ダンジョンにすっごい研究者が現れた   作:緑黄色野菜

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補完の閑話です


在りし日

 ぱちぱちと音がする。まだ水分を含んだ薪が爆ぜる音だ。生木を焼くのは煙いし、燻されて気分がいい物でもない。だが飛行型モンスターに頼った度で、乾いた薪や木炭まで持って動けるものでもない。それは仕方がないと割り切るしかない。

 キャンプファイヤーを囲んで座っているのは五人だった。ヘスティア、ベル、ヴェルフ、リリルカ、そしてヘルメス。ヘスティアの顔は冴えない。それは、唯一この場にいないアルテミスもそうだろうとヘスティアは思っていた。というか、彼女こそが一番の異常だ。

 日はまだ落ちきっていないが、かといって光源がなくとも他者の顔を覗けるほど明るくもない。まあ、この状況で人の顔を見られて楽しい訳もないが。

 ヘスティアは一本の枝を持って、火を突いた。燃えさかる枝が崩れて落ちる。その拍子に炎が揺らめいて、それぞれの表情を変えた。

 持っていた枝に火が移ったため、それを地面にこすりつけて消す。枝は今にも折れそうだった。死んだ森の枝にしてはよく持った方だろうと言える。

 ヘルメスに唆され、アルテミスを救う旅を初めてもう何日か。正確な行程がどれほどかは分からないが、すでに後半だろうという事くらいは判断できた。それは、この死んだ森と、正体不明のモンスターの山とも無関係ではあるまい。

 触れただけで枝が崩れるような、死んだ森に入って早々モンスターに襲われた。サソリ型で、さほど強くはないが数だけは多い。本来オラリオの外にはありえない、単一種族のモンスターが数百とあふれていた。どこかで大量に生まれているとしか考えられない。ダンジョンという生産施設がなければ、通常の生殖に頼らなければならないにも関わらず大量発生だ。無関係と言われても信憑性がない。

 死んだ森は一点から広がり、すでに近隣の村などを飲み込もうとしていた。というか、すでに村人にモンスターが襲いかかっていた。アルテミスがモンスターから飛び降りて戦い始めたのは焦った。間一髪、ベルも飛び降りて戦ったため事なきを得たが。四界閃(ナルシル)がなければ危なかっただろう。

 アルテミスを救うという名目でクエストを受けた。これはベルが“オリオン”として選ばれたからだが。だがこの場にトッドがいなければ、それが言葉通りではないとくらいは分かる。ただ事でないというのも、薄々分かってはいた。だが、それでどうにかできることでもない。

 不穏な思考を肯定するのが、あの“槍”だ。アルテミスの神威がこもって、何もせずとも神の力を感じる事ができる。いや、神威が漏れかけているのだろうか。なんにしろ、感じる圧力に反して長持ちはしなさそうだった。

 

「ねえ、ベル君」

 

 再び薪を突いた枝が、ぱきりと折れる。枝の切れ端を火の中に放り込んだ。それがきっかけという訳でもないが、ベルに話しかけた。

 

「アルテミスの様子はどうだい?」

「駄目……なんだと思います」

 

 問われて、ベルは顔を上げたが。話の内容に再びうつむき加減になり、続けた。

 

「一見して元気はありますが……」

「空元気、なんだね」

「はい……」

 

 ベルは痛々しそうにつぶやきながら首肯した。

 アルテミスの様子は、旅を初めてからおかしくなった。いや、それを言うなら、元々おかしくはあったのだろうが。今は取り繕うことすらできなくなったと言うべきか。

 

「アルテミス様は僕を“オリオン”と呼んで、頻繁に接触しようとします。でもその割には……」

「絶対に触れない、かい?」

「ええ」

 

 言って、ベルは再び首を縦に振った。

 

「まるで接触そのものを恐れてるように感じました。見た目は元気なんですが、ふとした拍子に誰かを探してると言うか」

「誰かというか、まあ、トッドの旦那なんだろうな」

 

 相づちを打って、ヴェルフがつぶやく。彼の顔は難しげだった。

 

「気がつくと誰かに話しかけようとしてるし、誰かを探してる。まあ、近しい人間がいきなりいなくなったとかじゃないと説明がつかないな」

「そんなに気になるなら一緒に連れてくればよかったんですけどねえ」

「リリスケには分からないか? 心の機微ってもんさ」

「リリを分からず屋みたいに言うのはやめてください!」

 

 比較的気楽に構えている二人が言い合う。じゃれ合っている姿に多少気は楽になったが、それでも混ざる気持ちにまではなれなかった。

 彼女の気持ちも分からないではない、とまではさすがに言えないが。アルテミスのファミリアが一度壊滅したのは、それなりに有名な話ではある。その過去に決着をつけようとしているというのも、ヘルメスから聞いた。アルテミスは明言しなかったが。一度育てた我が子を亡くし、その決着をつけようとする。その思いをどう測るにしても想像でしかない。自分がベルを亡くしたら……考えただけで胸が痛むが、それだけだ。それ以上が分からない。

 ただの想像でいいなら。全く理解できないわけではなかった。今の眷族を過去の因縁に巻き込みたくないというのは。

 しかしそれでも不明瞭な点はある。単純に勝算を考えた場合、Lv.4の追加戦力というのはかなり馬鹿にならないもののはずだ。それを数えないというのは、明確な勝ち目があるからだろう。

 やはり焦点は“槍”とベルか。疲れたように視線を飛ばしながら、ぼんやりと思う。“槍”の存在はそれだけ不自然であったし、できすぎでもあった。全てを終わらせるには都合が良すぎる。

 

(つまり、トッド君は何か都合が悪いんだろうね)

 

 だから置き去りにされたのだろう。それが実利か、感情的なものかまでは判断できなかったが。

 

「神様」

 

 ぼんやり考え事をしていると、ふとベルに話しかけられる。

 ヘスティアは顔を上げて答えた。

 

「なんだい、ベル君」

「アルテミス様、大丈夫でしょうか……」

 

 言う彼の視線は、夕闇の中を彷徨っている。

 その方向に、正確にアルテミスがいると言うわけでもないだろう。念のためモンスターの襲撃に備えて、見通しのいい場所に備えてはいるが。世界は闇夜に飲まれかけている上、彼女は水くみに出かけている。死んだ森に来てからの約束事だった。単独行動をしていいのは戦闘力のある者のみ。つまりヘスティア、ヘルメス、リリルカは一人で行動しないこと。

 正直なところ、水くみはすでに終わっており、これ以上必要ないのだが。彼女も一人になる時間は必要だろうと、誰もあえて指摘はしなかった。

 

「どうだろうね。難しい質問だよ」

「せめて解決方法が……いえ、せめて原因が分かればもう少しやりようもありそうな気はするんですけど」

 

 言う。と、自然と視線はヘルメスに集まっていた。

 彼は今まで我関せずと言った様子だったが、四つの目に射貫かれて、やがて参ったというように両手を挙げた。

 

「さすがに彼女の元気がない理由までオレに求められても困るよ」

「その言葉はアルテミスが苦しんでる原因は知ってるって白状しているようなものだぜ」

「明かしていいのなら彼女がとっくに言っているって分かってるだろう? 本人のいない間にこそこそと話すのが卑劣でないとは言わせないよ」

「君がそんなに義理堅いとは思わなかったよ」

 

 皮肉を吐き捨てる。彼は上げていた手を下ろした。

 肘を突いて、ヘスティアがそうしていたように、多少勢いを弱めた薪を枝でほじくる。

 

「そりゃあオレは軽薄な男だけどね。それでも言うべきことと言うべきでない事くらいは分かっているつもりさ。これがどちらか、分かってくれない訳でもないだろう?」

「……分かった。ボクが悪かったよ。アルテミスに聞いてもはぐらかされるから、ちょっと気が立ってた。悪かったよ」

「分かってくれればいいさ」

 

 ヘルメス。いつもヘラヘラしており、間違っても信頼を置いていい神ではないが。それでもやらなければならない場面で戸惑うようなやつではない。良くも悪くも。

 

「まあ、空元気も元気の内と言いますしねぇ。顔を上げてられる内は大丈夫じゃないかとリリは思いますよ」

 

 かつてソーマ・ファミリアで搾取されていた彼女が言うと説得力があった(だからといって過去の悪行を許したわけではないが)。

 

「こうなってくると考えなきゃいけないのは、アルテミス様の暴走だな。感情がパンクしない程度に見ておくしかないんじゃないか?」

 

 これは、腕を組みながら難しげにしているヴェルフだ。彼はリリルカと並んで、アルテミスとはあまり関わりのない人間の一人だ。話したことも数えるほどしかないだろう。トッドとはそれなりに交友があるようだが(かなり一方的だとも聞くが)。

 なんにしろ比較的客観的な意見ではある。アルテミスの側によりすぎている自覚はヘスティアにもあった。彼の言葉は、比較的受け入れやすかった。

 

「それに、当てが全くないわけでもないしね」

「当て?」

 

 ヘルメスの言葉は、おそらく独り言だっただろう。それくらいに小さな声だった。それでも、ヘスティアは耳ざとく聞いていた。

 

「ああ、うん……」

 

 どこか言いにくそうに、ヘルメス。ぽりぽりと頬を掻いて、やはり集中していなければ聞き逃しそうな声でつぶやく。

 

「どれほど当てにできるかは分からないけどね。まあオレもオレなりの考えがあるって事さ。それが誰の意に沿うかまでは保証できないだけで」

 

 これだよ、とヘスティアはうんざりした顔をした。こういった所があるから、ヘルメスは油断できない神なのだ。

 

(アルテミスも、ボクにくらい本音を吐き出してくれてもいいじゃないか)

 

 外には出さないが、内心憤って、ヘスティア。

 アルテミスは神友だ……とヘスティアは思っている。うぬぼれでなければ、彼女もそう思ってくれているだろう。少なくともヘスティアは、アルテミスにならどんな秘密も明かせると思っている。

 それが、ヘスティアにも秘密を打ち明けない理由。考えつくことはそう多くない。

 オリオンと言う神話機能と、アルテミスの神の力がこもった“槍”。日を追うごとに弱くなっていくアルテミスの神威。そして、ヘルメスの徹底した機密厳守。

 真っ先に思いついた考えが正しいのならば、事態を収束することは難しくないのだろう。だが、それは同時に、アルテミスにとって最悪の未来が待っている事も意味する所だった。

 

(アルテミス、君は……)

 

 話題はアルテミスの事から、他愛ない雑談に戻っている。暗くなっていた雰囲気も、多少緩和されていた。

 その中でヘスティアだけは、顔を潜めて考え事をしていた。

 

(まさか自分一人犠牲になればいいなんて思ってないだろうね?)

 

 それは、陰謀論とも言える、予感というよりは妄想の類いだったが。一度考え始めてしまうと止まらない。厄介なことに、状況証拠にだけは事欠かなかった。

 

(せめてトッド君がいれば……)

 

 今更ながらに後悔する。無理を言ってでも、出かけのあの日、トッドを連れてくるべきだったと思う。あのときは状況の勢いに押し込まれたのと、アルテミスの焦燥に気づけず流してしまった。

 もうすぐ日が落ちきる。アルテミスの姿はまだなかった。周囲の声が、まるで雑音のように耳の中で反響する。

 トッド・ノート。今は何をしているだろうか。神に置き去りにされ、オラリオで一人、戸惑っているに違いない。彼一人がいたところで何ができるというわけでもなかったのではないかとも思う。

 それでも、考えずにはいられなかった。アルテミスに今一番必要なのは、家族――トッドなのだと。

 

 

 

 川縁の浅瀬で、アルテミスは水桶を持ってたたずんでいた。桶にはまだ水を入れていない。水をもってすぐ戻ると言った手前、時間をかければ心配させてしまうのだろうが。すぐ戻る気にもなれなかった。

 川の流れは緩く、透き通っている。うっすら差す光に反射されて、自分の顔が映った。顔は暗く、目も濁っている。酷いものだ……と、他人事のように評する。実際、この旅に対してすら、どこか人ごとのような印象があった。薄く、浅く、定まらない。自分がこんなに弱いとは思わなかった。

 一人でいるのは好きではなかった。とりわけ、こんな旅をしている間は。しかし、無性に一人になりたくなる時はある。例えば、そう。弱音を吐きたくて仕方なくなる時などだ。

 

(トッド……)

 

 そして、一人になる時に思い出すのはいつも同じだった。

 今となってはたった一人の眷属。十年近くを共にした者。あのなんだかんだ身内と定めた者にはどこまでも甘くなる男。人を突き放すようにしておきながら、どうしようもなく世話焼きな青年。

 彼がこの旅についてきていたならば、ささやかながらも成功率は上がっただろうと思う。だが、感情がそれを抑制した。彼には何も見せたくなかった。自分が消える瞬間などは特に。せめてもの手向けというよりは、これもやはりただの感情論だったが。

 アンタレス――自分を封じ、神の力(アルカナム)を奪った相手。そして、旧アルテミス・ファミリアを壊滅に追いやった怨敵。

 勝つだけならばなんてことはない。“矢”と“オリオン”さえいれば、結果は勝手に付随してくる。

 オリオンは神アルテミスが運命として定めた最高の戦士だ。感情や理性の出る幕なく、アルテミスという存在が求める。ならば、今代のオリオンとなったベルとはもっと仲を深めた方がいいのだろう。それが自然だ。運命なのだから。しかし感情がひっかかり、それもうまくいっているとは言いがたかった。

 その感情の根底にいるのが、やはり日々をともにしたトッドだった。

 彼を巻き込めない。巻き込みたくない。しかしそばにいて欲しい。相反する思いがある。結果は、義務と責任と……その他多くの要因が絡み合い、決別を決断した。その選択が正しいかは今でも分からない。おそらくは永遠に、正しいかどうかは判断できないだろう。

 

(やっぱり、私は弱くなった……)

 

 水鏡に反射した自分の無様な顔を見ながら、そう思わずにはいられない。

 ファミリアが壊滅した直後であれば……いや、もう一度ファミリアを結成などしなければ、これほど弱くはなかっただろう。自分の感情に蓋をして、アンタレスに対する激情と無力感も隠して、自分を殺せたはずだ。しかし、そうはならなかった。

 アルテミスはひっそりと瞼を落とした。目を閉じれば、今でも思い出す。自分の愛しい子供たちの断末魔。一人一人、神のためと義務を背負って死んでいく子供たち。あんな無力感は二度とごめんだった。もしわずかでもトッドがそうなる可能性があるならば。どれほど必要だと言われても、眷族を連れてくる決断はできなかった。

 そして同時に、トッドも同じ思いを味わうだろう。目の前で主神が死にゆく姿を見せつけられる。自分が味わうのも二度とごめんだが、誰かにそれを味わわせるのも、絶対に嫌だった。

 それでもトッドの事を考えてしまう。

 

(未練だ)

 

 それらを振り払うように、かぶりを振って目を開いた。顔色は先ほどよりも悪くなっている。

 どのみち定命の者とは同じ時を生きられない。神は必ず人を置き去りにする。それが多少早くなっただけだ。言い聞かせる。どれほど納得できなくとも。

 

「怖じ気づくな、私」

 

 自分を叱咤するようにつぶやいた。こんな表情のまま戻ることはできない。

 ブーツを脱いで、足を水に浸した。日が暮れれば肌寒くなる季節だ。流水に足などつければ、刺すような痛さすら感じる。それでも気付けと、感情を整理するには必要な儀式だった。

 大丈夫だ。念じる。

 ファミリア崩壊当初なら、自分を殺して何も考えず自滅できた。無邪気を演じてはしゃぐことだってわけなかった。ならば今でもできるはずだ。そう思い込む。

 ――本当に?

 自分の中で、自分の内の誰かがささやいた。無視をしようとしても耳に残る言葉が。

 ――嫌だな。

 またつぶやかれる。今度のは先ほどのそれより明瞭だった。それだけに苛立ちが募る。考えていいことではないのだから。

 自分は変わった。それだけは、認めざるを得ないことだった。トッドと暮らす十年が、自分を変化させた。もしくは、ファミリア健在の頃まで戻してしまった。未練が……無数の未練が、アルテミスの心中を渦巻いた。

 

「やめるんだ。この期に及んで、私が助かるすべはない。アンタレスを生かしておいてはいけない。どうあがこうと、私の身は長続きしないんだ」

 

 言うが、今度は自分の顔を見ながらではなかった。気付けば目を背けていた。

 どのみちアンタレスがいなかったとして、自分を“矢”に封じ込めておくのは限界だ。すでに込めた力が漏れ始めている。それがアンタレスの封印と時を同じくしたのは、できすぎた偶然と言えばそうだ。

 水辺から足を引き上げる。長く冷水に浸かっていた足は、すでに感覚が喪失しそうなほど冷えていた。軽く拭って、ブーツをはき直す。足の感触が曖昧なため、多少苦闘した。

 桶に水を汲む。水は、忌々しいほどに透き通っていた。

 

(考えるのはやめよう……そうすれば、少しだけ気が楽になる)

 

 道化を演じている内は、あれこれ考えなくて済む。全く褒められた事でないのは分かっていたが。アルテミスには他に対処法も思いつかなかった。

 足が冷えたため、歩みはおぼつかなくなっていた。それでも重たい水の張った桶を持って、帰路につく。

 

(他にも問題がない訳ではないしね)

 

 例えばヘルメス。協力者であり、彼の力なくしてこの作戦は実行できなかっただろう。だが、無条件に信頼もできない。ヘルメスはどこかで嘘をついている。それは分かっているが、具体的にどことは言えない。その上、彼の裏切りが分かっていたとして、協力を拒むという選択肢もない。

 それにヘスティアだ。彼女は新参の神であり、下界にも慣れていない。そのため神威の感知に乏しかったが。さすがに“矢”とアルテミスを見比べれば、そろそろ異常にも気がつくだろう。所々妙に鈍い彼女であるが、さすがに神の力(アルカナム)が漏れていれば気付かないはずもない。最悪、今夜にでも追求されるだろう。おそらくは第三者がいないところで。そういった優しさがヘスティアにはある。

 問題は多い。それ以上に、疑問点も。そして、そのどちらもが、おそらく永遠に明かされることはない。自分の死によって。

 重くなりそうな足取りを務めて軽くし、アルテミスは戻っていった。自分の最後を看取る者たちの元へ。

 


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