今日も左手で飯を食う   作:ツム太郎

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崩れ、堕ちる。


激情

激情

 

時は数時間前に遡る。

 

デュノアが煙幕を出してあたりを混乱させている中、織斑千冬は岡山を庇おうと必死に抱えていた。

 

「くっ、デュノア…ここまで準備していたのか…」

 

大声を上げて山田に場所を知らせようかと考えたが、逆にそれはデュノアにも知らせることとなる。

加えてデュノアはこちらを確実に殺そうと考えている。

山田一人で対処できるとは到底思えない、最悪返り討ちにあってしまうだろう。

 

(どうしたらいい…このまま動かないでいたらいずれ見つかる。 そうなれば太一を助けることなど不可能だ…私が冷静さを失ったばかりに…!)

 

悔しがりながら対策を考える。

そんな時だ。

抱えていた岡山が目を覚まし、織斑千冬の袖を掴んだ。

 

「っ! 岡山、起きたのか…!」

 

「…これ、は…?」

 

「デュノアだ、アイツは視界を遮断させてこちらの攻撃を防いでいる」

 

「…デュノア…あの子が? ぐ、うぅ…」

 

岡山はデュノアに締め付けられたダメージがすさまじく、蹲って腹部を抑えている。

生身の人間がISのパワーをモロに受けたのだ。

喋れるだけでも奇跡である。

 

「アイツは恐らく、お前が渡した情報をデュノア社の社長に渡すのだろう。 男として此処に来た理由も…たぶん「お前が書いていた事実」通りだ」

 

「…です…か…。 ……ッ!!」

 

そう言った瞬間、岡山は目を見開いて顔を上げた。

顔を悲痛に歪ませ、織斑千冬の胸倉をつかむ。

 

「ど、どうした岡山…一体何を…」

 

「…発信機…」

 

「発信機?」

 

「そう、だ…。 どうせ…似たものくらい持って…いるんで…しょう? それを…僕に…つけてください」

 

考えてもいなかった岡山の一言に織斑千冬は完全に固まってしまった。

確かに、そうすれば攫われた場合も迅速に対処することは出来るろう。

最悪の場合彼女もそれを行おうと考えていた、しかし。

ソレは岡山が絶対に嫌がる行為であると思っていたのだ。

故に、岡山からソレを提案してきた理由が分からなかった。

 

「…確かに持っている。 だが、お前は…」

 

「いい…から…。 早く僕に…付けて下さい…。 それと…」

 

そのまま彼はもう一つの要求をした。

その要求は、織斑千冬が発信機以上に予想していなかった事であった。

 

「…シャルロット…デュノアを…絶対に助けて下さい…」

 

「なにっ!? デュノアを!?」

 

「…ん? なんだぁ、そっちにいたんだね!」

 

思わず彼女は大声を出してしまい、そのせいでデュノアに場所を知られてしまう。

しかしそんなことなどお構いなしに、織斑千冬は言葉を続ける。

それほどまでに、岡山の要求は不可解すぎた。

 

「何故だ、何故デュノアを助ける!? アイツはお前を攫おうとしたんだぞ! しかもアイツは…「私たちと同じ」なのだろうっ!? お前は嫌っている筈なのに…何故だ!」

 

「…貴方には…関係…ない…。 デュノアが…あの男が…帰ってきたあの子を…逃がす筈がない…。普通に考えれば…それくらい分かる…手遅れになる前に…早く…!」

 

「っ…分かった…。 付けるぞ」

 

まるで納得できていなかったが、とりあえずは指示に従い岡山の首元に小さな機械を取り付けた。

 

「付けたぞ、岡山。 …デュノアの事は、まかせてくれ…」

 

「…ありがとう…ございます…」

 

そう言って彼はこと切れた。

もとより喋る体力すらなかったのだ、無理もない。

 

 

 

「あ、みぃーつけた」

 

 

 

それと同時にデュノアが煙の間から顔をだし、三日月のように口を歪ませた。

そしてカツカツと二人の下に寄ると、岡山のみを掴んで背負う。

 

「ま、て…デュノア…」

 

「待たないよー。 殺されないだけ、ありがたいって思ってね」

 

織斑千冬の静止の言葉を全く聞かず、そのまま彼女は翼を広げ飛び立って行った。

 

「…何故だ。 なぜデュノアは助けるんだ…太一っ…!」

 

拳を地面に叩きつけ、悲しげにそうつぶやいた。

しかし相手は答えを言わず、知ることなどできなかった。

グルグルと様々な感情が混じり、思考がうまく働きもしなかった。

 

 

 

それからしばらく経ち、彼女はやっと平静を取り戻した。

その後山田が近くまで走ってきて、発信機のことを伝えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ここ…は…。 IS学園…?」

 

夜が明け、既に正午を回った頃、デュノアは目を覚ました。

どうやらベッドに寝かせられ、手当ても施されたようだった

そこから動かずに眼だけを動かして周りを見ると、状況を整理しようとする。

 

「私は…あの男を殺して…自分も死のうとして…でも、織斑先生に…」

 

何があったかを思い出し、歯を食いしばって悔しがった。

あの時、自分は死ぬつもりだった。

何もかも失い、それでも手に入れようとした人は一生を自分を見てくれない。

その事実を前に全てを諦め、死を選んだはずだった。

 

「なんなの…太一さんが…なんで私を助けるんだよ…」

 

そう言って、織斑千冬に言われた一言を思い出す。

あの時は驚きと疲労のせいで何も言えなかったが、可笑しすぎることであった。

 

(あの人は僕を殺したいとは思っても、生かしたいなんて思うはずない。 それなのに…あ…)

 

しかし、すぐに諦めたかのような表情になると、深くため息を吐いた。

 

「フフ、そっかぁ。 …まぁ、母さんの娘だから…かな…」

 

そうつぶやくと、ズリズリと起こしていた上体を倒していき、そのまま横になった。

どうでもいいかのように鼻で笑い、再び瞳を閉じる。

 

その時だ。

 

 

 

「起きたか、デュノア」

 

 

 

部屋の入口が開き、そこから織斑千冬が入ってきた。

しかしデュノアは目を開かず、返事もしない。

 

「起きていることくらい分かっている。 体調の方は…その様子なら大丈夫か」

 

「………」

 

「分かっているとは思うが、一応言っておくぞ。 ここはIS学園の職員用の部屋の一つ…もちろん空き部屋だ。 お前は気絶した後私たちに運ばれ、治療をしたのちに此処に運ばれた」

 

「………」

 

「だんまり…か…。 まぁいい、話をつづけるぞ。 付近にいたデュノア社の者は全員此方で拘束してある。 …今回の事は公にはしない予定だ。 デュノア社長は事故死という扱いになる」

 

「………」

 

「デュノア社そのものについてだが…別件の不正などを暴いて潰すこととなった。 もとより学園への干渉が多かった企業だ、上も近いうちに決行する予定だったらしい。 お前を知る者も…じきにいなくなる、以上だ」

 

「…ふぅん…全部、太一さんが?」

 

織斑千冬が言い終えた時、やっとデュノアは口を開いた。

つまらなそうに、他人事のようであった。

 

「あぁ、そうだ。 全てあの後、岡山が言ってきたことだ。 岡山はここに戻ったあと、目を覚まして私に詳しい指示を出した。 理由は分からない…本人に聞け」

 

そう言うと、彼女は外へ出て行った。

それとすれ違うように、一人の男が入ってきた。

杖を片手に、ノロノロと歩いてきた男はデュノアにとって最愛である人であり、二度と届かない人であった。

 

 

 

「…目、覚めたん…ですね…」

 

「…うん、おかげさまでね」

 

彼女は目を開いて前を見る。

そこには彼女が父として、そして男として愛した岡山太一がいた。

 

「…体の…調子は…?」

 

「おかげさまでね…ありがとう。 「母さんの娘」の私を助けてくれて」

 

母さんの娘、その言葉を強く言った。

お前の考えなどお見通しだと、そう訴えるように言ったのだ。

 

「どういう…こと…?」

 

「とぼけなくたって良いよ。 全部分かってるんだからさ。 貴方が助けてくれたのは、全部母さんのためなんでしょ?」

 

「………」

 

「アハは、否定しないんだ。 個人的には、違うって言って欲しかったんだけどなぁ」

 

つまらなそうに、感情をこめずに言い続ける。

それを岡山は黙って聞き続け、顔の表情すら変えない。

 

「私ね、貴方のこと大好きだったんだ。 それも最近の事じゃなくって…あのホテルに住んでいた時から。 母さんとイチャイチャしてるの見て…ずっと悔しかったんだ」

 

「………」

 

「私が貴方を攫った後どうしたかったのか、本当のことを教えてあげる。 昔貴方が住んでいた所に閉じ込めて、少しずつ私を好きになってもらおうと思ってたんだよ」

 

「…監禁…ですか…」

 

「フフッ、その通り! 貴方の心を壊してね、私を母さんだと思い込ませるつもりだったんだ。 そうすれば、私が母さんになれるって思ってさ」

 

今度は楽しそうに、子供のようにコロコロと笑った。

しかしその眼は笑っておらず、真っ暗な瞳をしていた。

笑い声も次第に狂ったものへと変わっていく。

 

「………」

 

「いひっ、きひひ…私はあの男の所に戻った後も、ずっと貴方だけ思っていたよ」

 

「………」

 

「あぁ、貴方が夢に出てくるときもあったよ。 貴方は私が寝ているベッドの中に入ってきてね、ずっと「シャル、愛している」って言うんだ。 嬉しかったなぁ…目が覚めた時には起きちゃった自分を恨んじゃうくらいにね」

 

「………」

 

「ずっと考えてた。 全部終わった後にね、父様たちに汚された所全部、貴方に綺麗にしてもらうんだ。 想像するだけで、どんなことされても耐えきれたんだ」

 

デュノアはもう抑えることが出来ないのか、自分の思っていたことを全て話し続ける。

常人では到底理解できない、彼女だけの心のうち。

それを、誰よりも常人な岡山へと叩きつける。

 

気付けばデュノアは、また自分が涙を流していたことに気付いた。

なんで泣いているのか、自分を殺そうとしていた時よりも分からなかった。

もう理性など働かず、思いの丈をぶつけ続ける。

 

対して岡山は未だに動かず、立ったまま何も言わない。

 

「あひゃ、くひ…今もね、想像するだけで笑いが止まらないんだ。 これが本当の私だよ、どう? 気持ち悪すぎて言葉も出ない、ってところかな? 貴方が助けようとした女は、これからずっと貴方を狙い続ける…殺しちゃった方が楽だったかもよ? きひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「………」

 

「…黙ってないで何とか言いなよ。 その耳も麻痺しちゃったの!? ホラ、気持ち悪いって言ってよ! この私を! 母さんの娘をさぁ!!」

 

勢いよく上体を起こし、狂いきった満面の笑みを浮かべてそう叫んだ。

もう自分でもどうしたらいいのか分からなくなっていた。

ボロボロと涙をこぼしながら叫び続ける。

 

その時、岡山はようやく口を開いた。

顔は変わらず無表情のまま、しかしその口のみはしっかりと動いた。

彼はゆっくりと口を動かし、その喉の奥から。

 

 

 

 

 

「あぁ、そうだな。 …気持ち悪い」

 

 

 

 

 

その言葉を発した。

 

「…え?」

 

デュノアはソレを聞いて目を見開くと、思わず声を漏らす。

覚悟を通り越し諦めていたというのに、その言葉を受けきることが出来なかった。

 

「お前は、気持ち悪い。 まだ恨んでいるなら良い、ゴミだクズだと…好きに言ってくれた方が…良かったね」

 

「え? え…?」

 

「…お前は、勘違いしている。 確かに…僕はお前にエレンを…連想させた。 ビデオを見せられた時…も、後悔で…一杯になった。 でも、それがお前を助ける理由になったワケじゃない」

 

「う、嘘だ! お前はずっと私に母さんを浮かべていた! だからその後も私に操られていたんじゃないか!」

 

「…確かにね。 でも、お前の洗脳は…不完全…だったんだ。 あの時ずっと、意識は…あった」

 

「デタラメ言うなよ! 慰めてるつもりか、ふざけるな!」

 

「…エレンのことも…考えていた…。 でも、それ以上に…お前のことを考えて…いた…。 考えちゃっていたんだ…」

 

「ッ!? じゃ、じゃあ理由を言えよ! なんで私のことを思ってたんだ! なんで私自身のためにデータを盗んできたんだ! 答えてみろよッ!!」

 

岡山を指さし、現実を否認するように泣き叫ぶ。

怒るのでもなく、憎むのでもなく。

目の前の岡山に怯え、怖がっていた。

今まで自分を支えていたボロボロの柱が、今崩れようとしている。

その現実が恐ろしく、認めたくないのだ。

今のデュノアは、子供が駄々をこねるように叫び続けた。

 

「…理由? そんな…こと…なんで言わなきゃいけないんだよ…」

 

「うるさい! いいから答えろよ!」

 

「…ホントに、愚か…だ…。 もっと違う道が…あった筈なのに…どうして僕は…いつもいつも…間違えるんだ…くそ…」

 

岡山は真っ直ぐデュノアを睨むと、眉間に皺を寄せる。

それだけでデュノアは怯み、まともに動かない足を捩じらせて遠ざかろうとする。

 

「ひ…嫌だ、嫌だッ! お前は僕を恨んでるんだ! 大好きな母さんのために僕を助けただけなんだ!!」

 

「違うっつってんだろぉが!! そのウザい口閉じろッ!!」

 

「ひっ!?」

 

「…くそ…だったら教えてやるよ。 なんで僕がお前を助けようとしたのか…」

 

突然の大声で、デュノアはとうとう何も言えなくなった。

見苦しく動かしていた体も動かせなくなり、ただ首をフルフルと横にする。

 

そんなデュノアの脆い心に、岡山は本当の理由を弱弱しく…しかし深々と突き刺した。

 

 

 

 

 

「僕は…僕は…。 お前を…「自分の娘」として…愛そうとしてたんだよ…!」

 

 

 

 

 

「な、ナンで…? 何で何で何でッ! 何でそんなワケの分からないこと考えたんだ!」

 

金切声で叫ぶデュノアを無視し、岡山は本当の気持ちをさらけ出す。

 

「知るかよッ! 僕だってワケ分かんなかった…! でも、でも…僕はあの時、お前を「自分の娘」だって本気で思った!! なんでかなんてわかんねぇよ!!」

 

「そ、そんな曖昧な理由信じられるか! 根本から可笑しいだろうが! 母さんとお前は結婚なんてしていない…それなのになんで!」

 

「そんなこと…僕が知りたいよ…! 何にもわかんねぇよ…でも…お前を見た時…頭の中に浮かんだんだ…」

 

「な、何を言って…」

 

「お前は助けてと言っていた。 デュノアに捕まり、泣き叫ぶお前とエレンが…脳裏に浮かんだ。 なんでかなんて分からない…分かんないんだよ…」

 

そう言って、岡山はその場にうずくまり動かなくなった。

 

 

 

これは彼なりの過去との決別でもあった。

彼はもともと不安定な精神であった。

二度の絶望を味わい、身の内も外もボロボロであったのだ。

 

しかし、その「知識」のみは未だ健全であった。

故に彼はエレンたちのその後を容易に想像でき、また精神を削らせていた。

それを防ぐために、彼は少しずつ思い出を消そうとしていた。

少しずつでも苦しみを弱めていき、己の平静を留めようとしたのである。

 

そんな彼にとって、デュノアとの接触は危険極まりない事であった。

 

目の前に現れたのは、愛していたエレンと瓜二つの娘であるシャルロット・デュノア。

ソレを見た瞬間、彼の記憶は大きく揺さぶられた。

消えかかっていた想像が一気に心に舞い戻り、体中を駆け巡ったのだ。

 

そして決め手になったのがあの映像だ。

映像を見た瞬間、彼の想像が現実であったことを知り、最早その感情を止めることなどできなかったのだ。

グルグルと負の感情が回り、何をどうしたいのか自分でも分からなくなってしまった。

そしてその状態で、目の前のデュノアを見て無意識のうちに考えた。

 

今もこの子は苦しみ続けている、と。

 

学園に来るまで散々デュノア社の者たちにいたぶられ、ろくな人生を歩まなかった彼女を見て、彼は助けたいと思ってしまった。

死んでしまったエレンから、そしてデュノアという呪縛からせめて苦しみ続けているこの子を助けたいと。

 

故に考えたのが、「シャルロット・デュノアを娘と思う」ことであった。

 

盗んだデータを渡そうとする前に、岡山は彼女に学園で住むことを勧めようとした。

デュノアという姓を捨てさせ、岡山という名を与えて救おうとした。

 

これがエレンという過去との決別であったのだ。

「エレンの娘であるシャルロット」ではなく、「自分の娘であるシャルロット」として見ることで、彼女にも新しい人生を与えようとした。

そんな彼なりの決意であったのだ。

結局、ソレを言うことは叶わなかったのだが…。

 

到底考えのつかないことだ。

本当は心の根底には、エレンという存在がまだ根付いていたのかもしれない。

エレンの娘というレッテルを理由にしていたのかもしれない。

しかし、彼はその選択をした。

エレンではなく、シャルロットという一人の人間を見ようとした。

 

 

 

そんな彼の思いを、デュノアは察することができなかったのだ。

 

「ひ、ひ…」

 

「…もう、何を言っても変わらない…一生…このままだ…」

 

「やめ…待って…」

 

「僕はもう、お前を助けたいなんて思えない。 …でも、これだけはしてやる」

 

そう言って立ち上がると、岡山は近くの机に置いてあった書類を持って彼女に見せた。

 

「…ここに適当な名字と…名前を…書け。 それでお前は…違う戸籍を手に入れ…られる。 出来れば名前も…変えて欲しいけど…母親から貰ったものだからな…好きにしろ…」

 

「いや…ダメ…」

 

「…やっぱり僕は…「主人公」みたいにうまく出来ないなぁ…どうやっても…無理だった」

 

「いや…行かないで…待ってよ…!」

 

「…じゃあね、「エレンの娘」さん。 もう、二度と僕の前に出てこないで…下さい…」

 

デュノアは必死に彼を呼び止めるが、彼は全く止まらずにそのまま扉を開け、何も言わずに出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

「いや…いやだよ…なんで…」

 

たった一人しかいない部屋の中で、デュノアは震えていた。

やっと彼女は岡山の本当の気持ちを知ることが出来た。

望んでいたモノとは多少違ってはいたが、彼は彼なりに自分そのものを見ようとしていたことが分かった。

しかし、全て遅すぎたのだ。

 

「ひ…いや…離れたくないよ…」

 

どう言おうと答えてくれるものはなく、ただ独り言を言い続ける。

 

「いやだ…私を見てよ…愛してよぉ…」

 

頭を抱え、うまく呼吸も出来ない。

碌な思考も出来ない状態で、どうしたら彼に再び見て貰えるかのみを考える。

しかし、全く答えは出てこない。

 

「父さん…太一さん…父さん…太一さん…やだ…消えないで…」

 

そんな時、ふと自分の内ポケットから何かが落ちた。

それは、母親であるエレンが死ぬ間際まで持ち続けていた岡山と彼女が笑いあう写真であった。

彼女が死んだあと、ずっと持ち続けていたのだろう。

その笑顔がデュノアの視線に入り、一気にその心を打ち砕く。

 

「ひぃっ!? いや…いやぁ…!」

 

彼女は、彼に恋をする前のことを思い出したのだ。

父として彼を好きでいた時の気持ち、その純粋な思いを。

ずっと想像していたのだ。

彼と母の間に自分がいて、皆が楽しそうに笑いあう未来。

そんな儚い夢を今になって、思い出してしまった。

 

そして、それすらももう届かない事実が重なり、彼女の心をさらに壊していく。

 

「ぎ…ぎぁ…アアぁぁぁああ゛ア゛!! アアぁぁぁあああアァァぁあ゛あ゛ア゛!!!」

 

感情を抑えきれずに悲鳴を上げる。

結局、彼女は何も得ることが出来なかった。

もう自分を見てくれない。

 

突然ベッドから飛び出ると、そのまま辺りのモノを壊し始める。

椅子を掴んで振り上げると、壁を、床を、ベッドを、照明を、机を、目に映るありとあらゆる物を奇声を上げながら粉々に砕く。

すでに理性など切れてしまっている。

 

「ギィィっ! アアああアァァぁァァアアアアア゛ア゛ア゛ッ!!! ウアァァア゛ッッ!! ギィィァああアア゛ッッ!!」

 

最早原型をとどめている物など存在せず、壊すものが無くなるとようやく彼女は動きを止めた。

フーフーと息を荒げる彼女は瞳孔が開ききっており、歯を食いしばりながらボロボロと涙をこぼし続ける。

どうしたらいいのか分からず、ただ子供のように喚き散らすことしかできなくなってしまっていた。

 

 

 

 

 

そんな時、彼女の眼に床に落ちた「あるもの」が止まった。

それは岡山が自分に残してくれた最後の優しさであった。

デュノアはそれをジッと見続ける。

 

「………」

 

何も言わず、肩で息をする状態でただ見続けていた。

そして、思いついてしまった。

たった一つの「抜け道」を。

 

「………………………………………………ア゛は」

 

喉が潰れてしまい濁った声を出しながら、確かに彼女は笑った。

 

「ア゛は…ア゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛ひゃ゛!!!」

 

狂ったように笑いながら、彼女はソレにものすごいスピードで駆け寄った。

 

「ア゛ァッ! ギィィぃッ!!」

 

ソレを掴んで壁に叩きつけると、傍に転がっていたボールペンを握りしめて乱暴に文字を書き始める。

手が震えているために上手くかけず、ミミズが這ったような字になる。

それでも彼女は確かにその名を書く。

 

「ぎゃはぁッ! ヒギヒィひひひゃハハはッ!!!」

 

それは母親が夢見た姿であり、自らが夢見た光景であった。

壊れきった彼女は、ただ彼の愛を求めてソレを書き記す。

母親もなれなかった、彼の隣に居続ける存在。

それになるために。

 

自分を優しく見つめる、父としての彼。

自分を愛する、夫としての彼。

その両方を手にするために。

 

 

 

そこには…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Helene okayama

 

そう書かれていた。

 

「ア゛はァ…」

 

恍惚の笑みを浮かべ、彼女は堕ちた。

もう二度と戻ることは無い。

 




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