「お父さんと、一緒にいただきますも、ごちそうさまも言えて。嬉しいなあ」
ぽつりと、娘はそう言った。きっと無意識に零れたのだろう。その言葉は俺の心の奥底を刺激し、罪悪感が沸き上がる。
俺は娘に、なんと酷いことをしているのだろうか、と。守るといいながら、何も守れていないじゃないか。娘の体は守っていたのだろう、娘の存在は守っていたのだろう。けれどしかし、娘の心を守ることはできていなかった。マンションの一室に閉じ込め、世間一般的な親子のふれあいはなく。たまに帰ってきてはお互いの生存を確認するだけの、生活。嗚呼、嗚呼。俺と娘は親子であると、そう思っているのに、思いたい、のに――。俺の行動は矛盾している。
知っていた。気づいている。俺が父親という役割をこなせていないことなど。ただ、そう。俺と彼女の間に生まれた娘を守りたくて、けれど。すでに作り上げられていた俺と、作らなければならなかった僕たちが花帆のお父さんになることは難しくて。そうだ、そのことをずっと誤魔化して生きてきた。
俺は花帆のお父さんなのに、娘の父として表に出ることはできない。娘のことも、父親の役割も、彼女がいないために母親の役割も、全て部下や家政婦さんたちに任せて。――嗚呼、俺は娘にとってどのような存在なのだろうか。分からない。
娘は俺のことをお父さんと呼んでくれるけれど、俺は娘のお父さんだという自信がなくて。降谷零ならどうするだろうか。安室透ならどうするのだろう。バーボンならどうするだろうか、なんて分からないことばかりで。けれど花帆のお父さんなのは俺だけだから。だから、降谷零にも安室透にもバーボンにも花帆のお父さんという役割をやることはできない。
これからだと、風見はそういって背中を押してくれた。娘の世話を押しつけていた俺に、花帆の、本当のお父さんとなるために前を向いて進めと。景光がいれば、松田がいれば、萩原がいれば、伊達がいれば……。アイツらも、そういってくれただろうか。いや、それよりも先に娘の現状について殴られる未来しか思い浮かばないな。俺は花帆のお父さんとしては、ぽんこつだから。
昨晩、彼女からの手紙を読んでいると、どの手紙にも俺が仕事以外のことはぽんこつだから気をつけるように、と書かれていた。当時は何を言っているのか理解できていなかったが、確かに俺はぽんこつなのだろう。特に娘のことに関しては。
「逢いたい、な」
「誰に?」
「っ、花帆。歯磨き終わったのか?」
「うん」
「そうか」
零れた言葉は、洗面所から戻ってきていた娘に聞かれてしまった。嗚呼、でも。もしも彼女に逢えるのならば、娘も会いたいだろう。今よりも幼い頃に亡くした母親なんだ。俺の代わりに誰よりも愛を注いでくれた彼女に、娘は会いたいと思っているのかもしれない。本当に幼いうちから死という概念を知り、理解している娘に、俺は何をしてあげられるのだろう。
愛して、あげたい。
愛したい。
それなのに、愛しかたが分からない……。
どうすれば分かるだろうか。父親として、娘を愛する方法が。花帆のお父さんとして、娘と生きていくためには。
きっと知ってしまえば、これまでのような生活には戻れないだろう。しかし、知らなければ俺は花帆の本当のお父さんにはなれないから。公安の降谷零も、私立探偵の安室透も、探り屋バーボンも。全て巻き込んで、俺は花帆のお父さんになるんだ。
「花帆」
「なあに?」
「今日はいっぱい、お話ししようか」
「うん! お話、するっ」
まずは、お互いのことを知ろう。俺は娘のことが知りたい。娘も、きっと俺のことを知りたいと思ってくれているのではないだろうか。断言はできないが、頬を赤く染めて目をキラキラと輝かせる娘の姿を目にしていると、嗚呼。娘も俺のことを知りたいと思っているのだと、そう考えてしまう。
「こっちにおいで」
「はーい」
食卓の上には、コーヒーとココア。それと花帆が好きだというお菓子が並んでいる。
本当はリビングの二人がけソファに並んで座って話をしたいところだけれど、娘は俺に触れられることも、俺に触れてしまうことにも恐怖感を持っているのだ。だからそう簡単に、手が、体が触れるような状況に娘を置くことは難しい。
もしもまた、娘が過呼吸を起こし気を失ってしまったら?
もしもまた、娘が泣きながら俺に謝ってきたら?
あれは一種のトラウマだ。娘に俺がトラウマを作ってしまったという、トラウマ。いや、トラウマというのも烏滸がましい。俺は無意識に娘を傷つけ、それをきっかけに娘はPTSDを発症。俺が娘に触れる、または娘が俺に触れてしまうことでフラッシュバックを起こし……。
どうしたらいいのだろうか。俺は娘と本当の親子になりたい。しかし、現状では触れることができなくて。俺の我が儘ではあるが、どうにか克服することができれば。そうすれば、娘とふれあうことができるのではないかと。思うのはタダだ。考えることもタダだ。しかし、そう簡単に克服することができるものではないということも知っている。
指先一本だけでもいい。本音をいえば、抱きしめたいと思っている。娘が寝ている間に、そっと部屋に忍び込んで頭や頬を撫でたり、小さな手を繋いだりしたことはあるけれど、娘が起きている間にやったことはなくて。もし叶うのならば、娘が起きている間にふれあいたい。
今すぐにでも抱きしめて、愛していると伝えたい。娘を、花帆のことを愛していると。
そして、いつか。手を繋いで外出したいなあ。公園に遊園地、動物園に博物館や美術館。花帆はどこに行きたいだろうか。どんなものが好きだろうか。温泉に行って、二人でゆっくりするのもいいだろう。
花帆が好きなものはなんだろう。
花帆が嫌いなものはなんだろう。
花帆が興味をもっていることはなんだろう。
花帆が行きたい場所はどんなところだろう。
花帆の学校生活はどんなものなのだろう。
――花帆は、俺のことをどう思っているのだろう。
知りたい。知りたいと、思う。知って、それで……。
「さて、まずはどんなことから話そうか」
「あ、あのね。お父さんと、お母さんのこと知りたいなっ」
「俺とお母さんのこと?」
「う、うんっ。お父さんのことも、お母さんのことも。風見さんとか、家政婦さんたちからしか聞いたことないから。だからっ、お父さんにも聞きたい、の!」
「そっ、か……。そうか。それじゃあ、まずはお父さんとお母さんが学生、高校生の時の話からしようか。その次は、花帆の学校でのことを教えてくれるか?」
「うん! お友達のこととか、お勉強のこととか。いっぱい、お話しするねっ」
「嗚呼」
まずは、一歩目。
これから俺は、花帆と本当の親子になるんだ。