凄まじい惨状だった。
辺り一面が火の海に沈んでいる。建造物が斬り裂かれ、あるいは怪力で叩き潰され、地面をひっくり返したかのような破壊痕がそこら中に見える。原型を留めているものが見当たらない。
何度か戦場を目にしたことはあるけれど、これほどの破壊を見たのは久しぶりだ。
これが魔族同士の戦いかぁ、と一人で納得する。
「はしゃぎ過ぎじゃん.........」
元気百倍どころじゃねぇ。
こんな地獄絵図をたった二人で生み出せるのだから、改めて魔族の規格外さに呆れてしまう。ただの人では辿り着けない領域、強さという概念の一つの到達点ともいえる存在が彼らなのだと実感する。
まあ、それはそれとしてだ。
「よいしょ」
「おい、やめろ、はなせ.........!」
巨大スライムに浮かんでいたロアさんを、膝と肩に手を回して抱え上げる。本人は嫌がっている様子だが、満身創痍なせいで抵抗も出来ていない。
彼女の負傷を見て顔を顰める。
服が焼け焦げてボロボロ、露出している肌には裂傷のような傷が見えるし、なにより手足が酷い火傷だ。爆撃に直で晒され、手足を炎に突っ込んだような怪我だった。素人目に見ても病院直行レベルの重傷である。
「.........気絶していたんじゃ、なかったのか」
「いや、めっちゃ気絶してましたよ。けどスライムに起こしてもらいました」
気絶前に僕を起こすように命令しただけだ。
僕の従魔達はどこにでもいて、たまたま近くに潜んでいたスライムの一匹が起こしてくれたというだけの話。起こし方が僕の顔に張り付いて呼吸器を塞ぐという、かなり危険な覚醒方法だったため酸欠で死ぬところだったが、どうにか目覚めてロアさんを追いかけてきたというわけだ。
間に合って良かった。
辿り着いたらロアさんトドメ刺されかけてるのだから滅茶苦茶焦った。道中は出てくるタイミングとか考えてたのだが、実際は慌てて割り込むしかないくらいにはギリギリな状況だった。
そんなわけでなかなかいい仕事をしたと思っているのだが、助けられた本人はそうでも無いらしい。腕の中のロアさんが僕を睨みつけている。
「どうして、此処に来たんだ……………!」
「それは______」
答えるよりも先に、ロアさんが続ける。
「関わるなと言っただろう! 力で脅しただろう! なんで、危険なこともわかっているのに、どうしてお前は.........!」
僕の服を掴み、声を震わせて彼女が叫ぶ。
いくつもの感情が入り混じった表情で彼女は涙を流していた。
「頼む、逃げてくれ……………。 私にはもう、お前を守れるだけの力がないんだ」
うなだれるように俯向く彼女は、いつもより小さく見えた。
魔族は、生まれながらに孤独だ。
少なくとも、味方よりも敵の方が多い。
故に強くなければ生きられなかった。強いからこそ戦いの人生の中で生きていられた。
生存のために必要なのは「強さ」という要素のみであり、おそらくは『幻狼』が最も信じて疑わなかったモノ。闘争における勝利と生存こそが強さであり、強さこそが何より揺らがぬ存在証明なのだから。
だが。
だとするならば。
今の闘争で敗北した彼女には、いったい何が残っているのだろう。
「______ロアさん」
少しだけ考えて、伝えるべき言葉を紡ぐ。
名を呼ばれて、蹲っているロアさんがびくりと肩を揺らす。
「すみませんでした」
はっと彼女が顔を上げる。
「お前は、なにを______」
「旅行の件です。ロアさんほどに、僕は現実を見ていなかった。怒られるのは当たり前です」
マジで怖かったぜ。怒ったロアさんはよォ.........。
凄まれた時は死ぬかと思ったし、逃避行を誘って突っぱねられたのには割と傷ついたし。目が醒めてすぐに追いかけたけれど、もう一回断られたらどうしようとか考えてしまうし、道中は自分で自分を励まし続けて、止まりそうになる足を動かしていた。
だが、ロアさんの方が正しいのだ。
経験豊富な傭兵の『幻狼』が逃げられないと判断した、その意味なんて少し考えればわかることだ。すでに手詰まりの状況で呑気に逃げましょうなんて、甘えたことを抜かしてる愚か者なんて絞め殺したくもなるだろう。
「違う.........っ! あれが、あんな本性が、私なんだ」
「なら、なおさらです。現実を見ていなかった。けれど何より_____
別に人間の心の中まで理解しろとか、本音を見抜けとか、そんな無理難題ではない。
簡単なことだ。
誰かを助ける行為は美徳かもしれない。
手を差し伸べる行為は尊いのかもしれない。
何かを守るという行為は素晴らしいのかもしれない。
だが、ロアさんを助けるべき人間だと決めつけていた僕は、目も当てられないほどに最低だ。
本当に反吐が出る。
無用な救いに価値なんてない、いわれのない施しなんて不快なだけだ。とんでもない醜態をさらしてしまった。
最初から自分に何一つ期待はしていないけれど、それでも自分の落ち度は取り戻さなければならない。
「だからもう一度、
「______」
ロアさんの目を見る。
やり直すのだ。
もう手遅れなのかもしれないけれど、それでも自分が後悔をしないためにできる事をする。
僕は彼女の強さを詳しくは知らない。
だから僕は僕が知る、彼女の良いところを口にする。
強さ以外を、肯定する。
「ロアさんは、真面目で、仕事は飲み込みが早くて、勉強熱心で、細かいところまで気を利かせてくれて、近所の婦人と子供に人気で、なによりこんな僕と気軽に接してくれる______」
嗚呼。
なんて格好悪い。
誰でも思いつくような言葉の羅列。もっと他に言いようがあるだろうに。人も見れてない上に、上手く口も回らないなんて本当に情けない。
けれど、仕方がない。
情けなくとも、言い切るのだ。
「______笑顔が素敵な、貴方の力になりたい」
誰かのためでなく、自分のために。
彼女を失いたくなくて、僕はこの場所へ辿り着いたのだから。
「そ、そうか、わかった」
「………え、なんですかその反応」
ちょっと______いや、かなり思い切って話したにも関わらず、ロアさんの反応は微妙な感じだった。
なんか俯いて目を合わせてくれなくなったな。というかなんか顔が赤い。
いや、当たり前だ。
自分で自分がレベルの恥ずかしい御託を並べたのだから、そりゃ聞いてる方も恥ずかしくもなるだろう。はぁー恥ずかしい、穴があったら入りたいというやつだ。これだから口下手にアドリブで話させるのはダメなんだよ。
でも、もう少しはっきりした返事が欲しい。このままロクな反応もないままだと、僕がべらべら一方的に話しただけの恥ずかしい奴になってしまう。
「わかったってどっちです? 僕は力になる方向で進めたいんですけど」
「こ、こら顔を覗こうとするな。それでいいからっ、今は見ないでくれ……!」
「約束ですからね」
よし、言質は取った。
なら、あとはこの戦いを終わらせるだけだ。
______まあ、そこが一番の難所でもあるのだが。
「.........お待たせしました。すみませんね、待たせちゃって」
「気にすんな気にすんな。最後の会話を邪魔するほど野暮じゃねぇさ」
長刀を鞘に収めて、グレンは少し離れた位置に立っていた。
さして気にした様子もない返答。
当たり前だ。
すでに『幻狼』との戦いは制している。目の前にいるのはスライムホールを売っている一般人。僕が戦いの素人であることはとうの昔に察しているだろう。消耗しているとはいえ、焦る理由もなければ、警戒する理由もない。
あちらからすれば消化試合も良いところだ。
「さて、あらかじめ言っておくが命乞いは受け付けてねぇ。この場にいる奴は皆殺しが俺の方針だが_____状況解ってるか?」
「まあ、そこそこですかね」
僕の言葉を、グレンが鼻で笑う。
「いいや、解ってないね」
「...............」
笑みの表情を張り付けてはいるが、グレンから苛立ちの感情が伝わってくる。
「動作の一つ一つが隙だらけだ。戦場経験のない素人なのが一発で解る。危険を承知で現れた心意気は評価してやるが_____」
グレンが鞘に収めた長刀に手をかけ、腰を下ろすように構える。
臨戦の態勢に呼応するように、空気が張りつめていく。
全身を突き刺すような____殺気ともいうべき気配に身体が強張る。辺りは燃えているというのに、肌を撫でる空気は驚くほどに冷ややかだ。
「______世の中、気持ちで乗り越えられるほど、現実は甘くはないんだわ」
「………………ずいぶんと、言いたい放題言ってくれますね」
「当たり前だろ。来なけりゃ助かった命を捨てに来た、切り捨てられるものを切り捨てられない。それは優しさじゃなくて弱さって言うんだぜ」
相対して、対峙して、向き合ってようやく理解する。
眼前の男にとって弱肉強食こそが正義であり法。そして目の前の相手は無慈悲極まるルールの中で、常に勝者側に立ち続けてきた圧倒的な捕食者だ。
「______殺してやるよ、ウィル アーネスト。お前は自分の弱さのせいで、ここで終わるのさ」
そう言って、鬼は凄惨に嗤った。
まともに殴り合えば勝負にならないだろう。戦闘経験なんて比べるべくもない。目に見える強者が、確かな恐怖と脅威がそこにはあった。
戦火の中に生き、闘争の流血に塗れ、地獄に棲まうが如き、なによりも赤い鬼。
______故に『赤色鬼』
「ウィル.........」
ロアさんの声で我に返る。
恐怖か武者震いか、自分の身体が震えているのがわかる。
けれど、それだけだ。
「言いたいことは、それだけですか」
「............あ?」
がさり、と茂みから音がした。
出てきたのは一匹のスライム。拳大程度のサイズの小さな魔獣だ。さして珍しいものでもない、探せば見つかるようなありふれた魔獣の登場。
だが、グレンがその異常事態に気付く。
「気持ちで乗り越えられるほど現実は甘くない、でしたっけ。大いに同意しますよ」
「なん、だァ............!?」
がさりがさりと、音がする。
岩の陰から、木々の隙間から、スライムが這い出して来る。
2匹や3匹どころではない、10や20でも話にならない。どこに身を潜めていたのか、数えるのも億劫になるほどのスライムが、この場所に姿を現していく。
膨大な量のスライム群が、僕達を囲むように形成されていく。
「なら、現実を乗り越えられるだけの物量を用意するだけです」
「こいつら、全部テメェの眷属か............!」
難しい事ではない。
スライムに限らず、群れを成すタイプの魔獣使いには可能な芸当だ。十分な環境とリソースがあるのなら、群体型の魔獣は数を容易に増やすことができる。
そしてスライムは超低コストかつあらゆる環境に適応する魔獣。
その増殖速度は他の魔獣の追随を許さない。
「馬鹿げた数だな、全部で何匹いるんだ?」
「さぁ、いちいち数えてませんけど...............まあノスト全域は僕のスライムなんじゃないですか?」
ノストを拠点としての2年間は決して短い時間ではない。
フィールドワークによって野に放たれた僕の使い魔は、辺境全域を分布範囲として収めている。
グレンとロアさんの戦闘場所に辿り着いたのも簡単な話。
僕のスライムがそこに居たから、感覚共有で見つけたというだけだ。派手に暴れているのだから、場所を割り出すのにも時間は掛からなかった。
もはやこのノストの地において、スライム使いの僕が把握していない場所は存在しない。
「終わらせませんよ、何もかも。いつも通りに、僕は明日も生きていきます」
「_____はは、なかなかどうして曲者じゃねぇか。期待なんて毛ほどもしてなかったが、これなら思ったよりは楽しめそうだ」
グレンが獰猛な笑みを浮かべる。
居合の構えを保ちながら異様なほどに前傾していく。深く深く身を沈め、力をため込むような、明らかな突撃の形態へと移行していく。
「じゃあなウィル アーネスト。自分の弱さを思い知って死んで行け」
「かかって来いよ『赤色鬼』。孤高気取りの強さっていうのが、どの程度のものか確かめてやる」