ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
さして広くない大通りの脇の小道を、小さな人影がぷりぷりと頬を膨らませ、大股で歩いていた。
幼気な見た目だが、胸は不釣り合いに大きい。そのため、外見から年齢を推測するのは困難だった。もっとも、その少女が神であるという点を鑑みれば、年齢の推測そのものが無意味ではあるのだろうが。
剣幕はそうとうなもので、すれ違う者が思わず道を空けるほどだ。外見が少女少女しているため、威圧感というのはほとんどないのだが。それでも、あえて火種に触れたいとは誰も思わないのだろう。小脇にそれては、何事かとその少女をちらりと見ていた。
彼女――ヘスティアは、アルテミス・ファミリアへと向かっていた。彼女に神友は数多くおれど、さすがにアポなしで突撃して、突発的な怒りを受け止めてくれる者は少ない――だいたい誰もが組織運営なりで忙しいのだ。ヘスティア自身が、感情のままに先走る事ができるほどファミリアが小さい、という事こそ問題なのだが。そんな考えも浮かんでくれないほど、彼女は怒っていた。
「アルテミス!」
どばん、と大きく音を立てて、アルテミス・ファミリアのホーム玄関を叩き付けるように開けた。
返事はない。
怒りは変わらないが、かといって理性までは失っていない。あれ、と疑問に思い、彼女はそのまま立ちすくんだ。
誰もいない、という事はないだろう。ホームに鍵はかけられていなかったのだし(アルテミス・ファミリアは重要情報が多いので、普通のホームよりかなり厳重に戸締まりがされている。誰もいない時に鍵が開いている事は絶対にない)。
しばしの沈黙。から、奥の間から足音がした。
ひょこりと顔を出したのは、アルテミスではなかった。このファミリア唯一の眷族、トッドだ。
「これはヘスティア様。どうなさいました?」
「アルテミスはいるかい?」
「今日も留守ですね。ここ最近は、どうも外に出ている事が多くて」
彼は手をタオルで拭いていた。ちょうど何かの実験でもしていたのだろう。使い終えたタオルは、そのままひょいと投げる。うまい具合に近くの棚に乗っかった。
「どうやらずいぶんとお冠の様子で。愚痴くらいなら俺が聞きますよ」
「うぅーん……じゃあ聞いてもらおうかな。トッド君にそんなことをするのは悪い気がするけど、そうでもしないとこの気持ちが収まる気がしないさ!」
思い出したから、という訳では断じてないが。ヘスティアはぷくりと頬を膨らませ直した。勝手知ったる他人の家とばかりに、リビングのテーブルにつく。
トッドは白衣を脱いでハンガーに引っかけると、すぐキッチンへと向かった。お茶の準備をしてくれているのだろう。彼が研究や依頼にかかりきりの頃、この手の事はアルテミスの役割だったが。彼の手が空いてきた最近では、彼自身がこういった事もするようになっていた。
お茶セットが用意され、彼も席に着くと、話を促してきた。
「それで、今日はどうなさいました? いつもとは違う様子ですが」
「聞いてくれよ! ボクのベル君がたちの悪いサポーターにたぶらかされたんだよ!」
「それはまた……心中穏やかではないでしょうね。俺の神様も、外部からサポーターを雇うのにはあまりいい顔をしてませんでしたよ」
「そうだろう!? しかもベル君は、その中でも特別悪質なやつに引っかかったんだよ!」
ヘスティアは感情のままに、ばんばんとテーブルを叩いた。カップの中で琥珀色の液体が、波紋を描く。
「元からよくない相手だとは思ってたんだ! その上、サポーター君はねえ、ベル君が君からもらったナイフを秘密裏に売りさばこうとしてたんだぜ!」
「ああ、その件は俺の耳にも入ってますよ」
「知ってるのかい?」
「まあ、
言われ、ヘスティアはふと先日の言葉を思い出した。
「そうだよ。ベル君からナイフを盗んで盗品として裏から捌こうとしたんだ!」
「で、それは失敗したんですよね」
「うん。当然の報いだね!」
ふん、と鼻を鳴らして、ヘスティアは紅茶を一口飲んだ。行儀がいいんだか何だか、その後に腕なども組む。
路地裏の盗品商店で、その盗人は
ただの冒険者の中ではあまり知られていない事実なのだが、ギルドで
本人もそれを知っていれば、そんなリスキーな真似はしなかっただろう。だが、一般冒険者の中では、
早い話が、名前だけが先走って嘘ばかりが広まっているのだ。
「でも、そこの盗品を扱う店の店主は賢明だったね。買い取れば、自分がどんな目に遭うか分かってたんだろうさ。金品の準備をすると偽って、裏からギルドへ通報したのさ。ギルドは急いで現場に人員を送ったわけだ」
「そこで捕まったって話は聞きませんね」
「店主が戻ってくるのにサポーター君が違和感を感じたらしくてね。ナイフを持って、その場から逃げたんだ。まあ結局その場はベル君の知り合いに見つかって、なんやかんやあってうやむやに終わったんだけど……」
ここで、ヘスティアはぐぐぐ……と拳を握った。そして、天高く拳を振り上げる。勢い余って立ち上がったため、椅子ががたんと鳴った。
「ベル君も関わるのをやめとけばいいのに、またそのサポーター君を雇ってさあ! 今度はナイフを奪った上でモンスターをおびき寄せたんだよ! 殺人未遂だ、殺人未遂! まったく、ふざけるんじゃないって話だよ!」
ぐあー! と気勢を上げて、だんだん両足で床を蹴る。
トッドはどうどうと彼女を押さえながら、紅茶を勧めた。
とても飲む気分ではなかったが、ここでこれ以上暴れるのも悪い。そのため、紅茶を一気に飲み干して、なんとか暴れ出すほどの怒りも同時に流し込んだ。
「それで、どうなったんです?」
「どうもサポーター君も相応に恨みやら買っていたらしくてね。同ファミリアの人間やら冒険者やらに襲われたらしいよ。因果応報だね」
ふん、と鼻を鳴らして、ヘスティアはぷいっと顔を背けた。まあ、トッドに怒りがあるわけではないので、すぐに顔は戻したが。
「サポーター君が怪しいと踏んでいたギルドが、ガネーシャ・ファミリアに依頼して張ってもらっていたらしいんだけど。ちょうど現場を押さえたらしくてね、その場で全員お縄さ。ベル君は自力で窮地を脱出し、盗人たちもつかまって、めでたしめでたし……とはいかなかった!」
またヘスティアは、天に向かって叫んだ。今度は暴れて迷惑をかけるような事はせずに。
「俺も、ソーマ・ファミリアがペナルティを食らった事くらいは知ってますが」
「ああ、どうやらあそこはサポーター君だけじゃなく、ファミリア全体が問題だったらしいね」
組織ぐるみで犯罪すれすれ、というか中には犯罪そのものの行為を行っていた。そうでなくとも、素行の悪さでは真っ先に名前が挙がるファミリアの一つだ。ギルド職員も、いつも頭を悩まされていたと聞く。
まあ確かに、ファミリア統治組織としては頭の痛い問題だろう。
「さらに問題は!」
ヘスティアは大仰な姿勢から、ぐっと拳を握って胸の前に抱き込んだ。先ほどからボルテージが全く下がっていない。
「それでもベル君がサポーター君をかばうって事なんだよ! いや、そこがベル君のいいところなんだけどね!? でも今回は、殺されそうになってまでって、さすがにちょっと度が過ぎてる! そう思わないかい!?」
「思いますけど、そこがいいところだって自分でも言ってたでしょう?」
「そうなんだよぉー!」
「でも、いくらかばっても殺人未遂の現行犯まではかばいきれませんよね。どうなったんです?」
「……ギルドから取引の要求があったんだ」
ここで初めて、ヘスティアは気炎を下げた。
「実は彼女も、そのまま処罰の対象となる予定だったんだけどね。ギルドは今回の件を、奇貨と見たんだ。犯罪行為は犯罪行為として、しかし大本はソーマ・ファミリアに原因があるって具合にさ。ただ、現行のままだと、ソーマ・ファミリアがもみ消しのために本当に切り捨てられかねない。だからどこかに改宗して、そこに守ってもらって、証言の有効性を保たなきゃならなかったんだけど……」
「ははん、なるほど」
トッドは気づき、声を上げた。そつなく、空になったヘスティアのティーカップにお茶をつぎ足しながら。
「どでかいファミリアには入れられない。そもそも拒否される。けどただの弱小じゃ無理。というわけで、うちと縁が深いヘスティア様のファミリアに改宗って事になったんですね? 最終的にはベル君のお願いに後押しされて。名目上は保護観察処分って所ですかね」
「そうなんだよぉー! ボクとベル君の愛の巣に余所者が、それもよりによって極悪サポーターが来たんだよぉー! それも数千万ヴァリスの罰金つきでぇー! これは彼女当人だけの借金だけど!」
わぁん、とついにヘスティアは泣き出してしまった。その様子に、さすがにトッドもどう慰めればよいか、悩んでいる様子だった。
暫く泣いていると、ドアがノックされた。未だしゃくり上げているヘスティアをとりあえずおいて、トッドが対応する。
「どなたですか」
「ギルドから派遣されてきました。エイナ・チュールです」
扉の向こうでは、ベルの担当アドバイザーということもあって、よく知るハーフエルフの姿があった。彼女はヘスティアを確認して、その涙に濡れた赤い目に、ぎょっとした様子だったが。
「あの、神アルテミスは?」
「今は不在だよ」
「できれば一緒に話したいのですが……」
「ギルドの依頼っていう事なら、俺が先に話を聞く。アルテミス様はあの通り結構厳格なたちでね。俺が先に聞いておいた方が話が早い」
言って、彼はエイナの分もお茶を用意した後に、
「ちょっと早めだけど昼にしよう。今日はアルテミス様がいないのにちょっと作りすぎてしまいましてね。ヘスティア様もどうぞ。エイナ嬢もついでだからとっていけ」
「いえ、悪いですよ」
「君が食べないと過ぎた分は破棄することになる。助けるとでも思ってくれ」
「そういう事なら……」
申し訳なさそうに答えながら、彼女は席に着いた。トッドはそれを確認するより早く、キッチンで調理を始める。
ホームのテーブルは、二人だけの場所と考えれば大きすぎるほどのサイズがある。離れようと思えば、ヘスティアからいくらでも距離はとれただろうに、近くに座った。離れたら離れたで、失礼に当たると思ったのだろうか。
ヘスティアは泣きはらした顔のまま、ぷっと頬を膨らませてエイナを見た。彼女はなぜそんな態度を取られるのか分かっていなく、ひるんでいる。
「先に行っておくけど、ボクは今回の件、ギルドを許したわけじゃないんだぜ」
「ああ、リリルカ・アーデ氏の……。その件に関しては、感謝してもしたりません。同時に、ギルドを代表して謝罪します」
と、彼女は本当に申し訳なさそうに(根が生真面目なのだろう)頭を下げた。
「今回、ソーマ・ファミリアはリリルカ氏に責任を全部かぶせて、事態の矮小化を図ろうとしています。逆にギルドは、加害者であるけど被害者という形にして、ソーマ・ファミリアの運営にまで手を入れたいと考えていました。無罪にならない程度に罪をかぶせて、ソーマ・ファミリアに責任を負わせるとなると、こういう形にするのが一番だったんです。この件に関しては、私にも口出しする権利はなくて……」
「いいさいいさ。受付嬢一人にそこまでの権限があるとは、ボクだって思ってないよ」
調理は早かった。元々、ほとんど準備はできていたのだろう。トッドが皿を何枚も持って、テーブルに並べる。
全員で礼をして、食事を始めた。
「うそ……なにこれ! 凄くおいしい!」
一口食べて、エイナは驚いた様子だった。その後、真剣に料理と格闘している。
ヘスティアはうんうんと頷いた。気持ちはとてもよく分かる。自分も、初めて食べたときは似たような様子だった。
食事も半ばを過ぎ、皿にのった料理の大半がなくなった頃。トッドが口を開いた。
「それで、ギルドの用事っていうのは?」
いきなり問われて、エイナはんぐっ、と喉を詰まらせた。かなり真剣に食べていたため、それ以外の事に意識が回らなかったのだろう。胸をとんとんと叩いて、なんとか詰まった食物を嚥下し、ぷはっと息を吐く。
「え、ええ。実は、神ソーマから、ギルドの出した条件を受ける代わりに要求がありまして……」
「それがうちに……というか、俺に関係する?」
「はい。実は、トッド氏が持つ酒造機と熟成室を得られた場合、条件を全面的に飲むと言われて、それでこうしてお願いに……」
「いいよ」
「はい?」
「だから、いいって。ギルドは当然その装置を買ってくれるんだろう? ならわざわざ隠すほどのものでもないし、売るさ。他の所から依頼が来て、いちいち作る羽目になるのは嫌だから大々的に売るとは言わないけど。それでいいだろう?」
言葉は疑問形ではあったが。質疑を許さぬ強さも感じさせた。こういった頑なな所が、アルテミスを悩ませるトッドの人格なのだろう。
「は、はい。それはもちろん。こちらとしてもありがたいです」
「というかさー」
ヘスティアは、フォークでデザートである、フルーツの蜂蜜漬けをつんつんとつついた。元が酸味のきいていて、甘みが抑えられたものなのだろう。ほどよくまろやかになった酸っぱさと、うまい具合にしみこんだ甘みが、口の中を爽やかにしてくれる。
「ギルドはどうしてフリーのサポーターを放置しておくんだい? 今回たまたまソーマ・ファミリアから表面化しただけで、今までだって問題がなかったわけじゃないだろうに」
「そもそもサポーター問題を解決する気がないんですよ」
言葉に詰まるエイナの代わりに答えたのは、トッドだった。
「フリーのサポーターなんて、ギルドが窓口を一括管理して条件まできっちり決めてしまえばそれで大半が解決する話なんですから。それをしないってことは、まあ、金にならん事まで面倒見切れんって事なんでしょう。所詮互助組織です。過剰な期待はできませんよ」
「なんというか、まあ……。ギルドの見方が変わってきそうだね」
「ギ、ギルドはそこまで薄情な組織ではありません! 経営だってちゃんと健全なもので、冒険者の事を考えて運営されています! その……多分」
最後の一言は、つまり自信が揺らいだという事なのか。なんにしろ、語調は弱かった。
が、トッドの言葉は、どこまでも冷ややかだった。
「つまりギルドとしては、サポーターは冒険者にあらじって事なんだろう」
否定できる材料はなかった。特に、強く言える事では。
感情では納得できないものの、しかし理性では分からざるをえない、とはヘスティアも思った。つまり、どうしたってサポーターの地位は低いのだ。どうやったところで、主役にはなれない。あくまで添え物であり、おまけ。それは大遠征をするような大規模ファミリアですら変わらない。彼らは矢面に立たない。立てない。弱いから。
エイナはいくらか、口の中で言い訳を用意した様子だったが。やがて降参したようにうめいた。
「そう、ですね。今のところ、フリーサポーターのバックアップ体制は、ギルドの議題にも上がりません」
「君を責めるわけじゃない。当然慰めてるわけでもないが。だが、ここはオラリオ、力を持つ者のみが栄光を得られる街だ。仕方のない事ではある」
しん……と、静寂。
ヘスティアは苦しくなった。間を無視するためのデザートも、すでに食べ終わってしまっている。仕方なしに、苦し紛れに口を開いた。
「ところでトッド君は、今何の研究をしているんだい?」
今までの話題に、特に未練もなかったのだろう。トッドは表情を変えずに言った。
「魔石で稼働する大型転移装置の研究ですよ。今までのように、最初から順に潜るのではなく、点と点をつなぐ……そうですね、例えばバベルから、いきなりリヴィラの街に行けるような。これがうまくいけば、すべての
「凄いじゃないですか!」
エイナは思わず立ち上がって、声を上げていた。興奮して、顔まで紅潮させている。
「それができれば、迷宮での『迷子』を劇的に減らせます! 往路はもちろん、帰路だって格段に安全になりますし! うまくすれば、さらに下の階層で街を築けるかも!」
「門が完成したとして、それを維持する戦力を捻出できないから、まだまだ机上の空論だって」
「だって! そんなのオラリオ内に限った話じゃないんでしょう!? 外の街とつなげられれば、流通だって大幅に改善されますよ!」
「まあ、現状じゃどちらかと言えば、そっちの方がメインになっちゃうのかね」
興奮し続けるエイナに、とつとつと答えるトッド。
その様子を見て、ヘスティアはとりあえず安心した。やはり、息苦しい話は苦手だ。これくらいの話がちょうどよい。
まあ、それはそれとしてリリルカ・アーデは許さないが。それだけは決心して、彼女も話しに混ざっていった。