かな?)
特に迷惑だと思われる時間ではないように思う。
まあ、行ってだめならだめでホームに帰ればいいだけだ。どうせ何もすることがないのだから、行くだけ行っといても損はない。依頼がただの散歩になるだけだ。
大抵の中小ファミリアはそうなのだが、ホームはバベルから遠い。理由は単純で、バベルに近いほど地価が高いからだ。アルテミス・ファミリアも例に漏れず、バベルからは大分遠いようだった。
ほとんど通ったことのない大通りを抜けて、途中から分岐路に入る。ゆっくり歩いたせいもあるだろうが、この頃には体感で四時近くに感じた。
たどり着いたアルテミス・ファミリアは、言ってしまえば普通の小規模ファミリアのホームだった。普通の一軒家を、多少無理して増築したような、そんな形状。特殊な点と言えば、増築された部分が宿舎ではなく、石造りの頑丈な倉庫じみている点だろうか。あとは、小さいながら庭があるあたり、多少は裕福なファミリアなのかもしれない。なんにしろ、どこか目を引くようなところがあるわけでもない。
一応用心のために、周囲を一通り観察して。ドアベルを鳴らす。
「はーい」
聞こえてきたのは、どこか静謐な声音だった。声だけからも、どこか品の良さがうかがえる。
ドアが開く。と同時に、青髪の女性が顔を出した。
「アイズ・ヴァレンシュタイン?」
顔を出した女性は、一瞬、呆然としたようにこちらを見上げてきた。
出てきた女性からは神威を感じる。間違いなく女神だ。
「はい」
問われた訳ではないだろうが、とりあえず返事をする。
彼女はしばらくきょとんとしていたが、やがてはっとすると、おほんと咳払いをひとつ咳払いをした。
「すまないね、ちょっと動揺をしてしまった。それで、私のファミリアに何か用かな?」
「あの、依頼を受けてきました……」
言いながら、ギルドで渡された書類を渡す。
最初女神は、やや怪訝そうだったが。書類に目を通して、小さく頷いた。
「うん、確認したよ。しかし君ほどの冒険者が、よくこんな仕事を受けたねえ」
「暇だったので……」
ぼんやりと、そんなことを言うのは今日何度目だろうかと考える。まあ、何度目であろうと、暇であることは変わりない。本当にそうなのだから仕方ない。
アルテミスはにこりと微笑んで――自分の引きつったものとは違う、本物の微笑だ――言った。
「あなたほどの者が来てくれるとはありがたいよ。おーい、トッドー」
言いながら、彼女はぱたぱたと奥へ走って行った。
そこで、何らかのやりとりをしているらしい。それは足下の小石を蹴りながら待つ。もっとも、時間はどれほども待たされはしなかったが。
主神に連れられてやってきたのは男だった。身長は平均くらいだろうか。普通の服の上に、なぜだか白衣などを着ている。衣服は一応整っていたが、所々何の汚れだかが目についた。不摂生の結果ではなく、どうしても落ちない汚れだけが残った。そんな印象だ。目つきははっきりと鋭い。が、それは無愛想だというより、目の下の隈からただの疲労のように思えた。やや猫背で、短い髪が荒れている。
彼は、手を濡れたタオルで拭いているところだった。一通り手を拭うと、タオルはそこらへ投げ捨てる。アルテミスが「もう!」と頬を膨らませながら、それを回収していた。彼は、それに「わりぃ」と小さく答えていた。
改めてアイズに向き返り、そして手を差し出してくる。
「アルテミス・ファミリアの団長、トッド・ノートです。このたびは依頼を受けていただきありがとうございます」
「いえ……あの……アイズ・ヴァレンシュタインです」
こう格式張って言われると、どう答えていいか分からず、しどろもどろになりながら。それでも手だけは握り返した。
「それじゃ仕事の説明と……いや、それよりも実際にやってもらった方が早いか。中にどうぞ」
「あ、はい」
案内されるがままに、アイズは入室して。
この出会いが、後に歴史を大きく変えるとは、まだ誰も思っていなかった。