ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
「おいおいマジかよ」
わぁっ、と会場は沸いていた。
アイズ対オッタルの試合。この状況に周囲は盛り上がっていたが、同時にどこか冷めてもいた。どうあがいたところで、アイズがオッタルと勝負になるとは誰も思っていなかったのだ。Lv.5とはいえせいぜい上位でしかないアイズと、頂点たるLv.7のオッタルとでは、それだけ大きな差がある。
それはロキとて同じだった。アイズたっての願いとあって、試合は許可したが。勝負と言えるほどのものになるとは思っていなかった。
蓋を開けてみれば、下馬評は大きく崩された。
正体不明の移動術と遠距離攻撃、オッタルの足下にさしかかる身体能力で、戦いと言えるものになっていた。
「ほんまかいな」
「ええ、これにはさすがに私も驚いたわ」
ぽつりとした、ロキの独り言に。フレイヤが返してくる。
オッタルがアイズを舐めていないのは、最初の時点で分かっていたが。今はもう、手加減すらしていない。
アイズが体の動きを最小限以下に、まるで消えるかのように体を動かす。すれ違いざま剣で連撃を入れるものの、それは防がれる。しかし、完璧でもなかった。たかだか薄皮一枚、されど薄皮一枚、オッタルが対処しきれない速度と威力で確実に当てている。
ダメージこそアイズの方が積み重なっているだろう。しかし、全く通じていない訳でもない。これはかなり重要な事だった。レベルの差を恐ろしく縮めている。
しばらく両者の攻防が入れ替わる。アイズが動であり柔、オッタルが静であり剛で。戦いのやりとりは、かなり離れたこの位置まで届いていた。金属がこすれ、すれ違う、ともすれば耳鳴りにも聞こえる音。それが連続して届く。
しかし。
この中で、ロキだけが気づいていた。アイズは本気で戦っているが、まだ全力ではない。彼女は魔法を使っているようで、まだ使っていないのだ。
ロキは、ぞわりと背筋が泡立つのを感じた。手が震え、笑みが漏れる。
(こんなになるもんなんか?)
その凶暴ともとれる笑いを見た者はいない。いや、フレイヤくらいは気がついているかもしれないが、どうでもいい。ただロキは、感情があふれるままにそれらを注目し、ただただ歓喜に震えた。
(当代最高クラスの剣士と、歴史に残るレベルの天才、これらが組み合わさったら、ここまでなるもんなんか?)
その問いに、回答を出せる者はいない。しかし、その結果の一つが、目の前にある。
アイズが研究成果の何かを隠すことに、不満がなかったわけではない。むしろ大いに不満だった。しかし今は、それももう吹き飛んでいた。こんな力を発揮できるならば、確かに秘密にして、大々的に発表したくもなる。
アイズとオッタルの距離が開いた。その間、何かを話している様子だったが、さすがにここまでは聞こえない。
が、次の瞬間。
アイズの背中から、羽が生えた。半透明の膜の中に、雷光が煌めく。ばちばちと何かを弾くような音が、ここまで聞こえてきた。周囲のどよめきは、一層大きくなった。
「まさか、今まで魔法を使ってなかったのか!?」
「それであの強さだったのか……!」
「くそっ、あの剣は一体どんな武器なんだ?」
「うおおおお! すげえええ!」
アイズが剣を構える。見えたのはそこまでだった。彼女の姿がかき消えた。それは戦闘の挙動だったのだろう、証明するように、オッタルの胸元から血が吹き出てきた。すんでの所で対処したのか、深手ではなかったが。それでも、オッタルほどの存在が対処しきれなかったという事実は大きい。
どよめきは爆発になった。
レベル差の短縮ではなく、レベル差の超越。それは、かつて無数の人間が挑み、そして失敗した事の一つなのだから。
アイズはオッタルの背後に陣取っていた。地面に立ってはいない。背中の羽をはためかせ、宙に浮いている。
「飛んでるぞ!」
「そんなことまでできるのか!?」
「くそぉ! トッドもアイズも化け物かよ!」
魔法の発動、それを機にして、攻防は入れ替わった。今までオッタルが優勢だったのが、アイズの攻勢に入れ替わる。
アイズは高速で空を飛び回り、オッタルに一撃を与え続けていた。時にはヒットアンドアウェイで、時には真正面から連撃を与えて。山ほども攻撃を積み重ねて、勝勢を維持している。尋常ではない力だ。
オッタルとて無策ではない。アイズの戦法に即座に対応し、防御を主としたカウンターに注力している。しかし、それでも足りない。速度の差が、それほどまでに大きな影響を与えていた。
アイズの速度は、もはや視認できるレベルではなくなっていた。残映すら捉えるのが難しい。背中から発生するプラズマのおかげで、その軌跡だけはなんとか捉えられるが、その程度の話だ。いや、むしろ速度は上がっているようにすら思える。実践で力を試し、武器とのかみ合わせをどんどんよくしている様に見える。
少女が空を飛んだ状態で、距離を空けた。今まで見えなかった姿が、やっと捉えられる。そして、彼女は剣を高く振り上げた。そこから延びるようにして、空気が歪む。振り下ろすと、空気の層はしなるようにして、大男に襲いかかった。空気の鞭だろうか。圧縮空気は荒れ狂い、乱れて、軌道が読みづらい。時には接触する瞬間に跳ねて、向きを変えたりまでしていた。これは、対応しているオッタルを褒めるべきだろう。
アイズはまるで遊んでいるようにも見えた。ふざけている、という訳ではない。最高の武器を手に入れて、なんでもかんでも試したくなっているのだろう。
オッタルは駆け回り、なるべく攻撃方向を一つに絞らせようとしていた。それが無駄だとまでは言うつもりはない。しかし、アイズの速度の冴えはそれ以上だった。風の翼を得たアイズの速度は、すでにオッタルが対応できる能力を超えている。
飛んでいたアイズが、地面に降りた。精神力の節約か、あるいは舐めているのか? 誰もが思った。しかし、違った。踏み込みと翼との連動で、彼女はまた一つ速度を上げたのだ。
アイズとオッタルが正面衝突した。互いに振り上げた剣をたたき合わせ、衝撃波が生まれる。その空圧は、かなり遠くで観戦している者たちまで届いた。砂が風に煽られ、ロキは思わず手で目を覆った。
一瞬でも見逃せる戦いではない。それは分かっていた。砂利を振り払うように手を振って、戦場を見直してみると。アイズとオッタルがつばぜり合いをしていた。
そう、つばぜり合いだ。速度で優位に立っても、力はやはりオッタルが上。その既成概念を覆した。翼の推力を得て、凌駕とまでは言わないまでも、オッタルに力で対抗できるまでにパワーアップしている。
「ええでアイズたん! 行け! 行けるとこまで行くんや!」
ロキはいつの間にか立ち上がり、叫んでいた。
見てみたい。Lv.5がLv.7を超えるところを。アイズがオッタルを超える所を。強さを求めた少女が、最強を超える所を見てみたい!
近くで、がたんと音がした。椅子が蹴飛ばされる音だった。
「負けてはだめよ、オッタル!」
見れば、フレイヤも思わず立ち上がったところだった。音が鳴ったのは、立ち上がった際に椅子を蹴倒しかけた所だったからだろう。彼女が焦るほどに、この戦いは接戦だと言うことだ。
声援に、オッタルが応えたのかどうかまでは分からない。ただ、口を大きく開けて、絶叫している様子ではあった。
次の瞬間、ただでさえ巨漢である男の体が、一回り盛り上がった。拮抗していた秤は傾き、アイズが弾き飛ばされる。オッタルのスキルであるのだろうか。何か聞いたことがある気がする、とロキは思った。しかし今は、そんなものを思い出す間も惜しい。
アイズは相変わらず地上戦だ。しかし、今度は力で対抗しようなどとはしなかった。超高速で攪乱し、走り続ける。駆けた跡が、発生したプラズマにより地表を削っている。ただでさえ、異様な速度で捲られた地面の跡をだ。
両者は再び互角の状態になった。速度で勝るアイズだが、致命撃を与えるには、オッタルのパワーと反応速度が許さない。が、それはオッタルから見ても同じ事で、いくら力と行動予測で対応しようとも、アイズがそれ以上の速度で動き、一撃を与えさせない。
戦場はどんどんと広くなっていった。オッタルがパワーアップしたことで、アイズの飛び回る範囲が広くなったのだ。審判などさせられているハシャーナが、頭を抱えて遠くへと逃げているのが、視界の端に写った。
アイズが地を焼く速度ならば、オッタルは地を削るパワーだ。ただでさえ一撃一撃が強烈なのに加えて、今は
両者が蓄積した疲労は、かなりのものだろう。戦闘時間で言えば、さほどではない。が、互いに限界を超えた行動をしている。
拮抗していたバランスが崩れる。
オッタルの一撃が、アイズの胸を打ったのだ。
ロキは思わず、悲鳴を上げそうになった。それでもなんとかこらえたのは、アイズが出血をしていない事だった。一撃は確かに胸元をえぐったが、しかし浅い。ライトアーマーだけを寸断し、半分に裂かれた鎧が宙を舞って、転がるのが見えた。
この結果が、偶然であるはずがない。オッタルが、アイズの速度と技量に対応し始めた。アイズの成長速度を、オッタルの経験と対応速度が上回った結果だ。それを一番痛切に感じているのは、他ならぬアイズだろう。遠目からでも、歯噛みしているのが分かる。
アイズは距離を置いた。今までよりも、遠く、広く。
剣を構えた。かと思えば、体にねじ込むようにして、思い切り引き絞っていた。右足を大きく引き、体を縮めて。まるで引き絞った弓のようだ。
再度魔法を唱えたのだろう。翼は、もはや空気の塊とは言えなくなっていた。圧縮されすぎた空気がプラズマを生み、内部が雷撃だけで埋め尽くされる。雷が走ったのは翼だけではなく、剣もそうだった。最初は渦巻くようにして刀身に集まっていた風が、やがて剣身すら歪ませる。それは一瞬だけで、やがて剣すらもが雷光を迸らせ始めた。極度に圧縮されているのか、プラズマが剣の外まで飛び出すことはない。その代わりに、刀身そのものを埋め尽くすようにして、やがてプラズマそのものが剣になった。
アイズ必殺の一撃、リル・ラファーガである事は疑いようがない。
対してオッタルは、大上段に剣を構えた。そして、何かをぶつぶつとつぶやいている。魔法の詠唱だろう。それがどんな効果かまでは分からないが、ここまで力を振り絞っているアイズに対抗しようというのだ。尋常でない事だけは確かだろう。
瞬間、ロキの胸に浮かんだのは。今までの高揚が凍り付き、生まれ出た恐怖だった。互いに、後先などない一撃を放とうとしている。己の身を賭して。
「審判! 止めえや――」
「はやく辞めさせなさい――」
ロキとフレイヤの絶叫は、同時だった。が、それは遅すぎた。
アイズが音をも置き去りにする速度で、突撃する。もはやそこに彼女の姿はなく、雷の槍だった。暴風が地面すら揺らがし、焼かれ、黒い焦熱の跡を残している。
対抗したオッタルは、しかしまだ動かなかった。限界まで引きつけて、その刺突に合わせる。唱え終えた魔法は、剣に収束され、魔力の陽炎すら生み出していた。
接触――
瞬間、大爆発が起きた。瀑布が地面を削り、観客を吹き飛ばす。特別にしつらえたとはいえ、所詮仮組みの土台だ。それすらも崩すほど、膨大な乱流の衝撃波。爆裂した必殺同士の一撃は、それこそオラリオの外壁まで削るほどだった。
それから、何秒か、何十秒かの時間がたって。やっと余波が収まって、ぽつぽつと顔を上げる者が出てきた。
ロキは頭を打って、最初は朦朧としていたが。やがて意識をはっきりさせて、がばっと起き上がる。
「アイズたん!」
「オッタル!」
ほとんど同時に、フレイヤも身を起こす。
その先にあったのは。
迎撃したオッタルが、その場で倒れている。その背後、大分離れたところで、アイズもぐったりと、意識を失って身を伏せていた。
「試合終了! 勝負は引き分けだ! 救護班早く!」
最前線で衝撃を食らったはずだが、さすがはLv.4でもあるハシャーナ。いち早く復帰し、指示を出していた。
準備をしていた救護班は、ぼろぼろの姿のまま駆けだした。ともに倒れ伏すオッタルとアイズ、両方に駆け寄って、両者を確認する。
たったそれだけの時間が、ロキには何時間にも感じた。もしかしたら。このままアイズが死んでしまうのではないか。そんな恐怖が、心臓を締め上げる。もしそうなったら、いくら悔いても悔やみきれない。
ばくばくと鼓動する心臓を締め上げるように、胸元を掴んで。やがて、ばっと救護班の顔が上がるのを確認する。
「アイズ氏、無事です!」
「オッタル氏、同じく!」
「は――」
声が上がって、やっとロキは胸元を使む手を離した。予想以上に強く掴んでいたようで、胸部まわりがうっ血している。しかし、そんなことはどうでもいい。
へたり込むようにして、瓦礫の上に座り込む。
「はああああぁぁぁ……よかったぁ」
「心臓に悪いわ、全く」
つぶやくように言って。さっきから同じ事ばかりを言っていたフレイヤと、思わず視線を合わせる。
二人してきょとんと、しばらくそうしあって。やがて、けたけたと笑い始めた。自分でも何がおかしいのか分からない。それでも、とにかく笑いが止まらなかった。
近くで、がさりと音がした。
そちらを確認してみる。と、そこにはぼろぼろの姿になったトッドがいた。いつもの白衣は、今はどこと言わずとも土にまみれている。どこかに引っかけたのだろうか、一部が破けている、かなり無残な姿だった。
もはや崩壊した特別席に、彼が上がってくる。どうやら、ひっくり返ったアルテミスを看に来たようだ。
「アルテミス様、アルテミス様」
ぺちぺちと頬を叩くが、反応はない。完全に気絶しているようだ。が、何をしても起きないので、やがて諦めてその場に体を横たえ直した。
「まあいいか」
「お前んとこの主神やろ。それでええんかい」
「いいですよ。息はあるから生きてるし。まあたんこぶくらいはできてるかもしれませんが」
言って、今度は戦場だった方を確認して。
「どうやら二人とも生きてるようですね」
「せやな。まあ一安心や」
「手足がちぎれ飛んでるような様子もないし。結果よければとは言いたくはないけどね」
「さすがに死人が出たらしゃれにならないですからね。予定よりかなり激しく戦ってくれたみたいだし」
怒ったのか、とロキは思ったが。彼の語調も、そして表情も変化した様子はない。本当に、ただ安心しただけらしい。
「まあこれで、最後の仕上げができる」
(仕上げ?)
疑問に思ったが、それを口にするより早くトッドは動いていた。どこに隠していたのか、メガホンなど持ち出しつつ。足場の悪い瓦礫と化した、元特別席で、なんとかバランスをとって立ちながら。
戦場を背後にして――つまり観客に向けて、大声を張り上げた。
「諸君、今の戦いは見てもらえたと思う」
未だ戦いと、物理的な衝撃でざわめいていた会場が、いくらか時間をかけて静かになる。それを確認して、彼は続けた。
「今、アイズ・ヴァレンシュタインが使っていた剣は、俺が想定した最終形、完成形だ」
言葉に、いったん静かになった会場が、再びざわめきを取り戻す。周囲の者と話し合うなり、胸のざわめきを抱えるなり、それぞれだが。ロキも、同じような心境だった。
「ひたすらに堅固であり、所持者の力を飛躍的に高めてくれて、なにより魔法より強力な権能を持つ。それが俺の開発した
ざわめきは、さらに大きくなった。それこそ、トッドの声が聞こえなくなるのではないかと言うほどに。
気持ちは分かる、とロキは思った。同時に、感じてもいた。歴史が動く瞬間。その先駆け。
「分かっているものはもう分かっているだろう。これは決して壊れず、魔法以上の力を発動できる武器だ。はっきり言おう、俺の作り出した研究成果は今、魔剣を過去のものにした事を証明した!」
その興奮には、おそらく覚えがあった。過去にラキアが魔剣を手に入れたときのそれだ。しかも、今回は限られた者だけが作れるといった類いのものではない。
トッドは特別な恩恵をもらっていない。ステイタスで言えば、良くも悪くも平凡なものだ。ステイタスそのものは、Lv.3にしては高めといったところだが。それすら、特筆すべき所ではない。
つまりは、この武器は、作ろうと思えば誰でも作れるのだ。腕さえ届けば、の話だが。それも、将来的には分からない。
彼はさらに声を張り上げて、宣言した。
「これからは
わっと、歓声が沸いた。
それはアイズとオッタルの戦いへの賞賛でもあり、未来への希望でもあった。
いくら技術を磨こうとも、強くなろうとあがこうとも、レベルの差は覆せない。覆せなかった。しかし、今それが変わった。時代が変わる。冒険者の在り方の分岐点が、今確かに生まれた。
会場は、もはや狂乱とも言える状態だった。誰もが、その辺にあるものを投げて喜んでいる。自分が何をしているのかすら分かっていない者もいるだろう。
「こういう事があるから、下界はやめられん」
「そうね。全く、その通りだわ」
ロキとフレイヤ、互いが互いを見合いながら、つぶやいた。眷属が生きていたという安心感もある。が、それ以上に、やはりこの狂乱が楽しくて仕方がない。
本当の時代の節目は、
まだまだだ。
下界はまだまだ楽しくなる。これからもっと。いや、さらに加速して。変わらないはずだったものを、無理矢理ねじ曲げて加速する。
伝説の始まる瞬間を目撃して、ロキにもう胸の焦燥などなかった。ただただ、胸が躍るままに、この時に身を任せた。