「こんばんは、花帆さん」
「風見さん! こんばんは~」
「はい、こんばんは」
夕方。家政婦さんと入れ替わりに家に現れたのは、お父さんの部下である風見さんだった。
風見さんは私のおじさんのような存在で、でも本当のおじさんじゃないから、風見さんって呼んでいるの。
「今日はお仕事早く終わった、の?」
「いえ、まあ。降谷さんに緊急の仕事が入ったので、一緒に夕飯を食べてほしいと言われまして」
「えっ、お父さん。お仕事入っちゃったの? それじゃあ、今日は帰ってこない……?」
「今日中には帰ってくると言っていましたよ。花帆さんと約束したので、嘘つきにはなりたくないと」
「そっかぁ……。そっか。それじゃあ、お父さんが帰ってくるまでちゃんと待ってるね」
「いつ帰ってくるか分かりませんが、起きて待つつもりですか?」
「うん。お父さんにお帰りって言うの。初めて、お帰りって言うの!」
「そう……、ですか」
お父さんはお仕事が入ってしまったらしい。今日は夜に帰ってくるってお手紙に書いていたけれど、緊急なら仕方ないのかな。でも、夜の何時に帰ってくるかは書いていなかったから、もしかしたら明日になる前に帰ってくるのかもしれない。そんな遅い時間まで起きたことはないけれど、お父さんにお帰りって言うために頑張って起きよう。
今日はお昼寝もしたから、きっと起きていられる。寝る子は育つからって、いつもは九時に寝るように言われているけれど。今日は明日になるまで起きてみようと思う。それで、ちゃんと起きることができたら、お父さんに……。うん。
お父さんが買ってくれた柴犬のポシェットを肩からさげて、風見さんと手をつないで家から出る。お父さんとお話しできるようになったら、お父さんとも手をつないでお出かけすることができるようになるのかな? そしたら、あの子たちみたいに。お父さんの笑顔を見ることができるのかな?
ううん。あの子たちは関係ない。あの子たちは、お父さんがお仕事している時の知り合いだから。それで、だから。いいな、いいな。羨ましい。私も、私だって、本当は。
お父さんがいないと、寂しい。
お父さんがいないと、悲しい。
お父さんがいないと、辛い。
でも、お父さんは忙しい警察官だから。風見さんも忙しい警察官だけれど、お父さんはもっともっと忙しいんだって。私、知ってるから……。だから、私は知らないフリをするんだ。学校帰りにお父さんを見かけても、お出かけした先でお父さんを見かけても、お父さんが家に帰ってきた時も。お父さんは警察官だから、日本国民を守る人だから。だから、だから。私はお父さんに守られる日本国民の一人として、知らないフリをする。
お父さんはお仕事が忙しい人で、警察官だけれど誰にも言ってはいけないと風見さんに教えてもらった。家政婦さんたちも、お仕事中のお父さんの側に近寄ってはいけないって教えてくれた。お父さんはいつだって、警察官だ。家に帰ってきて、寝ていたとしても電話がかかってくればお仕事の時間。お父さんのお仕事は秘密だって、風見さんは言っていた。秘密にするのは、私を守るためだって。秘密にしなければ、いけない決まりだって言っていたけれど。本当は私を怖いことから守るためなんだって。風見さんのほうが泣きそうな顔をしながら、教えてくれたんだ。
もしも秘密を秘密にするという約束を破ったら。私を守ってくれるお父さんの邪魔になってしまう。お父さんは凄い人なんだって、でも。そんなお父さんの邪魔をしたくない。だから私は、一人でも大丈夫だって……我慢するって決めたんだ。
「好きなものを選んでください」
「うーん……。じゃあ、ざるうどんセットにする。飲み物はお水があるからいらないっ」
「オムライスじゃなくていいんですか?」
「うん。あのね、朝ね、お父さんが作ってくれたオムライス食べたから、ね。今日はいいの」
「そうですか。では、そこのボタンを押してください」
「はーい!」
ピンポーンと音がすると、すぐに店員さんがやってきた。このレストランは家から少し離れたところにあるけれど、おいしいオムライスがあるから、よく来るんだ。でも、今日はざるうどん。おいしいオムライスは、今日はお父さんが作ってくれたから。だから、今日はここのオムライスは食べないの。
だって、食べちゃったらお父さんの作ってくれてたオムライスの味が薄れちゃう。
そういえば、このレストランって何故か個室なんだよね。家政婦さんが連れて行ってくれるレストランとかと違って、風見さんとよく行くレストランとかは個室が多い。やっぱり、風見さんもお父さんみたいに秘密が多いのかな? だったら、秘密のお話になっちゃうから誰もいない場所がいいよね。ファミレスとかだと、皆にお話が聞こえちゃうし。
「お待たせ致しました。こちらがざるうどんセット、こちらが季節の松花堂御前です」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ございます」
「どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」
手を合わせて、いただきます。声のそろったそれは、まだ、お父さんとそろったことはなくて。だからいつか、お父さんとも。一緒に、声をそろえていただきますって言ってみたいな。いただきますも、ごちそうさまも。ううん、それだけじゃない。おはようも、おやすみも。行ってらっしゃいや、行ってきますだって、言葉を交わせるようになりたくて。
お父さんはやってくれるかな? 私と一緒に声をそろえて、言ってくれるかな?
それからご飯を食べて、デザートのごま団子を食べ終わって、風見さんとお話をしながら家に帰った。家政婦さんと一緒にご飯やケーキを作ったこと、学校で友達とかけっこをして一番になったこと、テストで満点を取ったこと。いつか、お父さんともこうやってお話をしたいこと……。
風見さんは笑って、私の頭を撫でながら「きっと、できますよ」と言ってくれた。そうかな。きっと、できるかな? お父さんと一緒に、こうやって……。
家に着いたのは午後八時前。風見さんはまだ仕事が残っているからと、私がお風呂からあがると帰って行った。忙しいのに、私がお風呂に入っている間、待っていてくれるから。風見さんは優しいなあ。私がまだ小さいから、お風呂の中で転んだりして怪我をしたら危ないもんね。今日は髪を乾かしてくれなかったけれど、もう一人で髪を乾かせるから大丈夫。
でも、いつか――お父さんに髪を乾かしてもらいたいな。それと、一緒にお風呂にも入りたい。一人で入れるようになるまで、家政婦さんと一緒に入っていたけれど、お父さんと入ったことはないから。
そして髪を乾かしたあと、部屋から柴犬のヒロミツとブランケットを持って玄関へ。マットの上に座って、ブランケットを被ってヒロミツに抱きつきながら、お父さんの帰りを待つことにした。これなら、お父さんがいつ帰ってきてもおかえりって言えるからね。
「早く帰ってこないかなあ、お父さん」
お父さんにおかえりって言ったら、ふわふわしたものの正体が分かるのかな?