花帆とお父さん   作:都月飴

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背中を押された父親とまだ知らない幼女の歪な親子関係。


お父さんの笑顔は私以外のもの。5.5

 ポアロに出勤する時間が近づいてきた。今日は昼から夕方の六時間勤務。夜はフリーで、明日は有給だ。

 公安の仕事は昨日で終わらせてきたから、余程緊急のことでもなければ呼び出されることもないだろう。問題は組織のほうだが……、こういう日に限ってベルモットから呼び出されそうだな。予定があると伝えているが、あの女なら気にせず連絡を入れてくるだろう。

 

「花帆……。お父さん、お仕事に行ってくるな」

 

 ぐっすりと眠る娘を起こさないよう気をつけながら、そっと頬に触れて撫でる。寝ている間は、怖がられることもなく、泣かれることもない。娘を泣かせることもない。

 手が、震える。こんなにも柔らかく、小さな娘に俺は。俺は……、なんてことをしてしまったのだろうか。俺が、俺が警察官でなければ。いや、それは違う。俺が警察官以外の何かになるなど、今は考えられない。俺は警察庁警備局警備企画課の降谷零。そして、バーボンと安室透である立場を捨てて逃げることなど……。許されない。

 もし、娘が人質に取られてしまったら? 頭の固い上の奴らに、組織の奴らに。嗚呼、嗚呼……。娘は渡さない。俺の、俺と彼女の愛しい娘を。誰がやるものか。誰が、奪わせるものか。もうこれ以上、失いたくない。彼女やアイツらのように、俺の大切なものを。俺の宝物を、誰がやるものか。

 立ち上がり、足音を立てぬように部屋から出て扉を閉める。

 ここは箱庭だ。娘を守るための、娘を守るために作り上げた。俺の聖域。立ち入る者は制限され、娘と俺。そして風見と数人の家政婦さん以外は自由に足を踏み入れることもできない場所。本当なら、外に出さずにずっと囲っておきたい。けれど、それはダメだ。それだけは、やってはいけない。娘を一人にすることも、外に出すことも怖い。それでも、娘は俺の大切な日本国民の一人だから……。

 

「ん? 風見か」

 

 スマートフォンが震えた。メールが届いたようだ。送り主は風見。内容は――、娘に、花帆に書き置きを、手紙を書いておけとあって。

 手紙。手紙か……。そういえば、彼女とはよくメモでやり取りをしていたっけ。俺は滅多に家に帰ってこれなかったし、仕事中に彼女に連絡を取ることは難しかったから。家に帰ってきても彼女と娘は寝ている時間で……。そんな生活を送っていたある日、彼女が文通をしようと提案してきたのだ。

 家の中なのに、文通とは。なんて思ったのだが、彼女が俺のために用意してくれた夕飯や着替えと共に置かれているメモを読むのは楽しかった。今日の出来事、大小様々なもの。そして、娘の成長。初めての寝返りやハイハイは目にすることはできたが、初めてのつかまり立ちや伝い歩き、一人で立って歩けるようになる姿を目にすることはできなかった。けれどそれは、彼女が教えてくれて。だから俺は――。

 

「手紙、か。メモ帳はどこに……、いや。手紙にしよう」

 

 彼女から始まったメモに、俺はいつも返事を返していた。ありがとう、お疲れ様、愛してる、明日は早く帰ってこれる。短い言葉ばかりだったけれど、それでも彼女は喜んでくれた。彼女が亡くなってから、一度も書いたことはなけれど……。そうか、そうだったのか。俺は、娘とも同じように。彼女とやったように、メモでやり取りをしていれば良かったのか。

 もう、遅いだろうか。けれど、書くと決めたからには書かなければならない。出勤までまだ時間はある。よし。

 白い便せんと、茶色の封筒を用意する。彼女が集めていた手紙セットを確認したが、どれも便せんと封筒が一枚ずつ残してあるだけで。彼女の不思議な収集癖を思い出して、思わず笑みを浮かべる。そうだ、彼女は。手紙セットを集めることが好きで、最後の便せんと封筒の一セットだけは残して集めていたな。一泊二日の新婚旅行先で買ったもの、季節ごとに買ったもの、出張先で俺が買ったもの。どれも、彼女の思い出の品で。

 嗚呼、小学一年生の娘に送るには可愛気のない便せんと封筒だけれど。娘に、初めて送る手紙。なんて、書こう。なんて、書けばいいのだろう。分からなくて。けれど、でも……。

 

「まずは、謝罪だな」

 

 ごめんな、花帆。俺は花帆のお父さんなのに、花帆のこと何も知らなくて。

 一緒にいることもできないのに、まともに話すことも、抱きしめてあげることもできないのに。それでも花帆は、俺をお父さんと呼んでくれて。

 そうだ。花帆と、話をしよう。これまでずっと、やってこなかったことを。もし、俺か。それとも花帆に何かあった時のために。俺たちは話さなければならない。触れ合うことはできないかもしれないけれど、思いを伝えることはできるはずだから。言わなければ分からないのだと、景光に言われていたのに。伝えなければ分からないのだと、いつも彼女に怒られていたのにな……。

 

「ごめん、花帆。もし、顔を合わせて言葉を交わすことはできなくてもいい。けれど、お父さんがお母さんと文通していたように、花帆とも手紙では話すことができたら――いいな」

 

 娘にも読めるように、簡単な漢字以外はひらがなで書いた手紙は少し不格好で。小学一年生が習う漢字なんて、調べてこんなものだったかなんて思いながら。それでも、娘への、初めての手紙を書くことは楽しかった。内容は謝罪だが、つい、彼女と過ごした日々を思い出して――嗚呼。

 こんなことでは、彼女に怒られてしまう。娘になんてことをしたのかと。アイツらにも、馬鹿にされてしまうだろう。特に景光は、娘に会ったことがあるから……。

 

「――行ってきます」

 

 封筒は冷蔵庫に貼りつけた。昼食を作っている途中でやって来た家政婦さんに、ぼかしながらも娘の体調が悪いこと伝えて。手紙のことも伝えて、そして。玄関で行ってらっしゃいと背中を押された。嗚呼、いいな。

 いつか、いつか花帆と。行ってらっしゃいと、行ってきますと言葉を交わすことができたら。いいな。

 俺は花帆のお父さんだけど、そういう存在なだけであって。

 だから、だからいつか。――花帆と本当の親子になりたい。

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