冬特有の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い、箒に乗って飛ぶ美しい魔女は微笑みます。
目を下ろせば、輝くお日様のカーテンが葉を落として丸見えになった山肌を照らしていました。
まるでこの冷たい空気をそのまま体現したかのように寒々しい山岳地帯は、しかし春に向けて必死に太陽の恩恵を地面に貯め込んでいるのでしょう。そして温かくなれば、花や虫の大合唱がこの山々を賑やかす。
そんな自然の神秘を想起し、もう1度魔女は微笑みました。
「おや? あれは……」
枯れ葉まみれの山肌。そこを吹き下ろす寒風を避けるためにそこそこの高さを飛んでいた私は、そんな寒風を切るような勢いで駆け降りる集団を見つけました。
熊や猪の毛皮を纏い、体は自然の脅威から身を守るためにゴツゴツとしている屈強な男性陣です。何故か全員、赤く染めた髪をモヒカンカットにしています。
この山を根城にしている山賊でしょうか。彼らは何かから逃げているようで、全員が全員必死の形相でした。
魔物にでも襲われているでしょうか?
であれば、例え山賊であろうと最低限助けてあげるべきでしょう。そして助けてあげた見返りを彼らの持つ財産から一片残さず捲き上げるべきでしょう。
なにせ私は旅の魔女。旅人にとって、安心と安全はお金で買うものですから。あと、私はお金大好きです。
「さて…彼らは何から逃げているのでしょうか?」
山肌を沿って彼らが背を向けている方向に視線を向けると、
「ヒャッハァァァァァーーーーーー‼︎命が惜しければ荷物を置いていくでござる! 逆らう奴は皆殺しでござるよぉ!」
……なんか物凄く見覚えのある女の子が、トレードマークのポニーテールと刀を振り回しながら山賊さん達を追いかけ回してるんですけど。
あ、よく見たら刀を持つ手とは逆の手に気絶していると思しき山賊さんも持っています。
「男は奴隷! 女性の方々は……ふひひひひひひ。ヒャッハァァァァァーーーーーー‼︎」
などと奇声を上げながら、彼女は返り血が付着する大輪のひまわりのような笑顔で、手に持つ山賊さんを逃げ惑う山賊さんに投げつけています。恐らくお得意の過重力で軽くしているのでしょう。
そして見事命中して気絶した山賊さんを拾い上げ、また別の山賊さんへシュート。
脅威の剛速球(山賊)です。ほとんど悪魔の所業です。
「……………」
一瞬スルーしようかとも思いましたがそれはそれでなんだか薄情な気もするので、彼女の悪魔的所業が終わるのを空の上から待つことにします。
それから数分。
片手に刀、逆の手に山賊を持ち、地面に倒れ伏す山賊を踏みつけている武士で旅人で魔法使いの腐れ外道の元へ、灰色の髪を靡かせ降りていく魔女がいました。さて、それは一体誰でしょう?
彼女は灰の魔女イレイナ———そう、私です。
「ふぅ、粗方片付いたでござるな」
周囲を見回せば、死屍累々と倒れ伏す山賊の方々———確かKCP山賊団でござったか。
彼らのトレードマークであるニワトリさんのような赤モヒカンが、枯れ葉だらけの寂しい山の斜面を綺麗に彩っているでござるな。
……って、そんな現実逃避してる場合じゃないでござる。この連中、山賊のくせに無駄に健康なので全員を確保するのに手間取ってしまったでござるよ。
今から彼ら全員を依頼元の国まで運ばないとならないでござるな……。いやはや、重労働でござる。ぐすん。
「おっと忘れるところだった。———先ほどから見ている者! 敵意が無いのならば姿を見せるでござる!」
周囲に聞こえるように叫ぶ。KCP山賊団を追いかけている途中から、何やら視線を感じていたでござる。
彼らは全員拙者に背中を向けていたので、たぶん別の誰かでござろう。視線が拙者だけでなく、刀や投げつけるための山賊にも長いこと向いたことから知的生命体。動物は武器よりも人を警戒するでござるからな。
女の子は視線に敏感でござるよ。
右手に刀、左手に山賊の変則二刀流で全方位を油断無く警戒していると、箒に乗った影が上から降りてきたでござる。
「おろろ? 魔法使いさんでござっ…た……か……」
「お久しぶりです、モミジさん」
「イレイナ殿⁉︎」
なんとビックリ! 降りてきたのは拙者と同じくらい長い灰色の髪に黒の三角帽子を被せ、黒いローブを纏った見るからに魔女っぽい格好の魔女。拙者が懸想する女性———イレイナ殿でござった!
拙者は左手の山賊を捨てて納刀し、箒の上でちょっと引き攣った笑みを浮かべるイレイナ殿へ、ぎゅ。抱き着くでござる。
はぁ〜〜〜いい匂い……ちゅき♡
このフレーバー……本物でござる。山賊退治のストレスから生み出したイレイナ殿の幻覚とかじゃ無いでござるな。えへへ。髪の毛ちゅぱちゅぱしたい。
「離れてもらって良いですか?」
「お断りするでござる♪」
「いや、本当に。返り血が私の服にも付いてしまうので」
「返り血……?」
なんの事かと拙者が首を傾げると、『こいつマジか』みたいなドン引き顔をされたでござる。
ふむ…どんな顔をしてもイレイナ殿は美しいでござるな。
しかしおかしいでござるな。拙者、KCP山賊団が逃げ始めるまでは確かに刀を使ってシバき倒していたでござるが、全部峰打ちにしていたでござる。斬りつけると出血するし、服に付いた血って乾くと洗濯しても落ちないでござるからな。
だから返り血なんて付くはず無いでござるよ。
「お顔に付いてますよ。良かったらこれ使ってください」
「おろ? かたじけない」
未だにちょっと返り血については覚えが無い拙者に、イレイナ殿は花柄の白いハンカチを渡してくれたでござる。優しい。
とりあえず自慢の可愛い顔をペタペタ触ってどこに付着してるか確認すると、ベチャ。右のほっぺにベタつく液状のものを確認。
「あー…これ、血じゃないでござるよ」
「えっ? ですが……」
「ケチャップでござる。ほら」
指で拭ってペロっと舐めると、酸味の効いた品の良いトマト味。ふむ、やはりこの山賊団が持っているだけあって酸味と塩気のバランスが上手く取れているでござるよ。
イレイナ殿にもケチャップが付いた指を差し出すと、ちょっと迷った素振りを見せながらもペロリ。
「あ、ホントだ。……って、なんで顔が真っ赤なんですか?」
「いや…その……」
……あれでござるな。想い人に指を舐められるって……あれでござるな! なんか! すごく! 恥ずかしい‼︎
なんか拙者はとんでもなくえっちぃことをイレイナ殿にしてしまった気分でござる……うぅ〜‼︎
恥ずかしさのあまり渡されたハンカチで口元を隠すと……おや? ハンカチからもイレイナ殿の匂いが。そこら辺の高級香水が生ゴミの匂いと思えるほどに、100%イレイナ殿の匂いが染み込んでいるでござるよ! これ欲しい!
「まぁ、返り血でないのは分かりました。それで、どうしてあなたは顔にケチャップ付けて山賊さんを追いかけ回していたんですか?」
「すーはーすーはー……ほえ? なんでござる?」
「返してください」
「ああ⁉︎」
ハンカチ…取り上げられちゃった……ぐすん。
「ああじゃありません」
「うわぁぁん! イレイナ殿がハンカチ盗ったぁ……」
「人聞き悪い事言わないでくれませんか。まぁ、どうせ誰も聞いてないので良いんですけど」
「……はっ! 周囲に誰もいない事を良いことに、拙者にえっちなことをするつもりでござるか⁉︎」
「…………」
「あ、そんな害虫を見るような目で見ないでほしいでござる。興奮しちゃう……」
「無敵ですかあなた」
おやおや? イレイナ殿は随分と疲労感に満ちている様子でござる。きっと長旅だったのでござるな。お疲れ様でござる。
「で、どうして山賊なんか追いかけていたんです?」
「お仕事でござるよ。ここから20分ほど飛んだところにある、『健やかなるポモドーロ』という国から依頼されたでござる。どうにも最近KCP山賊団なる彼らが国外へ輸送中のある物を強奪したので、物品の回収と山賊団の捕縛を頼まれたでござる」
「はぁ……。なんか空から見てた感じ、あなたの方が山賊っぽかったですけど」
「そうでござるか?」
「『ヒャッハー』とか奇声上げて襲い掛かっていたじゃないですか」
「奇声とは失敬な。『ヒャッハー』は山賊にとって気さくな挨拶でござるよ。これでも一応、最低限の交渉は試みたでござる」
「ほうほう。山賊に、ですか?」
「然り。拙者、暴力は嫌いでござるからな」
そう言うと、イレイナ殿は信じられないものを見るような目を向けてきたでござる。
いやまぁ、確かにイレイナ殿と初めて会った時もパン屋強盗をシバき倒したし、大半の厄介事は殴って解決してきたけど! でも基本拙者は平和主義でござる。
「まず友好の証として、奪った荷物のそばで食事していた山賊団の前に、『ヒャッハァァァァー! ここは通さねぇでござる!』と刀を舐め回しながら飛び出したでござる。———そしたら何故か問答無用で襲い掛かってきたでござるよ」
「…………」
「とりあえず暴力は良くないので、ぶん殴って黙らせたでござる。たぶんその時顔にケチャップが付いちゃったでござるな」
「……真面目なバカって1番始末が悪いと思いません?」
「おろ?う〜ん…まぁ、そうでござるな」
「あなたの事ですよ」
ひどい……。モミジ泣いちゃう。
「うん? なんでそんな状況でケチャップが付くんですか?」
「山賊団が食事していたからでござる」
「……? あっ、ケチャップを付けて何か食べていたということでしょうか?」
「ちょっとズレてるでござるな。正確には、彼らの主食がケチャップでござるよ」
イレイナ殿は『なに言ってんの?』みたいな顔を拙者に向けてくるでござる。
ふむ……拙者の拙い説明ではいくら頭が良いイレイナ殿でも理解しづらいようでござるな。申し訳ない。
「そこらに転がってるKCP山賊団————正式名称
山の斜面に横たわる赤モヒカンの彼らを指差し、拙者はウインク混じりにイレイナ殿へ告げたでござる。
「ケチャップ専門の山賊って何ですか?」
うーん……拙者もわかんない!
しかし、魔女であるイレイナ殿に会えたのは運が良かったでござる。
もしイレイナ殿に会えなければ、拙者は気絶した山賊団の皆さんを1人1人拾いながら山を登らなければならなかったでござる。
正直拙者のお仕事を手伝ってもらうのは心苦しいでござるが、致し方なし。
この依頼の報酬を貰ったら何かお礼するでござるよ。……いや、よく考えたらお礼と称してデートできるではござらぬか! 拙者天才じゃん‼︎
「ここがアジトですか。なにやらケチャップくさいですし」
「そうっぽいでござるな」
魔法でまとめて運んでもらいながら辿り着いたのは、山の頂上付近にある洞窟。その入り口の前には、『ケチャップ好きにあらずんば人にあらず』とケチャップで書かれたトーテムらしき物が建てられているでござるな。これ虫さんが寄ってきそうでござる。
「えい」
ポイ。イレイナ殿が運んでいた山賊をまとめて洞窟の中に放り込んだでござる。
その衝撃で何人かは目を覚ましたらしく、拙者を怯えるような目で見上げてくる。
いやいや、そんなに怖がらないでほしいでござる。ちょっと山の中を刀片手に追いかけ回しただけでござろう?
「さて、目を覚まして早々申し訳ないでござるが、ボスを呼んできて貰っても良いでござるか?」
「ひい⁉︎よ、喜んでぇー!」
彼我の戦力差は理解しているのでござろうな。下っ端っぽい赤モヒカンが洞窟の中に消えていくのを見送り、ちょっとばかり憂鬱気なため息を漏らす。
「モミジさんって、いつもこういったお仕事でお金稼ぎしてるんですか?」
「然り。もう少し平和的な仕事があればそれが良いござるが、大体そういうのは頭脳労働でござるからな。色んな魔法が使えればもっと違ったのでござろうが」
「そうですか……」
拙者の答えに思うところがあったのか、真剣な顔で顎に手を当てて何かを考え込むイレイナ殿。
……今だったらほっぺにちゅーしてもバレないかな…?
「ま! 別に現状に不満があるわけじゃ無いでござるよ。ああいった小難しいことを考えて行う作業よりも、こういった仕事の方が楽でござる」
「というと?」
「国や街の中だと、例え正当防衛でも暴力沙汰は問題になるでござる。対して、ああいった国に属さない人間はシバいても誰も咎めないし、なにより殴れば言うこと聞くぶん楽でござるよ」
「さっき暴力は嫌いみたいなこと言ってませんでしたっけ?」
「時と場合によるでござるな」
あざと可愛くウインクでイレイナ殿の疑問を誤魔化して雑談していると、アジトの奥から一際体の大きな男が出てきたでござる。ボスの証なのか、赤モヒカンが2つあって触角みたいになってる。おもろいでござる。
とりあえず拙者は敵意が無いことを示す為、笑顔で手を上げて、
「ヒャッハー!」
気さくにご挨拶。
「ひゃ、ヒャッハー……?」
おや? 元気が足りないでござるな。
流石にもう一度この山中を鬼ごっこする気はないので、ニコニコして何か言うのを待っていると、ボスが目を覚ました別の山賊たちにヒソヒソと内緒話をし始めたでござる。
そして話し終えると、ボスはめちゃくちゃへっぴり腰で拙者の前へ。
「あ、あの……どのような御用向きでしょうか?」
「お主がKCP山賊団のボスで相違無いでござるな」
「へい」
「ふむ。健やかなるポモドーロから依頼を受けた旅人でござる。依頼内容はお主らの捕縛と、先日国外への輸送中に強奪したケチャップ1年分の再回収。暴れるようなら制圧も止む無しとのことであったが、あまり手荒なことはしたくないでござる」
相手に魔女もいるような状況では無いと思うが、それでも一応刀に手を掛けて依頼書片手にその内容を告げる。
「確認なのですが、捕縛された後は俺らどーなんだ?」
「健やかなるポモドーロはお主らを労働者として受け入れるようでござるよ」
恐らく国の物資を奪われるくらいなら普通に労働者として使ったほうが良いという考えなのでござろう。
簡潔明瞭に言えば、『てめーらの今までの悪事は水に流すから、てめーらも我らの国で汗水流せ』ってことでござろう。懐が深いように思える提案でござるが、長い目で見れば国が得するようになってるでござるよ。
そんな風になんとなく国の真意を察していると、KCP山賊団は顔色を恐怖の色に染め始めたでござる。
「い、嫌だ……」
「おろろ?」
「嫌だ…あの国には戻りたくない……嫌だーーー‼︎」
ボスが頭を抱えて半狂乱の様相を見せると、共鳴するように他の山賊たちも同じような状態に陥ったでござる。
そんな光景に拙者とイレイナ殿は目を丸くして顔を見合わせ、
「うるさいですね」
「うるさいでござるな」
無慈悲に吐き捨てる。あまり喚かないでいただきたい。
でも、今のボスの一言には少し気になる部分があったでござるよ。
「もしもし? 『あの国に戻りたくない』と、言ったでござるか?」
「あああああ‼︎……あ、うん言った」
「何か事情がありそうでござるな。良ければ話を聞くでござるよ」
イマイチよく分からないテンションのボスに優しくそう言うと、深刻そうな顔で他の山賊たちをキョロキョロ。視線を向けられた山賊たちは一様に頷いたでござる。
「そう言って貰えると助かりますぜ。あ、良かったら入ってくだせぇ」
今度は友好的な笑顔を浮かべて洞窟にご招待。彼らの情緒、一体どうなっているでござるか。
「危害を加えると判断したらその時点で斬殺するでござるぞ」
「えぇ!えぇ! もう斬殺でも爆殺でも好きにしてくれて構いませんぜ。———おらオメェら! お客様のお通りだぁ!」
やるつもりは無いでござるが、ちょっと強めに威嚇の言葉を添える。しかしどうもボスの中では、拙者とイレイナ殿は味方のような認識になっているでござるな。
てかイレイナ殿、完全に巻き込んでしまったでござる。国に着いたら本格的にお礼しないと。
ケチャップくさい洞窟内を進んでいくと、松明に照らされた石造りの円卓がある場所に出たでござる。
周りを見渡せば、整然と並べられた大量のケチャップという異様な光景。
「ウェルカムケチャップです。飲んでくだせぇ」
円卓に備えられた椅子に座ると、赤モヒカンの山賊が木で作ったコップに大量のケチャップを入れて拙者たちの前へ置いたでござる。
ウェルカムケチャップ? 嫌がらせの間違いでござろう?
隣のイレイナ殿を見ると…あ、うん。帽子で分かりにくいけど、端正なお顔が引き攣ってるでござるな。
拙者もイレイナ殿と同じ表情を浮かべながらこれを飲むか捨てるか迷っていると、円卓を挟んだ対面にボスがドカっと座る。
その手にはケチャップ。それを一気に煽り、神妙な顔で話し出したでござる。
「まず俺らのことから話すぜ、旅の人。俺らはな、元々健やかなるポモドーロの住人だったんだ」
「おや、そうでござったか。それがなにゆえ山賊に?」
「まぁ一言で言えばな、嫌気が差したんでぇ。あの国の生活に」
「ほう……」
嫌気が差したから飛び出した……か。どうにも他人事とは思えない理由でござるな。
「一体何が気に入らなかったでござるか?」
「まぁ言ってみれば食生活だな。あの国からの依頼っつーことは、旅の人もあそこがどんな食生活を送ってるか知ってるよな?」
「然り」
拙者が頷くと、隣のイレイナ殿が何かを期待するような眼差しを向けてくる。
そういえば、大人びて見えるけどイレイナ殿って好奇心旺盛な方でござったな。そんなギャップも好きでござるよ♡
巻き込んだ上に置いてきぼりにするのは気が引ける為、イレイナ殿にも分かる通り『健やかなるポモドーロ』のおさらいでござる。
「健やかなるポモドーロは、トマトが名産品でござる。毎食必ずトマトが出て、水の代わりにトマトジュースを飲むほどのトマト好き。燃え上がる情熱と飽くなき探究心によって品種改良を施し、今では調理法に合わせて多くのトマトが生まれてるでござる。サラダ用はもちろん、煮込み用、焼く用、スムージー用、保存用、観賞用、布教用まで様々。この依頼を受ける時も、ウェルカムドリンクの代わりにウェルカムミネストローネが出てきたくらいでござるよ」
正直ウェルカムミネストローネは意味不明でござったが、切りつけるような寒さのなか辿り着いたのでその時は特にツッコムようなことはしなかったでござる。あとめちゃくちゃ美味しかった。
「んで、その食生活に嫌気が差したと」
「へい。てか、俺らはトマトが嫌いなんですぜ」
「でもケチャップ飲んでるでござろう?」
「トマトは嫌いだけど、ケチャップは好きなんですぜ」
あーいるよね、そういう人。
うん? てことはつまり……
「KCP山賊団というのは、トマトは嫌いだけどケチャップは大丈夫な人が国から飛び出して結成された組織ってことですか?」
「そーいうことですぜ、旅の人その2」
「誰が旅の人その2ですか」
旅の人その2ことイレイナ殿の言葉に、ボスは赤モヒカンを揺らして頷いた。
「しかし、嫌なら食べなければ良いのでは?」
「事はそう簡単なものじゃねーんですぜ」
「というと?」
「あの国ではな、トマト嫌いだとまるで人権が無いかのように扱われるんだ…! 『ケチャップは大丈夫なのに、トマトはダメなんて変なの〜』とか陰口叩かれるんだですぜ!」
ボスがトマト嫌いのケチャップ好きによる弊害を語り出すと、それに触発された他の山賊たちもいきり立ち始めたでござる。
そして聞いても無いのに、聞くも涙、語るも涙なエピソードを勝手に話し出す。
「オイラなんてな、4歳の時に結婚を誓い合った幼馴染のチーちゃんに『トマト嫌いな人と結婚なんてできないわ!』って振られたんだべ」
それたぶん適当な方便でござるよ。4歳の時の約束を本気にしてる奴はやべー奴でござる。
「ワシなど、『トマトが嫌いなんて、親父も耄碌したな』と家族に捨てられてしまったんじゃ! 耄碌じゃと? ふざけるな! まだワシは35じゃぞ!」
どう見ても70歳は超えてるお爺さんのシャウト。ちなみに自分の年齢が分からなくなるのは、耄碌が中程まで進んだ状態らしいでござる。
「ぼ、僕なんて! 『トマト嫌いな上に会社の金を横領する奴はクビだ』って仕事を失ったんだ!」
ここまで被害者面できれば、一周回って大したものでござるよ。
などなど。まぁ、ボス以外のエピソードはほぼゴミのようなものでござったが、とりあえず皆さんの中では『トマトが嫌いだから』というだけで自分が不当な扱いを受けていることになってるでござるな。
「まぁ、色々ツッコミたいところはあるでござるが、お主らの言いたい事は分かったでござる」
「え、マジですか? 私はまったくわからなかったんですけど」
「しっ! ……ぶっちゃけ拙者だって理解できぬが、さっさとこのダルい依頼を終わらせる為でござる。ここはグッと堪えて、話を合わせるでござるよ」
要約すれば、トマトが嫌いなことで差別されたくないというのが彼らの言い分でござる。話を聞く限り本当に差別があったかは分からぬが、そこを考え出すと面倒くさいのであったという前提で話を進めるでござるよ。
「だからな? 俺らはもうあの国に戻りたくねーんだよ」
「ちなみに健やかなるポモドーロは、お主らKCP山賊団をまとめて同じ職場に雇用するつもりらしいでござる。はいこれパンフレット」
役人から山賊団に渡すよう頼まれた物を円卓に置く。
とりあえずこういう物はボスが最初に確認する形式らしく、穴が空くほど眺めているでござるな。
パンフレットを読み進めるボスは、ときおり「ほう」だの「へぇ」だの、何やら満更でもないリアクションを漏らしているでござる。それに他の山賊も釣られ、ボスの横からパンフレットを覗き込む。
「モミジさん。彼らを雇いたいなんていうトチ狂った職場ってどこなんです?」
「あぁ、それは……」
イレイナ殿からもっともな疑問を投げかけられ、拙者はそれに答えるため予備のパンフレットを取り出していると———バン!
ボスがパンフレットを円卓に叩きつける音に驚き、中断。
何か気に入らない部分があるのかと恐る恐るその顔を伺うと、
「OK決めたぜ! 野郎ども‼︎俺はあの国に戻る!」
満面の笑みで洞窟内に宣言したでござる。
「その条件、お気に召したでござるか?」
「おう! こいつはこれ以上に無い好条件だ。持ってきてくれたことを感謝するぜ、旅の人!」
「それは良かった」
「お礼のケチャップ、いるかい?」
「いらない」
ボスが快諾した事が大きかったのか、パンフレットを回し読みしていた他の山賊たちも次々と国で働くことを決めたでござる。
これは……依頼完了ということで良いでござるかな?
赤モヒカンの団体をゾロゾロと引き連れて国に戻ってきた拙者に、門番は度肝を抜かれたかのように目を見開いていたでござる。人って驚くとあんな風に固まるでござるな。
そんな門番さんはイレイナ殿が声を掛けて正気に戻し、後で合流する約束をして一旦お別れ。
そのまま拙者はKCP山賊団を引き連れて役所に送り届け、たんまりと報酬を貰ったでござる。やったー。
「モミジさん。こっちです」
喫茶店のテラス席で優雅にコーヒーを飲むイレイナ殿、絵になるでござるなぁ。
「お待たせしたでござる。すんなり入国できたでござるか?」
「えぇ」
向かいの席に腰を下ろし、拙者も砂糖増し増しのカフェオレを注文。……いや、メニューにトマトが多過ぎる。なんでトマトジュースだけでも5種類あるでござるか。
「まずはイレイナ殿、拙者のお仕事を手伝ってくれてありがとう。山賊団の運搬、とても助かったでござるよ」
「いえ。あの程度、手伝ったうちにも入りませんよ」
「流石は魔女でござる。まぁ、それはそれとしてお礼をさせてもらうでござるよ。とりあえずこの場の支払いは拙者が……」
「あっ」
拙者の言葉の途中で、何かを思い出したかのような声を上げるイレイナ殿。
「なにか?」
「……いえ、なんでも。それよりモミジさん。ちゃんとお財布はありますか?」
「おろ? それはもちろんあるでござるが……あっ」
袖の中でお財布を掴んでその存在を確かめた時に、拙者もとある光景が頭を過ったでござる。
そして、それはたぶん一瞬早くイレイナ殿も思い出していたことでござろう。彼女にしては珍しく、悪戯っ子のような笑みを浮かべているでござる。
「初めて会った日も、こんな話をしたでござるな」
「そうですね。思えば、山賊に襲われていたあなたを助けたのが出会いのきっかけでしたか。今日はモミジさんが山賊を襲っていましたが」
「むぅ……襲っていたとは人聞きが悪いでござる」
ほっぺを膨らまして抗議する拙者を、イレイナ殿は優し気な笑みで照らしてくれる。
言われてみれば確かに。“事実は小説より奇なり”とはよく言ったものでござるな。
「結局、彼らを雇いたいなんていう奇特な職場ってどこだったんです?」
「あー、言い忘れてたでござるな。ケチャップ工場でござるよ。彼ら、パッケージは同じなのに完成度の高いケチャップばかり奪うから、その辺の審美眼を国に買われたでござるな」
「……どこを見れば完成度の高いケチャップって見分けられるんでしょう?」
「さあ?拙者にも分からぬ」
そもそも、食品を見た目だけで判断するなんてナンセンスでござる。
拙者の国にも見た目だけなら結構ヤバい食べ物多いし。そういうのって大体美味しいでござるが。
でも、それができるというのは希少なスキルなのでござるな。
「そういえば『男は奴隷にする』みたいなことを言ってましたが、あれは結局ただの脅しだったんですか? 実際は就職先を提示してましたが」
「脅しじゃないでござるよ。労働者とは即ち、社会の奴隷でござる」
「そういえばあなたの勤労に対する価値観ってそんな感じでしたね……」
「『働きません死ぬまでは』が拙者の座右の銘でござる」
「なんとまぁ……」
「イレイナ殿も同じでござろう?」
「いや、私はちゃんと働いてますよ」
「なん…だと……⁉︎」
「その反応は流石に失礼では?」
イレイナ殿が働く姿って想像できないでござる。年下の拙者に対しても敬語を崩さないけど、人に媚びへつらうとか絶対できないだろうし。
「まぁ、定職に就いているわけではありませんけどね」
「ほほう。参考までに、どのようなお仕事を?」
「基本は占いですね」
「なんと⁉︎やはり魔女ともなれば、未来を見通す魔法が使えるでござるか?」
「ただの真似事です。ほら、魔女と占い師ってパッと見たら大体同じような格好じゃないですか? これが良いお金になるんですよ」
うわぁ……悪い顔。
「魔女とは思えない発言でござる」
「何を言いますか。魔女とは魔法使いの最高位。言葉のマジックを駆使してお金を稼ぐ占い師とはある意味親戚のようなものですよ」
「イレイナ殿が言ってるのは占い師ではなくペテン師でござる」
「似たようなものです」
全世界の頑張ってる占い師さん達が怒り狂いそうな暴言でござる。
「しかし……未来を見通す魔法、ですか」
「あったら使うでござるか?」
「状況によりけりですね。モミジさんは?」
「拙者も、状況によりけりでござる」
未来を見通す魔法。そんなものがあれば、きっと楽に生きていけるでござろう。まず拙者ならギャンブルに使うでござる。
でも———楽しくは無いでござろうな。
やらないから想像でしかないけど、ギャンブルっていうのは先の分からない未来にお金を賭けてスリルを楽しむものでござる。
そしてそれは旅も同じこと。何が起こるか分からない未来を楽しむのが旅でござる。それが
楽な道のりなど、思い返す価値も無い。
きっと、『
「ねぇ、モミジさん」
「なんでござる?」
「ここに、この周辺の国が記された地図があります」
そう言って、イレイナ殿は鞄から取り出した地図をテーブルの上に広げる。
「私は次に訪れる国を、この中から選ぼうと思っています」
「うん……? 健やかなるポモドーロがここでござるな。てことは……周辺に5つ国があるでござる」
「そうです」
言いたい事がイマイチ分からぬ拙者は首を傾げるが、構わずイレイナ殿は話を続ける。
「少しゲームをしませんか?」
「ゲームでござるか……。拙者、あまり複雑なものは理解できないでござるよ」
「ルールは簡単ですよ。目を閉じて、お互い同時に次に行きたい国を指差すんです」
「それだけ?」
「はい。それだけ」
それはゲームなのでござろうか? 色々と疑問が残るでござるが、基本受動的なイレイナ殿からの珍しい提案に拙者は乗ることにしたでござる。
地図をよく見て、周辺諸国の位置をしっかり把握してから目を閉じる。
「準備は良いですか? せーので指してください」
「然り」
「ではいきますよ。———せーの」
トトン。2人分の指がテーブルを叩く音が響き、目を開ける。
拙者が指した国は健やかなるポモドーロから北に向かった場所。
そしてイレイナ殿は———
「同じ、ですね」
拙者と同じ国でござった。
「不思議な偶然です」
「そうでござるな。不思議な偶然でござる」
そう。これは不思議な偶然でござる。
目を閉じていた拙者には、このゲームでイレイナ殿が何をやっていたかなど分からぬ。
もしかしたら、ちょっと小狡いことをしたかもしれない。
もしかしたら、ちょっと不正をしたかもしれない。
もしかしたら、
しかし目を閉じていた拙者には、預かり知らぬことでござる。
「ま、まぁ、せっかく同じ国に向かうんです。良かったら一緒に行きませんか?」
「然り。ついに逢引きでござるな」
「いえ、違いますが」
明後日の方向を見ながら告げられた言葉に、拙者は笑顔で頷く。
大好きなイレイナ殿と共にいられるのであれば是非も無い。その旅路は、きっと素晴らしいものになるでござろう。
「しかし、健やかなるポモドーロにも着いたばかりでござる。とりあえず今日はこの国を全力で楽しむとするでござるよ」
「えぇ、そうですね」
お互い、冷めた飲み物を一気に煽ってお会計の為に店員さんを呼ぶ。
ここは拙者が払い、経済的余裕を見せつけておくでござるよ。
「拙者、日記帳が欲しいでござる。イレイナ殿に選んでもらいたいでござるよ」
「構いませんよ。オマケにタイトルも直筆してあげましょう」
「是非お願いするでござる!」
「歩きにくいのでくっつかないでください。……もう」
最初にイレイナ殿から買ってもらった日記帳はラスト1ページ。
その1ページに何を綴るか、拙者はずっと迷っていたでござる。
この1ページを埋めてしまったら、イレイナ殿との繋がりが無くなってしまうかもしれない。
この日記帳を書き終えてしまったら、拙者が綴った彼女達との思い出が閉じてしまうかもしれない。
そんなありもしない妄想に怯えて、拙者は最後の1ページを前に書く手を止めていたでござる。
でも、そんなことは無いでござるな。
日記も旅も、紡ぐからこそ意味がある。
出会いも別れも、繰り返すから心に残る。
旅人である以上、足踏みしていると思っていても前に進んでいるものでござる。楽しくても、怖くても、嬉しくても、辛くても。
今ではない、いつか。ここではない、どこか。いつかどこかの小さな物語は、拙者にとってかけがえのない大きな旅物語。
命短し恋せよ乙女。
さぁ、イレイナ殿には特別ハイカラな日記帳を選んでもらうでござるよ。
「日記帳のタイトル、何がいいですか?」
「それはもちろん、“武士の旅々”でござる!」
はい、いかがでしたか?これにておしまいです。これからもモミジちゃんの旅は続くので、あまり最終話っぽく無かったかもしれませんが。
イレイナさんとモミジちゃんとの出会いから“武士の旅々”は記されました。
アムネシアさんの出会いと家出騒動は日記帳外のことですが、この2つの話を省くと丁度文字数が単行本小説1冊分になるんですよ。奇跡!
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。完走できたことを嬉しく思います。
ps.また妄想が止まらなくなったら、続きを書くかもですヽ(;▽;)