ツシマ奇談   作:八堀 ユキ

11 / 13
気がついたら木曜だった!そんなことってありませんか?

ナイトシティに行く用があるので次回は日曜か月曜に投稿予定。


大過

 蒙古の術者たちの手により現世に戻りし巫女、壱与。

 元の肉体の持ち主である少女の面影を残したその愛らしい顔も。今ではただ静かに、言葉少なく。術師たちと己の意思を確認し、このツシマに災厄を招くと約束をかわす。

 

 この契約には意味がある。

 術者たちのそばを離れたとしても壱与の行動は大きくずれることはないということだ。

 

 続いて術者たちは3つのものを要求する。

 蒙古軍を襲う日本の妖――すなわち冥人達に関するもの。最上の結果は彼らをせん滅することであり。無難な結果としてはその力を壱与の力で測ること。最低の結果として生きて敵の情報を持ち帰るというものであった。

 

 壱与にしても冥人らの存在は気になるところ。

 己の前に立ちふさがる敵ならば当然のことと、術者たちの考えにこれもまた同意を示す。

 

 かくしてここに壱与という鬼女が戦いに加わることとなり。

 戦いはいよいよ妖怪魔人の跋扈する魔界戦争へと発展していく気配があった。それは同時に巻き込まれる人間たちの命は軽くなるばかりで、死者の数も多くなることを意味する……。

 

 ああ、なんと惨い話であろう。

 

 

――――――――――

 

 

 文太は目の端に森に入っていく天女を見た気がしてドキリとしたが、見直してみたがそんなものは影も形もなく。ただの気のせいであったんかと胸をなでおろす。こんなご時世なのだ。不安からおかしなものを目にしたと思い込むことだってあるさ――。

 

 文太は漁師をしているが、家庭の環境は複雑だ。

 彼は山で生まれ、父は猟師だった。その父も、その父もそうだったと言うが。文太は山ではなく海に出ていった。これにはちょっとした理由がある。

 

 文太が生まれる直前。

 家の前に狐の夫婦が表れてじっと家の中を見つめていたという。

 父は何の気なしに弓を手に取るとさっそく狙いを定めようとしたが。矢を放つ直前、この世に生まれた文太の産声に集中力を乱され。矢はあらぬ方向へ飛び、きつねたちは姿を消したという。

 

 父はそれをことあるごとに「お前のせいではずしてしまった」と悔しそうに口にし。母は「お前はきつねに縁があるのだろう」と言った。

 ツシマでは時折、狐に縁があるとしか思えぬ不思議な子が産まれるらしい。そして自分もきっと――。

 

 15の時にうまいことやって船を手に入れ。文太は山を下りて海辺の村へひとりうつっていった。

 祖父や父には随分と長いこと恨まれたが母だけは理解してくれた――。

 

 

 いつものように山のふもとにある稲荷の前に来ると、文太は懐から小さく切られれた油揚げを出してそれを奉じる。

 苦笑いを浮かべながら祈ると

 

「すまねェな。こんな時だからこそでっかいアゲを持ってきてやりたかったんだが。腹をすかせた餓鬼どもの目を盗んでここに持ってくるにゃ。ここまで小さくして、残りはあいつらの腹に収めてやらんといけなくてな」

 

 蒙古襲来で文太は無事に逃げ出せただけでなく。山に住む両親も無事で黄金寺で再会することができた。

 父親はまだまだ足腰がしっかりしているようで弓と矢と、母を背負ってやってきたのには笑ってしまった。ちなみに本人は怒っていて、どうやら親の無事を息子は気にせず逃げ出し。だから俺は女房を背負って逃げ納屋ならなかったのだと。

 

 とにかくその例として、今日はやってきたのであった。

 

「お侍はみんな殺されて。領主の志村様も囚われたと聞いてる。皆、ひどい目にあわされているけれど。できれば俺は、皆に死んでほしくねェんだ。お稲荷さんよ、どうかあんたの力でまもってくれないもんかね」

 

 文太は心優しき男であった。

 次はいつ来れるかはわからねェよ。それだけ呟くと文太は稲荷に背を向けた。

 

 

 森に入る直前、目の端に若い男を見かけた気がしたが壱与はあえてそれを無視する。

 太陽の下。血と肉があればこそ自由に駆け回り、かなうならば若い男でもさらってその体と命をいただきたいものだが今日はその暇がない――。

 

 

 森の中をしばらく進むと廃村に出た。

 そこは蒙古が来る前に滅びた村。壱与は今もここには誰もいないことを確認しつつ、拾った木の枝を用いて魔方陣を思わせる奇怪な円と紋様を地面の上に書いて回った。

 

 まだ昼前ではあったが、これより半日をかけこの廃村を冥人達を滅する巨大な罠として完成させるのだ。明日の朝日が見えるころ、そのたくらみが成功したかどうかがわかる……。

 

 なればこそ急がなくては。

 最初の作業を終えると、壱与は村の中心に立ち。何事かに指をくむと祈るようになにかを唱えはじめた。集中力は高まるが、声は小さいが不思議な恐ろしさを感じる。

 時は過ぎ、太陽は大きく動いて夕刻が近づいた――すると壱与の指が震え、廃村に変化が始まった。

 

 ひざまずいて祈っていた壱与の体がぶれはじめ。唱えることをやめる――新しい壱与が隣に立ち。それが続いて壱与の数を増やしていく。

 その数が12人まで達すると、ようやく彼女は祈るのをやめ。周囲に増えて自分を見つめている新しい壱与達を見返すと疲れた顔でフウと息を吐く。

 

 壱与と壱与の生み出した彼女自身の影。

 いわゆる分身の術――妖術を用いて生み出した影たちに壱与は役目を与えていく。

 

 持ってきた袋の中から笛、太鼓などの楽器を取り出して配る。

 夜が来る備えとして木々を集め、かがり火の用意を始めさせる。そして一番重要な役目――影の中からひとりを選ぶと、いきなりその半身を裸にひん剥き。同じく持ってきた紅で上半身から化粧を施していく。

 

 いよいよ準備は最終段階へ。

 

 そして夜がやってくる。

 村に描かれた5つの円陣のそばに影たちは立ち、かがり火に光がともる。中央では楽団と半裸の舞姫が呪われた”歌”を奏で始めると。”本物”の壱与の姿は闇の中へと消え――襲撃者を、冥人らの到着を待つ。

 

 

――――――――――

 

 

 森の中に雅な音が流れると、闇の中で起きてきた獣たちはその匂いに反応する。

 それは人間の若い女の血肉が発する甘い匂い。今は人のいないはずの廃村の方角から、そちらに進むとさらに強くなり。同時に彼らの性的興奮も刺激し誘いに乗ると正気を失っていく。

 

 村の中心には簡単な祭壇が築かれ。

 壱与の顔をした影たちによる合奏と半裸姿の巫女の舞が続く。

 

 興奮状態の獣たちは村の中へと入っては来るが。影たちのそばに近づく前に草むらの中に寝転ぶと、子供に戻ったかのように何かの幻想にじゃれて楽しそうに転がりまわる。

 

 夜が深まるにつれ、村の中に次第に妖気が満ちていく。

 獣に続き、こんな時間なのに今度は人影が廃村目指してゆらゆらと誘われて近づいてきた。

 

 彼らは死霊。

 かつての戦場で散っていった侍達。彼らの命が砕かれる直前に感じたもの。死への恐怖、痛み。残していく家族、後悔、財産。そして果たされることなく閉ざされた輝ける己の未来とそれを奪われることへの否定。

 

 それが壱与の力により文字通り、彼らは血と肉を必要としない死霊となって現世に帰ってきた。

 薄く煙のように儚い存在は明日の朝日までの命ではあるが。戦場からは家に帰れなかったという事実に抵抗せんと同じではない戦場の中へ戻ってきたのだ。

 

 彼らは悶え狂う獣の横を通り過ぎ。村に入ると祭壇の周りに、円陣の周りに集まって”その時”が来るのを待つ。

 否定したい彼らの戦場がここに”やってくる”のだと信じている。いや、壱与と彼女の影らの力がそうしている。

 

――これが我が策、なり

 

 姿を隠している壱与は高みの見物としゃれこんでいる。

 術師らの話から壱与はひとつの確信を持っていた。蒙古に攻撃を加えている妖は、獣の類ではないだろうと。そうした妖は生まれた時から使っている己の危険な詰めや恐ろしい牙をつかうものだ。

 しかしこの妖は刀で蒙古兵達をなで斬りにして回っているらしい。

 

 ならば冥人よ。

 これまでの蒙古兵と違い、血と肉を持たぬ死霊兵を相手にしてもその刀は敵を斬ることは可能か?

 

 

 青い狐火が4つ、しずしずと森の中へと入っていく――。

 廃村から流れてくる危険な歌と音楽に導かれるように。

 

 宙を漂う狐火は、廃村が見えるころには2本の足で歩き。闇の中でも周囲が見えるのか静かに素早く動いてる。

 4人の冥人達は罠と知らず、誘い出されてしまったのであろうか?

 

 

――――――――――

 

 

 妖気満ち、危険な罠となった廃村に森の中からヒューと音を鳴らして鏑矢が飛んできた。

 それは悶える狼の喉元を貫くだけでなく。なぜか霊気を帯びて漂う妖気を散らさんと切り裂いた。同時に死霊兵たちは戦の始まりと信じ、周囲に目を配らせる。

 

 姿は見えないが森の中から複数の矢やてつほうが飛び、村の外縁にとどまっていた獣たちが攻撃にさらされた。

 死霊兵たちは戦闘の空気を察して円陣と祭壇の壱与達を守らんと集まる。

 

 そんな中、姿を隠す”本物”の壱与は森に目をやり。

 正体を見極めんと目を凝らしてみる――。

 

 最初に攻撃を受けた狼たちは殺意に反応したのか立ち上がると吠えながら森を目指して走りだすもたどり着く前に倒されてしまう。だがさすがにそれに続く熊までは止められなかった。

 大木の一本に体当たりをいれる。枝が揺れ、2つの影がそこから地上へと飛び出した。

 

 冥人・侍と刺客であった。

 

 2人は地上に降りて勢いを殺さんと前転すると体制を素早く整え、腰の刀を抜く。

 

ーーこいつらか

 

 壱与は冥人らを姿を確認した。妖ではあるようだが、不思議なことによくわからない存在だ。

 生者ではないが、死者ということもないようで。別人の生きた肉体に降臨した自分と違い、それぞれが血肉を持っているらしい。そのせいだろうか、まとうのは霊気?いや、それではただよう別の妖気はなんだというのか。これがますますわけがわからない。

 

 激怒する熊は冥人らをその鋭い爪で殴りつけようとするも、距離を詰められず苛立って咆哮をあげた。

 その間にも森の中からの矢の攻撃はやまず。熊の矢ぶすまとなりかけ、動きは鈍っていく。

 

――これは良くないな

 

 壱与は獣を相手にしてもなんら感情を見せない冥人らを慌てさせようと、事態を動かすことにする。

 祭壇の音楽と舞がとまり。村の中央にいた壱与の影たちと死霊兵を動かす。姿は確認した。さて、その実力は果たして人の術師が言うほどの恐るべきものなのか?

 

 

 ついに熊は力尽きるが、2人の冥人に安心はなかった。

 むしろまとわりつく壱与の妖気の気配はさらに強まり、危険が迫ってきていると感じるのはなぜなのか?

 

 森の中の木の上では弓取と牢人が弓を構え、まだ警戒を解かない地上の2人を見て周囲に注意を向ける。

 おかしなことに廃村は妖気には満ちているものの。その匂いに誘われた獣を除けば――『むっ』小さな声と共に弓取の目は何かを見たと思った。同時に手にする長弓から矢が放たれる。

 

 

 矢は侍の頭上を越え――突如として何かに刺さり、人のあげる苦悶の声が空間からもれでた。

 

 斬っ!!!

 

 冥人・刺客は素早く動き、刀が横なぎにされると。握る刀身から骨を断ち、肉を斬る感覚が……だがしぶきをあげて噴き出す血だけはなかった。

 

『……っ!?』

『斬ったな、今』

 

 冥人・侍は静かにつぶやくと刀を構えなおし。周囲を探る。

 妖気の影響もあって空気は冷たいが、村の中に風は入ってこない。ゆえに妖気が払われることもないわけだが……ならなぜ石や土、草花が不自然に動いている?

 

 冥人達の目が青く燃え上がる。

 すると妖気に隠れる死霊兵の影がわずかではあったが見えるようになる。

 

『我らをすでに囲んでおったか。ならば都合がいい』

 

 侍の不敵な言葉が放たれる。木の上から弓を手にしていた2人も刀を手に飛び降り、4人は円陣の形となる。

 

『血は流さなくとも敵はいる。我らにはそれで十分。なぁ、各々がた』

 

 壱与はあわてて隠していた己の影たちを呼び寄せようとする。

 肉体を持たぬ死霊兵は人の目には映らないものの、己の姿をする壱与の影たちがいては意味がなくなるとの配慮から隠していたが。それが裏目に出たのか。

 

 まるで津波のような圧倒的な勢いがあった。

 影たちが自分のように軽功をもちいて飛んでくる間にも、死霊兵たちはその数を減らしていく。すでにその思考は負の怒りにつながるものしか残っていないはずの彼らだが。冥人らによって圧倒的な死が逃げようのないものと理解し始めると、恐怖を感じて――戸惑い、一瞬ではあったが戦うのをやめてしまった。

 

 それは冥人達にとって付け入る最大の好機。

 

 背中を預けて集まっていた4人は小さな台風となって別れて村の中へと散っていく。

 それを逃さぬつもりなのだろうが、死霊兵たちは分断されてそれぞれの後ろについていってしまう。

 廃村の家の中だけでなく、屋根の上でも、縁の下でも、厩の中でも。破壊音と共に転がる屍と流れる血のでない殺戮劇はまだ始まったばかり――。

 

 

――――――――――

 

 

 廃村の中にある円陣にはそれぞれひとりずつ壱与の影とそれなりの死霊兵たちがついて守っていたが。

 冥人達が村の中へと入っていったことであちらこちらで始まる騒ぎに気になり、ソワソワし始める。壱与は鬼女ではあっても戦を知っているわけではなかった。

 

 冥人らはただ闇雲に別れたわけではないことにまだ気が付いていないのだ。

 彼らが気の上から廃村の中を探ったときに確かに見ていた。地面に描かれた奇妙な円陣と違和感を感じさせる同じ顔の巫女姿の女たちがひとり。まるでそれを守るように立っている姿を。

 

 彼らはまとわりつく死霊兵たちを斬りつつも、次第に円陣にむかって移動していく。

 それを分かれて追う壱与の影たちもいるが。彼女らが爪で引き裂こうと飛び掛かっても相手にせず、死霊兵などを利用して相対することを拒否している。

 

 姿を隠してそれを眺めていた”本物”の壱与が違和感を覚えたのようやくこの時くらいだ。

 

 てっきり壱与の影たちと死霊兵らに囲まれて無残に引き裂かれるだろうと考えていたのに。壱与の影たちを死霊兵たちが邪魔しているように見え、同時に数を減らされるので戦力差が縮まってきている。

 

――まさか。気が付いているのか?

 

 壱与は円陣を守る兵力を投入するかどうか考えてしまう。

 ここまで彼女の目を通して冥人らの実力は……そこそこのものだとは思っていた。しかし自分が生み出した影を相手にせず逃げ回っているようにしか見えず。だからこそ守りを捨てて総力戦にもちこむのは誤りに思えた。

 

 だがすでに時遅し。

 

 侍、牢人、弓取らはついに円陣にたどり着くと。描かれるそのうえで乱戦をはじめることで効力を失わせたのだ。

 半分以上の円陣が消滅すると冥人らを取り囲んでいた死霊兵の数もまた半分以上が声もあげずにいきなりその場で掻き消えていってしまった。

 

 

 壱与の勝機はここで失ったといっていいだろう。

 村に立ち込めていた妖気は静かに村を囲む林の中へと流れ出していき。薄くなっていく妖力のせいで影や死霊兵の力強さも失われ。葉をむき出しに憎悪の表情で鋭い爪で飛び掛かっていく己の影らは、冥人らに遊ばれているようで。もはや猿回しのサルに成り下がってしまっていた。

 

――負けたというのか

 

 人の武器を手に戦う妖かと下に見ていた壱与は愕然としていた。

 遠からず円陣をすべて失えば死霊兵たちは消え、壱与の影のみが残る。彼女らは命令通り奮戦するはずだが……今ではあの冥人らを倒せる可能性はおそらくは、ない。

 

 では逃げるのか?

 壱与は己が隠れていることも忘れ、湧き上がる怒りの感情に胸をかきむしりたくなった。

 今ならばまだ戦える――いや、なんならあの4人の中からひとりくらいならば。

 

 

 ついにすべての円陣が消えると、死霊兵も消えた。

 壱与の影たちもまた怒りの声をそれぞれがあげるが、冥人らは顔色も変えない。すべては彼らの想定通りに戦いは進んでいる――そのはずだった。

 

 勝敗の天秤はいきなり静かに変化する傾きをいきなり不安定に、大きく揺らしてきた。

 冥人・刺客の体が不自然に弓なりに飛び上がると。心臓を背中から胸板まで貫く。女の細腕がそれを握って引きずり出して見せた。

 

 ああ、冥人よ。

 ついにお前も再び死者となってしまったのか!?

 

 

――――――――――

 

 

 壱与は逃げずに戦うことを選んだ。

 姿を隠している今なら、闇討ちをかけることができると思えばそれは当然の判断だと考えた。

 

 生者が放つ、死の香りと共に痙攣を始める肉体から己の腕を引き抜くと。刺客の体は崩れ落ち、壱与の手には肉塊となった心臓が残り、彼女はそれを見て愉快な気分となっていく。

 どぶ川にそれを投げ捨てながら、鬼女は勝利がまた己の元に戻ってきたと思い。笑い声をあげ、影たちにも笑うように仕掛けた。

 

 恐れるがいい、冥人よ。

 

 嘲笑の合唱の中、しかし残る冥人ら声もあげず。

 

『我らは生者ではなく、また死者でもなし。その証を目にするといい』

 

 侍の言葉の合間に牢人は手とうを用いて印を結び。呪いを呟くと最後に声をあげる」

 

――伊邪那美の息吹!

 

 死者となった冥人、刺客の肉体が虹色の炎に包まれる。

 胸に作られた穴が炎の中で塞がれていく。抉り出された心臓が形を取り戻すと、力強く脈打ち始める。

 ありえぬ現実が、許されぬ理がそこでおこなわれていた。

 

「バカな!!?」

 

 壱与にできたのはそれだけ。

 女たちの嘲笑が消えるかわりに低い笑い声が4つ。

 

 今宵、血を吸えぬと狂う冥人らの刀は。

 驚愕の表情を浮かべる鬼女らを前に、歓喜に震え。血を吸わせろと刃音を響かせんと月の光を反射させる。

 

 

 夜が終わりを告げるころ。遂に壱与は冥人達に背を向けて逃げ出した。

 影たちを失ったと判断した瞬間、自分が斬り刻まれる未来を思い浮かべたら今度は躊躇しなかった。

 

 全力での軽功で用意した逃走経路に飛び込んだものの、冥人らは振り払えずについてくることを許してしまった。

 そうして飛び出したのは、あの日吉のそばの四つ辻の関。

 蒙古兵を囮に使い、彼らの命をつかうことで壱与は蒙古軍へ逃げ込むことができた。

 

 彼らは自分らの敵を倒せはしなかったが。

 ついにその正体を知ることができた。彼らの名は冥人、死者の世界から戻った侍達。

 

 

――――――――――

 

 

 黄金寺で父親が弓を手に漁師たちと共に森に入っていくつもりだと聞いて、文太は己も釣竿を用意して川に行こうと考えた。

 自作の竿の出来はあまりよくはなかったが、tりあえず試してみようとひとりで寺の門を出た。

 

 蒙古の軍は黄金寺を囲む林の外にいるというが。彼らが攻めてくる気配はまだ見せていないという噂だった。

 また、槍川などでも生き残ったお侍たちが籠城戦をしているとか。ツシマの中の敵陣のいくつかを誰かが襲って壊滅させているとか、そんな怪しい噂も聞いた。

 

――そんな夢物語。母ちゃん、しんじてもしょうがねェぞ

――嘘じゃないさぁ。だってそのお侍、名前もわかってるって

――そりゃ誰なんだい?

――志村様の甥御、境井 仁様だって話だよ

――それは怪しい話だ。だって俺が聞いた話じゃ、それは冥人とかいう妖が暴れてるってさ

 

 出てくる時に母とかわした噂話を思い出して苦笑いを浮かべる。

 このツシマを救ってくれるというなら。境井様だか冥人様だか、誰でも構わないよ。

 

 黄金色の葉が風に揺られるたびに雪のように降ってくる。

 この森の中だけは、黄金寺の神通力で守られているからなのかもしれない。なら、父母だけでなくあの寺に逃げてきた皆が救われるかもしれない――。

 

 文太は林の向こうに目当ての小川が見えてくると笑顔を浮かべた。

 父は熊鍋を食わせてやると豪語していたが、自分は小魚しか用意できなければ馬鹿にされてしまうかもな。

 

 

 静けさの中に歓喜の雄たけびがあがり、文太は飛び上がって驚いた。

 黄金の林の中を、馬上で剣を抜く蒙古の騎兵達が走ってきた。気をゆるみすぎたのだ。

 

 文太は逃げた。

 作ったばかりの釣竿を放り出し、びくを投げ捨て。だがその方角は黄金寺を囲む林の外――人々の姿が頭をよぎったせいで、黄金寺に逃げ込もうとはかけらも考えなかったせいだ。文太はそれでも「助けて!」と叫んだ、誰もその声を聞いていないとわかっていても……。

 

 夜になって狩りから戻った父は「熊はダメだったが猪は逃がさんかった」とガハハと笑ったが、母は真っ蒼な顔でなにも答えkられなかった。彼らはその夜なにも口にしなかった、文太は帰ってこなかったから。

 

 翌日、意気消沈する夫婦を見て人々は遠巻きに噂しあった。昨日、釣竿を手にした彼らの息子が死んでしまったらしいと。気の毒にね、と。

 

 今のツシマではよくある不幸な話がまたひとつ、増えた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。