ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
部屋の中に案内されて、アイズは中に踏み入った。
中は、外見から想像できるそのままのものだった。玄関があって、中を申し訳程度に彩る花瓶やら壁立ての絵画やらがあって。あとはまあ、これは当たり前に二人分の生活の気配がある。というか、二人分しかない。主神一人に眷属一人の極小規模ファミリアなのだろうか、と思う。
ほかに幾人か、ダンジョンにこもっている可能性もないわけではないが。調度品を見るに、それとて多くはいないように思えた。
「小規模ファミリアは珍しいかい?」
話しかけられて、アイズはびくりと肩をふるわせた。
見ると、自分より幾分か身長の低い、このファミリアの主神――アルテミスが、口元に手を当てて小さく笑っている。
どう答えていいのか分からず――つまりは失礼のないように――彼女はあわあわと手を振った。
「いえ……そんな……」
「まあ無理もないよ」
アルテミスは特に気分を害した様子もなく、ついでに何やら一人で納得して、うんうんと小さく頷いていた。
「ロキのところと言えば、あのお城だろう? すごいよねえ。私もあんなところに行ったら、多分見て回りたくなると思うんだ。やはり未知というのは興味を引かれる。それこそが私たち神の原動力だしね」
微笑むアルテミスからは、強い気品を感じた。ロキにはないものだ。
アイズの主神であるロキは、よく言えば気さくで、悪く言えば俗世に染まりきっている。そのため、付き合いに緊張を要求されることはない。まあ、セクハラ癖があるので、たまに別の意味で緊張を強要されることはあるが。
(下界に降りてまだ短いの……かな……?)
気品に満ちた微笑み崩さぬアルテミスを見ながら、そんなことを思う。
アイズは、神としての威厳ある神というのに、あまり会ったことがない。下界に降りて失ったと言うよりは、元々そんな気質などなかったのだろう、とはリヴェリアの弁だが。だいたいみんな、遊び足りない、幼い子供のような様子だった。
そういった意味では、アルテミスは非常に稀だと言えた。神らしい神というのは、久しく見ていない。一番近いゴブニュも、彼の神は神らしいというより、頑固な職人気質なのだし。
などとしていると、かつかつと少々荒立たしい足音がする。どうも、一度行くところまで行って、折り返してきたらしい。
「お話中のところ悪いが」
男――トッドと言ったか。それが、壁に肩を持たれかけさせながら、拳の裏側で二度、壁をたたいていた。
「先に仕事をしてもらえないかね。話す時間は後でいくらでもある」
「もう、トッドはせっかちだね」
ぷっと、アルテミスがみずみずしい頬を膨らませた。このときばかりは神らしい(そして神らしくない)威厳というのもない。
甘えられる相手を見て、選ぶ。その点に関しては、アイズも分かった。彼女とて、家族とそれ以外の相手では、表にできる性質というものが違う。
トッドは疲れたように肩を回して、そして続けた。
「せっかちにもなりますよ。長年待ってようやっと来た魔法使いだ。正直なところ、研究ももう佳境です。はよ進めたいんですよ」
(研究……)
アイズは、気になった単語を胸中で繰り返した。
いったい何の研究だろうか。魔法関連で研究するようなことと言って、ぱっと出てくるのは魔剣だが。魔剣はもう作成条件から発動条件から、すべてが明らかになっている。あるいは
「っと」
トッドは、はっと気がついたように顔色を変えた。どこか困ったような、苛立ったような様子だが。
「アイズさんに聞きたいんだが……」
「アイズでいい」
「じゃあアイズで。一応聞きたいんだが、依頼要項ちゃんと読んできたよな? 魔法の使用は大丈夫? できればどういうタイプの魔法かも知りたいんだが。速攻魔法とか付与魔法とかそんなん」
「えっと……」
矢継ぎ早に問いかけられて、一瞬言葉に詰まった。
魔法。それについては、秘密でもなんでもない。アイズ・ヴァレンシュタインの魔法が付与魔法だというのは有名な話だし、他ファミリアの団員がいるなかで使ったのも、一度や二度ではない。特に秘密にするような事でもなかった。さすがにその運用やら子細まで明かすと、ロキ・ファミリアを裏切ることになってしまうが。
「えっと……魔法は付与魔法で、使っても大丈夫。たぶん」
「なんでたぶんがつくんだ。まあいいや、どうせしばらくは精神力の方だけ使ってもらうことになるし。じゃ、こっち来て」
言って、案内された場所は、外から見て、ちょうど石造りの建物あたりだった。
そこは、おそらくファミリア本拠だった場所とは、世界そのものが違っていた。
部屋自体が、石造りの倉庫のおよそ半分を占めているのだろう。かなり大きいはずだったが、物が所狭しと並んでいるせいで、やたら小さく見える。無数の計器が横一列に並んでいる。別の端には何やら金属や、ダンジョンの素材がきれいに並べられていた。中央のテーブルには、フラスコを中心とした器具が、縁ぎりぎりまでいっぱいに、所々積み重なるようにしておかれている。唯一理解できるのが、正面にある鍛冶のための炉だったが。それにしたって、他のものと比べると、およそ統一性がないように思えた。
(研究)
言葉を反芻する。
なるほど、と思う。確かに、何をすると決めるではなく、なんでもすると考えるならば、こういった部屋が必要なのだろう。そう思わせる煩雑さに、統一性のなさだった。
部屋そのものには所狭しと荷物が並んでいるが、整理整頓はされている。掃除もされているのだろう、床には埃も見当たらなかった。そのため、部屋に入るのに躊躇や、覚悟が必要とはされなかった。ただ、多少好奇心がうずいたというだけだ。
「アイズに当面やってもらうのは、精神力を流してもらうことだ」
先んじて部屋に入っていたトッドが、説明を始める。
言って、計器やらが並んでいる方に指を向ける。途中、邪魔だったのか、フラスコやらを軽く手で寄せながら。
「そこに反応制御装置があるだろう? ああ、言っても分からないよな。その右側にあるやや突き出た棒がそれだ。まずそれを手に持って」
目で追って、言われたものを探す。
それは、まあ、確かに棒だった。腰の高さあたりにあって、両手で握れる程度の長さ。言われなければ、棒形のスイッチか何かだと思っていただろう。
アイズは言われたとおりに、それを握った。位置的に、ちょうど両手剣を構えるような感じになる。
「トッド」
と、そこでひょこっと神様が顔を出した。部屋の入り口あたりで、頭だけをのぞかせている。どうやら、部屋には入りたくないようだった。
「なにやってるんだい?」
「研究」
「もう、いつもそればっかり」
ぷぅ、と実際に音がしたわけではないが。表現するならば、そんな音も立てそうな表情で、アルテミスが膨れる。それでも、その場を離れる気はないようで、同じ体勢のまま部屋の中を眺めていた。
「魔法を使うような感じで、精神力を反応制御装置に集中して」
「うん」
アイズは目を細めた。そして、手のひらに熱を集中させるような感覚で、精神力を移動させる。そう、ちょうど、魔法を使うときのように。
瞬間、無数に並んでいた計器がぐんと動いた。一瞬びくりとして集中を解除しそうになるが、それはなんとか耐えた。計器が気になって、力を強めたり弱めたりしてみる。どうやら精神力の量によって値が変ずる計器は決まっているようだった。それが何を意味しているかまでは分からないが。
「どうだい?」
と、再度アルテミス。
トッドは紙面と計器の間でしきりに視線を往復させ、さらに何かを書き込みながらも答える。
「ええ、実に興味深いですよ。俺の時とは数値が大分変わっている。けど、予測の範疇でもある。これならそれほど時間がかからない。できればサンプルがもう一つほしいところですが……」
「よく分からないけど、とにかく研究が進んだのかい?」
「そうですね。うち一つは完成しそうです」
言葉に、アルテミスはぱあっと花咲くような笑みを浮かべた。
「じゃあトッドもしばらくは時間が空くね。私と一緒にゆっくりしよう」
「いいえ、できれば長文詠唱も使える魔法使いを探して、そちらのデータもすぐほしいところです。なに、成果が一つあれば、呼び込むのはさほど難しくないでしょう。とっとと次に取りかかります」
「もう! 本当にもう!」
ふくれっ面になったアルテミスが、たしたしと柱を叩く。その姿が微笑ましく、アイズはくすりと笑った。が、すぐに顔を正す。
「す、すみません」
その言葉が言い訳になっていたかは分からないが、とりあえずは謝っておいた。
アルテミスは、怒った様子はなかった。それどころか、顔を赤らめて頬を押さえている。
「す、すまない。お客様の前ではしたない真似をしてしまった」
「お客様じゃなくてバイトなんですけどね」
言う彼は、未だ紙面に集中していたが。
アイズは計器を上下させるのにも飽きて(そもそもさほど興味深い事でもない)、精神力を一定に保っていた。
「よし。もう手を離して大丈夫」
言われたとおりに手を離す。
彼はそのまま、テーブルの隅で紙の束を広げ、なにやら書き込みをしているようだったが。
そのまま、一分、二分……。正確に数えていたわけではないが、おそらく十分ほど経過したあたりだろうか。さすがに手持ち無沙汰になって、アイズは口を開いた。
「あの、私は何をすれば……」
「ああ」
と、彼は今更気がついたかのように、口を開いた。
「とりあえず今はこれだけ。後は好きにしてていい。隣は倉庫になってて、武器類なんかも並んでる。それを引っ張り出して鍛錬でもしててくれ。神様とくっちゃべってても当然かまわない。ただ時間の間だけは呼んだら来られる場所にいてほしい。しばらくは同じ事の繰り返しだから。――ああ、当たり前だが、ここにいる間は何をしてても給料が出る。だからその点は不安に思わなくてもいい」
それだけ言って、彼は作業に戻った。言うべきことはすべて言ったというような風だった。
またしばらく沈黙していたが、トッドが顔を上げる様子はなかった。仕方なしにアイズは諦めて、アルテミスと一緒にリビングへと戻っていった。そのまま、女神としばらく雑談をしたが、それはきりがいいところで終わらせる。
石で作られた頑丈な建物へと戻る。途中、トッドの作業室だか研究室だかをのぞいてみた。さすがにもう紙とにらめっこはしていなかったが、相変わらず何をしているのかは分からなかった。
奥の倉庫に入ってみる。こちらは二部屋に分割されているようで、研究室の半分ほどのサイズだった。奥には扉があり、そちらは閉まっている。手前が武器庫になっているようで、無数の武器が並んでいた。それは数という意味でも、種類という意味でもそうだった。
「……すごい」
つぶやかれるに任せて、アイズは唇を震わせた。
実際、見事なものではあった。武器の一つ一つを確かめてみると、それらはすべて整備が行き届いている。どれも実用に耐えうるものに思えた。中には刃引きされ、訓練用に調整されているものもあったが、そちらも何一つとして置物にされている様子はない。
さすがにロキ・ファミリアのそれと比べれば、規模にして数十分の一程度ではあるが。小さなファミリアでこれは、なかなか凄いことだと思えた。剣一つだって、切れ味を維持し、束のかみ合わせを保ち、鞘は刃に触れぬよう鞘口に気を使う必要がある。デスペレート一つで悲鳴を上げているアイズからしてみれば、考えられないほどだった。
武器の中から、普段使っているデスペレートに一番重心が近かったサーベルを選んで、庭に出る。一つ一つ型を確かめながら、慎重に振っていった。さすがに遠征上がりであるため、普段ほどなめらかにとはいかなかったが。
結局その日、再度呼ばれる事はなかった。日が沈み始めた頃に、その日のクエストは終わりとなった。
帰り際、ちょうど玄関でアルテミスに見送られるところで、やっと研究室から出てきたトッドに呼び止められた。
「これ、持って行ってくれ。それで、できれば可能な限り常に身につけておいて」
言って、彼が手を伸ばしてくる。手のひらを受け皿のようにして構えると、その上に落とされたのはネックレスだった。鈍色で、飾り気のないそれ。おしゃれでつけるには、そういった事に疎いアイズから見ても、落第と言える程度のもの。
「?」
彼女はそれを受け取って、首をかしげた。
まだ多少話した程度の関係であるが、ある程度トッドという人間がどういった者かは分かったつもりではある。つまるところ、彼はアイズという個人に対しては全く興味を持っていない。まさか贈り物という訳でもないだろうが。
「それは……まあ、実感してみた方が早いか。多分二、三日は調子を崩すと思う。その間は来なくていい。復調したらステイタスの更新をしてみて、魔力値が上がったか教えてくれ――ああ、どれくらい上がったかは言わなくていい。ファミリアの秘中だろうしな」
言うだけ言って、彼はさっさと立ち去っていった。疑念を挟む合間もない。
「ごめんね。彼、無愛想で」
代わりに、アルテミスが苦笑して謝罪する。
思うところがない訳ではなかったが。しかし、湧き出てきた疑念は、吐き出さずにはいられないというほどのものでもない。まあいいかと考えて、彼女はネックレスを首からかけ、ホームへと帰っていった。
アイズは、小さな庭で剣を振っていた。ここ一週間ほどで、すでに手になじむほど振った剣を、いったん止めて、刃に目を走らせる。
刃の鈍いきらめきに、彼女は小さくかぶりを振って、再度訓練を開始した。
彼女は結局、クエストを継続した。依頼の内容に満足していた、というのもあるが。それ以上に、いい影響があったからだ。
渡されたネックレスをかけて次の日、彼女は予言通りに体調を崩した。というのも、少し語弊があるか。正確には、筋肉痛のような症状が体に表れた。動けないほどではないが、あえて動くにも億劫だ……その程度の事だ。二日目にそれも収まる。これもまた、予言通りの事だった。
そして、言われたとおりにステイタス更新を申し出た。そしたら、なんと、魔力のステイタスが百近くも上がっていたのだ。これにはロキもぎょっとしていた。
ただ持っているだけで、魔力を鍛えてくれるネックレス。そしてこれは、研究成果前……つまり、序の口。クエストを続けないという選択肢は、この時点で、アイズの頭からは吹き飛んでいた。
復帰してから数日は、まあまあ平和なものだった。庭で訓練をして、そこそこ神アルテミスとおしゃべりして、たまに何かの計測に付き合う。クエスト報酬の金品こそおまけみたいなものだったが、ほぼ普段通りの生活をして報酬まであるのだから、文句もなかった。
それに、
「アイズ、トッドがご飯だって」
「! すぐ行く」
ここで出されるご飯は、なぜだかとてもおいしいのだ。それこそ、オラリオのどこと比べても一番。
今の生活に満足している。訓練はでき、魔力がSまで上がり、食事は美味の一言。
おもわずスキップなどしながら、彼女は呼ばれるままに向かっていった。