ダンジョンにすっごい研究者が現れた   作:緑黄色野菜

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誰が物語

 トッド・ノートという男について。あるいは、名もなき少年について。

 最初の記憶は、薄汚れた路地裏だったと思う。が、よくは覚えていない。本人もどうでもいいことといって、ろくに記憶には残していなかった。

 少年は孤児だった。親の顔も名前も知らない。その土地は浮浪者に特別厳しい土地という訳でもなかったが、かといって団結を許すほど寛容でもなかった。薄汚れたはみ出し者たちは思い思いの場所で、ただ日々を漫然と過ごしていた。

 少年に少し違いがあったとすれば、それはほんの少し頭が回った、という点だろう。彼は程なくして掃きだめから抜け出して、街の外へと出た。街の名前も、国の名前すら思い出せなかった。

 小ずるい頭脳で、多少の金を稼いではいろんな街を回った。大金は持たなかった。持てば殺されると、その頃には理解していた。小さな、片手に乗る程度の革袋に入った金銭が、常に彼の全財産だった。それと同時に、知識も貯めていった。運がよかったのだろう。彼が回った土地は、どこも知識をため込むには不足ない場所だった。

 不満はあった。彼は成長して行くにつれて、好奇心が旺盛になっていったのだ。何でも知りたくなった。何でも調べたくなった。何でも作りたくなった。何もかもを、自分の脳にたたき込みたくなった。

 研究者として産声を上げたのは、この頃だった。

 まだ少年という年から脱却できない頃。彼はオラリオに定住する事に決めた。

 迷宮都市(オラリオ)――それはこの世でもっとも野蛮な都市の名だ。聞いた限りでは、ろくな統治機構もない。すべてが神々の楽しみの為に作られ、神々が思ったことこそが法になる。そんな、世界一馬鹿げた土地だ。

 それでもオラリオに行こうとした理由は二つある。一つは、いくら馬鹿馬鹿しい場所であっても、正真正銘世界の中心であるから。もう一つは、財産など体一つしかない元浮浪者の孤児であっても、成り上がるチャンスがあるからだった。

 都市に入るのは簡単だった。基本的に誰でも入り込める場所だったから。だが、それからが難航した。

 オラリオにはファミリアというものがあり、そしてそれが全てだった。オラリオの中心は間違いなくファミリアであり、それを中心にしてギルドが回している。が、それには欠点もあった。ファミリアには色がある。もっとも多いのが探索系であり、そのほかに生産系やら商業系やら。簡単に言ってしまえば、トッドが望むファミリアはなかった。

 ファミリアに入ること自体は、造作もなかっただろう。いつしか青年に片足を踏み入れるほど大きくなった男は、長年の放浪生活で、それなりにいろんな事を経験していた。商売の真似事をした事もあった。そもそも、道中はモンスターやら野党やら危険が山ほどあったため、武器は一通り扱えるようになっていた。

 どこにでも入れる。しかし、望んだ系統のファミリアはない。ここに来て、トッドは頭を悩ませた。どうすればいいだろうか。

 候補がなかったわけではない。団員に比較的寛容なファミリアであれば、自分だけ研究者として成り立つ事も出来たかも知れないが。その場合も、他の団員がネックだった。

 トッドは人生のほとんどを一人で生きてきており、仲間など持った事がない。戦うすべこそあれど、他者と連携をするような器用さや寛容さは持っていなかった。厄介なことに、それを自覚もしていた。普通のファミリアには入れない。

 ファミリア一覧の用紙に、半分ほど線が引かれた頃だっただろうか。その女神と出会ったのは。

 その神は、一言で言ってボロボロだった。風体が、ではない。その精神が壊れかけていた。壁により掛かり、力なく体を預けている。頬には幾重にも重ねた涙の跡があり、それが落ちないほどになっている。目元には隈があり、充血もしていた。しかし、泣いてはいなかった。もう涙も出ない。そんな事を連想させた。

 当時のトッドは、彼女について何も思わなかった。ただ、ファミリアをなくしたのだろう、その程度に感じていた。同時に、都合がいいとも。

 団員一人の小さなファミリアであれば、ファミリアを好きに扱える。団長の座に立ってしまえれば、何系のファミリアと言ってしまうことも出来る。

 トッドはその女神に、契約を持ちかけた。

 女神はチラリと男を見た。ガラス玉のような、何も見ていないとすら思える眼球。それが本当に彼を捉えていたかどうかは分からない。

 ただ、彼女は契約に応じた。それが捨て鉢故の行動だとは、傍目から見ても分かった。

 神の恩恵(ファルナ)を刻まれた後、彼はどこかの倉庫へと案内された。小さな倉庫だった。倉庫と言うよりは、大きめのロッカーとでも言った方が正しいかも知れない、それくらい小さな倉庫。そこには、結晶に穂先を包まれた、一本の槍があった。

 引き抜いてみて、と女神は言った。トッドは言われるがままに、槍に触れた。力を入れても何も起きなかった。

 女神はそれで、何を言ったわけでもない。ただ、絶望は絶望のままだった、それだけが知れた。

 それからの生活は、少しばかり忙しかった。手持ちなど何もない神一柱と人一人。借家を借りるだけの手持ちがあったのは、奇跡と言っていい。

 トッドは探索系ファミリアの真似事をしながら、とにかく戦った。幸い、彼は小器用であったため、獲物は選ばなかった。なので、改めて武器を買わずとも、ダンジョン内でうち捨てられた武器を拾っては整備し、それで戦い続けることができた。

 女神はほとんど動かなかった。日がな一日椅子に座っては、ぼんやりと外を見ている。ただ、時折何かを思い出してか、涙を流していた。何をするにも、世話してやる必要があった。介護とダンジョンアタックの二重生活は大変なものだった。

 やがてLv.2になると、生活は楽になった。トッドは中層で戦えるようになった。相変わらず食料庫に突っ込んでは殲滅するまで戦うという無茶な方法だったが、それを中層で行えるようになったため、稼ぎが桁違いになった。ホームを買ったのもその頃だ。これでやっと、研究にも打ち込めるようになると喜んだ。

 女神が自発的に動くようになったのも、この頃だったと思う。ほんの少しの差ではあったが、自分で立ち上がるようになった。初めて向こうから話しかけられた。彼女の名前がアルテミスだと、その時初めて知った。ずいぶんと遅い名乗りだった。

 それからの生活は、楽しかった……のだと思う。

 食卓を一緒に囲むようになった。雑談をするようになった。一緒に買い物をするようにもなった。危険なダンジョン探索に、怒られるようにもなった。他にもたくさんの――本当にたくさんの、思い出ができた。

 いつしかトッドにとって、彼女が隣にいるのが当たり前になっていた。一緒に笑い合うのが、嬉しくて楽しくて仕方なかった。時には喧嘩もしたけど、それも悪くないと思うようになっていた。

 何のことはない。彼は生まれて初めて、家族を得たのだ。

 

 

 

 トッドはいつしか、考えるようになっていた。アルテミスは闇がある。それが何かは知らないが、どうにかして晴らすことはできないか。

 昔――初めて会った場所に向かった。目的は、その近くにあった倉庫だ。あの槍を調べれば、何かが分かるかも知れない。昔取ったなんとやらで、簡単なピッキングくらいはできる。果たして、その場に向かって……しかし、槍はもうそこにはなかった。場所を移されたのか、それとも手放したのかは分からない。

 アルテミスにそれとなく探りも入れてみた。それも、理解されないか、あるいははぐらかされるかで、要領を得なかった。ただ、頑としてその件については話すまいというアルテミスの意思は感じた。これは無駄だと諦めて、トッドはそれ以降、話題にも出さなかった。

 ダンジョンアタックの合間に、研究を続ける。が、うまく手につかない。

 理由は簡単だった。テーマが決まらないのもあるが、アルテミスの事が気になって仕方がないのだ。

 アルテミスの神威が弱いのは分かっていた。それは自ら抑えている訳ではない事も。加えて、あの正体不明の槍だ。それらには必ずつながりがあるはずだ。しかし、どんなつながりがあるかまでは分からない。そもそも何がアルテミスを苛んでいるのかも。何をするにしても、情報が足りなかった。

 それを打開したのは、一人の神だった。

 神は、ヘルメスと名乗った。自分はアルテミスの協力者であり、同時に今から裏切り者にもなる、と。

 トッドはヘルメスから聴ける限りの事情を聞いた。アルテミス・ファミリア壊滅の経緯。槍、もとい“矢”に残されたアルテミスの残滓と言える存在。いずれアルテミス・ファミリアを壊滅させた何者かは封印を破り、復活するだろうという事。その時こそがアルテミスが完全にこの世から消える時であろうという話まで。

 最初、ヘルメスが彼に期待して話しかけた訳ではなかったのは明らかだった。ただ、ファミリアだからその覚悟はしておいてくれ。せめて穏やかに過ごせるように、それが無理ならば、なるべく穏やかに改宗するよう。その程度。

 だが、トッドにとってはそここそが始まりだった。

 研究のテーマは決まった。『アルテミスの救出』その点にのみ絞った。

 まずは力そのものからだ。神の力(アルカナム)は精神力に似ている。それを発見して、彼は魔力の研究に打ち込んだ。

 冒険者に限らずあまねく人に、魔力という力が発現するようにした。これにより、個人差のブレを観測し、マクロな視点から調整できるようにしようと考えた。

 次に考えたのは、その扱いだ。精神力という力を自在に操り、調整できるようにした。これにより、力の流動を可能とした。

 最後に考えたのは、力の変換だ。力を別の力に変じて出し入れできるようにすれば、あらゆる事象を起こせるようになる。力を、魔法という超常現象に頼らず変えることも、ため込むことも、自由自在に。

 精神力の発現までは順調だった。だが、力の操作と変換には手間取った。単純にサンプルが足りなかったのだ。一人分の観測結果では、もしかしたら神の力(アルカナム)にそれを流用することができないかもしれない。

 結果が出たのは、研究期間を考えると本当につい最近だった。アイズとレフィーヤ、都合がいい二つのピースを揃えて、初めて完成形を想像することができた。

 宝剣(シザウロス)という力を生み出すと、ヘルメスからの接触が増えた。彼も、もしかしたらと思ったのかも知れない。もしかしたら、本来あるべき結末とは、また違う結果を生み出せるかもしれないと。

 トッドは十何本かの宝剣(シザウロス)と、それに数倍するサンプルを作り続けた。あらゆる方法を試した。力の返還、蓄積、流動、融合、拡散、収束……

 ――アルテミスは、もう忘れているかもしれない。トッドに“矢”を触れさせた事も、彼が彼女に懸念を持っている事も。全てを忘れ、そして忘れさせ、いずれ来る破滅に悲しみながら、今を楽しんでいたのかもしれない。それでも、彼は忘れたことはなかった。初めて触れた“矢”の事も、彼女の失意の事も。わずかに残った記憶から、あらゆる可能性を想定して力を蓄えた。一度として忘れたことはない。

 同時にトッドは隠した。隠し続けた。もし知られてしまえば、アルテミスがどんな行動を取るか予想ができなかったから。

 そして、集大成は生み出された。

 もし、宝剣(シザウロス)という力を、アルテミスを救うためのものを指すならば。無数の宝剣(シザウロス)は、ただの副産物に過ぎない。

 唯一その剣だけが、“宝剣”と呼べるものである。

 

 

 

 アンタレスの魔石を正確に射貫いた剣は、正しく言えば剣ではない。いや、そもそも実態ですらなかった。その証拠に、アンタレスが身をよじると、魔石には傷一つない状態でそこに存在している。

 

「こいつを動かすな!」

 

 言うが、全員言葉の前に動いていた。

 アイズは風を網状にして、アンタレス全体を包んでいる。アスフィはもとより、リリルカとヴェルフも執拗に断面へ攻撃を加えていた。ベルだけは、唯一攻撃に参加せず、言われたとおり“矢”を持ったまま、トッドの近くで待機していた。

 

「この剣はな……」

 

 トッドは誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

 いや、聞かせるつもりはあったのかもしれない。物言わぬ、言ったところで理解せぬアンタレスへ。それに皮肉のつもりがなかったとは言いがたい。

 

「冒険者が使うものと考えたら、全くの無力だよ。なにせ、攻撃力なんてかけらもないんだからな」

 

 アンタレスが激しく体を揺さぶった。だが、その程度で動けるようにはならない。

 あるいは、これから何が起こるのか獣じみた予感があったのかもしれない。それでも関係ない。この状態になった時点で、全ては終わっている。

 きぃ……と音を立てて、その剣が起動した。その瞬間、アンタレスがびくりと痙攣したのは無関係ではあるまい。

 

宝剣(シザウロス)、“夢幻”の機能はただ一つ。持っている力を再編集、再分配することだけだ」

「ァァァァァァァアアアアアアアア!!」

 

 アンタレスが悲鳴を上げた。今までの咆吼とはまた違う、苦しみにもだえたものだった。

 夢幻は使用されるに当たり苦痛が伴うのだろうか。試したことはないので知らない。が、どうでもいい事だった。むしろ小気味よくすらある。ほんの少しでも苦しまなければ、今までのアルテミスを思えば、採算がとれない。

 

「奪い、混ざり合った力は分離する。刀身の中でそれらは編纂される。そして、所持者の好きなように割り当てを変えられる」

 

 剣に光が幾筋も走った。太陽光に当てられ、陽光が刃の上を滑って行くようだ。それが何本も、何十本も、何百本も高速で行き来する。

 アンタレスが残った胴体で、ジタバタと左右に体を振ろうとする。が、それもやはり他の冒険者に止められた。アイズが魔法を唱える。風の網は、雷撃の刃へと姿を変えていた。目もくらむ光が全身に食い込む。装甲は炎熱に剥ぎ取られ、肉を焼く異臭が漂った。

 

「この通り即効性もない。だが、感じるだろう? お前の中から神の力(アルカナム)が抜けていくのを」

 

 力を証明するものが何だったかは分からない。だが、確かにアルテミスを封印する、蒼穹とも表現できそうだった青い魔石、それが色を失っていく。濃い青に邪魔されて姿形も朧気だったアルテミスの姿が、次第にくっきりしていく。

 巨大な魔石の中で封印されているアルテミスは、まるで眠るように瞳を閉じていた。

 

「ああ、当然お前自身が元から持っていた力も残さん。剣を通じて虚空に消えていくさ。“夢幻”ならそれくらい造作もない」

 

 言葉の通りに、アンタレスの抵抗はどんどん弱まっていった。再生速度すら、目に見えて弱まっていく。

 が、アンタレスはまだ諦めていなかったのだろう。モンスターにまともな思考回路があればだが。

 アンタレスは、他の戦士の合間を縫って、足の一本だけを再生した。その鋭い爪が振りかぶられ、トッドの脇腹に突き刺さる。

 爪はかなり深く、トッドの腹に刺さっていた。ぐっとうめきが漏れる。

 

「トッド……!?」

「くっ……このぉ!」

 

 アルテミスから悲鳴が上がる。ベルが、とっさにナイフを振って、足を断ち切った。さらに後、ヴェルフが根元を切りつけて切断する。

 かなりの苦痛だったが、これでも冒険者だ、苦痛には慣れている。ただ、その一瞬だけは集中が途切れて、“夢幻”の流れが多少滞ったが。それでも誤差の範疇内と言える。

 トッドはこれ以上遅れないよう、歯を食いしばって耐えた。幸運にもと言うべきか、傷は少しばかり放っておいたところで死にはしない程度だ。爪は筋肉で止まっており、内臓までは達していない。

 

「大丈……夫?」

「気にするな! それより拘束の継続を頼む」

 

 こちらを心配げに見るアイズに告げる。

 実際、重傷と言っていいダメージではあったが。もっとうまく宝剣(シザウロス)を使えていれば、こんなこともなかったかもしれない。

 

(俺自身も、宝剣(シザウロス)の習熟をしておくべきだったかね)

 

 今更悔やんだ。まあ、もう遅いし、そもそもどうでもいい。こんなつまらない苦痛など、明日に捨ててしまえばいい。

 

「無駄だよ! お前はもう終わりだ!」

 

 トッドはアンタレスに向けて、声高に絶叫した。まるで自分を叱咤しているみたいだ、とも思えた。苦痛に、その意味がなかったとも言い切れない、と苦笑する。

 夢幻の中で行き来する光が増える。同時に、頭が沸騰しそうになった。いくら夢幻にある機能だからといって、それを処理しているのは、所詮一人の人間だ。トッドの情報処理が間に合わなければ、今までの苦労が水の泡だ。

 なんでもいい。頭がぶっ壊れたってかまわない。ただ、トッドは最後の絶叫を上げた。

 

「よくもまあ長々と、うちの神様をいじめてくれたなぁ! くたばれくそったれ!」

 

 その言葉と同時に、アンタレスがびくんと震えた。

 初めて、魔石の中にいるアルテミスが動く。まるで深い水の中をゆっくりと落ちていくように、体を落としていった。

 

「ベル君、“矢”を!」

「はい!」

 

 トッドは右手を離すと、ベルから“矢”を受け取った。

 “矢”を、夢幻の刃の上、魔石との中間点に当てる。すると、“矢”は神聖文字(ヒエログリフ)を起動した。機能が発揮された訳ではない。夢幻による力の編集で、それが編纂し始められたのだ。

 やがて“矢”に描かれ、光っていた神聖文字(ヒエログリフ)は力なく薄まっていく。

 

「アルテミス!」

「どないしたんや!?」

 

 背後で声がする。振り向くほど余裕はなかったが、何が起きたかくらいは予想できた。

 アルテミスの姿が消えかけているのだろう。この場にいたアルテミスは、いわば魂の分体。本体から切り離された、もう一人のアルテミスにして、アルテミス本人。それが、夢幻の力により本体に帰ろうとしている。

 

「帰って……こいよ……!」

 

 “矢”から神聖文字(ヒエログリフ)の光が完全に消えるのと、魔石が色を失うのは、ほとんど同時だった。

 アルテミスの体が、魔石の境界面へ触れる。接触し、表面は波打って、そして彼女の体がゆっくりと降りてきた。

 トッドは夢幻を捨てて、アルテミスを、両肩を押さえるように支えた。そして水面を漂うように落ちてくる彼女の体を、なんとか支えた。

 人一人分の重みに、脇腹が悲鳴を上げた。が、そんなものに負けていられない。これが終わったら、もう倒れたって何したっていい。そう思いながら、賢明に彼女の体を支えた。

 魔石から彼女の体が完全に出ると、アンタレスは最後の悲鳴を上げた。そして、最初は青から、次に透明になった魔石は、アルテミスを失って通常の色に戻る。本当にただ大きいだけの、普通のモンスターの魔石に。

 

「今っ!」

 

 その叫びは、誰のものだったか分からない。もしかしたら、皆のものだったかもしれない。

 アイズとリューが、同時に魔石へ飛び込んだ。と、ほぼ同時に、アスフィが爆発液を投げた。三つの線が重なったと同時に、爆発が起きる。それだけで、魔石はあっけなく――本当にあっけなく砕け散った。

 煙が晴れると、すすで黒く染まった二人がたたずんでいた。

 

「……危険物を投げ込む時はですね、もう少し周囲に気を遣って……」

「ご、ごめんなさい。ついチャンスだと思って」

「……けほっ」

 

 三人で、なんだか一悶着あったようだが。

 トッドはアルテミスを胸に抱えたまま、上着を脱いだ。そして、全裸の彼女にかぶせる。

 アルテミスは、暫く微動だにしなかった。が、そのうちぴくりと指が動く。連動するように、全身が動き始めて。やがて自重を足で支え、ゆっくりとまぶたを開いた。

 

「……トッド」

「よかった、記憶もちゃんと受け取ったみたいですね」

 

 夢幻の機能を考えれば、当たり前の結果ではあったが。なにしろ初めての行いの上に、事前に試せるような状況も、余裕もなかった。成功して、ほっと吐息を漏らす。

 

「君は馬鹿だよ」

「アルテミス様ほどじゃありませんよ」

「そんなことはない。こんな、私のために怪我までして……」

 

 言って、彼女は脇腹の近くをそっと撫でた。苦痛を与えないためだろう、直接は傷口に触れなかった。それでも引きつるように響いたが、それは隠しておいた。

 彼女が神威を発し始めた。今までのように、弱々しいものではない。普通の神が当たり前に発するのと同じ程度に、彼女は神威を出している。

 アルテミスが手を引く。と同時に、トッドの胸へと手を当てた。

 

「君はオリオンじゃなかった」

「知ってます」

 

 遙か昔、“矢”を抜くことはできなかった。無垢なる、アルテミスが望む魂の持ち主ではなかった。とっくの昔に思い知らされた事だ。

 

「私はずっと君に嘘をついていた。裏切っていた」

「さっき聞きましたし、そもそも今更です。ずっと気付いてました」

 

 アルテミスが唇を噛む。その感情は分からない。

 引き絞った口を開き、視線を上げた。ちょうど、トッドのそれと交わるように。

 

「それでも君は、こんな私を助けてくれた」

「家族、ですから」

 

 アルテミスは笑みを作った。と同時に、涙も流していた。

 トッドは彼女を抱き寄せた。久方ぶりに見た気がする彼女の微笑みは見ていたかった。が、それと同時に、もう彼女の涙は見たくなかった。相反する感情は後者が勝って、女神の涙は自分の胸に押しつけた。

 

「――ただいま、トッド」

「――お帰り、アルテミス様」

 

 トッドは小さな小さな女神を抱きしめた。彼女も同じように、ちっぽけなちっぽけな眷族の背に腕を回した。

 

「わあああぁぁぁん! アルテミスぅぅ~! 無事でよかったよぉぉぉ~!」

 

 大泣きしたヘスティアが、二人に向かって飛び込んでくる。アルテミスはなんとか受け止めたが、トッドは傷に響いてその場で転んでしまった。

 

「イっつぅ!」

「トッド!?」

「ああっ、ごめんよトッド君!」

「とりあえずこれ、ポーションです。どうぞ」

「ありがとう」

 

 アスフィから受け取ったポーションを腹に垂らす。それで完治とはいかなかったが、今までのように立っているだけで響くほどではなくなった。なんとか立ち上がり、周囲を見回す。

 アイズとリューは、体中についた汚れをはたいて落としていた。ベルはパーティーごと、手をたたき合って喜んでいる。残りの神二人は、にこにこと笑いながらこちらに近寄ってきている所だった。

 

「ところで、こんなこともあろうかと着替えの服一式があるんだ。半裸もなかなかに眼福だが、乙女をじろじろと見るのも申し訳ない。受け取ってくれたまえ」

「こんな状況って、お前一体どんな状況を想定して生きとんのや」

 

 ヘルメスの厚意に、ロキが呆れのため息をはきながら。

 戻ってきた冒険者一同に囲まれて、アルテミスはもみくちゃにされていた。互いに抱き合い、喜び合い、満面の笑みを浮かべている。

 トッドは一歩引いてそれらを眺めていた。

 ヘルメスは輪から抜け出てくると、そっとトッドの隣に立った。そして、誰にも聞かれないよう、小声で話しかけてくる。

 

「これが君の描いた、誰も泣かない最高の物語ってやつかい?」

「そんなんじゃないです」

「?」

「本当に、そんなんじゃないんですよ」

 

 ヘルメスは理解できないという様子だったが。トッドは口の中で繰り返した。本当に、そんなご大層なものではない。

 他の人の事なんて考えもしなかった。地上がどうのなんてご大層な事、思いつきもしなかった。

 ただ。

 彼はただ……

 

 

 

 これは、魔物に汚されてしまった神から、世界の命運をかけて戦うような物語ではない。

 一人孤独に泣いているただの女の子を、泣いたままこの世の理から切り離し救う話でもない。

 ただ、一柱の神が、一人の眷属の元へ帰る。ただそれだけの話なのだ。

 


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