絶望
岡山は失踪したのち、沖縄のとあるホテルに住み込みで働いていた。
少ない財産で遠い遠い土地まで来たのは良いものの、その後のことを全く考えておらず途方に暮れていた。
「う、あ…」
数日は問題無かった。
腹が減ろうと我慢して歩くことが出来た。
だがそれが一週間も続けば体にも限界が訪れる。
しかも、彼の体は常人よりも劣っており、体力の減りも早かった。
そして八日目の夜。
海岸沿いの道路をトボトボと歩いていた時に限界が訪れ、その場に倒れこんでしまった。
体が一切動かず、うまく呼吸も出来ない。
(…僕、死ぬのかな。 …僕ってなんだったんだろうなぁ…。 二度目の人生貰っただけでも良かったのかな…でも、こんなのってないよ…ちくしょう…)
今までの報われなかった人生を思い出し、彼は涙を流し続けた。
子供の頃から休みなく暴力を振るわれ続け、四肢のうち二つが動けなくなり、故郷を捨てざるを得なくなった。
そんな最悪の人生、楽しいことなど一つもなかった。
そう思うと、悔しさと怒りでまた涙が出てくる。
水分も取っておらず、喉がカラカラに乾いているのにも関わらず涙は一向に枯れない。
次第に意識が薄れていく。
もう、本当に限界のようだ。
岡山は眠るように瞼をゆっくりと閉じ、その人生を終えようとした。
「ん? なんだアレ…人…か…? オイ、しっかりするさ! おい!」
だが、「幸運なこと」に世界はそれを許さなかった。
彼が死ぬ直前、何者かが倒れている彼を見つけ、救いだしたのだ。
その人物は小さなホテルの支配人だった。
岡山は支配人に助けられ、自らが経営しているホテルの客室に運ばれて介抱された。
目が覚めると、食事を与えてもらいようやく平静を取り戻すことが出来た。
それから数時間後、岡山は支配人に転生に関する事以外全て話した。
震える声で涙を流しながら話していた彼に対し、支配人は「もういい、辛かったな」と優しく抱きしめて彼を慰めた。
その日岡山は夜通し泣き続け、支配人はただ慰め続けた。
「なぁ太一君、良ければここで働きはしないか?」
「…え?」
それから数日後、療養中に岡山は彼からホテルで働くことを勧められた。
右手足が動かない自分にできることは限られている。
気持ちは嬉しいが岡山はその誘いを断ろうとした。
しかし、支配人は譲らなかった。
「なんくるないさ! 書類整理とかの雑用なら、お前でも時間をかければ出来るだろ! その代わり、この部屋をこれから使うといいさ」
「え、え…? でも、そんな…」
「だから心配すんな!」
そう言って、支配人は大きく笑いながら話を続けた。
「俺、沖縄語がおかしいとこあるだろ? 実は俺も単身でここまで来た男でな…お前みたいな奴見てると昔の俺を見ているようで助けたくなるのさ。 だから遠慮しないでくれよ」
まぶしい笑顔を見せ、彼はそう言った。
対する岡山は嬉しさ半分、疑心半分の状態であった。
この人が言ってくれることは本当にうれしい、だけど信じきることが出来ない。
こんなにいい話、早々にある筈もないのだ。
そんな気持ちが出てきて、彼は返答に渋ってしまう。
「ん? あーもしかして騙してるとか思ってんのか? まぁ、気持ちは分からなくもないけどさ…逆に聞くけどお前から取れるモノなんてあると思うか?」
「え…えっと…」
「あー…じゃあこう考えな。 お前は今まで本当に報われなかった、頑張り続けた。 これはそのご褒美だ、俺からお前のな」
岡山にその言葉にハッとなって支配人を見た。
まるで太陽のような、まぶしく綺麗な笑みがそこにあった。
そして、気付くとまた泣いてしまっていた。
「…泣くなよ、男だろー? …まぁ、これで決まりだな。 安心しろ、お前と似たような奴はここに一杯いるからな」
そう言って、彼は近くにいた一人の女性を呼びつけた。
清潔そうな服を着る彼女は明らかに外国人であった。
天然の金髪を腰まで伸ばし、ソレを一つにまとめてポニーテールにしている。
ニキビの一つもない、綺麗な白い肌の持ち主だった。
「例えばこの子、名前はエレーヌといってな。 お前と同じで帰るとこが無くてここまで来たんだ」
「…よ、よろしくお願いします」
彼女は控えめにそう言った。
どうやら、かなり大人しい性格であるようだった。
「は、はい…僕は岡山です。 よろしく、お願いします…」
岡山は似たような口調で挨拶を返した。
そんな二人を見て、支配人は豪快に笑う。
「ははは! なんか似たもの同士だな、お前等! じゃあ、此奴の当分の面倒はお前にまかせるぞエレーヌ。 此奴にはあんまり動かないで済む雑用を教えてやってくれ」
「わ、分かりました」
支配人はエレーヌの返事に満足すると、自分の仕事をしに行ってしまった。
二人だけの空間に、しばらく沈黙が流れる。
「………あの…岡山さん」
「は、はいっ!」
そんな中、話しかけてきたエレーヌに対し、岡山は驚いてしまい裏返った情けない声を出してしまった。
それを恥ずかしく思い、彼は顔を伏せて顔を赤くさせてしまう。
そんな彼を見て、エレーヌはクスリと笑った。
「フフ…そんなに緊張しないでください。 私も人に教えるのは初めてですが…頑張りますから。 敬語もなくて良いですよ、前に支配人さんに聞きましたけど…私たち同い年のようですし」
そう言って彼女は微笑んで手を差し出した。
岡山は微笑む彼女を見てドキリと胸を高鳴らせた。
「は、はい…。 よろしく…え…エレーヌ…」
そして岡山は彼女の手を取り、握手を交わすことが出来た。
(…優しい…アイツらとは違う…頼れる人…だ…)
これが、彼とエレーヌとの初めての出会いであった。
それから数年間、彼はそのホテルで働き続けた。
最初は左手しか使えないために碌に動けず苦労していたが次第に慣れ始め、ゆっくりではあるが正確に仕事を出来るようになっていった。
岡山は自分が出来ることを一生懸命に行っていき、エレーヌはそんな彼に甲斐甲斐しく指導していった。
休みの時も一緒に行動することが増えていった。
近くの海まで遊びに行ったり、部屋で一日中話し合うこともあった。
「…やっぱり、部屋は見せてくれないの?」
「…ごめんなさい、今はまだちょっと…」
ただ、彼女は自分の部屋に彼を招くことは無かった。
岡山は何度か彼女の部屋に行こうとしたのだが、エレーヌは頑なにソレを拒否した。
理由を聞いてもこれといった返事はなく、支配人たちすら彼女の部屋には入ったことが無かったそうだ。
「いつか見せるから…その時まで待って」
彼女はそう言い、岡山は信じ切った。
きっと彼女にも見せたくない秘密があるのだろう、無理に見るのは良くない。
そう思い、彼女が自分から言ってくれる時を待ったのである。
さて、そんな不安が在ったりもしたが、彼女たちの中はさらにいいものになっていった。
一日で会う回数はドンドン増えていき、彼らの仲の良さは従業員のほとんどが知るようになっていった。
そんなある日。
「あ、あの…太一さん」
二人が惹かれるのは必然であったのだろう。
働き始めてから三年後、ある日エレーヌは岡山を海岸に呼んだ。
「な、なんでしょう…」
「あの、今までずっと考えてて…今やっと決意したんです。 私、貴方が好きです。 私と付き合ってください」
顔を真っ赤にさせ、それでもまっすぐ岡山を見てそう言った。
「…良いの? 知ってるだろうけど、僕は不自由な体だ。 絶対に鬱陶しいと思うときだってある。 …友達のままがいいと思うけど」
「ううん、面倒だなんて今まで一度も思ったことなんてない。 それにこれからも…私は貴方を愛し続けます」
そう言って彼女は彼を抱きしめた。
それだけで彼はもう幸せだった。
心が喜びで満ち溢れ、彼女を愛そうと決意した。
「…ありがとう、エレーヌ…。 僕も、あ、貴方が好きです」
「…嬉しい、ありがとう太一さん」
そうして、彼らは幸せの絶頂を感じたのであった。
それからというもの、岡山とエレーヌは笑顔が絶えなくなった。
何時でも相手を思い、仕事中でも会って話をすることが増えていった。
増えすぎて一度支配人に怒られたこともあったが、彼は本気で怒ってはいなかった。
むしろ二人を祝福するかのように、笑いながら茶化すほどであった。
そんな幸せが続く中、ある一人の客が訪れた。
「ようこそデュノア様。 こんな辺境のホテルにようこそいらっしゃいました」
「ふん…たまにはこういう所でゆっくりしたいのだ。 数か月は泊まる予定だからな」
「かしこまりました」
岡山はロビーの片隅からその様子を見ていた。
その男が着ている服や立ち振る舞いを見ると、かなりの人物なのだということが分かる。
いつもならフランクに客に話しかける支配人が、仰々しく敬語なんて使っているところからも伺える。
「それでは、客室の方にご案内いたします。 エレーヌ」
「はい」
支配人は近くで控えていたエレーヌを呼び、客を案内させる。
そんな時だ。
「………ほぉ、ここにいたかエレン」
その客、デュノアはエレーヌを見ると何かを呟いてニヤリと笑った。
岡山はそれが聞き取れず、ただデュノアが笑っているだけに見えた。
ただ笑っただけだ、それだけであったのに。
(…なんだろう…すごく…嫌な予感がする)
岡山は言い様のない不安を抱いた。
それから数日、何故かエレーヌと会う機会が少なくなった。
彼女はデュノアの専属使用人に任命され、常に彼と行動を共にしているのだから無理もないのだが、自由時間ですら彼女と会うことが出来なくなっていた。
(どうしたんだろう、今日はこの時間に待ち合わせる約束をしていたのに…なんだろう?)
そんな日が続き、ある日不安で胸を痛めながら階段を上っていると、不意にエレーヌが傍を通った。
「あっ、エレーヌ! 最近はどうしたの? 待ち合わせの時も来てくれないなんて…」
「ッ!? ご、ごめんなさい。 今からデュノア様の所に行かなくちゃいけないから…」
そう言って、彼女は彼の顔すら見ずに通り過ぎて行った。
そんなエレーヌを見て、彼はまた不安を募らせた。
(なんで…彼女は確かに仕事熱心だけど…偶然会ったときは軽い話くらいしてくれたのに…)
だがそんなことを考え続けても仕方ないと思い、彼は再び仕事を再開した。
それからまた数週間が経ち、彼は遂にエレーヌと全く会えなくなってしまった。
廊下ですれ違うこともなくなり、話をすることもない日々が続き、彼はいてもたってもいられなくなった。
その日も彼はロビーの隅で座り込み、ただ彼女を心配し続けていた。
(なんで、どうして…? 電話にも出ない、会いに行っても反応すらない。 支配人たちに聞いても答えてくれない…どうしてなんだ…?)
そんなことを思っていると、誰かが階段を下りてくる音がした。
お客だったら失礼だと思い、彼はとっさに立ち上がりソレが誰なのか確認した。
正体はやはり客人…しかも特別待遇であるデュノアであった。
立ち上がって正解だった、そう思うのも束の間、彼は信じられないものを見た。
「エ…レーヌ…?」
彼のすぐ後ろから、音信不通であったエレーヌが降りてきたのである。
しかし、様子がおかしい。
彼女はいつもの仕事着を着ておらず、前に遊んだ時に着ていた私服を着ていた。
前のような笑顔がなく、死人のような表情をしている。
支配人や他の従業員たちも何も言わず顔を伏せてしまっている。
彼女はデュノアと共に出口まで行くと、そのまま彼の自家用車だと思われる高級そうな車に乗ろうとした。
そんな様子を見て、遂に我慢しきれなくなり岡山は二人の前まで歩いて行った。
「エレーヌ!」
「ッ!? 太一…さん…」
「…誰だ、この小汚い小僧は」
エレーヌはいきなり現れた岡山に驚いて目を見開き、デュノアは汚物を見るかのような目で岡山を見た。
そんな岡山を支配人が止めようとするが、彼は全く止まらなかった。
「太一やめるんだ! 頼むから引いてくれ…!」
「ぼ、僕は彼女と付き合っている者です。 な、なんで彼女は貴方と一緒に居るんですか! 答えてください!!」
必死に訴える岡山を見て、デュノアは愉快そうに笑った。
「ほぉ…お前がエレンの言っていた…。 そうだな、こうして現れたワケだし、言っておくか」
「ッ!? デュノア様お止め下さい! 太一さんだけには言わない約束でしょう!?」
「…無駄口を叩くなエレン。 お前はもう私の愛人に戻ったであろう」
その時、岡山は耳を疑った。
この男は、今何と言った?
「あい…じん…?」
「デュノア様!」
「喚くな。 いいか小僧、この娘はかつて愛人として私のもとにいた娘なのだ。 年もお前の倍はある…。 私はこのホテルに訪れた時、一目で彼女がエレンであるとわかった。 だから今一度私のモノにしたのだ。 私のもとから逃げた…この娘をな…」
頭が真っ白になった。
まともな思考が出来ず、呼吸ができない。
フラフラと体を揺らし、その場に倒れてしまった。
「太一さん!?」
「どこへ行くんだエレン。 もうその男の傍に行く資格など、お前にはないだろう…?」
エレーヌは倒れてしまった岡山に近づこうとしたが、デュノアの一言に足が止まってしまった。
代わりに目から大粒の涙を流し、デュノアを睨み付ける。
しかし対するデュノアは全く気にせず、またにやりと笑った。
「なんだ、その顔は…? ならば、今夜も鳴かせてやろう…返事は?」
「っ…ありがとう…ございます…デュノア様…」
エレーヌは体をビクリと震わせ、デュノアにそう言った。
デュノアはそれに満足し、今度こそ車に乗ってホテルを出て行った。
岡山は起き上がる力すらなく、離れていくデュノアを見ながら意識を失っていった。
その時、デュノアの車から一人の子供が顔をだし、倒れた岡山をジッと見続けていた。
数時間経ち、彼は目を覚ました。
近くに支配人がいて、彼が上体を起こすと暖かいココアを持ってきた。
「…これを飲め、少しは落ち着く」
だが岡山は受け取ったココアを全く飲まず、そのまま近くの机に置いて支配人に問いかけた。
「エレーヌは…どうしたんですか…? 愛人って…あの子に何があったんですか…!」
ソレを聞いた瞬間、支配人の顔が一気に曇った。
やはり、支配人は何かを知っているのだ。
「…それを聞いたところで、お前はもう何もできない…せめて綺麗な思い出のまま…」
「そんな気遣いは不要です! 教えてください、彼女のことを!」
数分岡山は必死に訴え、支配人は折れた。
その口から、とんでもないことが語られていった。
話しによると、まずエレーヌの本名はエレン。
年齢は岡山と同じと言っていたが、実はその倍以上の持ち主であったのだ。
彼女はもともとフランスの貧困層の生まれで、とても貧しい暮らしをしていたらしい。
そして少しでも家計を助けるために花を打っていた時にあのデュノアの目に留まり、愛人として召し抱えられたのだ。
最初、彼女は家族を貧乏から救えると喜んでいたが、代わりに正妻たちからの耐えがたい嫌がらせを受けるようになったそうだ。
初めはまだ我慢できたらしい、しかし「あること」が起きたせいで遂にエレンは我慢できなくなり、デュノアの家から逃げ出したそうだ。
その「あること」とは…。
「彼女に…子供が…?」
「あぁ、お前もあの子の部屋に入ったことがなかっただろう。 エレーヌ…エレンは自分の部屋の隅にその子供を隠していたんだ。 どうやったのかは分からないが、誰にも知られず…今までずっとな」
ソレを聞いて、また頭が真っ白になった。
彼女が自分を部屋に入れなかったのは、これが原因だったのだ。
「…たぶん、アイツはいつかお前にだけは本当のことを言うつもりだったんだ」
重々しい空気の中、支配人は口を開いた。
「アイツは…本当にお前のことを愛していた。 だが…だからこそ怖かったんだろうよ。 本当のことを言って、お前に突き放されるのが…」
「………」
「デュノアの野郎は…恐らくそれをネタにエレンを脅したんだ。 あの男がここに来る前に…気付くべきだったんだ…。 俺がエレンをデュノアの使用人に命じた時、あの子はとてつもなく嫌な顔をしていた。 だが、理由も言えずにあの子は俺の言ったことに応じた…そして、こうなったんだ…」
「………」
「殴ってくれて構わない。 殺されても文句は言えないさ…。 俺があの子をしっかり見ていなかった…俺の責任だ」
「…やめてください。 それなら僕にも責任が…あります…。 僕が…気付け…ば…」
「………太一?」
支配人は岡山の異変に気づき、伏せていた顔を上げて彼を見た。
彼は全身を震わせて白目をむき、ワケのわからないことをブツブツと呟いている。
そして次の瞬間。
「ぎ…いぃ…アアアアぁぁぁッぁああアァァぁあ゛あ゛ア゛!!!!」
また岡山は限界を迎えてしまった。
信じていた者に裏切られ、奪われた悲しみ。
誰も責めることが出来ない、やり場のない怒り。
そして何よりも、彼女の事を気付けなかった自分自身への憎しみが。
彼の中で渦を作り、暴れまわって彼を完全に壊した。
「ア゛ァッ! ヴア゛ア゛ァァぁああぁあ゛あ゛ア゛!! ギィィああァァア゛!ア゛!」
「太一、しっかりしろ! 頼む元に戻ってくれぇッ! クソッ、誰か、誰か来てくれ!!」
支配人は涙を流しながら、暴れる彼を必死に抑えなだめようとする。
彼の助けを聞いてやってきた者たちも、岡山とエレーヌの仲を知っていたために目の前の惨状に心を痛め、泣きながら彼を止めようとする。
「岡山さん、気を確かにしてください!」
「岡山しっかりしろ! 暴れたってあの子はもう戻らないんだ…正気に戻ってくれ!」
「太一君、クソッなんでこんなことに…太一君!!」
皆それぞれ彼に訴えかけて必死に止めようとしたが、結局は彼が力尽いて眠りこけるまで大人しくはならなかった。
支配人も含め、従業員たちはもうどうしたらいいか分からなくなった。
ただ涙を流し、仲間の悲恋に心を痛め、そして何もできない事実を前に呆然と立ち尽くした。
ただ刻々と時間だけが流れ、岡山は二度と治らない「傷」をまた負ってしまったのである。
その数日後、再び彼は姿を消した。
「今までありがとうございました」、という極めて短い置手紙を残し、何も残さず消えて行ってしまったのだ。
従業員たちは必死に探したが見つからず、支配人は彼を救うことが出来なかったことに激しい自責の念を抱き続けたという。
故郷を失い、恋人を失い、もう彼には何もする気になれなかった。
沖縄を離れ、日本の何処かも分からない街で、ボロ屑のように生きていた。
路地裏の奥、ひっそりと動きもせず、何も考えず生ゴミのみを食べて。
「………」
その日は雨が降っていた。
湿気が増し、普段より不快さが増している。
強烈な異臭のするそこは不良ですらもうろつかない場所で、一切の関わりを断ちたかった彼からすれば「最高の城」であった。
もう過去を思い出す気もない。
未来などもってのほか。
このまま人形のように生き、勝手に死ぬ。
彼にはもう、そんな望みしか残っていなかった。
「………」
「…? 誰かいるのか?」
ピチャリと、水たまりの上を歩く音がした。
そんな彼のもとに、誰かが現れた。
声を聞く限りじゃ女の子供のようだが、フードを被っていて顔が見えない。
しかし、だからといって岡山は何も考えなかった。
「………」
「おい、聞いているのか? なんでここにいるんだ?」
ただ、なぜかその声はとても腹立たしかった。
殺したくなるくらいの憎悪が、その声を聞くとなぜかわいてくる。
だから、彼は久々に声を出した。
「…お前には…関係…ない…消えろ…」
「そんなことは知らない、私はお前に興味があるんだ、答えろ。 なんで貴様はここに居る?」
そんなことを一切の揺らぎもなくその子は言ってきた。
このまま無言を貫いても良いが、なぜか彼女はそれでは引かないと思った。
故に、答えてしまった。
「…もう、何もしたくないからだ…」
「何も…?」
「…僕はもう疲れたんだ…。 僕は僕が何のためにここに居るかすら分からなくなったんだ…。 死にたくても死ぬ勇気すらない…だからここに居るんだ…これで十分か?」
そう彼は言い、再び目を閉じた。
久々に言葉を発して疲れてしまったのだ。
もう必要なことは言った、今度こそ寝よう。
そう思ったのだ。
「…そうか、私もそうだ」
だが、次に彼女が言った言葉に反応し、再び目を開けてしまった。
「私も、自分がなんなのか分からない…。 何のためにここに居るのか…その理由が分からないのだ。 だから雨に打たれてこんな所をウロウロしている。 雨に打たれていると…自分がここに居ることを実感できるんだ」
彼女は空を見上げ、悲しげにそう言った。
だが、岡山はそんな彼女を見て、再び怒りを募らせた。
今度は声だけじゃない、彼女の言動にもだ。
「…ふざ、けんな…」
「…なに?」
「ふざけんなよ…お前は片手が動かないか? 足は? 信じていた者に裏切られたことは? 心の奥底から、本当に絶望を味わったことがあるのかよ…」
怒りで左手を握り、フルフルと震わせる。
そんな岡山に女の子は尋常でないナニカを感じたが、それに物怖じせずに反論する。
「…お前こそ、何が分かる!? 私には親もなく、自分の弱さを見せれる者もいない! 私は生まれた時から…ずっと一人だったん「だが、それでもお前は帰れるんだろう?」」
彼女の言葉を遮り、岡山は言葉を続ける。
「どんな所でも、お前は自分の足で帰れるんだろうが…それだけで幸福だって…さっさと気付けよ…バカが…」
「………」
何も言わない彼女に対して、岡山は近くにあった傘を投げ捨てた。
「………これは?」
「お前にやる、それをさして家まで帰れ…。 勝手に嘆いて…雨に打たれる資格なんてお前にはない…」
そう言い終え、今度こそ彼は瞳を閉じた。
もう、絶対に何も言わないのだろう。
だからこそ、女の子も勝手に喋る。
「…そう…か…。 そうだな…、ありがとう。 お前のおかげで自分を見つけることが出来た、感謝する」
「………」
「…なぜだろうな、お前の声はとても心地いい…聞いてて楽しいんだ。 ………いつか、お前にも…」
「………」
「…いや、これ以上はよそう。 またお前に会うのを楽しみにしているぞ。 じゃあな、岡山太一」
そう言って、彼女も姿を消した。
なぜ自分の名前を知っていたのか、一体何者なのか。
疑問は浮かんだが、直ぐに消えた。
それすらも億劫だったのである。
(もういいや、寝よう…)
そして、また彼は泥のように眠った。
次に目が覚めた時、目の前に複数の男がいた。
皆綺麗なスーツを着込み、体格もガッシリしている。
「…貴方が岡山太一ですね?」
「………」
何かを聞かれたが特に気にせず、岡山はそのまま動かない。
「民間の方から、貴方がここにいるという報告を受けました。 特別捜索人物ナンバー2、岡山太一さん。 貴方を保護します」
そう言うと、彼らは岡山を担いで近くに置いてあった車に乗せた。
当の岡山は何が起きたのか全く理解していなかったが、もう抵抗する気すらなかった。
行き先が地獄だろうとあの世だろうと…もうどうでもいい、関係ない。
そう本気で思っていた。
しかし、彼が送られる場所は彼にとって地獄以上に行きたくない場所であった。
彼が送られた場所、それは世界の中心ともいえる場所。
大国からの干渉を一切受け付けない、唯一の場所。
そう、IS学園であった。
世界は、もう彼を放さない。
ご感想、ご指摘がございましたら、よろしくお願いします。