「お待ちしておりました。鎮守府の案内を致します、大淀です」
「北方鎮守府の白川中佐です。よろしく」
船から降りてきたのは、茶髪の青年。爽やかな好青年という言葉がぴったりの男性だ。
護衛の艦娘たちも次々と上陸してくる。彼女たちが演習に参加する艦娘だろう。
「早速だけど、黒田提督の所に案内してくれるかな?挨拶をしておきたいんだ」
「畏まりました」
「それ、私たちも付いていかなきゃダメなの?」
白川提督から視線を外し、声の主を見る。重巡の鈴谷さんだ。あからさまに不満そうな顔をしている。他の艦娘も表情を見るからに彼女と同じ意見のようだ。
「会いたくないのはわかるけど、演習相手の提督だ。挨拶をしないわけにはいかないだろう?」
「えー」
「いえ、艦娘の皆さんは来なくてもいいですよ」
私に全員の視線が集まる。
「提督から艦娘の皆さんの挨拶は不要と言われています」
「そうか、それはよかった。あの人も少しはこちらの気持ちを汲めるようになったわけだ」
艦娘の何人かの顔から嫌悪感が滲み出ている。
「なにせ彼に酷い目に遭わされた子もいるからね」
「…っ」
「その反応…もしかして、君も黒田提督に何かされたのかい?」
「…いえ、何も」
白川提督の言葉に固まったのはほんの一瞬だ。気付かれるとは思わなかった。よく見ている。
ただ、勘が鋭いわけではないかもしれない。私が固まった理由は提督ではなく、目の前の青年だと気付いていないのだから。
この人が放った言葉は悪意で満ちているのだ。
白川提督の目は傍若無人だった前の提督たちと同じ目に見えた。
「大淀さん」
「えっと、瑞鶴さん?どうかしましたか?」
「もし本当に何かされてるなら、うちの提督さんに言っていいからね。絶対に力になってくれるよ」
瑞鶴さんが私をまっすぐ見つめながら言った。
「本当に何もされていませんよ。というか、提督はなるべく艦娘と接しないように過ごされています」
「接しないように…?まあ、何もないならいいけど」
言葉とは裏腹に瑞鶴さんは不機嫌そうな表情をしている。提督に恨みがあるのだろうか。
「黒田提督はどのような人だったんですか?」
「能力はあるけどそれ以外は最低よ。愛想良くしてたって裏で何やってるかわかったものじゃないわ」
「瑞鶴、あまり黒田さんを悪く言っちゃダメだ。彼女の提督なんだから」
「でも、アイツは翔鶴姉に乱暴を…!」
瑞鶴さんはギュッと拳を握りしめた。他の艦娘も目を伏せている。相当な怒りを抱え込んでいるように見える。
私はそれを冷静に見ていた。後からそれに気付いて少し驚くほどに。
良くも悪くも艦娘と関わろうとしない提督が誰かに乱暴する姿を想像できなかった。
※
妙に明るい。それが彼女たちの第一印象だ。
提督が以前指揮していた艦娘であり、彼の悪行の被害者。それがどうだ。和気あいあいと笑顔すら浮かべながら施設の見学をしているではないか。
「長門、何か気になることでもあるの?」
「…いや、何でもない」
鈴谷に声をかけられた。不思議に思う気持ちが顔に出ていたようだ。
何故そんなに笑っていられるのか。ついそう尋ねそうになったが、思い止まった。
ここに所属している艦娘のほとんどは提督の過去を知らない。誰が聞いているかわからないこの場でその話題を出すのはリスキーだ。
せっかく何事もなく過ごせているのに、わざわざトラブルになるであろうことを口に出すのは避けるべきだろう。
「ここが食堂だ。滞在期間中の食事はここで摂ってくれ」
「随分と質素ね。黒田提督のせい?」
「質素か…これでもかなり改善されたんだがな」
悪態をついた瑞鶴が目を丸くする。
北方鎮守府は物資が潤沢にあると聞く。きっと好きなものを食べられる環境なのだろう。
「提督の"せい"ではなく、提督の"おかげ"だ」
「…そう」
「北方鎮守府の豪華な食事とはいかないが、精一杯のもてなしをさせて貰うつもりだ」
瑞鶴の言い様に僅かに怒りの感情が芽生えた。
提督についての情報が嘘かと思える程、彼は私たちが暮らしやすい鎮守府にしてくれた。不信感は拭えないが、恩は感じているのだ。
「長門さん、1つ助言させて。黒田提督を信用しないで」
「どういうことだ」
「最初は優しいのよ、あの男は。そうやって油断させて、後で本性を表すの。私もみんなも騙された。私がちゃんとしていれば翔鶴姉はあんな目に遭わなかったのに…」
瑞鶴はそう言って俯いた。表情からは悔しさが滲み出ている。
鈴谷が瑞鶴の横に並び立った。
「翔鶴はね、私と同じくらい黒田提督に乱暴されてたの。夜に呼び出されることも何度もあったよ」
鈴谷は視線を横にズラしながら続ける。
「私だけじゃない。榛名、浜風、由良。今ここにいるメンバーの姉妹も被害に遭ってる」
「…そうか、大変だったな」
鈴谷の後ろにいる艦娘たちも私たちの会話を聞いていたようだ。比叡と不知火は険しい顔をしており、五十鈴と陽炎は無表情で私を見つめていた。
一方、私は困惑していた。
本部から届いた情報も、目の前の鈴谷たちの話を疑うつもりはない。だが、私が見てきた提督の姿とそれは全く一致しない。
「その話、頭には入れておこう」
そう返すのが精一杯になるほど、私の思考は混乱していた。
※
演習のことで司令官に聞きたいことがあったので、私は執務室に向かっていた。
演習相手が北方鎮守府ということ。そして、そこは司令官が前の勤務地だということだけしか知らないからだ。
「まったく…駆逐艦だけの艦隊なんだから、せめて戦略の指示くらいもっと早くしてほしいわ」
悪態をつきながら執務室の扉をノックする。
数秒後、扉が開き、中から大淀さんが顔を覗かせた。
「明日の演習のことで聞きたいことがあるの。入ってもいいかしら?」
「今、北方鎮守府の白川提督がお見えになっているんです」
「それはタイミングが悪いわね。出直すわ」
立ち去ろうとした時、部屋の奥から司令官の声が聞こえてきた。
「大淀、構わない」
「わかりました。霞さん、どうぞ」
「失礼するわ」
執務室に足を踏み入れると、北方の司令官らしき青年が目に入った。私たちの司令官より少し年下の茶髪の男だ。
「何の用だ?」
「演習での作戦行動について聞きたいことがあったんだけど」
チラリと白川司令官の方を見る。
「なんだ?」
「聞いてもいいの?相手の司令官がいるけど」
「何の問題もない。それくらいでひっくり返る実力差じゃないからな」
「ハハハ、言ってくれますね。貴方がいなくなった後もしっかり訓練を積んできた子ばかりなんですが」
司令官は白川司令官を一瞥すると、さらにこう続けた。
「この演習の主目的は北方鎮守府の艦娘の練度向上で、お前たちは勝ちに拘らなくてもいい。強いて言うなら、雷撃を少なめにして回避行動を多めにとれ」
「回避?」
「攻撃が当てられるようにならなかったら話にならないからな。向こうの艦娘にはこちらの緩い駆逐艦の攻撃に耐えながらその訓練をしてもらう」
まるで教導艦のような立ち回りだ。司令官は北方の艦娘たちをどれだけ下に見ているのだろうか。
白川司令官にもそれが伝わったようで、苦笑しながら口を開いた。
「バカにしすぎですよ、黒田少佐。連れてきたのは北方でもトップの実力を持つ子たちです」
「私の元部下ですから実力は大体把握しています」
「だから訓練を積んできたと…」
「想像できませんね。私の下で司令官補佐をしていた時と同じように、艦娘たちと本土へ遊びに行っているのではありませんか?我々の本分を忘れて」
「外遊の何が悪いんです?彼女らのリフレッシュになるならとやかく言われる筋合いはないでしょう?」
白川司令官の表情から笑みが消えた。見るからに不機嫌そうな顔だ。
彼の次の言葉に、私は耳を疑った。
「貴方のように隠れて艦娘を虐待するよりよっぽどマシですよ」
隠れて虐待?司令官が?
手のひらと背中にジワリと嫌な汗が出てくる。そして、体が強張るのを感じた。
ふと気が付くと、私以外の3人が私を見つめていた。大淀さんは私を心配そうに。司令官は無表情のままで。白川司令官は何かを考えながら。
「…司令官、虐待ってどういうこと…?」
「霞は知らないのかい?黒田少佐が北方鎮守府でやった所業を」
「…知らないわ」
「黒田少佐、過去を隠したいのはわかりますが、口止めは如何なものかと思いますよ」
白川司令官は司令官をバカにしたように笑いながら言った。
そして、私へ向き直って続けた。
「彼は過去にいくつもの罪を犯しているんだ。暴力などの虐待。資材や資源の横流し。艦娘の給金の横領。どうしてまだその椅子に座っていられるのか不思議で堪らないよ」
「そ、そんな…」
司令官に視線を移す。相変わらず、無表情のまま私を見ている。平気になってきたあの目をまた怖いと感じるようになった。
嫌な想像をしてしまう。1ヶ月前のあの後、司令官は実は隠れて朝潮姉さんに罰を与えていたのではないか。そんな想像だ。
「霞、演習について俺が言ったことを覚えているか?」
唐突に司令官が口を開いた。
「…覚えてるわ。大丈夫よ」
「ならいい。俺がどんな人間であれ、お前たちのやることは変わらん。どうしても心配なら朝潮に直接確認してみろ」
「朝潮姉さんに?」
「お前が今どんな想像をしていたか、顔を見れば察しがつく」
司令官はそう言うと、白川司令官に視線を移した。少し睨んでいるように見えた。
「白川中佐、艦娘の不安を煽るような言動は慎んで頂きたく思います。精神的に不安定な状態での演習は事故の危険性がありますので」
「それはすいません」
司令官はまた私の方を向き直って言った。
「俺についての報告書は大淀が管理している。もし全艦娘に俺の過去を知らせた方がいいと思うならこいつに相談しろ」
「…わかったわ」
「では退室して、明日の演習に備えろ」
「了解」