怨嗟
「…何かな、ちーちゃん?」
「今言っただろう、岡山から離れろ束」
織斑千冬は無表情のまま、依然として武器を親友である筈の篠ノ之束に向ける。
しかし、そんな彼女を見て篠ノ之束は驚く素振りを見せない。
むしろ待っていたと言わんばかりの楽しげな表情を浮かべている。
「もう、久々のたっちゃんとのラブラブタイムなんだから邪魔しないでよ…。いくらちーちゃんでもこれは許せないよ?」
「…今のお前達を見て放っておく人間などいる筈無いだろう。 もう一度言う、岡山から離れろ束。 お前が行っているのは洗脳だ、許される事ではない」
「洗脳? …フフ、違うよちーちゃん。 たっちゃんは成るべくしてこの状態に成ったんだよ!」
震える岡山に体をすり寄せながら、彼の頬に手を当てる。
「見てよちーちゃん。 今のたっちゃん、さいっこうにかわいいよ? ちーちゃんも、このたっちゃんを見たいから昔虐めてたんでしょ? 違うの?」
返答は刃であった。
チャキリ、という金属音とともに篠ノ之束の首筋に鋭い刃が当てられた。
「…本気で言っているのなら、次は容赦なく切るぞ」
「…きひっ、怖いなぁちーちゃんは。 そんなに怒らなくても分かってるよ、ちーちゃんに悪意が無かった事くらい。 …まぁ、だからこそタチが悪いと思うけどね」
篠ノ之束の言葉に織斑千冬は僅かに体を震わせたが、顔は無表情のままである。
しかし、刃を持つ手には今まで以上の力がこもっておりワナワナと震えている。
「純粋にたっちゃんのためを思って何度も痛めつけてたんだもんね、たっちゃんに早く自分の隣に立って欲しいから」
「…違う、そんなつもりは無かった」
「嘘だね、彼の前だからって隠す必要なんてないよちーちゃん。 …ま、結局全部無駄に終わっちゃったけどね、きひひ…」
「…違う」
「あ、無駄じゃないか、ちーちゃんのおかげでここまでボロボロに出来たんだから。 フフ、ありがとうちーちゃんっ!」
「………」
刹那、織斑千冬は刃を振るった。
殺気を込めた、純粋な攻撃であった。
彼女は無表情のまま右腕を横に払うように振り、篠ノ之束の首を取ろうとしてしまったのである。
しかし、対象である篠ノ之束は瞬時に姿を消すと部屋の隅に突如現れた。
俗に言うテレポート、ソレを行ったのである。
「アハは、酷いなぁちーちゃん、私達親友でしょ?」
「…お前は…全て知っていたんだな?」
織斑千冬は抑揚の無い口調でそう問いかけた。
「…んー? 何を知っていたって言うのかなー?」
「岡山の体が、もう戻れない程のダメージを負っていた事をだ…」
「…フフッ…見ていたなら分かるでしょ? その通りだよ」
織斑千冬の質問に対し、あくまで篠ノ之束は笑いながら答えた。
「たっちゃんの全部は私が壊したんだ。 家族も、友達も、何もかも。 でも、それはたっちゃんのためだもん。 私のたっちゃんが一番輝くには、真っ黒なゴミに成らなくちゃいけないんだもん、きゃハはッ!!」
「ッ! 貴様ぁっ!!」
織斑千冬はようやくその表情を変えた。
まさに鬼の形相にその顔を変え、一瞬で篠ノ之束の近くに寄ると、眼にも留まらぬ速さで切り捨てようとする。
だが、篠ノ之束はまたもテレポートして部屋の反対側へと移動する。
「アハはっ、何を怒ってるの? 好きな人を最高の状態にしたい考えはおかしい事かな? それこそ、ちーちゃんのやりたかったことと何が違うって言うの?」
「五月蝿い、お前の言う事など聞かん。 貴様はもう親友でもなんでもないッ!!」
「アハはははッ! どうしよ、ちーちゃんに嫌われちゃった! 慰めてよたっちゃん、キヒャはハは!!」
織斑千冬は続けて何度も斬撃を放ち、必死に篠ノ之束を殺さんとする。
しかし篠ノ之束も何度もその攻撃を余裕で避け続ける。
「このっ、お前がっ、あの時っ、一言でもっ、言ってくれてっ、いればっ…!」
「フフッ、どうしたのちーちゃん!? いつもみたいに冷静に攻撃しないと太刀筋が見え見えで簡単に避けれちゃうよ!?」
「お前がっ、お前さえっ…! 」
数十回攻撃し続けたが全く当たらず、二人の一方的な激戦はどれだけ経っても終わりそうになかった。
一人は完全に頭に血が上った状態、もう一人は全く攻撃せずに冷静に避け続けるのみ。
最早織斑千冬が疲れきるまで終わらないとも思えた。
だが、ソレはあっけなく終結したのだった。
「…ふぅ、もういいかな。 私帰るねちーちゃん」
篠ノ之束はいきなり織斑千冬の眼前にテレポートするとそう言った。
「な、何を言っている! まだ決着は…!」
「もう、本筋からズレちゃってる…ちーちゃんは何のためにここに来たの? 最初から私を殺すつもりだったの?」
先程までとは違い、小声で織斑千冬にしか分からないように話しかける。
ソレを聞いて気がついたかのようにハッと眼を見開くと、織斑千冬はある一点を見た。
その方向は部屋の方向であり、ソコには先程まで拷問とも言える程の精神的苦痛を受け続けていた岡山がいた。
「ひ…いぃ……」
「あ………私…は……」
「くひひ、彼から見れば、貴方はどう見えたかな? 今の彼は「私のおかげ」でまともに状況を見る余裕なんて無いし、認識できるとすれば、ちーちゃんがいきなり現れて凶器を振り回してる…くらいじゃない?」
そう言われ、織斑千冬は岡山を見つめる。
岡山は怯えている、しかも尋常ではない程に。
しかしそれは既に篠ノ之束に対してではなく、「部屋で武器を振り回し破壊行動を続ける織斑千冬」に対してであった。
織斑千冬を睨みながら身をよじらせ、少しでも彼女から離れようとするその姿は、哀れの一言であった。
「な、そんな…私はそんなつもりじゃ…」
「そんな気がなくてもさ、彼はきっとそう思うよ。 フフ、見れないのが残念だけどさ、私にもやる事があるから…今回はこれで帰るとするよ」
「ま、待て束。 岡山に誤解を…」
「しないよ、私達親友じゃないんでしょ? きひひ、じゃあねちーちゃん、たっちゃん。 また会おうね…」
そう言って、篠ノ之束は完全に姿を消した。
彼女が居なくなり、部屋にいるは武器を持って呆然とする織斑千冬と、そんな彼女に見つめられ怯え続ける岡山だけになった。
「…お、岡山…私は…」
ゆっくりと、ままならない口調で話しかける。
ダメージなど無い筈なのにその手は震え、今にも泣きそうな程繊細で諸い「弱さ」を曝け出してしまっていた。
「………」
対する岡山は何も言わない。
何も言わず、ただ彼女を睨みつけるのみである。
「聞いてくれ、岡山…私は、お前を守るために…」
「………」
「だから…その…あ、安心してくれ。 これでお前を傷つける事は断じてない…。 だから…」
たどたどしい口調になりながら、それでも彼女は必死に訴えかける。
そんな彼女にようやく岡山は口を開く。
だが…。
「…何を、安心しろって言うんだ…」
やはり、放たれるのは拒絶であった。
「っ、岡山…それは…」
「お前の何を…安心しろって…言うんだ!?」
震え、怯えながら彼は言葉を放り出す。
篠ノ之束に植え付けられた恐怖も重なり、一言出すだけで心臓が絞られる様な感覚に陥るが、それでも彼は言わなくては自分を保てなかった。
「アイツに全部壊されて…お前にも痛めつけられて…それで安心しろ? どの口が言うんだ、この犯罪者がッ! 今もそんなモノ自慢げに振り回しやがって…そんなに自分の力を自慢したいのかよっ!?」
「ち、違う、聞いてくれ岡山。 私はお前を傷つけ様だなどと思った事は微塵も…」
「黙れっ、この期に及んでまだ言い訳するのかよ! …もういい、くそっ、もう何もかも…今度こそ捨ててやる。 どうなっても知った事か、お前も、デュノアも、篠ノ之束も、お前の弟達も、もう…どうでもいいっ!! くたばれ異常者がっ!!」
支離滅裂な事言いながら、彼は手元にあった枕を投げつけた。
ポスッと軽い音を立てて地に落ちたソレは、今の織斑千冬にはどんな武器よりも重く、痛みを感じた。
「っ……」
故に、こみ上げる感情は並大抵のモノではない。
(ダメだ、泣くんじゃないっ…どれだけ拒絶されても、太一を守ると決めただろうっ!)
必死に堪え、彼をなだめる事のみを考える。
「…気に障った…なら…謝る…すまなかった…。 だが、信じて、欲しい…お前に…手を出すつもりは…ないんだ…本当だ…」
「そ、そんな言葉今更信じれるか! いいからお前も早く消えろ、織斑一夏もこの部屋に入れるな! 一生僕にかまうな!」
どれだけ経っても一切交差しない会話をし続ける。
しかしそれでも織斑千冬は諦めずに彼を諭そうとする。
何度も優しい口調で話しかけ、どれだけ拒絶されようと納得させるまで部屋まで出ようとしない。
故に、気付かなかった。
もう一人の「最悪」が近づいていた事に。
「父さーん、遊びに来たよー」
軽快なノック音とともに一人の少女の声が響く。
デュノアが部屋にやって来たのだ。
「ッ!? くっ、よりにもよって今…!」
「…あれ、変だな。 なんで父さんしか居ない筈の部屋から織斑先生の声が聞こえるの?」
反応が早かったのは織斑千冬の方であった。
彼女はデュノアがドアノブに手をかける間に少し動きを止めたその隙に、出入り口まで移動してカギをかけたのだ。
今は岡山の精神を安定させるだけで手一杯なのだ、これに彼女が加わるだけで何が起こるか。
想像するだけでぞっとする。
「…ん? なんでカギがかかってるのかな? おーい太一さーん、開けてったらー」
「…デュ…ノア…」
「ッ! 岡山、彼女の声を聞くな。 今は落ち着いていてくれ!」
織斑千冬は彼をデュノアから遠ざけようと必死に呼びかけるが、それも虚しく岡山はデュノアの声を聞いてしまう。
それが今の岡山にとってどういうことになるのか。
「…何しに来たんだ、さっさと部屋の戻れよ」
「…あれ、おかしいなぁ…。 父さんはそんな乱暴なこと言わない筈だけど…」
「そりゃそうだろうさ、僕はお前の親なんかじゃないからな。 お前の親はあのデュノアだ。 だからさっさと自分の部屋に帰れッ!」
「う、嘘だ! 僕の親は岡山太一だ! お前は一体誰なんだよ、父さんの声を使って…父さんになりすまして…出てこい、八つ裂きにしてやるッ!!」
岡山は織斑千冬と同様に彼女を拒絶する。
そしてデュノアは自分を否定する彼を全く別の「誰か」と思い、殺気をむき出しにして叫び出した。
「よせ、岡山! これ以上デュノアを刺激するな!」
「五月蝿い、なんで僕がお前らの事を気にしなくちゃいけないんだ! 勝手に全部奪って、滅茶苦茶にして、これ以上何をするってんだ、いい加減にしろよ!!」
「くそっ、ドアが開かない! ISは…ご飯の時は部屋に置いて来たんだ…くっ! おい、このドア開けてよ。 今ならまだ許してあげるからさ…私を太一さんと会わせてよ。 ほら、早くさァッ!!」
ガチャガチャとドアノブを回していた音は、次に拳を叩き付ける音に変わった。
その音は凄まじく、彼女の感情が憎しみ一色しかないことを物語っている。
「開けろッ、開けろよぉッ!! 私にパパを返せ! パパに会わせろッ!! さっさと開けろって言ってんだッ!!」
「くぅ…このままでは…本当に破られてしまいそうだ…どうしたら…」
デュノアは尋常でない力でドアを叩き続けているために、織斑千冬が支えていないとぶち破られる恐れすらあった。
「太一は、私の太一はそこにいるんだろッ! なんで私に会わせないんだ、誰の許しを得てるんだッ!? 私からパパを取り上げて何が楽しいんだ、早く開けろッ!!」
「ひッ!? や、やだ! お前の顔なんか見たくない! もう僕の前に来るな、どっかに行け、消えてくれよッ!!」
「黙れ、太一の声で喋るな!! パパはそんな酷い事言わない! パパ待っててね、ここが開いたらソレをすぐに殺して太一を助けるから!!」
「く…うぅ、二人とも…落ち着いてくれ…頼む…誰か…」
最早この状況は織斑千冬一人に対処できるモノではなくなっていた。
生命線であるドアが破られれば、体のリミッターを外したデュノアが襲いかかってくる。
恐らく戦えば両者とも無傷ではすまされない、最悪命に関わるだろう。
そんな状況に陥り、彼女はもう誰かに助けを求める他なかった。
(誰でも良い、デュノアを…アイツを少しの間だけでも止めてくれ…)
そう切に願った。
そして「彼」に優しい世界は、「彼」を姉のピンチに駆けつけさせた。
「!? 何やってるんだシャル! 落ち着けよ!」
後少しでドアが破られてしまっていたその時、織斑一夏が食事を終えて自室に戻って来たのだ。
彼はデュノアの異様な雰囲気に飲まれながらも、彼女の奇行を止めようとした。
「…一夏、邪魔しないで。 パパは…私が助けないと…」
「パパ? 一体誰の事…それより、その手を止めろって! 血だらけじゃないか!」
織斑千冬はその声を確かに聞いていた。
(一夏…か…? 良かった、来てくれたのか…アイツには荷が重いかもしれんが、なんとかデュノアを…)
「とにかくお前の部屋に戻るぞ! そのケがの手当をしないと…おっ、あれは…。 おーい鈴、ラウラ、手伝ってくれ!」
「ん? 何やってんのよアンタ?」
「どうした嫁よ」
彼は近くにいた二人を呼びデュノアを連れて行く手助けをしてもらう。
だが、デュノアの岡山に対する執着はすさまじく、断固として部屋の前から動かない。
「…いいよ、この程度痛くもないし…。 それより、IS持ってるんならこのドア壊してくれないかな? 中で織斑先生と誰かが太一を虐めてるんだ」
「…え? 千冬姉が…? ………」
デュノアの言葉を聞いて、織斑一夏は動きを止めた。
そして冷静に頭を働かせて、何が「異常」かを考える。
(どういうことだ? 千冬姉があの人に危害を加えるなんてあり得ない…シャルには悪いけど、嘘をついてるようにしか…)
そう思いながら先程呼んだ二人と眼を合わせる。
考えは多少違っているかもしれないが、少なくともこの場で何が異常かは分かっている様である。
「…あぁ、ちょうど私がISを持っている。 壊すからソコをどいてくれ」
「ホント!? じゃあ早く壊し…グっ!?」
ボーデヴィッヒは彼女の油断を誘い、その背後から鈴音がISによる強烈な一撃を放った。
いくら限界を超えている体とはいえ、ISによる攻撃を生身で受けたらひとたまりも無く、デュノアは何が起きたかも分からずそのまま倒れ伏してしまった。
「…とりあえず、シャルロットは気絶させたぜ、千冬姉」
「…あぁ、すまない。 ありがとう一夏」
弟の機転の利いた行動に感謝しながら、彼女はようやく脱力した。
「ひっ…ひっ…来るな…」
そして安堵したと同時にデュノアの殺気に当てられまともに言葉も話せない状態に戻ってしまった岡山を見て、また気分を沈ませる。
(太一…なんでこんな事に…全て…私のせいか…)
そして必死に堪えていた感情が限界を超え、静かに涙を流した。
しかし流した所で、何も変わる事は無かった。
世界は、「彼女達のみ」には優しいのだ。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。