拘束
泣いても泣いても、結局何も変わらなかった。
篠ノ之束によって奪われていた全て、そして奪われていなかったとしても無かった未来を思い、岡山はただ目の前の悪魔から眼をそらした。
自分の現実を全て否定したかった。
「…くふ、フフ…やっぱり、その顔が一番かぁいいね、たっちゃん」
狂笑を止め、篠ノ之束が話しかける。
だが、当の岡山には彼女の言葉に耳を傾ける余裕など残っていない。
「………」
「アハは、もう声を聞くのも嫌、って感じかな? 良いよ、どんどん私を憎んでよ」
でも、と。
不意に彼の口を塞いでいた手を放し、篠ノ之束は彼の左手を握った。
まるで子どもを諭す優しい母のように、優しく包み込むように。
端から見れば何の意味も無い動作であったが、岡山は彼女の行動にまた震え出してしまった。
彼女の手はゾッとする程冷たく、まるで悪魔が地獄へ引きずり込むように感じたのだ。
「ひっ…放し…て…」
「んふ、放してもいけどさぁ…さっきの質問に答えてよたっちゃん」
震えながら、まともに動かない頭で思い出そうとする。
彼女に何を言われたのか、たったそれだけの事。
ついさっきの事なのに、その全てが完全に消えてしまっている。
彼の頭の中は、既に否定したい現実で埋め尽くされてしまっていたのだ。
「しつ…もん…?」
「あれぇ、もう忘れちゃってるの? く…フフ…まったく…たっちゃんはダメダメだなぁ…いいよ、だったらもう一回聞いてあげるから」
笑いをこらえる素振りを見せながら、篠ノ之束はもう一度彼に問いかけた。
「たっちゃん…今の私を見て…どう思う?」
その問いに対して出る答えは簡単だ。
実に明確であり、逆に言葉にし辛い。
憎しみ、怒り、願わくば今すぐにでもその息の根を止めたい程の怒濤の憎悪が答えだ。
自分の全てを奪って目の前の悪魔に向ける感情は、少なくとも正の感情ではない。
「フフ、答えは出てるみたいだね。 …じゃあ、教えてよたっちゃん。 私に対する思いを…全部全部、ぶちまけてよッ!!」
その言葉が引き金となり、遂に岡山の感情が爆発した。
口を大きく開き、ありとあらゆる暴言を言おうとする。
いや、最早言葉にすらならないだろう。
まるで猛獣の雄叫びの様な、己の負の感情全てをまるでダムが決壊したかのように一気に放とうとした。
しかし、それは不発に終わった。
(あ…れ…?)
口は開いている。
声帯に異常は無い筈だ。
しかし、言葉が出ない。
喉で何かが塞き止めているのだ。
次いで顔が青ざめるのが分かった。
カタカタと先程以上に肩を震わせ、冷や汗まで出てくる。
その原因は、間違いなく目の前にいる存在だ。
(なんで…なんで!? 言えば良いじゃないか! 復讐は出来なくても、それでもコイツに言いたい事は山ほど…!)
何も言えない自分がもどかしく、歯がゆく、情けない。
必死に言葉を発しようとするが、それでも喉は動かない。
「きひひ…成功…かな」
そんな時、篠ノ之束が口を開いた。
先程と変わらず、まるで分かりきっていたかのような口調で話しかけてくる。
「な…にを…?」
「たっちゃん、今のたっちゃんがどういう状態か教えてあげようか?」
うっとりと、まるで長年かけて造り上げた作品を見つめる芸術家のように、彼女は岡山を見つめる。
底の無い異質な眼をしたまま。
「くふふ…たっちゃんは…私が憎いよね? それも殺したい程に、今からでも。 でもねぇ…フフ、たっちゃんはそれ以上に、私が怖いんだよ」
その言葉に、一番大きくビクリと体を震わせた。
目の前の悪魔が、化け物が、最早形容のつかないナニカに変貌しつつある。
「だってそうでしょ? いくら行動できなくても、言葉くらいは自由に言える筈だよ。 ましてや、たっちゃんの目の前にいるのはこの「私」だよ? …アハはッ」
笑いながら、彼女は握っていた岡山の左手を自分の首に寄せた。
愛しそうに撫でながら、まるで自分を殺す手ほどきをするかのように。
「ひ…いぃ…」
「ほら、私の首はここだよ? なんなら、折っちゃってもいいんだよ? ハンマーもあるから、砕いて壊してくれても構わないよ…きひひ…」
願ってもいないことの筈だ。
少し力を強めれば、彼女を苦しめる事が出来る。
武器を使えば、確実に彼女を殺す事が出来る。
そんな状況なのにも関わらず、彼は何もする事が出来ないのだ。
たっぷりと時間をかけても、岡山は全く動く事が出来ない。
ただ目の前で凶行を続ける篠ノ之束を見て、震えるだけである。
「…フフ、やっぱりたっちゃんはそうでなくっちゃね」
そんな岡山を見て、彼女は満足げに手を離す。
「…ねぇたっちゃん、人を縛るのに一番大切な事ってなんだと思う?」
「………」
「答えられないかぁ…それとも、怖すぎて言えないのかな? どっちでもいいけど、話を進めるね。 人を縛るのに大切な事は…その人を怖がらせる事だよ」
そう言うと岡山の頬を撫で、顔を近づけるとベロリと舐める。
そして耳元に口を寄せると優しくささやく。
「生半可な恐怖じゃダメ。 徹底的に、視界に入るだけで一切の思考が止まっちゃうくらいに怖がらせるんだ。 そうすれば、簡単にその人を捕まえる事が出来る。 …人間は愛があれば大丈夫って言うけどさ、それはあくまで「感情」がある人間の話でしょ? 理性をぶち壊して、何も無くなったヒトさえも服従させるには、もっと根深い鎖が必要なんだよ」
そう言って、次に彼の耳を甘噛みする。
かすかにくすぐったさを感じるが、岡山は大蛇に巻き付かれたカエルのように身じろぎ一つできない。
「たっちゃんは…自分が凡人だって思ってるでしょ? 何のとりえもないグズで、私やちーちゃんに虐められてたんだ、ってね…。 フフ、でも違う。 たっちゃんは負け組の天才なんだよ。 どうしようも無くて、何をやっても失敗する能無しのね。 だってほら、こんなに可愛い泣き顔なんだもん、これはもう才能だよね…たっちゃん? きひ、キひゃひゃハははッ!!」
いきなり大声で笑い出すと、彼女はそのまま彼の両肩を掴んだ。
少女の力とは思えない程の力で、ギリギリと万力のように握りしめていく。
「あ…が…!?」
「だから絶対手にしてやるって決めたんだ! あの時、ちーちゃんにボロボロにされて泣き崩れる貴方を見て、一生放してやらないって誓ったんだよ! そのためになんだってやった、貴方の周りを全部壊して、貴方自身も壊した!」
「ひぎ…あ…なじ…て…」
「放さないよ…誰が放すもんか、たっちゃんは私のモノだッ!! これからだってずっと痛めつけてあげるよ、爪を剥ぎ取って内臓を潰して手足を全部切り取って、殺したい程憎い私が居なきゃ何にも出来ない本物の負け犬にするんだっ!! 貴方は私を頼らなきゃいけなくなるんだよ、それはそうだよね。 世界で貴方が信じれるのは、私だけなんだから! キヒャひャヒャヒャひャ、アハははハハハハッ!!!」
「あ…あぁ…あぁぁ!!?」
既に、彼の中に考える理性すら消えていた。
生物本能の恐怖が彼を埋め尽くし、意識を保つ事すら出来なくなる。
(ダメだ、気を失ったら…何をされるか…!)
そう思っても、本能に理性が叶う筈も無く、現実から逃避しようとする自我が強制的に彼の意識を奪おうとする。
そして彼の意識が完全に消えようとしたその時、彼の視界に何かが入った。
無機質で鋭いそれは、彼がよく知っていて、そして彼が嫌う世界の重要なファクター…ISであった。
そしてソレを持っているのは。
「…岡山から手を放せ、束」
織斑千冬であった。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。