ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
オラリオに戻って、しばらくは忙しない日々が続いた。
丸々二月。それが《アルテミス事件》の事後処理に必要な時間だった。
「ふぅ……やっと落ち着けるねえ」
「そうですね」
どかっと音を立てて、アルテミスが椅子に座り込んだ。トッドはそれほど無作法ではなかったが、それでも疲れはたまっている。吐息をはきながら、椅子が軋みを上げる程度には体を強く落としていた。
どちらも、今はお茶を入れる気力もない。静寂の中、どちらともなく家の中を見回した。
家の中は、何が変わったわけでもない。いつも通りのやや古びた一軒家で、当たり障りない程度の調度品があり、壁の隅にあるハンガーラックには白衣が並んでいる。
「お金、なくなっちゃったねえ」
「金銭で片がつくなら安いもんでしょう」
彼女の言葉の通りに、今までアルテミス・ファミリアがため込んだ資金は、今やゼロに近かった。
オラリオに帰ってきて後から知ったことだが、アンタレスが発した神威の影響は遙か遠く離れたオラリオにまで届いていたらしい。“オリオンの矢”こそ発動はされなかったが、ダンジョンはその神威に触発されていた。無数のモンスターが暴走し、多くの冒険者に被害を出していた。それを押さえたのがロキ・ファミリア居残り組であり、フレイヤ・ファミリアであったらしい。
アルテミスの事を隠そうとすれば隠せたし、しらばっくれる事も不可能ではなかっただろう。だが、彼らはそれを選ばなかった。
被害に遭ったファミリアに、賠償金を渡しながら謝罪して回った。もちろんロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアに感謝を告げにも。
一カ所一カ所に渡す資金はさほどではなくても、何しろファミリアの数が数だ。その上、ギルドからモンスターを活性化させた(どうやらしていたらしい。後から知ったことだが)罰で(それと名言はされていないが、
はぁー……と息を吐いて、アルテミスはべたっとテーブルに突っ伏した。両手を伸ばし、顔だけは上げている。
「それでも、弔うのに足りるだけの資金が残ったのは助かった」
「時が再び動き出した遺跡の中、さすがに腐らせて放置はできませんからね」
「そこら辺、トッドはよく財務管理をしてくれたよ」
「俺にとっても先輩の話ですから」
方々に感謝と謝罪を追えた後、彼らは再びエルソスの遺跡へ向かった。
飛行機二機はロキ・ファミリアに譲渡したが(しょっちゅうホーム上空を飛んでいる。これをうらやましがってか、いくつかのファミリアから注文が入っている。フレイヤ・ファミリアからは一番最初に納入するようにと釘を刺された)、一機はファミリアに残っている。それを飛ばせば、遺跡まではさほど時間を取らなかった。
改めて入ったエルソスの遺跡は、多少戦闘で荒らされているものの、本当にちょっと大きめの遺跡でしかなかった。アンタレスがいない影響か、中に明かりは確保されていなかったが。念のため持って行った魔力灯が役に立った。
さすがに無数の遺体をオラリオに持ち帰るほどの余裕はなかった。仕方なしに、遺跡周囲に彼らを埋葬した。それで満足してくれるかは分からない。死者の声など聞こえない。だが、せめて、あの世でアルテミスが健在である事に満足してくれればいいと思う。
元ファミリア団員の墓碑を前にして、アルテミスが何を思ったかは分からない。だが、祈祷を終えてあげた彼女の顔は、その前より幾分さっぱりしているように見えた。
「しかし、これでやっとゆっくりできる」
アルテミスははしたない声を上げながら、テーブルから体を起こし、伸びをする。
「俺はまだ、これからギルド通いですよ」
「またギルドかい? 彼らも強欲だな」
アルテミスが眉を潜めて言った。
今回の事件について、ギルドは事態を重く見ている(事になっている)。ファミリア資金の大半が飛んだのも、主にそれが原因だ。罰金がかなりの額になったのだ。そのほかにも、要求された事がある。
「新しい研究成果の権利譲渡、だっけ? いいのかい、そんなことをして」
「まあ、うちが抱えてても持て余すものではありますからね」
ギルドが要求したのは、意外にも
まあ元々ダンジョン管理はギルドの役割だし、理屈は通っている。
そのことについて、エイナからは平謝りされた。自分が迂闊にも漏らしてしまったせいで、研究成果の要求をされてしまったと。
アルテミスはぷくっと頬を膨らませた。
「そうじゃなくて、彼らは君の技術の私物化をしようって言うんだよ。それを許してしまっていいのか?」
「よくはありませんけどね。借りがある場合、これ以上の要求は、自分たちの方に問題があるという位にまで譲歩したほうがいいですよ。その証拠に、彼らはこれ以上こちらに干渉する姿勢は取っていないでしょう?」
「それはそうだけど」
言うが、アルテミスはまだ不満げだった。
「それに、“夢幻”も渡してしまった」
「あれは正確には、ギルドに渡したのではなく、神ウラノスに譲渡したんですけどね」
「同じ事さ」
言葉の通りに、今“夢幻”はウラノスの管理下にある。
“夢幻”は、剣とみた場合、失敗作以下のものではあるが。神になんらかの異常が発生した場合、その蘇生を試みるという観点から見れば、切り札たり得る。今頃は、使い手たりえる者の厳選でも行われているのではないか、とトッドは予想していた。
アルテミスが地上で
モンスターが神を取り込み、その力を好き勝手に扱う。これは神にとっても予想外の事だった。それも、最悪に近い。一番問題となったのが、これからもそんなことがあり得るという点だった。明日は我が身なのだ。
勝手に使われた力の責任を負わされて強制送還。これはどの神も望むところではなかった。せっかく元に戻る手段が現れたのに、強制送還など冗談ではない。それを嫌って、神々は口をつぐんだ、と言える。
「誰も彼も自分がかわいいから私を許した。勝手なものだよ。……それで下界に居続ける事を許された私が言える立場ではないけど」
「ははは、本当に。でもいいじゃないですか。そのおかげで、アルテミス様もこうしていられる」
「感謝がないわけじゃないさ。本当だよ。ただそれでも納得いかない所はあるって言うか……」
アルテミスは指を絡めもにょもにょとつぶやきながら、なおも言いつのる。どうやら先日行われた
彼女のご機嫌取りという訳でもないが、トッドは苦笑した。本当に、まあ、今回ばかりは神の変わり身に感謝するしかない。わざわざ謝罪と賠償を払って回った甲斐があったと言うべきか。
「さてと」
トッドは重たい体を引きずるようにして起こした。連日の用事で、疲れはまだとれきっていない。それでも、しなければならない事はある。実際、山積みだと言っていい。
「どうしたのだい?」
「研究に戻ろうかと思いましてね。ギルド長から、大型転移装置の完成を急かされているんですよ」
壁に掛かっている白衣を取って、研究室へ向かう。
大型転移装置について、実はもうほとんど完成していた。そもそも、レフィーヤに渡した
研究室に入って、炉に火を入れる。と、後ろをちょこちょこと、アルテミスがついてきていた。
《アルテミス事件》から向こう、彼女は少しだけアクティブになったと言うべきか。とにかく、スキンシップが多くなった。前はトッドが研究室に入ると、ほとんど接触してこなかったが、今では普通に入ってくる。
「今日は何をするんだい?」
「
「そっかー。んふふ」
何が楽しいのか、アルテミスが含み笑いをする。
と、背中に寄りかかってきた。しゃがんだトッドにのしかかるように、両手を首に回して。伸びた肘から、彼女のなめらかな両手が眼前に浮かぶ。
耳の後ろで、妖精がささやくようにアルテミスがつぶやく。
「ふふ……トッド……」
ささやくのと同時に、トッドは槌を下ろした。火花が飛び散って、アルテミスの手に降り注ぐ。
「あっつぅ!」
「ああもう。なんでいつも俺が白衣なんて着てると思ってるんですか」
アルテミスが床を転げ回る。机やら何やらに当たって、がっしゃんがっしゃんと音を立てる。それで背中やらも打ってるだろうから、痛くないはずもないだろうに。
トッドは炉の火を落として、彼女を抱え上げた。
「ほら、手を冷ましに行きますよ」
「うん……ぐすっ」
半泣きになりながら、両手を押さえて涙目になる少女。
キッチンにまで戻って、手を流水にさらしていると、ドアベルが鳴った。
「どうぞー」
今は手が離せないので、声だけをかける。と、扉が勢いよく開かれた。
「やあやあアルテミス! ボクが来たよ! そろそろいざこざも収まってきたって言うから様子を見に来たぜ!」
「えへへ、お邪魔します」
やってきたのは、ヘスティアとベルのヘスティア・ファミリアコンビだった。その背中から、さらに二人、入ってくる。
「こんにちはー」
「お邪魔します」
「ちなみにアイズ君とレフィーヤ君もいるぜ。来る途中でちょうどあったんだ~」
ぱたぱたと、さらに二人が入室してくる。
家に六人。ホームの規模を考えると、まだ適正人数だと言えるが。今までが二人だけだったことを考えると、騒がしさは感じた。
「って……何をやっているんだい?」
「ヘスティア……痛いよ……」
「アルテミス様がやけどをしましてね。今は治している最中です」
たいした怪我でもないので、彼女の治療はすぐに終わった。まあ、腕は所々赤く変色しているが。これくらいなら、わざわざ薬で治すほどでもない。
未だ涙目であるアルテミスの手をタオルで拭ってやり、ダイニングへと促す。さすがに客人だけで座らせておく訳にはいくまい。その間、トッドはお茶菓子を取り出し、紅茶の用意もした。自分も含めて六人分となると、手間とまでは言わないが、さすがに少し時間がかかる。ティーポットも一つでは足りない。
アルテミスが席に座ると、なぜだかヘスティアが笑い出した。
「へっへっへっ、それで、どうなんだいアルテミス?」
「なんだいヘスティア。まるでチンピラみたいな笑い方だよ」
「ほっといてくれ! そんなことよりだよ」
言って、彼女は身を乗り出した。秘密話でもするように手で口元を覆うが、そもそも席が離れているため、あまり意味がない。
「しらばっくれちゃってさ。ウブなネンネちゃんでもあるまいし」
「
ヘスティアの顔は、とびきり下世話だった。あまりのアレっぷりに、アルテミスが少しばかり引いている。物理的にも心情的な意味でも。
そんな様子も意に介さず、ヘスティアは続けた。
「おいおい、子供が自分の為に半生をかけて救う手立てを模索してもがいて、そして救われたんだぜ? これで何も思わない訳がないじゃないか。あのお堅かった君からコイバナの一つでも聞きたくなるってもんじゃないか」
「な……っ!」
アルテミスの顔が、かっと紅潮したのが分かった。背を向けているので顔は見えないが、耳が真っ赤になっている。
「子供にずいぶん愛されちゃってさ。ねえねえどうなんだい? そこんとこどうなんだい? 聞かせておくれよ」
「そ……そんなの言うような事じゃないっ!」
「でも、私もちょっと聞いてみたいです」
「その……私も、興味……ある」
「あ、ええと、すみません僕もです!」
「あわわ……」
アルテミスは顔を覆って、ぶんぶんとかぶりを振った。
「知らないっ! そんなの知らないよっ!」
「そうじらすなよ~。全部暴露しちゃえばいいじゃないか。それこそ出会いから、愛情が育つ所まで赤裸々にさ!」
ヘスティアはにやにやと笑いながら、無理して体を伸ばし、肘でアルテミスをつついている。
周りは敵だらけ。孤立無援だった。彼女は振り向いて、声を上げた。
「トッド!」
「黙秘します、でいいでしょう」
「そこでトッド君に聞くのはずるいだろう!?」
「トッドさんからじゃ何も聞き出せませんよぅ」
「顔色も……変わらない」
「トッドさんはポーカーフェイスがうまいですもんね」
実のところ、動揺するほどの場面というのが少ないと言うだけなのだが。言ったところで通じる様子でもない。
お茶を用意して、トッドも席に混ざった。それからは、やはりアルテミスがからかわれたり、脱線して普通の雑談に戻ったり。まあ、他愛のないものだった。
と、いきなりヘスティアが声を上げた。
「そうだ、今日は二人にプレゼントがあって来たんだった」
彼女はガサゴソと持ってきた荷物を漁りだす。取り出したのは、布にくるまれた一枚の板だった。
「これは……?」
「えへへ、見ておくれよ」
トッドとアルテミス、二人でのぞき込む。と、そこにあったのは、一枚の看板だった。
「ホームの名前、やっと決めたんだろう? だから、必要になると思ってね」
「これは……うん、ありがとう。この上ない贈り物だよ。さっそくつけようか」
アルテミスは、看板を大事そうに抱えた。
皆で外に出て、玄関口に集まる。
この家は、というかここらの家は、元からホームとして利用されるために建てられたものばかりだ。そのため、ドアの上には元から看板をかけられるとっかかりがある。改めて釘を打ち付ける必要はない。
一番背の高いトッドが看板を受け取り、そこにひっかけた。木造で真新しい、ワックスも塗り立てだと分かる看板にはこう書いてあった。
【狩人の隠れ家】それがホームの名だ。
「うんうん、ずいぶんホームらしくなったじゃないか」
「やっぱりホームの名前あるなしじゃ違いますね」
「うん……似合ってる」
「いつか僕たちのホームにもほしいですね」
口々に感想を言う。看板が輝いて見えるのは、それが新しいからだけではあるまい。
皆がそろってホームに戻っていく中、トッドだけはその場でたたずんで、新しくかけられた看板を見続けていた。
実のところ、もうアルテミス・ファミリアは研究系ファミリアの看板を下ろしてもいい。そうするだけの理由は失っていた。アルテミスが助かった時点で。もう探索系でも生産系でも、どんなファミリアに変わってもいい。商業系は、やはりちょっと違うが。
今まで上げた名声もあって、募集すれば団員は山のように来るだろう。あるいは、完全な
それでも、まあ。あえてそうする必要もない。古びた家に新しくつけられた看板を見て、トッドはなんとなしにそう思った。アルテミス・ファミリアはこれでいいのだ。そんな風に思った。なにより、長年住み慣れた家だ。団員が増えたからと言って、わざわざホームを変えるのも違う気がした。
(まあ、いいか。そんな事、あとでいくらでも悩めば)
風に揺られながら、トッドはそんな風に独りごちた。
この日常はもう、終わらないのだから。
これで本編は終わりです
ご指摘があったため後で本編に一話補完の話を挿入します
あとは後日談が四話ほどある予定です。すぐにとはいきませんが