ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
「アルテミス」
ヘスティアは寝転がりながら、シュラフ代わりの毛布をかぶってつぶやいた。まっすぐ正面には、天蓋がある。さほどの高さはない。骨組みに布をかぶせた簡素なもので、ヘスティアの身長でも立って手を上げれば天井に届く程度の高さ。
返事はない。アルテミスは隣で寝ているはずだ。気配で、背を向けていることは分かる。それで答えを拒絶している訳ではない事も。
「君の行動は矛盾だらけだ。ボクの子供をオリオンと呼んだり、君の
「ああ、知っているさ」
声の最後の方は、多少震えていたが。それにもさして反応せず、アルテミスは答えた。
彼女の声は小さかった訳でもないのに、とても静かだった。まるで、何も音を発していないかのような静謐。あるがままの音が、そのまま流れ去っていったような気さえする。
「ただ、トッド君を置いてきたことだけは、ボクは許せない。彼は絶対に連れてくるべきだった。彼を頼るべきだった。彼は……最後を知るべきだった」
「分かっている。分かっているよ、ヘスティア。それでも私はね……」
静謐が揺らいだ。どこまでも広く平らな板に、亀裂が発生したかのようなノイズ。彼女の声は果たして自ら震わされたのか、それとも震えたのか。ただ、動揺は確かにあるのだという事だけは分かった。
「私はアルテミス。これだけは変えられないんだ。私が選ぶのは“オリオン”なんだよ。運命だ。神だって、これだけは変えられない……」
「それはトッド君に嘘をつく理由にならないだろう!」
ヘスティアは怒りのままに声を荒らげた。毛布をはねのけて起き上がり、アルテミスを見た。
彼女は――震えていた。小さな体を、寒さから自分を守るように丸めて、不定期に体を揺らしている。もしかしたら泣いているのかも知れない。しかし、それを確認するような無粋な真似はしなかった。
「嘘つきで、裏切り者で……卑怯者。それが私だ。分かっている。でも……それでも……トッドだけは、私を私に戻してくれたあの子だけは……せめて残酷な真実など知らず、安らかにいてほしいんだ……」
やがて、アルテミスから嗚咽が聞こえてきた。その背中を暫く見て。
ヘスティアは、責める事も慰める事もせず、毛布をかぶり直した。そして、また天蓋を見つめる。あるいはもっと先を。
死を決意した者にかける言葉は、どうしても思いつかなかった。
ただ、言葉にできず、口の中でだけ反響した言葉だけはあった。理由も分からず主神が消えてしまうほど残酷な事はないんだよ……
追跡を初めて八日と少し。この頃になると、だいたい誰もが飛行機の操縦になれていた。
「うちは風になったる! なったるでぇー!」
『きゃー! いやー! やっほー!』
……慣れすぎでもあった。
飛行初日はおっかなびっくりという様子だった。まあそれは、トッドに都合がよかったとも言える。なにしろ、現状の話をしなければならなかったのだから。といっても、彼とてすべてを把握しているわけではない。
エルソスの遺跡とは、かつてアルテミス・ファミリアが壊滅した地であること。そこで戦った何者かは、アルテミスを取り込んだということ。彼女は封印され、力を奪われる代わりに、その敵を休眠状態にもっていったということ。それと同時に、自分の力を“矢”として切り離し、自分の分身を作ったと言うこと。つまり今のアルテミスはアルテミス本人ではなく、その分霊のようなものだということ。
時には飛行中に、時にはキャンプ中に。知りうる限りの情報を話した。それですべてが納得いったわけでもないだろうが、とりあえずロキ・ファミリアはクエストの続行を決意してくれた。
そして暇になった。
四日を過ぎたあたりで、まずロキが自分も操縦したいと言い出した。ので、飛行機の操縦を教え始めた。そして見事にはまった。今ではいっぱしの飛行機乗りである。ついでにレフィーヤも飛行機が楽しいらしく、声を上げながらかっ飛んでいる。
今では彼女らは、曲乗りをするほどに飛行になれていた。同乗している人間にとってはたまった物ではないのだが、しかし運転してテンションが上がっている者にはそれも通用しない。今も上空で一回転したり、機体を回転させながら急降下したりしている。時折エンジンを吹かせては上昇し、またどんな乗り方ができるかを確かめていた。
『あはははははは!』
『いい加減にしろバカエルフ!』
『いーなぁー! 次降りたらあたし! あたし運転だかんね!』
「ロキ……もうちょっとおとなしく……」
「言うてアイズたんも操縦桿握ったらめちゃくちゃかっ飛ぶやん?」
「その…………うん」
『やれやれ……』
唯一普通に操縦している(のだかただ単に自重している)リヴェリア班が、呆れてつぶやいた。
『お前たち、少しは加減しろよ。トッド、こんなにめちゃくちゃに飛んで大丈夫なのか? 確か魔石が動力なのだろう』
「かなり余裕を持ってるし、予備の魔石も積んでる。だから帰れなくなるとかそういう心配はいらない。こういう可能性も織り込んでいたし」
『面目ない……』
かなり本気で申し訳なさそうに、リヴェリアが言う。
まあ確かに、飛行自体は楽しいだろう、と思う。今も、アイズが操縦しているロキを羨ましそうに見ているし。
ふとレフィーヤ班を見てみると、彼女は野生の飛行モンスターを煽っていた。モンスターはダンジョン以外にもいる。大昔、ダンジョンからあふれ出たそれらが野生化したものがいるらしい。この辺の歴史には、トッドはあまり詳しくなかったが。とにかく野生のモンスターはいきなり挑発され、怒って三号機を追いかけていた。が、彼女が魔導エンジンを回せばあっさりと引き剥がす。どうしても追いつこうとモンスターは必死だったが、やがて無理だと悟り、しょんぼりとした様子で去って行った。
全く自重を知らない連中だった。もしかしたら、今クエスト中という事も忘れかけているかも知れない。移動の行程には遅れがないため、わざわざ注意までしようとは思わないが。
「レフィーヤたん楽しそうやなー。うちもやってみよか」
「ロキ、やりすぎ。トッドも何か言って」
中部座席から身を乗り出して、アイズがロキの服を引っ張っている。そして、トッドを見ていた。この訴えの意味はすぐに分かった。早くロキに指摘をして、自分と操縦を変わるように説得して。
ふ……とトッドは笑った。さすがにそこまで面倒見切れない。彼女の視線には気付かなかったことにして、未だめまぐるしく変わる視界に酔わないよう集中しながら外を眺める。
その姿勢が、トッドが説得に応じる気がないと判断するには十分な物だっただろう。アイズは不服そうに顔を膨らませて(気配でだけだが)未だにロキの服を引っ張っている。
(しかし……)
こうも座ってばかりだと、考える時間だけはいくらでもあった。
(ベル君に
思うのは、先日というほど早くはないが、しかし思い起こすほど昔でもない時のことだ。
アルテミス・ファミリアとヘスティア・ファミリアは蜜月関係にある。これは秘密でもなんでもない事だ。主神同士が極めて仲が良く、眷族もそれなり以上に交流がある。まあ、わざわざ招いて食事を振る舞うような関係を険悪だと言ったところで、説得力はあるまい。
ベルに
自分が見ている範疇でなら、何かあったところでうまく対処できる自信はあった。だが、見てないところだけはどうしようもない。当たり前に気づけない。そして、アルテミスの行動範疇には、ヘスティア・ファミリアの比重がかなり大きかった。つまりベルが強くなれば、その分自分が見てない場所でのアルテミスの安全が確保されることになる。
アルテミスの安全が一パーセントでも保証されるなら、
(最初はその程度の意味だったが……)
ここに来て、ベルが
内通者の話によれば、槍、もとい“矢”が選んだのはベルらしい。当然行動も共にしている。
アルテミスはしっかりしているようで、どこか抜けた神格をしている。はっきり言って頼りあるような見せかけで全く頼りないのだ。この道中、どこでへまをして自分を脅かすか分かったもんじゃない。ベルと
過去を清算する途中で脱落などしゃれにならないが。とりあえずはその可能性を極めて下げてくれる。
(ここに来て、それ以上の意味を持つようになった)
自分が唯一、無料と言ってもいい値段で作ったベルが、
こういう言い方は嫌いだったが。自分に運が向いているとは感じざるを得なかった。
と、ふと思う。
(この場合、持ってるのは俺なのか、ベル君なのかどっちなんだろうな)
疑問に答えは出なかったが。どちらであっても、数奇ではあると思う。
今日という日から逆算すれば、ギリギリのタイミングで
運命まで含めて、奇縁の連続だ。これが良縁となるかは、これからの行動にかかっている。
(無論、無理矢理にでも良縁にしてやるがね)
縁に肘を突き、外を眺めながら思う。
運の向きなどという漠然としたギャンブルは嫌いだ。が、人事を尽くして、自分の手元までそれを引っ張り出すというのは好む事だった。何度も失敗し、失敗し、失敗し……そして成功を収めた。この一つが全てだ。これだけで、全てをうまく行かせる。それができる能力が、自分にはある。それだけは信じて。
『トッド』
と、声がしてくる。これはフィンのものだ。彼の隣からは『きゃー、こわーい』などという妙に明るい悲鳴が聞こえてくる。
リヴェリア班はパイロットの変更を一切していなかった。ティオネがフィンの隣という地位を手放したくなかったためだ。リヴェリアも自分がずっとパイロットである事に文句はないようで、常にそのままである。フィンだけは、やや迷惑そうだったが。
『そろそろエルソスの遺跡とやらのはずだが、どうだい?』
「視界がぐるんぐるんしてて全然分からない」
『ああそうだね、すまない……こっちで確認するよ』
ロキが操縦桿が壊れんばかりの勢いで、がっちゃんがっちゃん弄っている。それでも失速から墜落の様子がないのは、センスがあるんだかないんだか。視界がめちゃくちゃに移り変わる中、上下の判断をし続けられるのも地味に凄い。
飛行機は本体に対する空気抵抗の軽減と、多少の慣性制御も行っている(これを言って理解される事はまずないが)。そのため、飛行機に乗っていて船酔いのような症状を起こすことはまずなかった。まあ視界がめちゃくちゃに動くので、それに対する酔いまで防いでくれるわけではないが。この辺は冒険者という事で、全員三半規管が強い。ロキは例外のはずだが、まあ彼女の場合は体質なのだろう。
『! 全員、注目!』
フィンが叫ぶ。と、飛行機は即座に飛び方を水平に戻した。見ると、レフィーヤ班も同じように、曲乗りを即座に辞めている。多少遠くで、やや下方を飛んでるリヴェリア班。そこにいるティオネも、すでにフィンから離れて顔を緊張させていた。
このあたりの判断の速さは、やはりさすがロキ・ファミリアの団員といった所だろう。
『なんだァ、ありゃあ……』
ベートのうめきは、全員の言葉を代理したものだった。
まるで線を引いたかのように、森が紫色へと変色している。いや、変色しているのは森だけではない。大地、そして遠くに見える水辺。すべてが形容しがたい色へと変じていた。
「こりゃあ、ちょい下を確認した方がええかもな」
『じゃあ私が行ってきます』
ロキの言葉に、三号機が速度を落としながら下降する。
飛行機は空気抵抗を軽減しているとはいえ、無力化している訳ではない。とりわけ翼は、その空気抵抗で方向転換等をしているわけだし。
三号機に合わせて、他の二機も速度を落として彼女らの反応を待った。
『きゃっ』
「どないした!?」
レフィーヤの小さな悲鳴が上がる。それにいち早くロキが反応して、問いただした。
『いえ、何があったわけではありません。ただ、森の近くを飛んだら、多分風に煽られただけで木々が崩れ始めたんです』
『これは……森が死んでるのかな? ちょっと急いだ方がいいかもね』
荒廃した、というのともまた少し違う寂れた光景。それを前に、舌打ちが聞こえた。
『胸くそ悪いな』
『ベートじゃないけど、たしかにこれはなんかヤだよね。あたし、ここ嫌い』
もし顔を見ることができたなら、うえっと舌でも出していたのではないか。そう思えるような声が、ややひび割れたスピーカーから聞こえる。
「フィンが言うなら決まりや。飛ばすでぇ! アイズたん、トッド、しっかり捕まっとき!」
言って、ロキが思い切りアクセルを踏み込んだ。圧縮空気が強力に打ち出され、慣性制御でも打ち消せないほどの強力な負荷が体にかかる。体が座席に押しつけられて、ぎしりと音が鳴った。
二号機、三号機も習って最高速度まで加速している。互いに乱流の影響をうけないため、少しずつ機体の位置は離しているが、それでも編隊は崩さない。ファミリアがダンジョンでそうするような経験を、そのまま応用しているのだろう。つくづくトップ・ファミリアはとんでもない。
機体が小さく軋みを上げ、体が席に押しつけられて強い圧迫感を感じる。それでも誰も、アクセルを緩めなかった。
飛行機の最高速度はとてつもなく、それこそ飛行型モンスターとて比較にならない。もっとも、この速度をさほど長期間維持できるわけではないが。強力な速度を出しているということは、そのまま無理をしているという事にもつながる。機体は持っても、魔石の消費が激しいのだ。今は限界まで魔石を回している状態、という事になる。
かなりの倍率で増幅しているとはいえ、所詮動力は魔石だ。このペースで消費されれば長くは持たない。
「見つけた……エルソスの遺跡!」
アイズが叫ぶ。
正面よりやや左方、確かに崩れかけの遺跡が存在した。
死んだ森の半径から考えれば、ほぼ中心あたりに位置するのだろう。一本の大きな巨塔を、周囲で小さな塔が囲んでいる。バベルが折れて、時とともに風化すればこういう風になるのではないか、というような光景だった。
『待ってください! 下で戦闘が発生しています!』
『どこの連中だ、あいつら!』
『見たことある! あれ、ヘルメス・ファミリアだよ!』
言われて、トッドはとっさに下を見た。
遺跡よりほど離れた場所で、確かに戦闘が発生している。遠すぎて、トッドからは誰が誰だかまでは判断できなかったが。
『いや、上だ! 全員守れ!』
そんな状況であっても、フィンは正確に状況を把握していた。白銀の雨が、こちらへと降り注いでいる。
防御班が、全員とっさに叫んだ。
「
『
『オッラァ!』
アイズの防護風膜が。ティオナの不可視の壁が。ティオネの赤い攻勢防壁が。降り注ぐ神威の矢を次々と防いでいく。
「これは……アルテミスの
ロキはアクセルから足を離さないまま、こちらを向いた。
「何か知っとるんか!?」
「アルテミス様の力が何者かに奪われた、くらいの事しか知りませんよ! おそらく眷族である俺に反応して攻撃してきたんだと思います!」
制御されているとはいえ、風の圧力は強い。近くに座っていても、大声で叫ぶようにしなければ声は届かなかった。
「案の定厄介ごとやな! まあええわ! 六十億ヴァリス分の働きくらいしたる!」
『下はどうするの!? 今は優勢に戦ってるみたいだけど、さすがに多勢に無勢だよー!』
トッドからは戦況まで見えないが。それでも、モンスターの多さだけは見て取れる。一瞬の優位があろうが、それにどれだけ価値があるだろうか。いずれは数に押し込まれて、殲滅されるのは目に見えて言える。光景はさながら
『っ……! トッド』
フィンが苦渋を飲み込みきれず、口の端からこぼすかのようにうめく。
言わんとすることは理解できた。なので、トッドは即答した。
「必要なのは第一級冒険者の援護だ。残りは最初から邪魔が入らないよう足止めをしてもらうつもりだった」
『感謝する! リヴェリア班、レフィーヤ班、下降する! 目的はヘルメス・ファミリアの援護だ!』
『了解しました!』
『承知した!』
言葉と同時に、飛行機二機が急降下を始めた。
トッドらはそれに目もくれず、遺跡を目指して全速力で飛んでいった。
ヘルメス・ファミリアの戦場に向けて、二機の飛行機は一直線に突っ込んだ。そして直前で急制動をかけて、勢いが死にきらぬまま、半ば地面に激突するようにして着地する。
それに驚いたのはヘルメス・ファミリアの面々だった。背後からの急な襲撃(に思えた)に、面食らっている。が、それが人間だと分かると、すぐ声を上げた。
「ロキ・ファミリア!?」
「なぜここに!」
「事情は後だ! 援護する!」
フィンが叫ぶと、全員が一斉に飛行機から飛び出た。
ほぼ全員が第一級冒険者。それも、一人を除いて
フィンはその中から、一歩引いて集中した。
普段はそんな儀式は必要ない。だが、この場にはヘルメス・ファミリアがいた。彼らを仲間と認定するには、少なからず精神集中と自己欺瞞が必要だった。それでも一瞬で済ませられたのは、会心の出来と言える。
「光灯す槍よ! 皆に力を!」
その場にいる全員に、フィン相当の力、つまりLv.6のステイタスが与えられた。初めて味わうヘルメス・ファミリアはぎょっとしている。その隙に、モンスターに攻撃を与えられる団員もいたが、Lv.6のステイタスの前ではかすり傷のようなものだ。
本当ならば、自分も強化したかったが。この状況がどれだけ続くか分からない現状では、賢明な判断とは言えず断念する。そもそもスペックだけ見ても、Lv.6が数十人という状況ですら、過剰な戦力と言えるのだ。
「いいか!」
フィンは後方で槍を掲げて、全員を鼓舞した。ヘルメス・ファミリアの、みなぎった力の動揺をそれで無理矢理押さえ込む。
「僕の戦場に敗北はない! 剣を持て! 槍を持て! 盾を持て! 敵に立ち向かえ! 君たちの勝利は約束されている! 後は戦うだけだ! 総員、我に続け!」
激励を残し、フィンは一歩を踏み出した。Lv.6のステイタスは、たった一歩で後方から最前列へと体を踊らせる。
モンスターの数は多い。そして、狂ったように暴れている。しかし、強くはない。今も、たったの一撫でで数体のモンスターが消し飛んだ。魔石を狙ったわけでもないのに体がまるごと消えるのは不思議ではあったが、今はそれを考える時でもない。
「うおおおおお!」
「よっしゃあ!」
「ロキ・ファミリアが来てくれたなら百人力だぜ!」
「行くぜ! 奴らを叩きのめせ!」
ヘルメス・ファミリアの軍勢が興奮のままに、モンスターへ躍りかかった。勢いが先行して、隊列が乱れているのはあまりよろしくないが。これはフィンの、
「すまねえ、助かった」
その中でも冷静だったのが、ヘルメス・ファミリアの副団長であるファルガー・バトロスだ。アスフィの姿が見えないあたり、この場の指揮権は彼にあるのだろう。
弱いモンスターではあるが、それでも油断しない。モンスターがモンスターである以上、何が起きても不思議はないのだから。注意はモンスターから離さず、しかしファルガーの言葉にも反応して、片手を振った。
「かまわないよ。僕たちも僕たちのクエストあっての行動だ」
「それでもだ。このモンスターの数だろ? 正直何人かの犠牲は覚悟していたが、その必要もなくなった」
「では、感謝は素直に受け取っておくことにしよう」
ふ……とフィンが笑うと、ファルガーも同じく笑みを返した。
負ける気がしない、しかしいつ終わるかも分からない戦闘は、まだ始まったばかりだった。
「で、どうすんのや!」
ロキが操縦桿を小刻みに動かしながら絶叫する。
それは、飛行機が言うことを聞かなくなり始めたのも無関係ではないだろう。曲乗りの上、極めつけの全力飛行。魔石の力はいつ尽きてもおかしくない状態になっているはずだ。
「空……月が二つ……!」
アイズが荒れ始めた風に髪を押さえながら、天空を見上げた。
確かに空には、月らしきものが二つある。エルソスの遺跡からあふれた何かが、空の上にもう一つの三日月を作っている。いや、それは正確には弓か。引き絞られて、矢がつがえられつつある。
「げっ……あれは
時間はもうどれほどもない。それは、誰もが思い知らされた事だった。
「入り口へ!」
「もう行っとる!」
トッドが叫ぶと、ロキはそれに答えながら、操縦桿をひねった。
遺跡の周りを多少迂回し、直線で突入できるように軌道を変える。安定しない視界の中、遺跡の崩れかけた門が連なった場所に位置を変える。
直線上に障害物は多少あれど、飛行機のサイズならくぐり抜けられる程度のものだった。が、その真正面。まるで腐った肉が盛り上がるようにして、扉の代わりに入り口を塞いでいる。
「なんかメッチャきしょい壁があるんやけど! 止まるんか!?」
「そのまま突っ込んでください! アイズは風で飛行機を守って!」
「分かった。
渦巻く空気の層が、飛行機の先端部分を中心に生まれる。まるでドリルのような形状で、飛行機全体を守っていた。風の流れまで遮断しているので、代わりに飛行機は小回りを失ったが、問題ない。
トッドは背後の荷物に手を突っ込むと、二本の剣を引っ張り出した。ともに両手剣で、剣の幅はさほどではなく、凝った造りでもない。それを両腰に佩いた。
「ぎゃあああああ! 怖い怖いぶつかるぶつかる死ぬ死ぬ!」
ロキは迫る壁に、悲鳴を上げながらも速力は緩めなかった。その事に感謝しながら、トッドは左の剣を抜き放った。
椅子から無理に立ち上がり、座席の縁に片足を乗せる。そして、剣を何度も振り払った。
虹の性能は、極めてシンプルだった。その能力は、ティオネに渡した
虹で切り裂かれた破片を、風の防護膜が吹き飛ばす。飛行機はそのまま、中に突入していった。
内部は、まるで生き物の体内のようになっていた。壁という壁すべてを肉腫が埋め尽くし、所々卵に似た塊がある。どこも粘液を纏っており、それがまた一層嫌悪感を煽っている。
ここまできてやっと、ロキはアクセルを緩めた。それでも、走るよりは大分早い速度で飛んでいるが。
「生き物の体内……いや、こらもうダンジョンやな」
「気色が悪い……」
「確かにもう、これは遺跡とは言えませんね」
飛行機に揺られたまま、思い思いに感想を述べる。
途中、モンスターが降ってきたり、入り組んだ場所などもあったが。虹とアイズが作り出した壁で、無理矢理破壊しまっすぐに進んでいく。
やがて、塔の中心部らしき部分に出て。飛行機をゆっくりと下降させていく。
その場では戦闘があったようで、破裂音やら何やらが聞こえてきた。崩落の音も響き反響している。
飛行機が地面に着地する。と、そこでもう、飛行機はうんともすんとも言わなくなった。
「あかん、ガス欠や。ギリギリやったな」
「ロキ!? それにアイズ君やトッド君まで!」
それは、絶望のような、希望のような。なんとも言えない声だった。
声の発生者はすぐに分かった。近くでたたずんでいるヘスティアだ。近くに幾人かいる。全員一応知った顔だった。
ヘルメス・ファミリアの主神ヘルメスに、その団長アスフィ。飛び込みで弟子入りなどしてきたヴェルフ。ベルのサポーターをしている(確か
「なんでロキたちとここに!?」
「それは後だ! トッド! アンタレス――アルテミスを捉えている元凶は崖の下に落ちた! アルテミスとベルも一緒だ!」
「ありがとうございます」
ヘスティアの事を相手している時間も惜しい。申し訳ないが無視して、彼は崖に走って行った。
「アイズ! こっからあんたの出番だ!」
「分かった……! ロキを、お願いします」
二人して同時に、崖の下に飛び降りる。その背中に、ロキの声がかかった。
「アイズたん! トッド! 絶対うまくやるんやで! 失敗してアルテミス送還なんて事になったら承知せんからなー!」
背後からの激励を受けて。
アイズとトッドは、アンタレスが作る闇夜に飲まれていった。