誰もが想像する「王子様」という存在。善良なるものを良しとし、悪を糺す。理想的なそれを体現する人がいるとしたら、彼のような人なのだと誰もが確信する。
爽やかで優しげな容貌。それでいて歴戦の英雄たる風格を漂わせる。綺麗なその瞳は力強く目の前の者を見据え、その在り方を正しく捉える。彼の手には黄金の輝きが握られていた。
星の聖剣。
巨悪を討つために造られたそれは常人には扱えない。人でありながら人の身を超えた者たち、即ち英雄のための剣。
それが真っ直ぐとこちらに向けられている。
「君はなぜ──を求めるんだい?」
答え次第では、というやつだろう。
理想の王子様は。
蒼銀の騎士は。
そんなことを聞かれたって。
その問いへの答えなど──
□□□□
8月3日──
祖父母の家があるグラスミアからウィンダミアへとバスで移動する。そこから違う路線のバスへと乗り換え、オクセンホルムに向かう。ここまでで最短で1時間程だが、公共交通機関の遅れは当たり前。日本の主要都市のようにスムーズな乗り換えもない。次の便の待ち時間だって発生する。
ノアたちの場合、ここまでに2時間弱を要し、これから乗る鉄道にも待ち時間が発生しているため、その時間を昼食にあてている。そしてアルトリアの休憩にも。
「大丈夫か? アルトリア」
「移動する程度であれば。運動とかは駄目です」
「1時間ほど待ち時間があるし、ゆっくり休んでていいぞ。ご飯は車内でも食べられるから、無理に今食べる必要もないし」
「うん」
ノアたちはこのオクセンホルムから、
しかしこの移動には問題もあった。アルトリアが乗り物酔いすることである。馬も馬車も平気だったのだが、バスは駄目らしい。おそらく鉄道も酔うのだろう。
「窓を開けられたらマシなんだろうけど」
「うぅ……、マーリン。魔術でなんとかしろよー」
「私を万能とでも思っているのかい? アルトリアと同じで私だって未知の体験だというのに」
「そのわりにマーリンは酔ってないよな?」
駅の近くにあるカフェ。店の角に位置する席にて、マーリンは紅茶を優雅に飲む。誰もが目を引く美貌と容姿。白く美しい髪。丁寧な所作。どこをどう切り取ろうと絵になる。
隣で疲れを見せるアルトリアと違い、何1つ不調のなさそうなマーリンにノアは首を傾げた。夢魔との混血だからだろうかと真面目に考え、マーリンだからなと雑な結論で1人納得する。彼女に常識を当て嵌めようとしてはいけないのだ。
「何を勝手に納得しているのやら。私が酔わないのはちゃんと理由があってのことだというのに」
「そうか。でもそこまで興味はないんだ」
「まぁ……アルトリアにとっては、人間が多過ぎるのも疲れの原因かな」
「……そう、だよな」
アルトリアが持つ能力の1つである妖精眼。それは良くも悪くも、人々の真意がわかるもの。嘘か本音かは常に視えていて、その人の内面、その根幹までもが視えてしまう。
現代社会は平民が圧倒的に多い世界だ。形だけの王族等があっても、役職による立場の上下があっても、あくまで人は対等であるとする社会。その内情、人々の想い。法整備が進み、時代に合わせて形を変えていくことは、複雑化とも言える。それが進むほどに、細かな不満、妬みなども増えていく。
アルトリアにとってはそれが見せつけられているということ。乗り物酔いも、それらが拍車をかけているのだろう。
「ごめんね。ノアの世界を悪くは思いたくないんだけど……。でもノアなら大丈夫。ノアとなら、私は楽でいられてる」
「そっか……。じゃあ俺だけ見てて」
「ふぇっ!?」
顔を赤くするアルトリアをよそに、ノアは思考を張り巡らせる。どうすればアルトリアが少しでも楽になるのか。今頭にあるのはそれだけで。近い能力を持つマーリンは……割り切れているからこそ平気なのだろう。
「熱い視線をくれているじゃないか」
「それは違うからな?」
むっと頬を膨らませるアルトリアに頬を引きつらせつつ、マーリンの言葉を否定する。彼女はたしかに視線を浴びているだろう。それは全て他の客からだ。マーリンの言うノアの熱い視線は、そんな周囲の人間への牽制である。ノアはそれを口にすることなく、マーリンは理解した上で遊んでいる。
「マーリンの服装にも問題あると思うんだけどな」
「おや。ちゃんと現代風にしているんだけどね」
「そうだけどさ……」
ほぼ全身を覆う黒のインナーはそのままに。私服にして正装だった白い服を、ワンピース風にしているのが今のマーリンの服装だ。胸元には紫の帯。
そしてノアが問題あると言っているのは、意図的に露出されているであろう肩のラインと鎖骨。そしてわざと短くされているスカート丈である。ミニスカートなわけだが、服の下に何も着ていなければ、
端的に言えば、誘惑が強過ぎる衣装なのだ。
「キミも男の子だねぇ」
「そうじゃなくてだな」
「ふふふっ、安心したまえ。私の肌を見られるのはキミだけさ」
「マ、マーリン!」
「……どういうことですかノア?」
「え……いや、落ち着こうアルトリア」
「説明しなさいノアー!」
ガタッと椅子を鳴らしながらアルトリアはノアに詰め寄る。眼前に互いの顔が迫るのもお構いなしだ。
「おかしいとは思っていたんですよ! 魔術を使えないはずのあなたが魔術を行使していましたからね! あの時は目を瞑っていましたけど、そうやって思わせぶるのなら今はっきりと説明してください!」
「頼む落ち着いてくれ!」
「これが落ち着いていられ……うぷっ……」
「言わんこっちゃない……」
興奮したせいでアルトリアの気分が悪化する。口元を押さえるアルトリアの背に手を回し、気が紛れるようにそっと撫でる。
アルトリアは口元を押さえたまま、こつんと頭をノアの胸に預けた。
「ノアは……」
「……うん。けど、
「はい……」
ゆっくりと深呼吸したアルトリアがノアから頭を離す。ノアも背を撫でるのをやめ、見上げる彼女と視線を交わらせる。
「わ、私だって」
「うん?」
「私だって……肌を見せるのはノアだけなんだから……」
耳まで赤くしたアルトリアが、だんだんと声を小さくしながらも言い切った。それを聞き取ったノアも当然顔を赤くし、照れを誤魔化すように顔を背ける。
しかしそれが裏目に出た。
背けた先にはニコニコと笑う
「キミたちいつの間にそんな仲になったんだい?」
「違うからな!?」
「そんな仲って?」
「男女のそれのことさ」
「男女の? 私とノアが? …………、っ!! そ、そんな関係じゃないから!」
一瞬で顔を真っ赤に染め上げ、ふらふらと揺れるアルトリア。飛躍した妄想による自滅だ。そんな彼女にノアは目を覆ってため息をつく。マーリンがいる時点で、話の主導権は握れないのだ。
運ばれてきた昼食で強引に気分と話題を変えるしか、この場を乗り切る方法はないのだった。
昼食とアルトリアの休憩も済ませ、いよいよロンドンに向かう列車に乗る。パフェを食べられなかったことに軽く嘆いていたアルトリアも、違う店にだってパフェはあるとノアに聞いて目を輝かせている。
イギリスの列車は1等車と2等車があり、今回のノアたちのような長旅だと1等車の方がいい。日本の新幹線のように指定席と自由席が車両で別れているわけでもなく、基本的に全部が自由席だ。乗車区間を設定し、座席を指定することも可能。そういうシステムである。
現在はオリンピックの真っ最中。ノアは切符を買う際に座席の指定もしておいた。そのおかげで確実に座ることができる。アルトリアとノアが横に並び、マーリンが向かい合う構図。カフェにいた時と同じだ。
「"ばす"の時にも思ったんだけど、移動が随分と楽になったよね。酔いはするけど」
「歩いて回ってた頃に比べればそりゃあな。日が変わることなく国内の端から端まで行けるし」
「旅、という点で考えると、私は歩いて回るほうが好きかな。馬車も好き。"でんしゃ"だと、今この瞬間もその土地を通り過ぎるわけだから。そこがちょっと寂しい」
「たしかにその地の人との出会いは薄れるね。どうやら駅の有無も土地の発展を左右しているようだし」
マーリンの意見はもっともなことだ。主要な駅がある街ほど人も多く、生活レベルも高い。その逆は言わずもがな。全て横並びでの底上げとはいかないものなのだ。
窓の外を眺めると、青々しい草木たちが映る。森も、川も。生きる生物たちに変化はあれど、パッと見た印象では時代の変化を感じにくい。感じるものは懐かしさと、幾ばくかの寂しさだ。
「俺は現代っ子だからな。歩いて旅する良さも分かるけど、列車移動の楽さが勝つかな」
「ノアの場合は目的の違いで変わりそうだけどね。今回は"ろんどん"を目指すから列車移動の方が適してるってだけで」
「それはあるな。アルトリアの場合は酔うから嫌ってのも強そう」
「あはは……否定はできないかな……」
苦笑しながら頷き、思い出したように軽く顔を伏せる。話題に出したのは間違いだったようで、アルトリアはノアの肩へと寄りかかる。
「眠れば耐えられる気がする」
「起きてるよりはいいと思うけど、まず寝られるかが問題だな」
「それは大丈夫。こうしていれば。……結局マーリンはなんで酔わないの?」
「マーリンだし」
「ちゃんと私は私で工夫していると言っただろう」
恨めしそうに見られても、マーリンは軽やかに笑い流す。細い指を自身の体に這わせ、やがてその指が足を撫でる。その指に誘導されたノアとアルトリアの反応はそれぞれ違う。ノアは咄嗟に視線を逸らし、アルトリアはむっと頬をふくらませる。
「実は3mm浮いているんだ」
「えっ!?」
「どこの猫型ロボットだよ!」
アニメ大国日本において、国民的人気を誇る作品の1つ。その主要キャラと同じことを言うマーリンにツッコまずにはいられなかった。
「っていうか、浮くなんてできるもんなの?」
「確かめてみるかい?」
誘惑的に問いかける彼女にため息を返す。マーリンという存在とそれなりの時間を過ごした彼だからこそできる反応。初対面だったり、関係の薄い人ならその誘惑に抗えないことだろう。
3mmなんて近くで見ないとわからない。短いとはいえスカート部分もあるのだ。服までは浮かないのなら、その確認はさらに注視しないといけない。それはつまりそれだけマーリンの脚を見る事になり、周囲からすれば変態のそれである。ノアはちゃんとそこまで理解して回避した。
「マーリンがそうだって言うなら信じるよ。マーリンに不思議はないって感覚でいるし」
「嬉しいような寂しいような。もう少し揶揄いがいを残してくれてもいいのに」
「ごめんだわ」
「マーリン。独占期間は終わってるんだからね?」
「ふふ、おやおやおかしな事を。だからってアルトリアが独占していいという話でもないだろう? それに、独占するような関係がキミたちの言う"友人"なのかい?」
「……それは……」
痛いところを突かれて口籠る。
マーリンとノアの関係や距離感は独特だ。他の誰もそれを真似られない唯一無二の関係。それは特別なもので、理解していないものからすれば勘違いすらするだろう。
決して世間一般的な男女の関係ではない。けれどアルトリアからすればそれを見せられるのは面白くない。
自身とノアの関係だって強固なものなのに。2人のそれを見ると胸がざわつくのだ。
「わたしは……」
出発前に飲んだ酔い止めの効果が出てきたのか。アルトリアは瞼を重たそうにし始める。言いたいことを言おうと何度も目を擦って起きようとするが、その激闘の末に静かに寝息を立て始めた。ノアの肩に寄りかかったままで、ノアもそれを受け止めてマーリンに呆れたような視線を向けた。
「相変わらずだけど、少し意外な言い回しだな」
「自分でもそう思うね」
マーリンはろくでなしで、人の心を分かっているとは言い難い。混血だからというのもあるだろうし、人間社会は醜いものだと思っているからだ。あくまで人間は、観測していて面白い存在。だから執心なんかしない。彼女にとって特別な存在など存在しないのだ。
唯一あるとすればそれは──。
それはさておき、先程の言い回しは欲を見せているように思える。
ノア・ヴェンダーという存在を調べ上げ、それでマーリンの興味は薄れるはずなのに。
「こちらに来ても、どうやらノアはボクの調子を崩すようだね」
「そうしてやろうなんて思ったことないんだけどな」
「だろうね」
ロンドンが近づくとアルトリアを起こし、ユーストン駅で降りる。ロンドンは日本の東京駅のような首都の名前の駅はない。ロンドンという街にある駅はそれぞれ名前があり、それぞれの路線に繋がっている。
駅を出れば予約していたホテルにチェックイン。駅から徒歩10分圏内で探し、何とか予約を取れたホテルだ。オリンピックの時期であるため、部屋を男女で分けることはできなかった。4人部屋を3人で使うというちょっとした贅沢。
「これが"ほてる"……!」
「安い方だけど、サービスも充実しててなかなか評判がいいとこだよ。キャメロットにあった2人の部屋に比べると見劣りするけど」
「ううん。私はこれくらいの方が好きだよ」
王として過ごしたアルトリアと、宮廷魔術師として過ごしたマーリン。2人の部屋と同等のものとなると、ノアのお小遣いが消し飛ぶ。
懐事情を話さないが、見栄を張る余裕もないことに自嘲気味に笑うノアを、しかしアルトリアは好感を抱く。元々村娘であった彼女の感覚では、これくらいの方が落ち着けるのだ。
どのベッドを使うかという定番のやり取りをする2人を他所に、マーリンは杖を出現させて何やら部屋を練り歩いている。
「マーリン? 監視カメラとか盗聴器はないはずだけど」
「それも確認しているけれど、それだけじゃないさ。しばらくここを拠点にするのだから、陣地を作っておきたくてね。魔術師の性分というものさ。気にしないでくれ」
「気にするが? てか、その理屈でいくとアルトリアも?」
「えへへ……。うん、実は」
照れくさそうに笑う彼女も、ちゃっかりといつの間にか杖を出現させている。ウズウズしているなと思っていたノアも、これでようやく合点がいった。
帰る時には元に戻すことを条件に、ノアがゴーサインを出してアルトリアも陣地作りに混ざっていく。
マーリンは元々根無し草だ。陣地の作成はあまりしていない。それに加えて飽き性なところもあるため、陣地作りを途中から手を抜き始める。そこをアルトリアがカバーする形だ。
マーリンから教わったとはいえ、魔術の素養が足りないノアは気づくこともないのだが、この2人の共同作業によってこのホテルの一室は「神殿」の域に達していたりする。
「これでよしっと」
「お疲れ様アルトリア。それとありがとう」
「本当ならこの部屋だけじゃなくて、このフロア……建物ごとやりたかったんだけど……」
「そんな資金はない!」
「だよねー」
あははと乾いた笑みを浮かべるアルトリアを、マーリンは呆れたように目を細めて見つめる。
「細かいところまで凝るねキミは」
見渡した限り、1ミリの手抜きも見当たらない出来栄え。真似られる魔術師も数えられる程度という具合だ。
「マーリンが途中から投げやりになるのがいけないんだぞ。2人して寛いで!」
「俺は手伝えないし。アルトリアの分も淹れてあるから」
途中からアルトリアに全て投げつけたマーリンは、ノアと向かい合って紅茶を飲んでいた。
申し訳なさそうに苦笑するノアからティーカップを受け取り、アルトリアも空いている席に座る。
「実際問題、防犯の意味合いもあるからね。たとえ盗人がこのホテルに来たとしても、この部屋は無意識の内に通り過ぎるようになっている」
「魔術師だったら、警戒して何もしてこないと思う。これで留守の間も安心!」
「逆に言えば怪しまれる気もするんだけど」
「それはそれ。これはこれさ」
出会い頭に襲われる理由もないのだが、もしもを考えれば防衛機能のある拠点を用意しておいて損はない。
そもそも、マーリンとアルトリア相手に張り合える魔術師がいるのかという話だが、ノアはそうもいかない。そこも踏まえての陣地作りなのだ。
「さてと、観光をしたいという話だったね? ノアの行きたい所を回るとしよう」
「ありがたいけど、いいのか?」
「私たちはこの時代のこの国を知りません。千里眼を持つマーリンはその限りじゃないけど、明確に行きたい場所があるノアについて行くのがいいかなって」
「それならお言葉に甘えて」
「それで、どこに行くんだい?」
「ビッグベン。一度行ってみたかったんだよねあそこ」
□□□
ビッグベン。時計塔をイメージする者も多いが、正確には時を告げる鐘である。グレートベルという呼び名が正式な名前であり、塔のある建物はウェストミンスター宮殿。現在は国会議事堂として使われている。
一般的に「時計塔」というのはそこを指す言葉になるのだが、魔術の世界では別のものを指す言葉になる。魔術協会の3大部門の1つを指す言葉に。
言葉からイメージできるように、その部門の拠点はロンドンを中心にしている。
「ノア。明日はどこに行くの?」
ノアたちは現在、その本拠地のある街のホテルにいるわけだが、そんな事を気にせずに観光を満喫したようだ。
日も暮れ、夕食も済ませた3人はホテルに戻り、入浴も済ませたアルトリアがノアのベッドでごろごろしながら聞く。ネグリジェが若干はだけ、普段隠れている彼女の白い脚が顔を覗かせる。
ノアはさり気なく窓の外から夜の街に目を向けた。夜も現代では比較的に明るいもので、早まった心音を落ち着かせてくれる。昼が活動時間である人間にとって、夜は暗く怖いもの。そんな中にある光は人を安堵させてくれるのだ。だから今も少しは落ち着くのに役立っている。そういう風に強引にこじつけている。
「ノアが見たがっている"さっかー"というものの観戦チケットは、決勝戦の分があるんだよね」
「そう。それが11日で、今日が3日だから1週間は観光できる。余裕を持っていろいろ回れるって算段」
「日中にも言ったけど、現代のことはよく分からないから。ノアのプランに任せるね」
「2人とも楽しめるプランにできるかちょっと不安だな」
素直に話すとアルトリアは首を横に振った。そこまでは気にしなくていいのだと。
どこに行くかじゃない。誰と行き、どう過ごすかだ。楽しめるかはそれ次第で、その点に不安などない。
「せっかくの観光なんだから、心ゆくまで楽しんじゃお!」
「うん。そうだな」
「話は纏まったようだね」
「何やってたの?」
「小道具作りさ」
彼女の手にあるのは、サファイアブルーのネックレス。空よりも蒼いそれは宝石のようで、見たものが欲しがるような魅力がある。マーリンが作った以上、魔術的な何かであるのは明白だが。
それをマーリンはノアに手渡し、興味を惹かれたアルトリアもベッドから降りて覗き込む。
「礼装ですか」
「この街はどうやら魔術師もそれなりにいるようだからね。ノアには必要だろう」
「これはどういう効果が?」
「
「なら安心だな。ありがとうマーリン」
「むぅ……ノア! 私だってこの手のものは作れるんだからね!」
「なんで張り合ってるの?」
ただでさえノアとマーリンには特殊なつながりがある。その上で遠隔での連絡手段まで手にされると、よりつながりが強固になったように思えるのだ。
それに焦ったのか、アルトリアも道具を作成しようとし、夜も深くなりつつあるからとノアに宥められる。
(今度アルトリアにスマホを買ってあげよかな)
「私の杖はマーリンの杖のように、それ自体が工房というわけじゃないから、今すぐには作れないんだけど……」
「その時はよろしく」
「うん!」
「……? マーリン? どうかした?」
「うん? 何がかな?」
「……いや、何もないならいいけど」
道具の作成も終わったのに物静かな彼女にノアは疑問を懐いた。けれどそれは流され、ノアも追及をしない。
明日に備えて寝ようと決め、それぞれのベッドへ。部屋の灯りを落とし、しばらくするとアルトリアが最初に眠りにつく。慣れない移動や人の多さ。気疲れもしたのだろう。彼女が最初に眠るのも無理はない。
だが、今回はそれだけじゃない。ノアが彼女の眠りを待っていたのだ。
「おや寝ないのかい?」
自身のベッドに腰掛けているマーリンが問いかける。ノアは口を開こうとし、一回閉じてから彼女の側に歩いていった。暗い中でも彼女の姿が美しく見える。
それと同時に、今の彼女からは儚さも感じた。
「何かあったんじゃないの?」
「何かとは何かな?」
「なんではぐらかすんだよ」
あぁ、どうして彼だけは感づくのだろう。
何1つ特別なことはない一般人なのに。
特異点を経験しているのだから、今はもうそうとも言えないか。
ぽんぽんと自分の隣を優しく叩く。それは合図で、言葉がなくとも彼は隣に座る。肩が触れ合う距離。これほど近づくのは実はあまりない。頻度も時間も、アルトリアの方が多い。
マーリンはいつもどこか一線引いていて、超えたと見せかけての揶揄いばかりだ。それを超えたのは、儀式の時とカムランの時ぐらい。
そのせいでノアは緊張していた。
「期待しているのかな? スリリングなことを」
「してないから。それに、
アルトリアが寝ている部屋で大人の階段なんて登れない。登りたくもない。
だから彼は後者を警戒している。モードレッドの宝具を受けた時のように、目の前からいなくなってしまうことを。
そんな印象が今のマーリンにあるのだ。
「キミは怖がりだね」
「あれは誰だって怖いだろ」
「そうかもしれない」
真剣で、そして思い詰めたような顔で俯く。その隣で原因たる彼女はいつもと同じ微笑みを浮かべていた。花のような笑み。人を落ち着かせるような笑みだ。
けれど今の彼はそれでは落ち着けない。不安が拭いきれない。
「大丈夫さ」
「っ!」
頭を抱えられ、暖かく柔らかな胸に引き寄せられる。慌てて離れようとしても離れられない。単純な筋力ではノアの方が上なのに。
マーリンが魔術で身体能力を上げているのではない。ノアの体を眠りに誘っているのだ。だから体は思ったような力が入らなくなる。
彼女は彼を慈しむように撫でる。夢魔らしくない。彼女らしくない。彼女自身驚くことだ。
それはまるで親が子をあやすように。姉が弟を癒やすように。女性が想い人を愛するように。
らしくない。こんなの自分らしくないと彼女の脳内で反芻する。
そして、
「キミはボクの腕の中にいて。ボクはキミの目の前にいる」
だって、こうしないと。
「ボクはちゃんとずっとキミの側にいるから」
──
□□□
8月4日
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす。起きたらぐっと体を伸ばし、ふあっとあくびを1回。出てきた涙をそっと拭い、爽やかな朝を感じる。
そのはずなのだが、何やら朝から部屋の中が落ち着きのない様子。アルトリアは金糸の髪を手櫛で梳かしながら、右へ左へと動き回っているノアに声をかけた。マーリンに振り回された経験からか、焦ることも少なくなった彼にしては珍しい様子だ。
「……マーリンがいなくなった!」
「? どこかへ散歩に行った、とかでもないの?」
「書き置きがないし、
「それに?」
昨晩にマーリンから受け取った礼装。憂いた顔でそれに手をかける彼の言葉を待つ。
「……なんとなくだけど、マーリンを感じるって感覚が薄くなってる気がする」
「近くにいないから当たり前だと思うけど……、そういう話じゃないんだね」
「うん」
その感覚をアルトリアは理解できない。誰だって理解できない。ノアにしか体感できないものなのだから。
いつから彼が起きていたのかは不明だが、ホテルの部屋はそう広くない。アルトリアが起きる前に部屋の中は探し終えているようだ。彼女が起きるのを待ち、今度は外に探しに行こうとしている。
「ところでノア。なんでさっきからこちらを見てくれないの?」
「…………だって……アルトリアの服がはだけてるし」
「へ……?」
指摘されて視線を下げる。現代的なネグリジェは着れている。少し斜めになっているように見えるのは、片側の肩紐が二の腕までズレているせいか。
認識した途端顔が熱くなっていく。胸元を腕で隠し、反対の手で肩紐を元に戻した。
「じゃ、じゃあ俺は少し外で探してくるから」
「うぅ……。っ! 待ってくださいノア!」
「ど、どうした? 朝ご飯ならルームサービスでも食べられるけど」
「そうなの!? あ、いやそれも大事だけど待って。……こほん。あてはあるんですか?」
口調を変える意味はあるのかといつもの調子ならツッコ厶が、今のノアにその余裕はなかった。アルトリアの言葉に渋い顔をし、絞り出すように呟く。
「……ないけど」
「広い街です。無策に探すのでは効率が悪いですし、まずはちゃんと朝食を取りながら考えましょう」
彼女の正論に押し黙る。人は朝食を食べるか否かでその日のパフォーマンスが大きく変わる。人探しとなると労力を使うため、エネルギーの確保は重要だ。
マーリンをすぐに探したいという気持ちを抑え、努めて状況を理解して行動できるのは、特異点での経験があるからだろう。
「それで、ルームサービスとビュッフェ。どっちにする?」
「"びゅっふぇ"が食べ放題ですか?」
「うん。聞くまでもなかったな」
「私を食いしん坊とでも思ってる? 食事は好きだけど大食いってわけじゃないから!」
「あー、そうだな」
「信じてないよねそれ」
「まぁまぁ。ご飯食べて早くマーリンを探しに行こうぜ。結構気がかりだ」
それを聞いてモヤっとする。人は誰しも、自分を他所に他の人の話をされると思うところがあったりするのだ。特別な異性がそういう話をしている時とか余計に。
「ノアはマーリンのことをどう思ってるの?」
気づけば口に出ていた。自分でも内心で驚き、すぐに後悔する。しかしそれを取り消すことはしなかった。その言葉は出てこなかった。
「どうって。……どうなんだろ?」
言われてみて考える。マーリンのことをどう思っているのか。
好き嫌いで言えば好きだ。だがアルトリアが知りたいのはそんな二極の意見ではない。だからそれに答えられるものを考えるのだが、すぐには出てこない。言語化が難しい。
「あれでも恩人だし……」
「それだけではないんだよね?」
「……うん。漠然としててどうにもうまく言葉にできないけど」
マーリンがいなければこの命はなく、そして目の前にいる彼女の命も無かったかもしれない。運命に抗えたのは、人でなしの夢魔のおかげなのだ。
ただ、恩人という言葉では足りない気がして。けれど他に言葉が見つからない。
表現に困っている彼を見て細く息を吐く。このままだと何か虐めているような気分だ。
「今は答えられなくてもいいよ。いずれ教えてくれたらそれで」
「わかった」
着替えを済ませ、ホテルのビュッフェを満喫する。規模で言えば決して大きくはないが、いくつもの料理の中から好きに選んで食べられるのは贅沢な気分になる。ノアもアルトリアもそれに満足し、ロンドンの街へと繰り出していく。
「マーリンが好きそうな場所ってあんま思いつかないんだけどな」
「そもそもマーリンに好みってあると思う?」
「花はたぶん好きなんじゃない? 花の魔術師を名乗るくらいだし」
「わからなくもないけど……。いや、他に何も出てこないし、ひとまずはその路線で探そう」
「一番近いのはローズ・ガーデンか」
今2人がいる場所から西に進んでいくと、そこには大きな庭園がある。クイーン・メアリーズ・ローズ・ガーデン。ヨーロッパで見渡せば珍しくもない規模の庭園だが、その周辺も含めるとなかなかに大きい。そこで細かく探すとなると、それだけでも時間を要することになる。
「ノアの感覚を使おう」
「これそんな便利な使い方できないと思うぞ? 何もないよりはマシかもしれないけど。使い魔とかは?」
「そのやり方もできなくはないけど、魔術師の多い街でもあるから。あまり目をつけられないようにするのがいいかなって」
「それはたしかに……」
そんなわけで、ノアの感覚頼みというなんとも頼りない方法での捜索が始まった。純粋に視力がいいアルトリアなら、遠目に判断することもできるだろう。マーリンは良くも悪くも人目を引くため、見間違えることもありえない。
もっとも、本人が面白がって幻術を使い始めたら話は別だが。そんな事をされてはもはや見つけるのは不可能である。
「うわぁ~。ローズ・ガーデンというだけあって、綺麗~」
「手入れもされてるから尚更な」
庭園を通り。
「これはまた……雰囲気が違うね。なんというか、この国っぽくないと言うか」
「これは日本の庭園を意識したらしい。極東にある島国で、風光明媚なんだとか。一度は行ってみたいかな」
「ほぇ~。機会があったら一緒に行こ!」
「そうだな」
日本式庭園を通り。
「船が多いような。池なのに」
「ボートに乗って楽しむんだよ。家族連れとかカップルとか」
「乗ってみたいけど……今は我慢します。この街に滞在している間に乗らせてね!」
「あはは、うん。その時は楽しもうか」
「やった!」
南西に移動し、ハイドパークを通り。
そこからバッキンガム宮殿のある東側に進む。
これまでの過程を振り返れば、徒歩で動くには広い範囲と言えるのだが、かつてこの島を徒歩で旅した2人にはどうということでもない。
「ううん。ここも駄目か」
「休憩しよう。歩き詰めだし、お昼の時間も少し過ぎてるから」
「そっか。食べてなかったな」
指摘された途端お腹が鳴る。思い出したように空腹感がノアを襲い、アルトリアが優しく微笑んだ。
適当な飲食店を探し、手頃な値段の店を選ぶ。落ち着いた雰囲気のある店で、中にいる他の客もゆったりと過ごしている。空いている席に座り、メニューを決めたらそれを注文。待っている間は飲み物で喉を潤した。
「やっぱ探すのは難しいな」
「そうだね。人探しは素人だし、この街に私たちは疎いし」
「手がかりもなし。諦める気はないけど、何か進展は欲しいな」
「そのためにも協力者を用意しないとね」
「協力者? たとえば?」
「隣にいるその方とか」
「ブッ!!」
いきなり話に巻き込まれたからか、コーヒーを飲んでいたその人は吹き出して咳き込んだ。それを見たノアはその人に詫びながら大丈夫か聞き、アルトリアを注意した。
「いきなり変なこと言うなよアルトリア」
「変なことじゃないよノア。ちゃーんと私にと考えがあってのことなんだから」
「考え?」
「うん。その方だけは私たちを、正確には私を見たときに驚いた様子だったから。初見のはずなのに」
「他人の空似ってことは?」
「それはないです」
はっきりと断言する彼女にノアは首を傾げ、巻き込まれた人物は頬を引きつっていた。どこか見たくないものを見るように。
「その方は私を知っているのでしょう。違う可能性の私を」
「断言できる理由は?」
「直感です」
恐ろしいかな。彼女の直感は的確だった。
呆れるノアの隣で、その人物は項垂れた。
ロードを冠する者の1人。
ロード・エルメロイ2世その人である。
□□□
『時計塔』。ビッグベンの方ではなく、魔術師社会での呼び名の方。魔術協会の総本山と呼ばれることもある。
そこには12人の「ロード」が君臨しており、グレイの師もその1人。ロード・エルメロイ2世である。2世を付けないと本人は苦言を言うので、2世を外してはならない。
諸事情でそれを名乗っているのだが、義妹が成人すればロードの座も彼女に譲られる。
──そういう話だった。
実際には義妹の小悪魔な笑みとともに譲渡を先送りにされている。エルメロイ2世は胃を痛めたとか。
「事情は知らないが、巻き込まれるのは遺憾だな」
「あ、それたぶん体に悪影響なやつですよね? ノアが巻き込まれるのでご遠慮願います」
「いやアルトリアの体にも悪いからな?」
「……すまない癖でね」
葉巻に火をつけようとした途端ライターの火をアルトリアに消される。理由は副流煙の方が人の体に悪いということ。真っ当な意見だ。自分ではなく相方のことを考える辺り、2人の関係が見えてくる。
エルメロイ2世は葉巻を弟子のグレイに預け、話に入るために状況の整理を始めようとした。しかし主導権をアルトリアが手放さない。
「まずはあなたがなぜ私を見て強張ったのか。その説明を求めます。私たちの話はその後で」
「……協力してもらおうとしている相手にそうするのか」
「記憶を覗いてもいいのですが、その手のことは好きじゃないので」
『時計塔』内にあるエルメロイ2世の部屋。教鞭も振るうらしく、一般の大学等の教授の研究室のような部屋だ。そこにあるソファで向かい合っているところに、グレイが淹れた紅茶が運ばれてくる。全員分を配ると、グレイはエルメロイ2世の斜め後ろに立った。
「そちらの方も座られたらいいのでは?」
「いえ、拙のことはお気遣いなく」
「そうですか」
少し尖り気味なアルトリアをよそに、ノアはグレイに気を遣っていた。あっさりとフラレたのだが、気にしている様子はない。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。ノア・ヴェンダーです。俺のために頑張ろうとしてくれているのが、アルトリアです」
「ちょっ、ノア!? い、いつから気づいて……!」
「それぐらいすぐ分かるって」
「うぅ、恥ずかしいじゃんか~! ノアのばーかばーか!」
羞恥に染まった彼女がぽかぽかとノアを叩く。彼はされるがままにそれを受け止め、彼女の背に手を回してぽんぽんと叩いた。
「人を探してるんです。人……って言っていいか少し怪しいですけど」
「……エルメロイ2世だ。こちらは内弟子のグレイ。彼女がフードを取らないことは許してほしい」
「いえ、事情があるのでしょうし」
「ノア……私頑張ってたのに……」
「ごめん。それとありがとう。でも、この人は何となく信用できるしさ」
「……ノアがそう言うのならいいけど……」
ノアの言葉にアルトリアも引き下がり、エルメロイ2世と向き合った。それに合わせ、エルメロイ2世も口を開く。
そうしようとした時。音もなく
「あら、面白そうな状況ね」
アルトリアがノアを庇うように前に出ながら杖を構え、グレイは反応が遅れた。エルメロイ2世はその声色に目を見開き、部屋の扉の前に立つ少女を見やる。
「うわっ、びっくりした~。いつからいたの? 迷子?」
ノアはその少女を知らない。その少女の脅威を把握できない。
だから年上として丁寧な言葉遣いを心掛けて平然と話す。
「沙条……
「ロードの知り合いですか? じゃあ迷子じゃないのか」
アルトリアの肩に手を置き、杖をしまうように言外に促す彼に、愛歌はくすりと笑ってスカートを軽くつまむ。
「初めましてお兄さん。沙条愛歌よ」
淑女のようにお辞儀する彼女にノアもぺこりと頭を下げた。無知故の対応。魔術師からすれば、今のノアは地獄谷での綱渡り状態だ。エルメロイ2世の胃が悲鳴を上げている。
「俺はノア・ヴェンダー。もしかして先約だった? ごめんね邪魔して」
「大丈夫よ。面白そうだから押しかけてきただけだもの」
「……ミス沙条の琴線に触れるものかね?」
「ふふっ、そうね。彼らはオンリーワンだから」
エルメロイ2世としては、今すぐにでもお帰り願いたかった。今ノアが平然と話しているのは、ロードですら相手したくないような人種だから。魔術協会の総意で「Don't touch Manaka Sajyou」と決まったほどに。
しかし悲しいかな。彼女の目からしても、ノアとアルトリアの存在は珍しいのだ。
「話の腰を折ってしまったわね。お詫びに、あなた達の探し人を呼ぶ方法を教えるわ」
「え?」
「何を考えている!」
「ただの利害の一致よ」
呆けるノアの対面で、エルメロイ2世が声を荒げた。愛歌はそれをそよ風のように流し、妖精のような笑みでノアと向き合う。
「
「なっ……!? マ……マーリンだと!?」
「えっ、なんで知って……」
「ふふっ。私もね、"視える"からよ」
その言葉に納得する。展開の早さに付いていけてなかったのに、それだけは理解できた。現代を見渡す力を持つマーリンと過ごしていたから。この少女愛歌も、その手の力を持つのだとすぐに受け入れられた。
もっとも、愛歌の場合は"未来"をも含める。魔術師たちが目指す「根源」。生まれながらにしてそこに繋がっている沙条愛歌は、まさしく全知全能と呼べてしまう存在なのだ。
ノアはそんなこと知らないが。「すごい子だなぁ」としか思っていないが。
「やり方は移動しながら説明をしましょうか。時間は有効的に使いたいでしょう?」
「本当にいいの? 出会ってばかりなのにそんないたれりつくせりで」
「ノア。彼女を信じるのですか? 彼女は……」
「いい子に思えるんだけどな……危ない子なの?」
「ふふっ。お兄さんはお人好しなのね。安心して。危害を加える気はないから」
「ほら」
「「…………はぁ」」
やっぱりいい子だと言いたげなノアに、アルトリアとエルメロイ2世は重くため息をついた。無知とはなんと恐ろしいことか。
[ハハハ。グレイ! あいつとんでもなく馬鹿だぜ!]
「アッド!」
「グレイさんのお腹から声が?」
「いえ。マントの内側に魔術礼装があるようで、それが喋っているのでしょう」
「へ~。で、愛歌ちゃん。俺たちはこれからどうしたらいい? どこに行くの?」
思わぬ進展に気持ちがはやる。ノアはなるべくそれを抑えてはいるが、抑えきれていない気持ちがこぼれ出ていた。その隣にいる彼女は少し複雑そうに彼を見つめ、全能たる少女は自分が恋をしたらこうなるだろうかと小さく笑う。
「マーリン縁の地。ストーンヘンジよ」
□□□
ストーンヘンジとは、世界遺産に登録されているものの1つだ。ロンドンからは車で2時間弱。途中での休憩を考えれば2時間といったところか。
その道中で愛歌から説明を受けるのかと思いきや、その話はエルメロイ2世から語られた。というよりエルメロイ2世はその役目を押し付けられた。教鞭をとる者の1人なのだし、適任といえば適任か。何より「ストーンヘンジ」と「呼ぶ」というキーワードで彼は愛歌の考えている方法を理解してしまっている。すごく嫌そうな顔をしていたが。
「一般知識から入るが、ストーンヘンジとは、紀元前2500年から紀元前2000年の間のどこかで円陣上に巨石が並べられた遺跡だ。土塁の方は今回関係がないため省くとするが、この遺跡は先史時代の天文台、祭祀場、ケルト民族の礼拝堂として使われたなど、いくつかの説がある」
その真実を知る手段は今はなく、だからこそ学者たちはロマンを感じて熱心に研究を続けている。
運転しながら話すエルメロイ2世の言葉を、皆静かに傾聴していた。後部座席中央に座るノアと、助手席に座るグレイが特に熱心か。愛歌はBGM程度に。アルトリアは窓を開けて酔いと格闘中だ。一応酔い止めは飲んでいる。
「どうやってあの巨石を並べたのか。どこから運んだのか。それもまだ判明していないが、こちらも諸説あってね。SF好きはUFOの仕業だと言っていたり、神話を信じる者は巨人が運んだと言っている。そしてもう1つが、かつてアーサー王に仕えた魔術師マーリンが建てたとする説だ」
「? マーリンが? マーリンがいつ生まれたのかは聞いてませんが、そんな昔からいたのかな」
「そこの真偽は重要ではないんだ」
出自の詳細が重要なのではない。今回の焦点はそこではなく、
ノアに分かりやすく伝えるとするならば「無意識だろうと人々がオカルトを信じることで魔術が支えられている」となるだろうか。聞く人が聞けば文句を言いそうな表現だ。
有料道路から下り、下道で遺跡の近くまで行く。世界遺産となっているため、駐車場には観光客の車もそれなりだ。
空いている場所に駐車し、他の観光客に倣って歩いていく。ストーンヘンジの巨石には本来近づけない。観光コースにはロープが張られ、近づかないように注意看板も立てられている。
「どうするんですか?」
「人払いをしたいところだが……」
「あら、その必要はないわよ」
愛歌がそう言った次の瞬間には遺跡の中心にいた。問答無用の空間転移。しかも1人ではなく5人纏めて。
「これはこれで問題があるだろ……!」
「観光客には私たちの姿が見えないようにしてたわよ」
「愛歌ちゃんってめちゃくちゃ凄い?」
「お兄さんがそう思うならそうなんじゃないかしら」
にこっと笑う少女は、なんともないように振る舞う。演技ではなく自然体だ。なにせロードですら舌を巻く術だろうと、彼女にとっては魚を捌くのに等しいのだから。
「結界でこの遺跡を覆っているから、今からやることも見られない。神秘の秘匿とやらもこれで守れるでしょ?」
「……配慮感謝する」
根源に繋がっている少女にとって、魔術がどうとか熱心に言っている者たちも無価値に思える。馬鹿馬鹿しいのだ。
そう思っているため、これまでに何度か魔術協会が白目をむくようなことも花を愛でるように行ってきた。退屈な人生を気まぐれで生きてきたから。
それももう終わりだ。そしてこれから新たに始まる。
昨日にノアたちを見かけて彼女は"視た"のだ。素敵な出会いを。
そのためなら、ある程度馬鹿馬鹿しいことにも付き合っていられる。
「アルトリア。今思い出したんだけどさ」
「はい。私も同じことを思いました」
「どうかされたんですか?」
「グレイさん。実はですね、先程ロードが言っていたこと、半分当たっているんですよ」
「師匠の言っていたこと……。この遺跡を建てたという話ですか」
「はい。たしかにマーリンはこれを作ってました」
この世界でどうかは分からない。そして時代の違いもある。けれど、たしかに特異点での旅の途中で、マーリンはここに巨石を積み重ねた。
『さては私がすごくないとでも思ってそうだね。仕方ないから見せてあげよう』
魔獣と遭遇してもアルトリア任せだったマーリンに、ノアは疑いの目を向けた。それを受けてマーリンは気まぐれに見せつけたのだ。自分の実力の一端を。
粘液を纏う敵相手に絶叫しながら戦うアルトリアの姿を見て、気分が良かったんだろう。余興気分でやってのけた偉業だ。
その時は気づきもしなかったが、こうして現代に残るそれを見ると、あれがストーンヘンジだったのだなと気がつく。
「ふーん? ま、いいわ。始めましょう」
「俺はいるだけでいいんだっけ」
「そうよ。お兄さんの中に残る魔術回路。そしてその礼装。それが縁となるから」
「俺は魔術師ではないから、アルトリアにやってもらうと」
「任せてください!」
出番が来てやる気十分のアルトリアに笑いかけ、左手を彼女の右手と重ねる。他の面々が離れたのを確認すると、選定の杖を出現させたアルトリアがそれを片手で持ち、足元に打ち付ける。
沙条愛歌が提案したやり方は、聖杯戦争のそれに倣ったものだ。聖杯戦争の場合、聖杯があり、それに選ばれた魔術師が触媒を使って召喚する。触媒はなくてもいいが、それだと狙い通りにいかないことが多いため、基本的には触媒を用意するのだ。
今回の場合、聖杯はない。触媒はノア自身とマーリンが残した礼装。魔術師はアルトリア。聖杯の代わりに地脈の集まるこのストーンヘンジ。マーリンとの地縁もあるため期待値も高まる。
「始めます」
アルトリアが魔力を流し込む。陣が浮かび上がる。なるほど、たしかにこのストーンヘンジの石は、陣の円上になるように立っている。
現存するそれぞれの巨石が楔となり、地脈を走る魔力が効率的に集められる。
陣が光る。聖杯戦争なら、陣の中心から発生する煙に乗じて英霊が呼び出される。
その光景を思い返しているのか、エルメロイ2世はどこか懐かしそうだ。
だから気づくのが遅れた。
円の中心。その3mほど上。
そこに発生した穴に。
「ヴェンダー!」
「っ! アルトリア!」
「え……」
エルメロイ2世の声にノアが反応する。その穴に気づき、アルトリアが狙われていると感じ取った。次の瞬間には彼女を突き飛ばしていた。
「がっ……!!」
「ノア!」
背に何かを受けた。焼けるような痛み。電撃が走るような痛み。体が内側から壊れそうな痛み。いくつもの痛みを同時に味わい、苦悶の表情を浮かべるノアにアルトリアが叫ぶ。
続く魔弾は全て打ち払い、ノアを抱きかかえながらその穴を睨む。
「予想通りの行動ですね。あなたならそうすると思っていましたよ。ノアを狙えばアルトリアが、アルトリアを狙えばノアが庇う。あなた達はそういう関係なのですから」
「この声……まさか……いえ、そんなはずは!」
「なんで、あなたが……モルガン!」
名を呼ばれたことに応じるように、その穴から1人の女性が下り立つ。マーリンに師事し、かの時代のブリテンでも指折りの魔術師となった女性。モードレッドを生み出した魔女。
「こうして開いてくれたおかげです。あの時は少々驚きましたが」
「なんで」
「それはこちらのセリフでしょう。
「っ!」
呆れた様子のモルガンが小さくため息をついた。まぁいいかと一度瞑目。
そして両手を広げ、高らかに宣言する。
「さぁ──