鎮魂
今週は雨が続いていた。
延々と降り続ける豪雨は、まるで学園を洗い流すかのように、強く。
そして無慈悲に流れる。
「………」
岡山は一人、部屋の中で机を前にして座っていた。
机の上には、先程名前も知らない女性から貰ったモノが置いてあった。
「………」
ソレを見つめ、岡山は全く動かない。
只見つめ、あの女性から言われた「計画」を思い出す。
「…僕は」
彼女達が自分に言って来た事は彼を、いや世界を大きく揺るがす事であった。
失敗する可能性は大いにある。
恐らく自分の命も無くなるだろう。
「………」
しかし、同時に渇望した。
心の奥底でくすぶっていた感情が露になっていた。
いつかしたいと思っていた、彼が押し殺した只一つの望み。
ソレを行えたらと、何度思った事か。
「………でも」
その思いを消して来た。
出来る筈が無いと、諦めたのだ。
世界をパソコンで例えるなら、彼はウイルスである。
パソコンの中の規則正しいデータを乱す、厄介な異物。
そんな彼を世界が快く思う訳が無い、そして彼に世界に対抗する力など無い。
消されて当然、迫害されて当たり前。
「………だけど」
それをもし行えたら?
小さく、矮小な欲望が沸々とわき上がる。
握る手に力が入る。
弱々しいウイルスが、その中枢にヒビを入れ、データの全てを蝕む。
少しでも響かせる事ができるのなら。
「………」
もう考える事は無かった。
彼は世界の心臓を砕く術を手に入れた。
亡霊のようにゆらゆらと体をふらつかせながら立ち上がる。
そして部屋の隅に転がっている「あるもの」を手に取った。
それは世界の中心、パソコンの中枢から渡された道具である。
彼が何度も壊し、その都度持って来た。
幾度と無く拒絶していたが、今回だけはこれをくれたことを感謝する。
コレのおかげで、「計画」は数段楽になるのだから。
「………」
ボタンを動かし、ある画面を開く。
そこにはとある人物の名前のみ映っており、ソレ以外の連絡先は全く存在しない。
彼はゆっくりと画面を進めていき、その相手を呼び寄せた。
「…はい、私です。 ………少し、用がありまして…」
相手と繋がると、彼は要件のみを伝え電源を切った。
そして再び脱力する。
その場に座り込み、ふと自分の左手が震えている事に気付いた。
緊張したのか、恐怖したのか、おそらくその両方なのだろう。
同時に、重い不安が脳裏をよぎる。
(本当に成功するのか、相手は世界の中心なんだぞ…?)
例えそうでなくても、アレと自分の間には埋めれない実力差がある。
自分の持つコレも、もしかしたら全く効かないかもしれない。
「………」
しかし、後悔も引く事もできない。
既に相手は呼び寄せた。
後は実行のみ。
「…行こう」
ただ、実際のところもう彼にとって計画が成功しようがしまいがどちらでも良い、というのが本音であった。
ただ一度、服従し続けた敵に対して、ほんの少し抵抗が出来たら。
それでいいのだ、もうそれ以上は自分が望める事ではない。
故にもう止まる理由も無い。
彼は再び立ち上がり、杖と「道具」を持って部屋を出る。
たった一回、世界に対して小さな、本当に小さな。
取るに足りない復讐を果たす。
「………」
少女は夢見る。
愛すべき男と、二人っきりで過ごす夢の様な一生を。
誰も二人を邪魔する事無く、思う存分愛を育む。
そんな幻を、思い浮かべる。
「………フフ」
クスクスと笑いながら、恍惚の笑みを浮かべ、ただ思い耽る。
小さすぎる部屋、一切の道具が存在しない。
コンクリートが露出した、冷たい空間の中心。
指一本動かせず、椅子に固定されても、彼女は思い人との再会を楽しみにしていた。
「………」
そんな時、たった一つの扉が開かれた。
看守が見回る時間でも、食事を持ってくる時間でもない。
しかし彼女はソレが来るのを当然のように冷静に見つめていた。
入って来た者は、深くフードを被っていた。
背は小さい方だろうか、顔が見えないせいで性別も分からない。
侵入者は部屋に入ると、目の前にいるデュノアに話しかけた。
「…シャルロット•デュノアだな?」
「違う」
反射的に、彼女は侵入者が発した言葉を否定した。
その眼は冷たく、汚物を見るかのように嫌悪感を丸出しにしている。
「…そうだな、失礼した。 お前は「エレン」だな?」
対する侵入者はいたって冷静だった。
彼女の異様な雰囲気を全く気にせず、再度訪ねた。
すると、次にデュノアは顔を笑みで歪め、焦点が合わない瞳で相手を見据える。
「…フフ、そうだよ。 私はエレン。 太一の恋人で、永遠の愛を誓い合った者だよ…きひひ」
「…そうか。 私はお前に用があってここに来た。 共に来てもらおうか、エレン」
「違う、私はシャルロットだ」
獣のように鋭い眼光を向け、デュノアは再び侵入者を威嚇する。
まるで親の仇をみるかのように、いつでも殺してしまいそうな、理不尽な殺気を叩き付ける。
「そうか、すまなかったなシャルロット。 とりあえず、その拘束を解こう」
「…解くのはありがたいけど、貴方はいったい誰なのかな? まともな人種には見えないけど…?」
「…それはここを出てから話そう。 今は早くここから「そうはいかないよ」」
侵入者は彼女の脱出を促したが、対するデュノアはその言葉を遮る形で止めた。
その眼から感じられる感情は決して良いものではなく、嫌悪感しかない。
「お前が誰なのか、とりあえず教えてくれないかな? …なんていうか、お前は信用できない。 正体が分からないとか、そんな「幼稚な理由」じゃない。 こんなに他人を嫌いになったのは、あの男ともう一人…アイツくらいだ」
「………」
「だから気になるんだよねぇ。 たった一回会っただけであの二人と「同じくらい」嫌いになっちゃった貴方が、一体何者なのか。 私は貴方の声しか分からないのに、なんでこんな気持ちになったのかな?」
「…そうだな、予定は変更だ。 ここで教えるとしよう」
そう言って、侵入者はフードをゆっくりと取った。
そこから現れた顔を見てデュノアは一瞬驚愕で眼を見開いたが、すぐに狂笑した。
「…くひ、キヒャひゃヒャヒャはハはは!! そっかぁ! そういうことなんだぁ!! それは「納得」だなぁ! ねぇ、どうしたらそんなにソックリになるの!?」
「…こちらにも、色々と事情があるのだ。 だが、誓って私と「アレ」に繋がりは無い。 …いや、あるにはあるが、接触した事はない」
「きひひ…あぁいいよ。 別にどうでもいいさ、そんなこと。 …ただ、貴方が私をここから出す理由も、なんとなく分かっちゃったなぁ」
体中に狂気を纏わせ、デュノアは侵入者に言葉を続ける。
その一言一言、そして全身から放たれる威圧は尋常なものではない。
全く動けない筈なのに、その不利を全く感じさせない程に。
圧倒的に、相手を殺す勢いで話し続ける。
「分かったから言うけどさ、ソレは絶対に叶わないよ? パパは私のモノなんだから。 お前が入れる余地なんてないよ」
「…言葉では簡単に言うが、その障害となる者達はどうするつもりだ? 織斑千冬は? 篠ノ之束は? そもそも、私の助けなくしてどうやってここから出るつもりだ?」
侵入者はデュノアに問いかける。
確かに、岡山を取り巻く環境は並大抵のものではない。
特に侵入者が言った二名は世界を揺るがす実力を持っている、そう易々と出し抜ける筈が無い。
「…アハは、別にそんなもの大した事無いよ。 太一のためだもん、私がなんとかしてみせるよ。 それにこれだって、ISを起動させればなんとでも…」
「それは嘘だな。 その拘束に使われている布には特殊な電磁波を放つ物質がくみ込まれている。 日本が総力を挙げて作り出した、ISに対する唯一の防御手段だそうだ。 数はかなり限られている様だが、ひと一人動けなくさせるくらいには作れていたのだな。 お前はソレが解けないから、今もこうして動けずに居るのだろう?」
そう言われ、デュノアは言葉を詰まらせた。
確かに図星であった、彼女は一刻も早く岡山に会いたかったが、この拘束を破る事が出来ず、彼に対する思いを重ねる事しか出来ていなかった。
故に、侵入者に対して反論をする事が出来なかったのである。
「………」
「…そこで、だ。 ここから動けないお前を自由にさせる代わりに、一つ提案があるのだ」
「…なんなの? その提案っていうのは?」
「なに、お前に損をさせる事も、彼を傷つける事も無い。 ただ、ほんの少しお前に「妥協」してもらいたいだけだ。 それだけで皆が…彼が幸せになれるのだ」
デュノアは侵入者の言葉を深く吟味する。
妥協とはどういう意味なのか、本当に彼に害はないのか、全員が幸せになるとはどういうことなのか。
恐らく今聞く事は出来ないのだろう。
素顔を晒した時点で既にかなりの譲歩をしたはずだ、これ以上は何を聞いても無駄だろう。
自分に許されるのはハイかイイエのどちらかのみ。
デュノアは考え、考え、考えた。
そして、自分が今行うべき最善の行動をとるために…
「いいよ、分かった。 お前の考えは分からないけど、とりあえず従うよ」
イエス、と返事した。
その瞬間彼女の拘束は解かれ、その場を後にしたのだった。
雨は降り続いていた。
強く、強く、ただ強く。
その場を歩くには「傘」が必要だろう。
しかし、彼には歩くために傘がない。
くれてやったのだ。
ただでさえ冷たい「雨」が降り注ぐ世界で。
あの薄汚い、人間の掃き溜め場で。
たったそれだけのこと。
だが、それ故に。
「少女」は、彼に、恋をした。
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