ダンジョンにすっごい研究者が現れた 作:緑黄色野菜
レフィーヤ・ウィリディスの朝は早い。
起きて手早く身だしなみを整えると、トレーニングウェアに着替え、中庭へと出て行く。
ロキ・ファミリアはオラリオ最大手の一つだけあって、どれだけ朝早く起きても先客がいる。が、それらは彼女にとってひたすらどうでもいいので気にしない。とにかく早朝のトレーニングだ。朝食前だけあって、誰も激しい運動まではしようとしないが、起床してすぐ体を起こす訓練は誰しもがしている。ダンジョンの中であれば、そういった準備もなかなか難しいからなおさら。とにかく起きがけでも体をピークに持って行く訓練は必須だ。
レフィーヤが中庭に出て真っ先にすることは、あたりを見回すことだ。アイズがすでに早朝のランニングを始めていたら、そのまま鍛錬に混ざる。いなければ、壁際の邪魔にならない位置でアイズが来るのを待つ。
控えめに言ってストーカーだが、それを指摘する者はいない。
その日は多少早かったようで、まだアイズはいなかった。しばらく待つこと数分、同じくトレーニングウェアのアイズがやって来た。
「アイズさん!」
「レフィーヤ。今日も一緒に走る?」
「はい!」
レフィーヤは花が咲かんばかりの笑顔で、何度も首肯した。
偶然を装っているが、いつも待ち構えている。その姿に微妙な視線を向けてくる団員もいるのだが、レフィーヤが気にしたことはない。直接聞いてくる事もないのだから、気にする必要もない、と彼女は思っている。
タイミングが合えば、二人して一緒にランニングを始める。前をアイズが走るのは常だった。
二人はLv.5とLv.3。ついでに言えば、前衛型と後衛型という大きな差が二つもある。これだけの違いがあると、レフィーヤがアイズの訓練について行くのは、物理的に無理だった。それでも彼女は満たされている。何度か周回遅れにされながらも、同じ訓練をしているというだけで嬉しいものだった。
ランニングが終わると、柔軟体操になる。これは二人一組でやった方が効率がいいため、アイズとレフィーヤは一緒になって行っている。
アイズに触れたり密着したり、時には触れられたりして柔軟を行う。レフィーヤ天昇の時間である。これもやはり一部団員が言葉にしづらそうにしているが、やはり口に出さないのはないのと同じ。気にしないことにしている。
早朝の鍛錬が終われば、食事の時間だ。
ロキ・ファミリアの食堂は広い。といっても、団員が一斉に食べられるほど、食堂は広くも、調理当番の供給能力が高いわけでもない。ある程度時間をずらすことになる。
その日、朝食に同席したのは、ティオネとティオナのヒリュテ姉妹だった。
ヒリュテ姉妹は大抵一緒にいる。これは意識してそうしていると言うよりは、ただ単にそれだけ気が合うという事だろう。
二人の様子は、朝の軽い鍛錬とは思えないほどボロボロだった。着ているトレーニングウェアは所々ほつれているし、肌が褐色なので分かりづらいが、顔には打撲の跡も見て取れた。鍛錬が激化してちょっとした争いにでもなったのだろう。アマゾネスにはよくあることなので、誰も気にしない――とまではいかない。たまに行き過ぎる事があるので、団長であるフィンなどは気をもんでいるらしい。たまにリヴェリアに説教されているところも見る。
食事を一番早く終えたのはアイズだった。食べるのが速いと言うより、最近は軽めの食事を好むから、自然と早く終わるのだろう。
「ごちそうさま」
「アイズは今日もバイトー?」
「うん」
食後の礼をしたアイズに、ティオナが問いかける。
レフィーヤは言葉に、食器をならすほど動揺したが。それに気づいたのは、ティオナだけらしかった。彼女はレフィーヤを見て、不思議そうにしている。
アイズはとっととお盆を持つと、返却口へと向かっていった。心なしか、その足取りが軽いように思える。
その姿に、レフィーヤはぎりぎりと歯ぎしりをした。その姿に――さすがにティオネも気がついた。姉妹二人してやや引きながら、忌々しそうにしている少女を見ている。見られているだけならば害はない。が、さすがに口に出されれば、それらは顕在化する。
「ちょっと……どうしたのよ一体」
「アイズもだけど、この頃レフィーヤもちょっとおかしいよね。アイズはいい変化だと思うけど……」
「だって! 明らかに変じゃないですか!」
口調は強かったが、声は大きくしなかった。その程度の自制心は、まだ残っていた。
自分でも思っていた以上の語彙の強さだったため、思わず下唇を噛む。それが自制につながったかと言えば、やはり、そんなことはないと言わざるをえなかったが。
「最近のアイズさんは、ホームでほとんど鍛錬しないんですよ! 朝食を終えるとすぐクエストだって言って、どこかに行っちゃいますし! しかも! この前なんて、何日か体調まで崩してたんですよ!」
「体調崩すことくらい誰にでもあるでしょ」
「原因がはっきりしてるじゃないですか! あのよく分からない、ダサい首飾りです! なんですかあれ! 絶対
「そうかなぁ。まあ錆びて斑模様になったんじゃないかってネックレスをつけるセンスはよく分からなくはあったけど」
レフィーヤは手を強く握りしめそうになって、はっとして力を抜く。手にはまだ、スプーンが握られている。後衛職とはいえ、さすがにLv.3の力で握れば、二度と使い物にならなくなるくらい変形してしまう。
「しかも、あれは絶対贈り物ですよ! クエストの内容だとか言ってますけど、おかしいじゃないですか! なんでクエストで装飾品をつけるんです!? 絶対クエストにかこつけてアイズさんをたらし込もうとしてますよ!」
「えぇー……それはないと思うなあ」
「百歩譲ってあの子をものにするための言い訳クエストだったとして、それであの贈り物はないでしょ」
やたらにボルテージを上げるレフィーヤに置き去りにされながら、二人は顔を見合わせた。
まあ、そう思うのは分からなくもない。それは彼女も認めた。あの首飾りは、悪い意味で骨董品感全開だった。物置の中で長年放置されたらこんな風になるかも、という代表例のようなものだ。それでも、贈り物は贈り物である。もうつけていない事から、レフィーヤは華麗に目を背けた。
「でもそんなに気になるならさー」
ティオナが頬杖をついて、片手のフォークでは切り分けたソーセージをつつきながら言った。
「アイズの後を追ってみればいいんじゃない? 別にクエストを受けてることも、受注先も隠してる訳じゃないんだからさ。訪ねてみるくらいなんてことないでしょ」
「それです!」
ばっと、レフィーヤは顔を上げた。目はらんらんと光っている。というか、どこか正気もなくしているようだった。
ぎょっとして、ティオナは顔を引きつらせていた。
レフィーヤは手早く朝食を征服し、口をぱんぱんに膨らませた。さほど咀嚼もせず、一気に飲み込む。大量の固形物に、喉が多少悲鳴を上げたが、それは飲み物で無理矢理流し込んでごまかした。
「では行ってきます!」
「あちゃー……まずいこと言っちゃったかな」
「あんた、何かあったら責任とりなさいよ」
背後で姉妹のぼやきが聞こえたが、そのときにはもう、レフィーヤは半ば聞き流していた。それは二人のそれだけではなく、周囲の音ほとんどすべてをだ。
部屋に戻り、急いで着替える。多少髪の毛が荒れた気がするが、気にしている余裕はない。
急いで部屋を出ようとして、ふと足を止めた。部屋の隅に立てかけてある、杖も持ち出す。これは予備の練習用であり、ダンジョンに潜るときのそれほど威力は期待できないが。それでも、いざという時には心強い。
部屋を出て、急いでホーム入り口へと向かう。途中、何人かにあったが、彼女の形相からか、道を空けてくれた。
入り口へとついて、レフィーヤは物陰に隠れた。人はほとんどいない。早朝である上、今は食事時でもある。そんな時間にファミリアの入り口をふらふらしている人間は少ない。
彼女が監視を始めて、数十分が経過した。おのおのやるべき事を終えたからか、その場所にも人が増え始めている。彼女に焦りが生まれ始めた。
(もしかして、もう行っちゃったんでしょうか……?)
物陰から顔半分だけを出して、背筋に寒気が生まれる。
アイズの容姿は目立つ。なので、見逃すことはない。だから、少なくとも彼女がこの場で待機してから、まだホームを出たという事はないはずだが。それでも、監視を始める前に出て行ってしまったのなら、話は変わってくる。
その可能性は考えなかったわけではない。だが、アイズがよほど急いでいるのでもなければ、そうそう遅れはしないと思っていたのだが。
(どうしましょう……)
このタイミングで間に合わないならば、どのみちいつから網を張っていても抜けられてしまうだろう。
疑念に、自信が揺らぐ。追いつけないのならば、別の手を考えるしかない。
(あまりいい手とは言えないけど、ファミリアを頼るとか?)
それはつまり、自分の都合でファミリアを巻き込むという事だが。さすがにそこまでしてくれるかは定かではない。したとして、あまりいい目で見てくれもしないだろう。最悪、今まで築いた信用を崩すことにもなる。
いい加減監視も諦めようか、そう思ったところで。やっとアイズを見つけた。
(やたっ!)
アイズは私服だった。といっても、特に飾り気があるわけではない。どちらかと言えば動きやすい、運動着の延長上のような格好をしている。特に周囲を気にするでもなく、散歩と同じような気軽さで、ホームを出ていった。
レフィーヤは慣れないながらも、可能な限り気配を消して、その後を追っていった。
アイズの足は、おそらく目的地まで最短距離を進むものだったのだろう。大通りは使用せず、入り組んだ裏道ばかりをたどっている。おかげで、何度か見失いそうになった。それでもなんとか後をつける。
目的地は、ロキ・ファミリアのホームからほど遠い場所だった。実際、オラリオの片隅と言っていい。
建物は、よくあると言えばよくあるし、特徴的と言えば特徴的なものだった。ホームに隣接したどでかい堅固な倉庫というのは、実際、このあたりではなかなか見ることができないものではある。
アイズがその、どこだかのファミリアのホームに入って、数分ほどはじっと観察していた。間を置いたのは、そこはただの寄り道で、すぐ出てくるのではないかという疑念があったからだ。時間がいくらか経過し、疑念もほどける。つまりは、そこが目的地で間違いないらしかった。
もうその必要もないのだが、彼女は足音を消しながら、ホーム入り口――というかただの玄関だ――へと寄る。そして、すぐ身を隠せるように体を斜めにしながら、ノックをした。
「はーい」
聞こえたのは、女性の声だった。
とりあえず、男だったら問答無用で殴り倒してやろう。そんな風に思って掲げていた杖は下げる。
扉を開けて出てきたのは、神だった。それはさすがに予想外で、レフィーヤはぎょっとした。持っていた杖を、なんとなく背後に回して、隠すようにする。
女神はそんな様子を気にした様子もなく(あるいは気づいていたが無視してくれたか)、問いかけてきた。
「どなただい? うちになにか用事でも?」
「あの……えっと……」
ここで、レフィーヤは言葉に詰まった。
今まで感情の勢いでやってきたが、さすがにたどり着いてからどうこうと考えていなかった。なんと言えばいいのか、ひたすら悩むが。あまり冴えた答えは出てきそうになかった。
結局出てきた言葉は、あまりにもまんまな事だった。
「こちらにアイズさんが来ていると思うのですが……」
「ああ。ということは、ロキ・ファミリアの子かな? おーい、アイズー。君のファミリアの子が来てるよ」
「レフィーヤ……?」
言われて、すぐひょこりと顔を出したアイズだったが。不思議そうに首をかしげていた。
「どうしたの?」
「いえ、そのですね……最近アイズさんの様子が変だったので、ちょっと……」
「…………? そう」
よく分からない様子ではあったが、一応納得はしたのだろうか。あるいは、さほど興味を引かれる内容でもなかったか。
「まあとりあえずいらっしゃい。中にどうぞ」
「あ、はい。お邪魔します」
すっかり意気を殺がれ、レフィーヤは小さくなりながら中に入った。
家の中も、まあどうという事はなかった。ただ、小さなファミリアとはこういうものなのだろうな、という予想ままの作りである。
道すがら(といってもほんの十数歩分だが)アイズに問いかける。
「アイズさんはここで何をしてるんですか?」
「魔法の実験、だと思う……たぶん」
「たぶん?」
「正直、やってる事がほとんど理解できなくて……」
アイズは困ったように言いよどんだ。
それに補足をしたのが、数歩前を歩いていた女神だった。
「まあクエストと言っても、アイズがここにいる時はほとんど庭で鍛錬をしてるよ。後はたまに私とお茶をしてくれてる。正直な話、さほど忙しいクエストではないからね」
「はあ……」
元々、めちゃくちゃな感情論で来たとはいえ。さすがに想定外すぎて、何を言うこともできなくなる。今更だが、アポなしで突撃してきたのだ。それが、まさか普通に歓迎されるとも思っていなかった。
と、奥からやけにのそりとした気配がやってくる。
「アルテミス様、何かありましたか?」
やってきたのは、白衣の男だった。どこがどうという特徴もない。ただまあ、どこか疲れている風には見える男。
(男!)
思い、レフィーヤはきっと身構えた。これがアイズの悪い虫とも限らない。
男は、警戒心全開のレフィーヤをじっと観察した。そして、ぼそりと一言。
「杖……」
その言葉にどんな意味があったのかは知らないが。彼女はぎゅっと杖を胸元に抱き寄せて構え続けた。
「もしかして魔法使い? 純正後衛の」
「うん。レフィーヤはすごい魔法使いだよ」
答えたのは、心なし胸を張ったアイズだった。アイズに「すごい魔法使い」だと言われて、レフィーヤはややにやけながら、警戒心を解く。と、はっとしてかぶりを振り、再び緊張をした。評価されたのは嬉しいが、何も解決はしていない。
男はきびすを返して奥に消えた。かと思ったら、すぐに戻ってきた。手には一枚の紙が握られている。紙面が見えるように、ばっと突き出してくる。
「
「へ?」
意味が分からず、思わずとぼけた声が出てくる。
男は何も気にした様子はなく、言葉を続けた。
「是非受けていただきたい。条件がいいとはいえないが、まあ自由な時間は多い。その間は好きにしていていいから、総合的に見れば悪くはないはずだ。できれば受けてほしい」
「えっと、あの……?」
なんだか、思っていた男性像――つまり、ロキ・ファミリアによくいるような――とは、大分性質が違う。とりわけ、男性からはたまに透けて見える欲望というものが、まるで見えなかった。
困ってアイズを見ると、彼女も苦笑しながら、答えた。
「レフィーヤの思ったままでいいと思う……よ。でも、個人的には受けてあげてほしいと思う。ここ……多分これから、凄いことになると思う」
彼女の言葉は、いつも通り抑揚の少ない落ち着いたものだったが。しかし、言葉の端から見え隠れする熱気が、どこか感じられた気がした。
レフィーヤは息を深く吸って、意思を固めた。逡巡はしなかった。しても意味がないように思えた。だから、必要なのは決断だけだった。アイズと一緒に働けるという、ただそれだけの決断。
「やります!」
「じゃあここにサインを」
紙とペンを差し出される。半ば書き殴るようにして、複数の用紙に自分の名前を書き込んだ。クエストの発注用、受領用、ギルド提出用の三枚だ。これで、自分はクエストを受理したことになる。
「じゃあこっちに」
言葉少なに、奥へと案内された。
奥の部屋は、控えめに言っても寒々としていた。石造りの廊下に、小さな明かりだけがともっている。壁が分厚いため、採光だけでは不十分なのだろう。放っておけば、そこら中カビだらけになりそうな、そんなところだった。
案内されたのは、研究室とやらだった。
そういった場所に造詣が深い訳ではないレフィーヤだったが、まあそう言われれば、あえて否定できるものでもない。そんな部屋ではありそうだった。ただ、魔法使いのそれとは大分違って見えた。特定の何を研究するというのではなく、本当になんでも研究するための部屋。そんな印象を受ける。
レフィーヤはよく分からない計測器の前に立たされて、言われるがままに精神力を流した。やり方はアイズに教えてもらったのと、思ったよりかなり単調な作業だったため、順調に進んだ。なお、この結果には男(トッドという名前らしい。自己紹介はされず、アイズに教えてもらった)も小躍りして喜んでいた。
やったのは本当にそれだけで、後は隣の倉庫から武器を引っ張り出してきたアイズと一緒に、庭に出た。そこで、それぞれの鍛錬を始める。
「はー……」
ため息というよりは、ただの吐息が漏れたといった風に、レフィーヤ。その様子に、アイズが首をかしげた。
「どうしたの?」
「いえ、クエストってもっといか……いえ、大変なものを想像していたので。こんなにゆるいクエストもあるんだなって」
途中、いかがわしいと言いそうになったが。それはなんとか自制した。
さすがに頭の中がピンク色みたいに思われるのはいやだったし、なによりトッドは付き合いが極めて事務的な男だ。およそそういうところとは結びつかない。まあ、処女神の眷属など、そうでもなければやってられないのかもしれない。
「そう……だね。自由時間も多いし、私は気に入ってるよ」
風切り音をも切るような素早い斬閃が、残像だけを残して走る。ファミリアの中でもとりわけ手数と、魔法を絡めた最大瞬間速度に特化したアイズの剣は、それこそ同じレベルの人間ですら見切れないほどだ。
「それに……予感があるんだ」
「予感、ですか?」
「うん。ここにいれば、多分いい影響があるって予感……」
それが何か、とまでは聞けなかった。
できれば聞いてみたい欲求はあった。だが、それをレフィーヤは、努めて押さえつけた。踏み入っていいことではないのではなかろうか、と思ったのもある。しかし、それ以上に、彼女の希望に水を差すような真似はしたくなかった。
それから。
まあ、いろいろあったと言えばいろいろあった。何事もなかったと言えば、まあそれもそれまでだったように思う。
大きなもので言えば、アイズと同じように古びた見た目のネックレスを、数日持っているように言われた。さすがにつける気にはならず、ポケットに入れっぱなしだったが。それで三日ほどだるさがあったが、その後ステイタス更新をしてみれば魔力が70近くも上がっていてしばらく唖然とした後、思い切りガッツポーズをとっていた。
小さなもので言えば、契約内容にある昼食が、何をつかってるんだと言いたくなるレベルでやたらうまかったり。相変わらずトッドは会話を楽しむという事とは無縁だったり。まあそんな事があって。
気づけば、レフィーヤも、特に用事がない限り通い詰めるようになっていた。