ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
ダンジョン51階層、カドモスの泉に、今アイズたちはいた。
道中は楽なものだった。ロキ・ファミリアの組織としてのレベルの高さもあったが、一番大きな理由は、やはり
51階層に降りて、本隊と小分隊二つに分かれ、それぞれカドモスの泉を目指す作戦が実行された。そこには、戦力向上による余裕があったのは無関係ではないだろう。
なんにしろ、パーティーはアイズ、レフィーヤ、ティオネ、ティオナで一つの小隊が作られ、泉を目指したのだが。泉の守護者たるカドモスは、すでに何者かによって討ち取られた後だった。ドロップアイテムであるカドモスの皮膜が放置されていることから、冒険者の仕業ではない事は分かったが。
つまりはイレギュラーだ。
それは滅多にない事とも言えるし、ダンジョンにつきものだとも言える。
ダンジョンは、多くの冒険者によって発掘され尽くしている。毎日無数の冒険者が挑み、そして一つ一つ丹念に、時には被害を出しながら、秘密を暴いていく。今ではモンスター誕生のロジックから、強化種誕生の秘密まで暴かれている。それでも、ダンジョンに挑んで完全となる作戦はない。常にどこかで何か、想定外の事態が起きる。それが冒険というものだった。
カドモスの皮膜と泉の水を回収し、来た道を戻る。途中、ティオネとティオナがイレギュラーについて話し合っていた。それを耳の端で捉えながら、アイズはそっと腰に佩いている剣を撫でた。
(ちょっと頼りない……な)
ぼんやりと思う。
今彼女の腰にあるのは、
作り手には悪いが、それでもデスペラードよりは大分頼りがいがある。一度
イレギュラーが起きるなら、多少無茶をしてでも
悲鳴が、ダンジョンに響いた。
「な、なんなんです!?」
「これ、ラウルの声だよ!」
びくりとして、よりいっそう強く杖を抱えるレフィーヤに、ティオナが叫ぶ。
全員で迷宮を跳ねるようにして、声がする方へ駆けた。
走ってどれほどもせずに、前方にもう一つの分隊が見えた。そこに、フィン、ベート、ガレス、ラウルの四人が見える。内ラウルは意識を失っているのか、ガレスに担がれた状態で、モンスターに追われていた。無数の、芋虫のようなモンスター。フィンがしんがりを務めて、槍で芋虫を慎重に切り裂いている。
「団長!」
「君たちか!」
ティオネが叫び、フィンが答える。
もっとも反応が早かったのはティオナだった。あるいは、もっとも短絡的だったと言えるかもしれない。彼女は巨大な武器を振りかぶって、芋虫にたたき込んだ。
「体液は浴びるな!」
言葉が間に合ったかどうかは分からない。少女は跳ね飛ぶと、武器の重量を生かして敵を両断した。
防御力はさほどではないのか、芋虫は簡単に潰れた。が、それと同時に、体液が体からまき散らされる。回避が間に合わず、ティオナの肌にいくらかの体液がかかった。少女の顔が歪められたのは、間違いなくそれが原因だろう。
「あっつ! いった! なにこれ!」
「ティオナ! 武器を発動しなさいよ!」
「分かってるよー!」
悔しさか、それとも単純な痛みからか。彼女は歯を食いしばると、巨大な双剣を構えた。
「いくよ、
言葉と同時に、彼女の双剣が一回り小さくなった。宝剣の発動にかけ声は必要ないのだが、それでも彼女が声を上げる場面は多い。
双剣から飛び散ったのは、制作者であるトッド曰く『鞘』だ。破片は視認できないほど小さく、宙を漂っている。塵とも言えるほど小さい破片は所持者の意思を反映し舞い散り、時には点が線を結び、面を作る事もある。
つまり、
「よいしょ!」
ティオナはかけ声を上げながら、双剣の一方を突き出した。すると、大量に迫ってきた巨大な芋虫が、見えない壁に激突した。
決して狭いとは言えない通路で、後ろから押しつぶされ、前方の芋虫が潰れる。それでも体液は一滴たりとて通過しなかった。見えない壁は、芋虫の異臭すら遮断し、最強の盾として確かにそこにある。
「こらしょー!」
再びの咆吼。
双剣のもう一方が、線を結ぶ。剣が振られるのと同時に、盾がねじれて、最前線にいる芋虫が潰されていく。しかし、その隙間から這い出てくる事は叶わなかった。ティオナが剣を振ると、距離にして数十メドルもの間隔を、ダンジョンの壁面すら無視して両断する。
その一撃で数十体の芋虫を切り裂いたはずだが。それすらささやかなようで、芋虫はさらに押し寄せてきた。
「げぇーっ、きりがなーい!」
戦っても無為と思ったのか、ティオナは一撃を加えた後、さっさと皆の後を追って走った。
フィンは相変わらず最後尾近くで走り、周囲を警戒しながら言った。
「気をつけてくれよ。このモンスターは倒すと腐食液をまき散らす。ラウルはそれに、武器ごととかされたんだ。トッド製の完璧なものでないとはいえ、
「なら、私の出番でもありますね」
にっと笑って、言ったのはティオネだった。
ぎちり、と音を鳴らして、彼女が両腕を上げた。そこには手甲が収まっている。
ティオネ専用
「おっラぁ!」
凶暴な雄叫びを上げて、彼女は後方に向けて両手を振るった。まるで散弾のように、オーラが飛び散る。
精神力が変換されたオーラは、物理的な干渉力、とりわけ破壊力を持つ。オーラに触れた芋虫は、どれもはじけ飛ぶようにして吹き飛んだ。ただの武器を投げ飛ばしても、このような威力にはならない。まるで炸薬そのものを飛ばしているようだ。ティオネの気性そのものが現れているようにも感じる。
オーラは飛び散らかすだけが能ではない。あらゆる形状に固定して、どんな武器にも変化させられるのだ。それが精神力がなくなるまで続く。猛々しい戦い方と、それを必要とする無数の武器。両者を必要とするティオネにもってこいの武器だった。
ティオネとティオナが多数の敵を潰し、フィンがその穴を埋める。この戦法で、とりあえず退路の不安はなくなったが。ラウルが負傷しているので、本隊と早く合流したいのは変わらない。
これで、背後の不安はとりあえずなくなった。本来ならばアイズも背後に混ざる所だが、敵が前からこないとも限らない。レフィーヤや負傷者を抱えているガレスを守りながら、前線を走っていた。
「全く、トッドの武器は頼りになるのう」
「腐食液をものともしないのはよかった。数十億ヴァリスかけて武器が駄目になったって言うんじゃ、泣くに泣けないしね」
ガレスとフィンが、軽口を叩きながら走る。
「ねえティオネ、あいつら同じモンスターまで襲ってるよ」
「悪食でやあねえ」
こちらも、軽い調子でヒリュテ姉妹。もっとも、やっている事は、口調ほど簡単でもないのだが。
アイズは不安を感じ、漏らした。
「これ……追い込まれてる……?」
「どうやらそのようだね。この先は確か行き止まりだ。そして、最悪な事に悪い予感もする」
「並行詠唱、始めておいた方がいいでしょうか……?」
二人の言葉に、レフィーヤが不安げに問う。フィンはヒリュテ姉妹の猛攻をくぐり抜けてきたモンスターを一刺ししながら答えた。
「頼めるかい? 行き止まりに追い込まれるという事は、敵もそこに集まるという事だ。そこで一気に殲滅する」
「はい!」
レフィーヤがはっきりと答えた。
逃げながらモンスターを引きつける。その速度は、さほど速いものではなかった。この余裕が生まれているのも、トッドという怪物的な天才がいるおかげだ。
袋小路の部屋に入り込む。それと同時に、壁面が割れた。誰かが割ったのではない。勝手に、ひとりでに。
迷宮はモンスターを生む。そして、無数のモンスターを同時に生み出す行為を、
「まったく、嫌な予感はよく当たってくれるよ」
「打ちますか?」
「いいや、もう少し後ろの敵をひきつけたい。待機してまっててくれ」
「はい!」
レフィーヤが返事をする。その間も足はとめなかった。
倒せば爆発し、腐食液をまき散らす弱い敵。それか、51階層にふさわしい強さを持つ敵。どちらの群れが与しやすいと取るかは人によるだろう。アイズたちは、おのおのやりやすいと思った敵に向かいながら、レフィーヤを守っていた。
やがて、通路から出てくるモンスターの数が少なくなってきた頃。フィンは叫んだ。
「今だ!」
「ヒュゼレイド・ファラーリカ!」
発動する魔法が、部屋をまるごとなぎ倒す。ただでさえ特化型魔法使いな上に、
ダンジョンに激震が走る。無数の矢が壁面を食らい、瓦礫の山を作った。その威力たるや、モンスターの攻撃より、余波を気にしなければならないほどだ。
モンスターを一掃し終えて、フィンがふぅ……と息を吐く。が、それも一瞬の事で、すぐに気分を切り替えていた。
「総員、集まれ。すぐにキャンプへ戻るよ」
「え?」
言葉につぶやいたのは、応急処置を終えたラウルだ。
「モンスターの動きがどうもおかしかった。嫌な予感もまだ続いているしね。本隊の方も襲われてない、と思うのは楽観的だろう。皆も、向こうが襲われているという前提で動いてくれ」
言葉で、全員が動き出した。
51階層を抜けて50階層へ戻り、広場に出る。と、遠目からでもはっきりとキャンプが襲われているのが分かった。高台にむけて、無数の芋虫が進軍している。
「リヴェリアがいるからなんともないかも、と思ったが……。どうやら初動で失敗したようだね。僕たちも行くよ!」
「はい!」
「アイズ! 僕をキャンプまで投げてくれ!」
「うん……!
言って、アイズはフィンをキャンプ中央近くまで投げ出した。たった一人到着しただけだが、それでも周囲に歓声が広がったのが分かる。
フィンの
この槍の真価は集団戦で発揮される。一言で言ってしまえば、周囲の人間を無理矢理自分の地位まで――つまりLv.6まで――強制的に向上させられるのだ。当然技量などはそのままだし、同等以上の能力を持っていれば効果はない。それに、急激な身体能力の差に戸惑う事がある。それでも、集団戦で言えば間違いなく最高クラスの武器であった。その上、反転技法まである。周りに自分の力を集めるの逆転で、周りの力を自分一人に集めるというものだ。これにより、フィンは軍勢を率いている数に比例し、自分を強化できる。それこそロキ・ファミリア全体の力を合算すれば、Lv.10すら超える力を発揮した。場合によっては
彼の登場により、キャンプの兵が一気に全員Lv.6相当の力になった。敵の特性上、それで趨勢までは変わらないが、それでも楽にはなっただろう。
「おらァッ! ザコばっか見てんじゃねえよ!」
「ティオナ、思いっきりやんなさい!」
「オーライ!」
「
さらに、アイズら別働隊が遊撃隊を務めて、横から割り込む。これで、幾分か勢いが殺がれたはずだ。
「避けろ!」
フィンの絶叫が響く。同時に、アイズらはモンスターのいない近くの森へと潜り込んでいた。
魔道士部隊の一撃が、炸裂する。芋虫は数が多く、ひしめき合うようにして並んでいた。その姿は脅威であるし、実際ロキ・ファミリアの戦意を大いに殺いでいた。だが、それが致命的にもなった。一列に並んだ敵を直線型攻撃で一纏めになぎ払う。
暫く、敵が再び来ないか警戒して。しかしもう来ないと分かると、アイズたちも本隊に合流した。
そこでは、木箱に座ってしゅんとしたリヴェリアを、フィンが慰めている。
「これは私の失態だ。節約してモンスターを倒そうとなどせず、最初から魔法でなぎ払っていれば……」
「仕方がない、とまでは言えないけどね。今回ばかりは僕も不意を突かれた。責任があると言うなら、僕だってそうだよ」
二人が話しているところに、アイズたちが――つまりロキ・ファミリアの幹部全員が――混ざる。
「それで、どうする……の?」
アイズは、周囲の凄惨な様子を見ながらつぶやいた。
負傷者はかなり多かった。腐食液を浴びてしまった者はかなりの数に及ぶ。不幸中の幸いと言えば、その程度なら再起不能にはならないだろう、という点か。皮膚までは焼けても、肉や骨まで一撃で破壊するほどの威力はない。
さて、どうするか。とでも言うように、フィンは肩をすくめた。
「今回の戦闘で、武器や防具の類いは大半を失った。予備まで含めてね。幸いなのは、主力級が持っている武器は、それらに抵抗力があったから、健在だって点だけど」
「ザコどもはもうほとんど戦えねえぞ」
「言い方は悪いが、そうだね。ポーションの類いも、ほとんど底をついた。
そのときに起きた振動は、まるで言葉に示し合わせたようではあった。
地震が、それも階層そのものを揺るがすような激震が周囲を覆った。土が盛り上がり、弾け、その中から巨大な影が現れる。幅だけにしても十数メドルはありそうな巨躯だ。全高は、もう何十メドルあるか考えるのも馬鹿馬鹿しい。それほど巨大なモンスター。見るだけで生理的嫌悪を呼び覚ますような、気色が悪い形状と色合いをしている。その姿は、先ほどまで悩まされていた芋虫型のモンスターに酷似していた。
これが、芋虫型モンスターの親玉なのだろう。それを疑う者は、この場にいなかった。
フィンはため息をついた。そして、つぶやいた。
「撤退、だね。リヴェリア、頼むよ」
「了解した。撤退するとなれば、もう出し惜しむ理由もない」
二人して、何かを諦めるかのようにかぶりを振る。
わかりやすく絶体絶命の状況だが、それに焦る団員は少なかった。リヴェリアの『解禁』がなされた故だ。
「行け、
リヴェリアが、己の
彼女の背中から、二十もの鏃が飛び出した。それらは高速で飛来し、時に物体に接触し、破壊する。
並行詠唱の本家とも言えるリヴェリアの頭脳を持ってしても、二十本の鏃を自由自在にというのは難しい。が、この宝剣の真価はそこではなかった。
モンスターが鱗粉を放つ。その効果が何かまでは分からない。が、その前にリヴェリアはつぶやいていた。
「『放て』」
瞬時に魔法が発動し、ドーム型の壁が生まれる。鱗粉はどうやら爆発性だったらしく、強烈な音を立てて発破した。ただし、ドームの外で。
これが
さらに言えば、
「これで終わりだ。『放て』」
言って、今度使用された魔法は、レア・ラーヴァテインだった。ただし、広域に火柱を立たせるのではなく、モンスターのいる一点に集中して。火柱一つにしても、そこらの階層主を消滅させるのに足る火力を持つ。それが数十本、集中して放たれた。
巨躯の芋虫型モンスターは、塵一つ残さずに消滅した。
わっと、一般団員から歓声が上がる。それに対し、幹部級は渋い顔だった。とりわけフィンは、今回深層更新を目指していたために、ひときわ苦汁を飲んでいる。
「アイズとレフィーヤが整備中だが、
「扱いに慣れていなかったというのもまずかったな。とりわけ私とフィンの武器は、使いどころを選ぶ」
「それよりもよぉ」
二人に割って入って、ベートが言う。
「俺の
「ベートに同意するわけではないが、確かに早くほしくはあるのう」
「何よ、順番じゃんけんで負けたから後回しになったくせに。しつこいわよ」
「そーだそーだ、負けベートー」
「ンだとぉ!」
「君たちはちょっと静かにしなさい」
放っておけば喧嘩になりそうなベートとヒリュテ姉妹は、とりあえずフィンが止める。
そもそも今のベートと姉妹が戦っても、勝負にすらならない。特殊武装とはいえ未だ通常武器を使っているベートと、
「ごめんなさい……私が時期を間違えて整備に出したばかりに……」
「それについては私も同罪です。すみません……」
「いや、仕方がないよ。宝剣は未だに未知の領域が多い。全部理解してるのはトッド・ノートくらいのものだ。作り出せるのだって、彼だけだしね。整備にどれくらいかかるかなんて分からなくてもしょうがない。あと、ベートとガレスはもうちょっと待ってくれ。今のロキ・ファミリアは本当にお金がないんだ」
それは当然だろう。一本最低でも二十億ヴァリスもする
「今回の件でトッド製以外の
「その点についてはな……むしろアイズとレフィーヤの武器が無料で手に入った事を喜ぶしかあるまい」
「あれは本当に助かったよ」
「いっそ値引き交渉をしてみるとか」
うーん、と悩みながらフィンが言うと、リヴェリアはため息をついた。
「つばを吐き捨てて去って行くのが目に見えるぞ」
「だよねえ」
そこまでするかな、とはアイズは思ったが。
なんにしろ、世間から見るトッドと、アイズとレフィーヤから見るトッドでは、かなり人物像に違いがある。どちらが正しいとは言えないのが、正直な所だった。
あれこれ言い合っている間にも、撤退の準備は進んでいた。
「とりあえず、まあ、帰ろうか」
フィンの落胆した一言で、遠征は本当に、終わりを告げるのだった。