悪意
「フフ、アハは…」
機械しか無い部屋で少女は笑う。
「えへへ…ンフフ…」
狭い部屋、四方のどこを見ても機械しか見えない。
そこでは彼女は女王である。
そしてその「城」にいる限り、彼女は他の干渉を一切受け付けない。
「フフ、かーいいなー。 惨めで…負け犬だなぁ…クスクス」
そんな彼女の目の前には無数の液晶画面が存在していた。
画面は世界のありとあらゆる場所を映している。
日本だけでなく、アメリカ、中国、イギリス、ドイツ、フランス…その他の全ての国の隅々まで、彼女は画面を通して見る事ができるのだ。
そんな場所で、彼女はたった一つの画面を見ていた。
その画面は薄汚い部屋を映している。
そこには人間が生きていくために必要最低限の家具しか無く、娯楽や趣味の類は一切見えない。
彼女も部屋そのものには何の興味も無かった。
彼女が見ていたのはその部屋の中心、ボロボロの布団の上で眠る一人の男であった。
男は右腕を庇うように丸くなっており、何か悪夢を見ているのかガタガタと震えながら涙を流していた。
眉間にも皺を寄せ、見るに絶えない様子である。
少女はそんな男を、頬を染めながらウットリと眺めて笑みを零していたのだ。
「フフ、おかえり。 たっちゃん…アハは」
少女、篠ノ之束は画面の男である岡山太一を見てそう呟いた。
そんな彼女の見る液晶の隣には、沖縄地方にあるとあるホテルや小汚い路地裏を映す画面が存在していた。
それが意味する事は…。
「お化けが住み始めた?」
ある日、昼放課に織斑一夏は幼なじみである篠ノ之箒の言葉にそう答えた。
「あぁ、友人の一人が言っていたのだ。 お前も聞いた事くらいはあるだろう? 誰も住んでいない筈の校舎外れの物置小屋…その一室に数日前から見るに絶えない化け物が住み始めた、と」
「…化け物って…確かにこの前千冬姉が、清掃員が新しく入ったって言ってたけど…なんでお化けなんだ?」
「なーんか、顔が死にきってて気味が悪いから、みんな嫌ってるらしいわよ。 クズとかキモイとか、好き勝手言って虐めてるって聞いてるわ」
二人が話している中、彼の第二の幼なじみである凰鈴音が唐突に話しかけていた。
彼女は二人の間に割って入り、織斑一夏に軽く挨拶をする。
「なっ、お前はなんで平然と他のクラスに入ってくるんだ!?」
篠ノ之箒は彼女を少し敵視している。
凰鈴音は一度、クラス代表戦で織斑一夏と激戦を繰り広げたのだが、その時のあらましを全て知っているために、彼女を恋敵として認識しているのである。
「何よ、別に話くらい入っても良いでしょ? それで、さっきの話なんだけどね…どうやらその清掃員、男らしいのよ」
「男? そりゃまたなんで…」
IS学園はその特殊さゆえ男子禁制の学園となっている。
例え清掃員や料理人であろうとそれは例外である筈だ。
ただ一人、世界で唯一ISを動かせる織斑一夏を除いて。
「さぁね、理由は分からないわ。 ただ、さっきも言ったけどそのおかげで生徒達からは酷い差別を受けてるそうよ。 しかも、その清掃員片腕が動かないみたいで…足も一本動かないそうよ。 その事も相まって…最悪らしいわ」
「………腕が?」
凰鈴音が説明をする中、織斑一夏は彼女のある一言が気になった。
片腕が動かない。
その言葉が妙に引っかかったのだ。
そして思い出す、まだ自分が小学生だった頃に、姉である織斑千冬が一度だけ紹介してくれたとある男を。
食事の時には、姉はいつもその男の事を話していた。
その時の姉はとても嬉しそうで、楽しそうだった。
確か名前も覚えていない彼も、右腕が動かず死んだ様な目をしていた。
その姿が怖くて、ろくに挨拶も出来なかった事を覚えている。
ある日、突然道場で奇声をあげた後に入院し、そのまま失踪したと聞いたが…。
思えばあの日から姉は時々情緒不安定になり、謝罪の言葉を言い続ける時があったのだが…何か繋がりがあるのだろうか?
(あの時、千冬姉は男の人に対して「今は疲れているだけだ、すぐに治る」とか言ってたけど…もしそれが違っていたら…)
そんな事を考えていると、担任である織斑千冬が教室に入って来た。
時計を見ると、まだ授業開始まで15分程時間がある。
「あっ、ちふ…織斑先生。 今日はいつもより来るのが早いんですね」
「あぁ、用があって近くまで来ていたのでな…そのまま教室に来た」
「そうですか…そうだ、織斑先生。 少し聞きたい事があるんですけど…」
織斑一夏は織斑千冬の前まで歩くと、彼女に質問を投げかけた。
彼女は特に気にする事も無く、教卓に資材を置いて質問を聞こうとする。
「なんだ? 前の授業で分からない所でもあったのか?」
「いや、違うんです。 最近やって来た新しい清掃員のことなんですが…俺って前に、その人にあった事があるんじゃないかな…って」
その時、彼女の手がピタリと止まった。
目を見開き、持っていた出席簿を落としてしまった。
「…織斑先生?」
「っ、いや、何でもない。 大丈夫だ…」
口ではそう言っているが、彼女は明らかに様子がおかしかった。
そんな姉を見て、織村一夏は確信した。
「織斑先生…いや、千冬姉。 教えてくれよ、あの清掃員は何者なんだ、なんでここにいるんだ?」
「ふ、深い事情は無い。 ただ、偶然…」
「そんな筈ないだろう! ただの偶然で千冬姉が言葉を詰まらせるなんてあり得ない!」
「い、一夏…」
彼の真剣なまなざしに何も言えなくなり、彼女は遂に折れてしまった。
「…分かった、全て話す。 …授業の始まり、全員が集まった時にな」
「あら、織斑先生。 今日はお早いので…あら?」
そう言うと、彼女は「顔を洗ってくる」と言い、フラフラと教室を出て行った。
織斑一夏はそんな彼女を止める事などできず、傍にいた篠ノ之箒も凰鈴音も。
そして入り口ですれ違ったセシリア・オルコットは挨拶をしたが彼女の異常さに気付いて言葉を詰まらせ、その他の誰も彼女に声をかける事が出来なかった。
数分後、チャイムが鳴って授業の時間を知らせる。
欠席者は一人もおらず、全員が自分の席に座っている。
「さて、全員集まったな…今回授業は進めず、ある男の話をする。 重要な話だ、よく聞いて欲しい」
そう言って、彼女は今までの事を話した。
彼女が岡山と言う人物にどういう事をしてきたのか。
そして彼がどうなったのか。
空白の期間の後、彼がどのような状態であったのか。
彼女が説明できる事を、全て話していった。
生徒達は誰も言葉を発せなかった。
後悔の念を言い続ける彼女にいつもの輝きを見出せず、どうしたら良いのかも分からなかったのだ。
「…これが、岡山という人物の全てだ。 …私はアイツのことを何も考えず、自分勝手に暴力を振るい、その人生を壊したんだ。 私に出会わなければ、彼はもっと違った人生を歩めたのに…それを、私が…」
そう言いきる前に、遂に彼女は涙を流した。
止めようと思っても、その思いが邪魔をして止められない。
顔を伏せて手で口をおさえ、肩を振るわせて嘆いた。
「…顔を上げてくれよ、千冬姉」
そんな中、織斑一夏が口を開いた。
その声を聞いて彼女は恐怖した。
自分の過ちを聞いて、恐らく弟は自分を軽蔑するだろう。
今まで尊敬していた姉は、ただの暴力女だったのだ。
どんなことを言われても、文句など無かった。
しかし、弟から返って来た言葉は違った。
「…千冬姉は、ずっと後悔していた…そうだろ?」
「………」
「あの人が町からいなくなって…その時から千冬姉は寝込む時があった…何回も何回も…。 その時、決まって千冬姉はずっと謝り続けていた。 ずっと、謝りたいって思ってたんだろ?」
「私は…」
弱々しく答える姉に対し、織村一夏は立ち上がり目の前までやって来た。
「消える前、岡山さんの事を話す千冬姉は本当に楽しそうだった。 その時の顔だけで分かる、千冬姉に悪気なんてなかった」
「だが、悪気があろうと無かろうと…私は…太一に…」
「千冬姉はあの人と仲直りしたいんだろ? 今は無理でもさ、説得していこうよ。 それで償っていけば良い…どんなことをしてでも…またあの人が笑えるようにするんだ」
「一夏…」
呆然と自分を見つめる姉に背を向け、クラスメイトに向かって投げかける。
「みんな、今言った通りだ! 頼む、千冬姉の仲直りに手を貸してくれ! このままの状態が続いたらあの人も千冬姉も幸せになんてなれない…だから、俺は二人を助けたい!」
大声で織斑一夏はそう宣言した。
そんな彼に対し、全員が拍手で応える。
篠ノ之箒は無言で頷きながら、オルコットは涙を流して感激しながら。
その場にいる全員が、織斑一夏の、そして織斑千冬のために協力する事を決めたのだ。
ただ一人を除いて。
盛大な拍手が鳴り響く教室の外で、岡山太一はその全てを聞いていた。
彼は、ただズリズリと足を引きずって歩いていった。
唇を血が流れる程強く噛み締め、悔しさに涙を流して歩いた。
「………畜生が………畜生がぁ…」
誰も自分を理解してくれない。
そんな無慈悲な世界を憎み、ただ呟き続けた。
数日後、世界はとあるニュースでにぎわっていた。
その内容は「第二の男性IS操縦者」である。
織斑一夏だけだと思われていた男の操縦者が、フランスから見つかったのだ。
その者はすぐさま保護下に置かれ、IS学園に送られたという。
「…ここに、織斑一夏がいる…父様の言っていた…標的…。 ………母さんが言っていた…あの人も…」
第二の男性操縦者、シャルル・デュノアは校門の前でそう呟いた。
瞳は濁りきり、うっすらと笑みを浮かべて歩みを続ける。
その姿は、亡霊のようであったという。
千切れた糸は再び繋がり、もう二度と解ける事は無い。
解くことなど出来ない。
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