ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
オラリオの裏通りを、小さな影がスキップをしながら歩いていた。
子供くらいの身長だが、胸は不釣り合いに大きい。長い髪はツインテールにしてくくっている。白一色の一張羅で、腕にはなぜだか青い紐を通している。
オラリオという街は、決して治安がいい街ではない。というか、きっぱりと悪い。司法制度はほぼ機能していないと言ってよく、いくらかのファミリアによる自浄作用だけが治安を守っている。冒険者と言えば聞こえはいいが、所詮はただの荒くれ者だ。そんな人間が跋扈し、治安維持まで行っているのだから、よくなるわけもなかった。
とはいえ、である。いくら少女一人が無防備に路地裏を通っているからと言って、さすがに神まで無差別に襲う者もいなかった。
そう、少女は神だった。竈の女神、ヘスティア。それが少女の正体だった。
真っ当な感性を持った親なら一人で歩かせないような道でもなんのその、機嫌良くステップを踏みながら、彼女は進んでいく。
危険な通りを抜けて、中小ファミリアのホームが乱立する場所までたどり着いた。そこまでたどり着けば、さすがに無体を働く者もいない……が、まあもとより少女には関係のない事でもある。
行き先は決まっていた。ファミリアが並ぶ中でも、一風変わった建築様式の一棟。アルテミス・ファミリアのホームだ。
ノックもそこそこに、ヘスティアはドアを開けた。
「やーあ、アッルテッミスー! 遊びにきたよー!」
「いらっしゃい、ヘスティア」
急な訪ねに、しかしアルテミスもにこにことしながら快く迎え入れた。
ヘスティアは、下界新参者の中の一柱だ。最近降りてきて、しばらく神友であり、大規模ファミリアの運営者でもあるヘファイストスのところで居候をしていた。しかしいつまでもそんなことをしているものだから、彼女の怒りに触れてホームをたたき出されてしまった。曰く、少しは下界で苦労でもしてきなさい、と。
という訳で、今はほとんど廃墟になった教会に一人住んでいるのだが。たまに寂しくなって、こうして同じく神友であるアルテミスの所にお邪魔していた。
彼女のホームへ居候になろうと思えばできただろう。規模こそ弱小であるが、アルテミスのファミリアは、今では知らぬ者などいない超有名ファミリアなのだ。当然のごとく金も有り余るほどある。それでも居着かなかったのは、主神一柱眷属一人のホームに上がり込むのは気が引けたのと、さすがにヘファイストスに怒られて反省した、というのがある。
「ちょうどお茶を入れた所なんだ。さあ、入ってくれ」
「わーい♪」
が、まあちょくちょくというか、かなり高い頻度で尋ねてもいる。反省はしているのだ、一応、本当に一応は。
「おや、ヘスティア様。いらっしゃい」
「やあトッド君。今日も精が出るねえ」
ちょうど通りかかった、唯一の眷属に挨拶をされ、彼女も返す。頭は下げられなかったのは、彼が大荷物を抱えて移動している所だったからだ。
「何もない所ですがゆっくりしていってください。俺はあまりアルテミス様の相手をできないので、感謝していますよ」
「ボクもそう言ってもらえるとありがたいよ」
人当たりのいい笑顔を浮かべる男に、ヘスティアもにっこりと返した。
彼は急いでいたのか、そのまま奥へと引っ込んでしまう。確か奥は、かなり堅固な作りの研究室だったか。一度興味を持って、のぞかせてもらったことはあったが。何をしているのか全く分からず、それ以降向かったことはない。さらに奥は倉庫らしいが、それもまあ、興味の埒外だった。
「トッド君は相変わらずいい子だねえ」
「うーん」
言うヘスティアに、しかしアルテミスは困ったようにうなった。
「確かにいい子ではあるんだけどね。あんなに愛想いい相手って実は珍しいんだ。彼は何というか、人見知りと言うより、身内とそれ以外をきっぱりと隔てるタイプでね。人によって対応の温度差が激しくて、ちょっと困ってる」
「へえ、とてもそうは見えないけどね。ここに来る子にはいつも歓迎ムードだし」
「そりゃあ、わざわざホームにまで来る人にはね」
あくまで困り顔のアルテミス。まあ、ファミリアを運営するとなれば、それなりの苦労もあるのだろう。その程度に思っておく。
リビングに案内されると、彼女はちょうどお茶をしている所だったらしい。奥からティーカップのセットをもう一つ取り出し、ヘスティアの前に置いた。
とりあえず紅茶を一口すすって、なんとなしにホームの中を眺める。どこか特別なところがあるわけでもない、ごく普通の家だ。冒険に必要なものは奥の倉庫に詰まっているらしいから、なおさら一般家庭のそれと大差ない。あえて言えば、二人で住むと考えると、ちょっと寒々しいといった所だろうか。
「そういえば、アルテミスは眷属を増やさないのかい? これだけ有名なら、希望者なんていくらでもいそうなんだけど」
「うーん、それが、条件が結構厳しいというか、局所的というかでね。あまり合致する人がいないんだよ」
うなりながら、これは多少というよりは、本当に困ったように顔を顰めている。
「うちのファミリアは、分類上だと研究ファミリアになるんだ。一応商業系や生産系の真似事もしてるけど、一番はそこなんだよね。でも、オラリオに来る人は基本的に冒険者志望だろう? 極端に言ってしまうと、研究には
「ふーん。なんだかよく分からないけど大変だねえ」
「ヘスティアの方こそ、眷属はどうなってるんだい?」
問われて、彼女はしょんぼりしながら答えた。
「勧誘してはいるんだよ。それでも、大抵はすでにどこかに所属してるんだよね。たまに見つける新人も、わざわざ眷属ゼロの零細ファミリア未満には来てくれないって具合さ」
「そうなんだ……やっぱり眷属集めって大変だね」
「ねー」
と、和やかに話を進める。
会話の中で、ヘスティアが意図的に秘した事はあった。それはつまり、アルテミスファミリアが探索系ファミリアとして大々的に人を集めれば、引く手数多だろう、という事だ。
アルテミスがかつて運営していたファミリアは、まさにそうだった。そして、壊滅した。
当時まだ下界に降りていないヘスティアだったが、我が子が皆死んでしまった彼女が慟哭したのは想像に難くない。そして、死亡率が高い探索系ファミリアとして立ち上げるのは半ばトラウマになっているであろう、という事も。
神友の、一番心の柔らかい所に、わざわざ触れることはない。ヘスティアなりの気の使い方だった。
ヘスティアは気分を変えるように、ぐっと拳を握った。そして、力こぶを作るように(ぜんぜんできていなかったが)むん、と腕に力を込める。
「でも、ボクは諦めないぞ! かならずいい子を眷属にしてみせるぜ!」
「うん、頑張って」
ぱちぱちと拍手をするアルテミス。挙動はどこか力ない。それは、必ずしも、彼女が探索系ファミリアを作ることに対する不安だけではないだろうと思っていた。
ヘスティアがアルテミスと下界で出会って、いくらか経過した頃に分かったことだが。彼女の神としての気配が、どうにも薄かった。神の中には、神の力の気配をゼロにできる者もいると言うのだが(ヘスティアはそんな神に会ったことがないが)。彼女のそれとは、また違った気がした。こればかりは、深く聞いてもはぐらかされるので、ヘスティアはそのうち、そういうこともあるのだろうという程度で納得したが。
そのまま、いくらか雑談をしていると。ドアがノックされた。アルテミスは立って、ドアにまで向かっていく。
「はい、どうぞ」
「こんにちは、アルテミス様」
「来ちゃいました……」
訪ねてきたのは、アイズとレフィーヤだった。
部屋を案内されてくると、二人はヘスティアに気がついた。
「やあ二人とも、先にお邪魔してるよ」
「あら、こんにちはヘスティア様」
「お久しぶりです」
ぺこり、と二人は挨拶をして、テーブルに座った。
アルテミスはさらにティーカップのセットを二つ出し、さらにお茶も入れ替えて、二人のために振る舞った。
アルテミス・ファミリアは、訪ねてくる人間こそ固定されているものの、その頻度はかなり高い。そのため、椅子や食器といった調度品は、二人暮らしとは思えないほどに多かった。ヘスティアや今の二人はもとより、ミアハ・ファミリアやタケミカヅチ・ファミリアの人間もそこそこ訪ねてくる事を知っている。まあそれ以外にも、
「今日はお仕事お休みですか?」
「うん。だから久しぶりに、昼間に遊びに来られたわけさ」
「毎日……大変ですね」
アイズとレフィーヤは、ともにいい子だった。なので、すぐに仲がよくなった。といっても、同席した事はあまりない。
彼女ら二人は、以前クエストで毎日のように訪ねてきていた、と聞いた。現在はクエストも終了し、訪ねる理由もなくなっているのだが。それでも、なんだかんだ縁ができたからか、たまに訪れてはいるらしい。
出会う頻度が少ないのは、主に訪ねる時間が原因だった。ヘスティアは仕事が終えてから来る事が多いため、だいたい夕方から夜来る事が多い。それに対し、彼女らが主に訪ねるのは昼ごろだ。そのため、遭遇するのは珍しかった。
唯一の難点と言えば、彼女らがあのいけ好かないロキ・ファミリアの人間という事だが。まあそれを理由に、差別をするような神格ではない。余談だが、彼女らに自分の所へ
ととと、と音を鳴らして、アルテミスが戻ってくる。お盆にのせたティーカップのセットを二人の前に置いて、それぞれお茶をついだ。
アルテミスは席に着き直し、アイズとレフィーヤに聞いてみる。
「君たちの
反応は対照的だった。アイズは自信満々に、レフィーヤは何か思うところがありげに。
「
「私の
アルテミスは小さく頷きながら、神らしく導くように言った。
「トッドの作るものに悪いものはない。少しずつでも解き明かして、自分の経験と力にしていくといい」
アルテミスがふふ……と笑った。ヘスティアもつられて、小さく笑う。
下界の子の成長は早い。そして、底なしだ。彼らは懊悩し、悔やみ、時には後ろも向く。しかしそれでも、最終的には進むのだ。その姿を見るのは、神最大の楽しみだった。
それから暫く、他愛のない話をしていたが。急に、奥から絶叫が聞こえた。
「あああああぁぁぁ!」
次いで、がっしゃんがっしゃんと何かが崩れる音がする。さすがにそれ以上――つまり研究資材を壊すような――音は聞こえなかったが。
「トッドが壊れたねえ」
「はい」
「いつもより、激しい」
「たまに壊れるねえ、トッド君は」
四人とも慣れたもので、その音を聞き流す。
トッドは優秀な研究者だ。実際、当代最高の研究者と言ってもいいだろう。が、それは彼が迷わないという事を示してはいない。むしろ、彼こそがもっとも苦悩の中にいると言っても過言ではない。
まあつまり、割としょっちゅう研究に行き詰まるのだ。そうするとどうなるかと言うと、まあ聞いたとおりに壊れる訳だが。今日の崩壊は、むしろいつもよりいくらか早いと言ってもいいくらいだ。普段であれば、もうちょっとだけ時間がかかる。
いったん音が落ち着く。と、彼は大股で奥から出てきた。白衣は着ていない。多分、研究室に投げ捨てたのだろう。
部屋に入ってくるなり、彼はそのまま、家の規模からしたらかなり大型なキッチンに引っ込んだ。それを見て、全員が思った。ああ、今日の研究は終わりだな。
「今日の夕飯はおいしくなりそうだねえ」
アルテミスがとろけた顔で言う。それを見て、アイズとレフィーヤは羨ましそうにしていた。
「いいなあ……」
「私たちは夕食前にホームへ帰らなきゃですからね」
二人とも、トッドの料理が異様に上手な事を知っている。
彼曰く、研究は仕事、料理は趣味らしい。元が凝り性であるからか、料理は訳が分からないレベルでおいしかった。そして、研究が早めに行き詰まると、料理をする時間が長くなる。つまりそれだけ手の込んだものが多くなり、結果味も上がるのだ。
「ヘスティアは食べていくだろう? トッドも多分そのつもりで作ってるよ」
「いいのかい? それじゃあご相伴にあずかろうかな!」
「いいなあ……」
と、再びアイズ。彼女はかなり本気で羨ましそうにしていた。
ロキ・ファミリアの食堂で出る料理が、まずいわけがないだろう。何しろあれだけ大きなファミリアだ。料理人だって相応の人間がいるに決まっている。だが、それでもやはり、トッドにはかなわないみたいだ。
ロキ・ファミリアのそれよりおいしい。その事実に、ヘスティアは特に意味のない優越感を味わっていた。悪い神格ではないが、小物ではある。
日も暮れ始めると、アイズとレフィーヤは帰って行った。
それから暫くして、トッドが厨房から顔を出す。
「ヘスティア様、今日は何かリクエストはありますか?」
食べていく事を全く疑わない口調だ。
ヘスティアも当然のように返す。
「なんでもいいさ! トッド君のご飯はどれも絶品だからね!」
「了解です」
言うと、また厨房へと消えていく。
ちなみに、ヘスティアは食事をしていくにあたり、金銭を払ったことはない。これは彼女に限った話ではなく、誰でもそうだが。
以前、ヘスティアは言ったことがある。さすがにこれだけのものを食べさせてもらって、お金を払わないのは悪い。せめて材料費だけでも納めさせてくれないか、と。
その時、彼は、
「俺の料理は人に振る舞うためのものです。けして金銭を対価に要求するものではありません。俺の気持ちをくむのでしたら、なおさらお金など払おうとしないでください」
と、断固とした口調で言われた。それは、嘘を見抜くまでもない、頑ななものだった。
以来、彼女は彼に対してその手の話をしたことがない。すれば失礼だからだ。
日も完全に暮れた頃だろう。トッドの料理は完成し、広いテーブルに並べられた。ヘスティアは、それを小躍りしながら眺めていた。
「アルテミス様、ヘスティア様、ご希望の食前酒などはありますか?」
「トッドに任せるよ」
「ボクも」
そう言われると思っていたのだろう。彼の手には、すでに酒瓶がもたれていた。これも、トッドが作ったものである。
彼は凝るものにはとことん凝る。逆に、興味を持たないものにもとことんということになるが。とにかく、その酒もトッドが作ったものだ。
彼は、どこだかかの土地を借りて、酒造場を作ったらしい。そこは彼の研究成果がふんだんに使われており、常に最高品質の酒ができる。造った酒は瓶詰めし、ホームに持ち帰っていた。そして(勝手に)地下を作り、そのセラーで超高速熟成までさせてるとか。細かいことはヘスティアには分からなかったが、彼の料理と同じく、酒も最高の味だという事だけは知っていた。
「本日の酒は、八百年相当熟成のものです。どうぞ、お召し上がりください」
「わーい!」
「うーん、いい香りだな」
二柱は差し出された酒の香りを楽しんだ。この芳香だけで、すでに味が約束されていると分かる。
一口舐めるように飲んで、それを味わった。少し辛めだが、まろやかさがその棘を感じさせない。飲むと言うよりも、勝手に流れていくような味の深さと飲みやすさだ。
「やっぱりトッド君のお酒は最高だね! 以前ソーマをいただいたけど、ボクはこっちの方が好きさ!」
「ありがとうございます」
彼は恭しいと言えるほどに頭を下げた。
ソーマ。それは、おそらく世界最高の酒だろう。少なくともヘスティアでは(金銭的な意味で)逆立ちしたって手が出ない酒だった。それを飲んだことがあるのは、トッドが仕入れてきたからだ。曰く、世界最高の酒を一度飲んでみたいとのことで。そのときに、ちょうどヘスティアも居合わせたので、飲むことができた。
ソーマはうまかった。が、そのうまさは、殴りつけてくるようなうまさだった。確かに最高の酒と言うだけはあるが、しかしそれは飲み手を全く無視したものだった。トッドはその時「高級食材で作ったジャンクフード」と表現していた。それはうがち過ぎだと思ったが、あながち間違いでもない、とヘスティアは思った。
ともあれ、トッドの酒と料理だ。片方でも、オラリオ最高峰のものだと言えるそれら。ましてや、料理と酒は併せて最高のパフォーマンスを出すように調整されている。間違いなくオラリオで一番おいしい料理だった。
「うんうん、最高だよトッド君!」
「ああ、いつも通りいい味だ」
「どういたしまして。そう言っていただけると、作った甲斐があります」
ちなみに、酒は夕飯時にしか振る舞われない。酒は頭を鈍らせるから、という至極もっともな理由でだ。なので、基本昼しか来ないアイズとレフィーヤは、トッドの酒を飲んだ事はない。
惜しいな、とヘスティアは思う。今度夕飯に招待してあげればいいのに、とも。まあ、彼女たちとてファミリアの事情というものがあるだろう。ほいほい訪ねられないのは残念ではあるが、仕方がない。
ちなみにこの、トッド製の酒造機と熟成機、なぜだか妙に有名だった。酒の味は取り沙汰にされていないのに変だな、とはヘスティアも思ったが。まあ彼も、それらを秘密にしている様子はない。意図的に広めている様子もないが。作るに当たり、ギルドくらいには報告しているだろうから、案外そこから漏れたのかもしれない。
夕食を終えて、食後のお茶を飲む。酒とは違い、こちらはトッド製ではないが。使っている葉はいいものなのだろう、味わいはとてもよかった。
食後の休憩を挟んで、ヘスティアは帰ることにした。特に手持ちもなかったため、身支度は必要ない。
「それじゃあ、またね、アルテミス」
「うん。また来てね、ヘスティア」
別れの挨拶を終えて、彼女は帰路へとついた。自分以外誰もいない、侘しさ漂うホームへ。
ふと、後ろ髪を引かれる。主神一柱に眷属一人の、小さなファミリア。それでも楽しそうだったなと。
「あー、ボクも早く眷属作らなきゃな」
ぐっと大きく伸びをしながら、彼女は自分を叱咤するようにつぶやいた。
ヘスティアに眷属ができるまでは、もう少しの時間が必要そうだった。