「……何も分からないんですよね」
ずっと、ずっとうなされながら眠っている翔さんの顔を眺めながら、ジブンの口から出た言葉はなんとも弱気なものだった。
少なくとも、ジブンは翔さんの事を本当に何も知らない。
仕事先でも学校でも彼の先輩。なのに、彼は自分の事をジブンには本当に話してくれない。
「どうして翔さんがここまでギターに傾倒しているのか……最早おかしいレベルですよね?」
「……そうですね。狂ってますよ、翔は」
誰よりも早く駆け付けてきてくれた、彼と同じバンドメンバーの陽さんと夢さん。いつも寝ている夢さんが無表情で走ってきた時は本当に驚いた。今はやっぱり寝ているが。
それだけ、心配だったのだろう。ジブンと同じで。
翔さんには、その気持ちが届いているのかどうか怪しいラインだが。
「……翔って、色々と凄いんですよ」
「……ギター以外も、ですか?」
「お、今のポイント高いですよ」
やっぱりよく見てる、と陽さんは笑った。
悲しい話だが、私は彼と一緒に居る時間こそ長いが、彼の趣味、特技、好きな物、それら全てに当てはまる唯一のものはギターである、と思っている。
勉強も好きではないと話していたし、運動も得意ではないとも。
「……茶化さないでください。一応、真面目なんですよ?」
「すいません、ちょっと嬉しくて……そうです。コイツはギターしかないです」
陽さんは恥ずかしそうにはにかみながら、翔さんのおでこをつんつんと突く。
ギターしかない。
彼がよく口にしている言葉だ。同じようにその言葉を口にしているRoseliaのギタリストとは違い、自虐のように笑いながら。
「……紗夜先輩とは違って、コイツには本当にギターしかないんですよ……コイツの『他のことの出来なさ』は凄いですよ?」
指を一本立て、思い出すように天井を見ながら続ける。
「まず、七の段の掛け算が怪しい」
「……へ」
「歌詞が覚えられなくて、基本ライブでアイツは歌わない……し、そもそも音程が取れなさ過ぎて歌えない」
「いや、え」
「そもそも、コードが怪しい……普段は龍樹や俺が弦の番号を楽譜に書いてる」
「……ちょっと、待って下さい」
病室で大声を出してしまいそうになる、が、何とか小声で抑える。
陽さんの苦笑いが、今はとても恨めしい。なんで、彼はここまで知っているのだろうか? シブンは、何も知らない事実だった。
羽丘に合格出来るような人が、七の段の掛け算が怪しい?
ギタリストなのに、コードが怪しい?
そんなの……致命的ではないか。
「殆どなんにもできないですよ、ソイツ。片付けも料理も、俺らが手順書書いて渡さなきゃマジでできないですし、俺らがなにも手を出さなかったら、本当に家か事務所でギターばっか引いてますよ」
言葉が出ない。何もできない、とは聞いていたが、日常生活に支障が出るレベルでとは思わなかった。
ずっと寝ている夢さんと、同じレベル支障が出ている。
能力という意味では、間違いなくバンド仲間の誰よりも下。
「……だから、麻弥さんがそいつの家に毎朝行ってるのは、本当に有難いんですよ。ほっといたらソイツ、寝ずに食べずにギター弾きますからね」
三大欲求の上にギターがあるしなぁ、と笑う。ジブンは笑えなかった。
そんな危ない橋を、ジブンが支えていた事実に震える。行かなかったら、この人は死んでいたのではないか?
本当に、目を離してはダメだ。知ってしまった今、目を離すことは、彼を殺す事と同義だ。
「……何が、あったんですか、翔さんに」
「分かんないっすね。何も話さないから」
「……どうしましょう?」
「ほっとけばいいですよ。自分の事を考えるなら」
「……お互い、そういう訳には行かないッスよね?」
「ねぇ?」
この危険すぎる男の子を、ジブン達はもう見捨てることはできない。
学校の可愛い後輩、同年代の仕事仲間、それだけでは無くなってしまった。
ジブン達が、彼の命を握っている。
そこまで言うのは、些か過言だろうか? いや……今の彼の様子を見る限り、それは過言とは思えない。
「……翔」
ジブンでも陽さんでもない、男の人の声。ここにいるもう一人。まさか起きているとは思わなかった。
振り返ると、床に投げ捨てられていたはずの夢さんが立ち上がっており、ジブンや陽さんではなく、相変わらず寝ている翔さんを見つめていた。
相変わらず、その表情は何も感情を示していなかった。
「道具」
「……は?」
夢さんの言葉に、全ての意識が向く。もっと意味の分からない同級生二人の言葉が理解できるのだ。この程度、理解できないわけが無い。
「手足にすら満たない。命を掛けられるわけない。でも、燃やせる。だから、震えない」
「……!?」
理解出来てしまった。したくなかった。そんなこと、あっていいはずがないのに。
「……夢、お前一体何言ってるんだ?」
「……翔は、おかしい」
「いや、お前が言うなよ……」
違う。夢さんは普通だ。普通の感性と、普通の常識を持てている。ただ、語彙力と活動時間が無いだけで。
翔さんは、どうだ?
彼は、ギタリストとして、いや、もっと広い範囲……ミュージシャンとして、絶対必要な素質すら、持ち合わせていないのではないか?
恐ろしい話だが、幾らか思い当たる節がある。
以前いきなり、屋上で『ドラムは楽しい?』と聞いてきた。
何を当然なことを、とその時は思った。しかし、彼にとってそれが当然でなかったら?
更に、その時にギターケースを思いっきり地面に置いていた。仕方なく置くことはあるが、『普通のギタリスト』なら、壁に立てかけて、少しでも傷つかないようにするだろう。
「……夢、さん……ジブンは、どう、すれば……」
舐めていた。彼の深さを。
見くびっていた。彼の中での常識を。
恐れてしまった。彼の狂気を。
まともなジブンに、彼と触れ合う資格はあるのだろうか?
「……染めて」
夢さんと、初めて目線を合わせた。
全てを見透かされてしまった気がした。
「翔を、麻弥さんに、染めて」
「……?」
「危ない、けど、このままじゃ翔、死ぬ」
「っ!」
「夢!? お前ホントに今日どうした!?」
ここまで饒舌に喋る夢さんは、初めて見た。
夢さんは、ずっと寝ているし口数も少ないことから、クレバー系と思われているが、本来は情に厚い熱血漢だ。
だからこそ、夢さんは必死に伝えようとしている。
翔さんが、大切だから。
「麻弥さんなら、大丈夫」
「そんな……ジブンは、翔さんと先輩ってだけですよ」
「違う、麻弥さんは、翔」
ここに来て、夢さんの言葉の意味が分からなくなってしまった。
ジブンが、翔さん?
一心同体を意味しているのだろうか。しかし、ジブンに翔さんの気持ちは分からない。
もどかしい。全て理解できたら、どれだけ深く触れ合えるのか。
「同じ……だから……だ、い、じょう……ぶ……」
「……夢?」
「……すぅ……すぅ……」
「夢ェ!?」
それだけ言い残して、夢さんは立ったまま、オマケに目を開いたまま眠りについていた。
思わず椅子からずり落ちてしまう。こんな、こんなタイミングで寝てしまうのは、締まらなさすぎる。
「夢! 頼むから俺にも分かるように解説してくれ! さっきから話に全く着いてけてねぇんだよ!」
「ちょっと! 五月蝿いですよ!」
「あっ、はい、ごめんなさい……」
看護師さんに怒られた陽さんは、なんというか、可哀想だった。
──夢さんのセリフが、翔さんが目覚めるまで頭の中を埋めつくしていた。
ご閲覧ありがとうございます。女の子の思考回路を理解したいです。そうしたらもっとはべらせて……おっと、誰か来たようだ。
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それでは、また次回。