『それでは演習を行います。各艦隊は指定された座標に移動してください』
通信機を介した大淀さんの指示で僕たちは移動を開始する。
僕は旗艦である霞に声をかけた。
「霞、この移動の時間に作戦を教えて。提督は何て言っていたの?」
「司令官からの指示は特にはないわ。雷撃を控えめにして回避に力を入れろとは言われているけど、それもそこまで気にしなくてもいいって口ぶりだったし」
「なんだそれは。司令は勝つ気がないのか?」
「相手には空母も戦艦もいるはずですが…」
霞の言ったことに磯風と浜風が反応する。
これから駆逐艦だけの艦隊で戦艦や空母を相手取るのだ。無策では手も足も出ないだろう。
みんなが不思議そうにしている様子を見て、霞は詳しく説明してくれた。
「今回の演習は相手艦隊の練度向上が主な目的らしいわ。私たちはその的よ」
「だから回避能力の高い駆逐艦のみの編成なのですね。負けてもいいなら気が楽ではあります」
「だが、まるでサンドバッグではないか」
浜風は安心した表情をしているが、磯風は不機嫌そうな顔をしている。
「夕立、お前はどう思う?」
「なんで夕立に聞くの?」
「お前も私と同じく勝ちに拘るタイプだと思ったんだが、違ったか?」
「違うっぽい」
「まあいい。で、どうなんだ?」
「うーん。夕立はどっちでもいいっぽい。時雨は?」
今度は僕に話が回ってきた。
「僕も夕立と同じかな。雷撃を控えるよう言われてるから、今回に関してはむしろ負けるように編成したとも思えるしね」
「何だと?そうなのか、霞」
「私がわかるわけないでしょ」
でも、と霞は続ける。
「負けるつもりはないと思うわ。司令官、相手の司令官の前で相手の艦娘が弱いって断言してたし、もしかしたら雷撃なしでちょうどいいハンデなのかも」
磯風と浜風は驚いた顔を見せる。砲撃だけで戦艦や空母と渡り合える駆逐艦はほんの一握りだ。2人の反応も当然と言えるだろう。
そしてその一握りのうちの1人が呆れ顔で口を開いた。
「それならちょっと面白いっぽい」
「面白がってるのは夕立だけだよ。後ろを見てみなよ」
夕立が顔だけを後ろへ向ける。視線の先には緊張してまだ一言も声を発していない艦娘がいた。
僕と夕立の姉、白露である。
「緊張しすぎっぽい」
「まったくだ。この磯風がいるのだから安心しろ」
「そ、そんなこと言われても…」
「あら、喋らないと思ったら緊張してたの?」
「白露でもそういうことがあるんですね」
「それどういう意味!?」
白露がみんなから弄られている。先日改二が実装されたばかりなので、主力駆逐艦の中では新米なのだ。
「緊張してるって言うなら霞もでしょ!」
「え、私?」
「そうだよ。表情固いし」
霞は自分の頬を触っている。自分でも気付いていなかったらしい。
そういう僕もわからなかった。みんなの反応を見るに、それに気が付いていたのは白露だけだったようだ。
「私はちょっと考え事をしてただけよ」
霞はそう言うと前に向き直った。
その直後に通信機から大淀さんの声が聞こえた。
『指定座標への到達を確認しました。それでは戦闘を開始してください』
※
北方鎮守府の艦隊との演習はうちの勝利で終わった。人伝に聞いたので詳しいことはわからないが、比叡や瑞鶴のいる艦隊を駆逐艦隊で倒したということだけは事実のようだ。
そして、瑞鶴がうちの提督に食って掛かる現場に居合わせてしまった。
「何なの、あの編成は?私たちのことバカにしてるの?」
「…何のことだ?」
「惚けないで。駆逐艦だけの編成で演習なんて、私たちのことをなめてるんでしょ」
こちらの艦隊が駆逐艦だけだったのが気に食わなかったようだ。瑞鶴の後ろにいる五十鈴や陽炎、比叡も不満そうな顔をしている。
一緒にいた熊野が私の脇腹を肘で軽くつつく。
「相当プライドを傷付けられたようですわね」
「気持ちはわかるよ。駆逐艦6人に負けたんだもん」
「同じ艦種に負けたのならまだ後腐れがなかったとは思いますが、提督は何を考えているのやら」
「まあ提督は悪くないと思うけどね、たぶん」
屈辱的な敗戦には同情するが、提督に文句を言うのは筋違いだ。勝てばよかったのだから。
提督も同じようなことを言って、さらに瑞鶴たちを怒らせている。
「そのなめた編成に負けたのはどこのどいつだ?」
「なんですって!?」
「成長していればギリギリ勝てるような編成をした。それに負けるということは、遊び呆けて訓練をサボっていた証拠だろう」
「随分と失礼なこと言ってくれるわね…!」
「知った風なこと言わないでくれる?」
五十鈴と陽炎も黙っていられなくなったようだ。ヒートアップする前に誰か止めてくれないだろうか。
そう考えていると、暁とヴェールヌイが歩いてきた。
「司令官、どうしたの?」
「なんでもない。お前たちは何をしている?」
「哨戒任務の報告書を提出しに執務室へ行こうとしていた所なんだ」
「電は?」
「私たちの部屋で反省会中よ。さ、司令官も私たちと執務室へ行きましょ。疲れてそうだから少しでも座って休まないとダメよ」
暁が司令官の手を引いて執務室の方角へと歩き出した。
当然瑞鶴たちはそれを引き留めようとする。
「待って。まだ話は終わってないわ」
「瑞鶴さん、気持ちはわかるが先にやるべきことがあるだろう。司令官は口数が少ないからわかりにくいが、演習で見つかった課題をどう改善するか考えるようにと伝えたかったんだと思うよ」
「なによ、ヴェールヌイ。さっきの話聞いてたの?」
「まあ、あれだけ大声だと嫌でも聞こえるよ」
チラリとこちらを見る。ヴェールヌイの視線で瑞鶴は私たちの存在に気付いたようだ。
何か嫌な予感がする。
「浜風だけじゃなく鈴谷もこの鎮守府にもいたのね。大丈夫?黒田提督に何かされてない?」
何を言っているのだろうか。良い悪い関係なくあの提督が自分から艦娘と関わろうとするわけがない。
しかし、次の瑞鶴の言葉で私は固まってしまった。
「うちの鈴谷は黒田提督に乱暴されてたから心配なの」
ヴェールヌイも熊野も言葉が出ないようだ。
その後も瑞鶴は何かを言っていたようだが、何も頭に入って来なかった。
※
「うちの艦娘が悪いことをしたね」
白川提督たちは北方鎮守府に帰るべく、護衛艦に乗り込もうとしている。そんな時に彼は悪びれることなく、にこやかにそう言った。
「とんでもありません。元はと言えば、私たちが悪いのですから」
「鳳翔さんは悪くないよ。あいつが全部悪いんだから」
瑞鶴さんが白川提督の後ろから顔を出す。
「ありがとうございます、瑞鶴さん。でも本当のことですから」
「そんなこと…」
「私たちが提督のことを最初からみんなに伝えていれば、今のようなことにはなっていませんよ」
瑞鶴さんが口にした提督の過去の話は、瞬く間に鎮守府全体へと広がった。そして、一部の艦娘が説明を求めて提督へと詰め寄っているのだ。
口止めをしていた大淀さんと長門さんはそちらの対応をしているため、白川提督たちの見送りは私がすることになった。
「そろそろ時間だ。瑞鶴、行くよ」
「あ、うん。ちょっと待って」
瑞鶴さんがトコトコと私の下へと小走りでやってきた。表情はあまり明るくはない。
「鳳翔さん。浜風と鈴谷だけじゃなくて、翔鶴姉と榛名と由良もここにいるんでしょ?」
「ええ、いますよ」
「…守ってあげてね。黒田提督に乱暴されてた艦娘だから、また狙われるかもしれない」
「はい、しっかりと見ておきます」
私がはっきりとそう言うと、瑞鶴さんは少し安心したようだった。
瑞鶴さんが船へ乗り込んだ。その背中を見ながら思う。
守ると約束したものの、これからどうすればいいのかがわからない。前任の時も被害を受けている艦娘を庇おうとしたが、さらに激しい罵倒と暴力が返ってきただけだった。
「…ああ、いけない。私がこんなではみんなが不安がってしまいますね」
白川提督たちを乗せた護衛艦は、もう遠くに離れている。ここにいる必要はないだろう。
私は反転して歩き出した。これからのことへの不安を圧し殺しながら。