ツシマ奇談   作:八堀 ユキ

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別に書くつもりはなかったけれど、思わず書いてしまった主人公。
次回投稿は水曜日を予定。


境井 仁

 元軍上陸から数日。

 

 曇天の暗い朝の下で。若武者は砂浜に膝立ちとなり思いのたけを口にする。

 

――叔父上っ!

 

 血の涙を流さんばかりの激しい感情の嵐が心の中をかき回していた。

 かつてあの偉大な叔父はこの愚かな甥にあるべき武士としての生き方をおしえたのではなかったか。

 

――敗北は時に永遠の地獄となることがある。

――だからこそ戦うことを恐れるな。誉ある武士となるため。仁よ、立ち向かう勇気を忘れるな。

 

 そうすれば侍として戦える。

 だが昨夜、この若武者は何ができたのか?

 救うべき捕らわれた叔父の前に立ちながら、またも無様に生き延びただけ、何もできてはいない。

 

 小茂田の浜では勝てぬと知りつつも、それでも大いに奮起したつもりだった。

 だが負けた。

 生き延びても、大切な叔父上を救おうとしてやはりまた負ける。

 

 憎き怨敵コトゥン・ハーン自らを引き出したというのに。若者は愛する叔父の目の前で無様に何度も殴り倒され。挙句あの高い橋から落下して――やはりまだ生き残ってしまった。

 敗北は積み重なり、心につもっていく負の感情。例えば悔しさや怒りだけでは言葉が足りなくなっている。

 

――だからなんだっていうんだい。

――死んだら全部おしまいじゃないのさ。

 

 自分を救った荒々しい女の声がこの若武者の脳裏をかすめた。

 そうだ、自分は生き残った。また生き残ってしまったなら――戦わなくてはならない。

 

 風が吹き抜けると、自分を押しつぶそうとする霧が一気に散っていった気がした。

 

「……なんだ!?」

 

 今、確かにどこからか声が聞こえた。

 聞いたことのない男女の声、そして誰かに助けを求めている!?

 

 若武者はよろめきながら立ち上がる。

 当然だ、普通に考えれば落命してもおかしくない高さの崖を落ちたばかりなのだ。しかしそれを理由にしてどうするというのか。誰かが助けを求めているというなら、それはきっと戦えぬものに違いないのだ。

 

 そして自分はまだ生きて、戦える!

 

 

――――――――――

 

 

――きえええええええっ!

 

 気勢を上げ、全身で飛び込んでくる蒙古の兵士を歯を食いしばった若武者は容赦なく振り下ろした剣でたたき伏せていった。幼いころより何度も修行のために振り下ろした木刀のように、するどいひと振りは相手の肩口から見事に切り捨てて見せる。

 小さな勝利だが、若武者に喜びはなかった。

 代わりに食いしばった唇が切れ、血があふれて流れ落ちていく。

 

「――遅かったのか、またしてもっ。この俺はっ」

 

 背中を押す風の力を借り、なんとか走り出した若武者の前方に人影を見た。

 

 やはり思った通り、何も持たぬ若い夫婦が敵兵に追われていた。武器も持たず、互いに声をかけ。手を握りながら「逃げるんだ」と励ましあっていた。

 若武者は声をかけることもできなかった。

 

 蒙古の兵達は喜びの声を上げてとびかかり。力なき彼らは何もできないまま切り捨てられるのを止めることはできなかった。若武者にできたことといえば。

 ただ声もなく倒された夫婦の敵を討つことだけ――これがに一体何の意味があるというのか、

 

「俺には――まだ守るべきものがある!」

 

 あの荒々しい女は城の外で自分を待つと言っていた。。

 そして自分は救えなかった叔父上を必ず助けねばならぬ。若武者は倒れた夫婦にわずかに目を閉じて黙とうをささげると、再び立ち上がって走り出した。

 

 同じころ、将軍クトゥン・ハーンは逃がした若武者の死体が砂浜にないことから生きのびたことを知る。

 

 

――――――――――

 

 

 世の中、物が見えると思っても時にそれが裏目に出ることがある。

 ツシマの商人、崔烏は目前でおこなわれている地獄絵図に己の運のなさを嘆くことしかできなかった――。

 

 商売のかたわら、世に流れる悪い噂は崔鳥の耳にもしっかりと届いていた。

 彼は未来に必ず元軍がこのツシマに派遣されるに違いないと考え、その時に備えて家族とよぶ身内同然の皆ですぐに動けるように支度を整えてきた。

 

 領主、志村は歴戦の侍ではあるが。

 あの広大な国を支配する帝国が相手では長く抵抗はできないだろう。

 

 

 彼の予見は見事に的中した。

 元の大群が多くの船を並べて上陸を開始したとき。彼は誰よりも早く動くことで自分の身内を守れると確信していたが――皮肉にも彼の期待した領主である志村はあっというまに敵軍の手に落ち。彼の居城はあっさりと敵の手に落ちてしまった。現実は想像をこえて厳しいものとなった。

 

――こうなると槍川を目指すしかないのか。

 

 志村を期待できない以上、頼みは侍達の中で爪はじきにされた槍川の武士に頼るしか残されていないと考えた。

 北を目指して移動していた彼らは南に方針を変え――そこで悲劇が待っていた。

 

 苦痛に泣き叫ぶ子供やうめき声をあげる大人たちの声。それを見ることしかできずに半狂乱となる家族たち。

 崔烏の顔は血の気が引いて真っ青となっている。

 

「おと~!おと~!」

「文太ぁ、そこを動くな!動くんじゃねェ!」

 

 橋の上を渡ろうとした島民たちを待ち構えた元軍は、橋の下にある崖に散会し。そこから上を通り過ぎようとする人々を殺さぬ程度に痛めつけ、動けなくした。

 橋のたもとでは半狂乱になった大人たちが助けられないとわかってはいても必死に安心させようと試みるが。傷ついた子供は怖さに負ければ親の元へとすりよろうとしてしまう。

 

 その瞬間、橋の下から嬌声が湧き上がり。

 狂ったように這いずることしかできぬ負傷者にとどめを刺そうとする。矢が次々と飛んでくるのだ。

 

「旦那様、旦那様ぁ!文太、あいつはこのままじゃあ」

「――」

 

 答えられなかった。

 あの子は助からない、どうにもならない。

 崔烏は親から商売を学んだ時、身内は家族として扱うようにと教えられた。相手が話の通じる盗賊ならば、金を積めば少年は助けられるし。あの少女だって怯えながら無残に射抜かれることもなかっただろう。

 だが相手は大陸を制した強国の兵士達である。何度か声をかけてみたがこちらの声に答える様子はまるでない。

 

――このままでは、もう。

 

 崔烏は天を仰ぐ。

 仏に救いを求めるなら今しかなかった。この瞬間に奇跡がなかったとしても、希望が何より必要だったのだ。

 

「なにをしている?なぜあの小僧を助けないのだ?」

 

 はっと気が付き、崔烏は声の主を探した。

 信じられないことに背後に馬に乗った若い侍がいぶかしげな表情で立っていた。小茂田の浜で無残に負け、皆殺しにされたと聞いていたが、そこから生きて戻ってきたのだろうか。身に着ける鎧は傷ついて激戦があったことを知らしめている。

 

「お、お侍様。どうか、どうかおたすけくださいませんかっ」

 

 崔烏の必死の言葉に若武者の表情は緊張を増す――。

 

 

 金田の城では、将軍クトゥン・ハーンは城の中の見回りのついでに怪しき怪人達を呼び出していた。

 どちらも獣の羽や毛だけで作った異様な風体の2人。大陸において仙人にならんと長く修業をしたというのに、湧き上がる雑念を消しきれず。金に女色、力を得ることに明け暮れ人々に嫌われた外道である。

 本来であればその罪からさっさと首を切り落としてしかるべき魔人たちだが、クトゥン・ハーンには考えがあった。

 

「お前たちがここにいるのはほかでもない。我が兵の役に立ってもらうためだ」

「……」

「本来であれば、お前たちの術で志村をどうにかするはずであったが。奴は頑固で、しかし弱点がある。あの小僧、甥っ子だそうだ。

 あれを抑えれば志村はどうとでもなる。だが、どうやら話はそれだけでは終わらないかもしれぬ」

 

 仁王立ちとなる将軍はツシマの大地を油断なく見渡した。

 

「われらはこの地のすべてを手に入れる。我が兵にはさらなる力が必要だ。どうにかできるな?」

「――御意」

「なら必要なものを言え。すべて揃えてやる。だが役に立たぬとわかれば貴様らはいらん。この地で死んでもらう」

 

 怪人らは服従の姿勢から動かず、答えもしない。

 将軍の言葉の意味を理解し、恐怖に震えるような腰抜けとも思えないが。外道のおもいことなど将軍に理解できるはずもなし。

 

「侍など恐れるほどの存在ではない。だからこそ、我らは勝たねばならぬのだ」

 

 その言葉の意味は、誰に言い聞かせるためだったのか。

 

 

――――――――――

 

 

 家族を引き裂く悪夢の橋の下で最後の矢が飛んだ。

 崔烏の願いを聞くなり馬に乗った若武者はまるで天狗のごとく。橋の下に潜り込むと崖下に配置された大陸の狼たちは野良犬のように次々に撃ち落とされていった。

 

 先ほどまで生き地獄を味わっていた橋のたもとの親たちは大喜びである。

 若武者が再び崖を登り始めると、歓喜の声と悲鳴を混ぜて橋の上のけが人たちの元へと家族は助けに近づいていく。

 

「お武家様、大変ありがとうございました」

「――なんとかしたかったが。全員は無理だった」

「いえいえ、本当であれば皆助からぬ命でした」

 

 文太とその父親は涙を流してお互い抱き合うが。一方では動かぬ娘に縋りついて泣き叫ぶ母親もいた。

 

「これからどうするつもりだ?」

「槍川へ――と思いましたが、御覧の通りけが人が多い。ここからならば日吉の湯をめざすのが良いかと思っております」

「そうか。それがいいだろう。あそこには頼れるお人もいる。俺も一緒についていってやりたいが――」

 

 若武者は顔をしかめるが、崔烏は慌てて遠慮する。

 おそらく彼はそこからここにやってきたのだろうと思ったからだ。

 

「今なら夜までには到着できるかと思われます。本当に、本当にありがとうございます」

「そうか――すまんな」

 

 若武者の最後の言葉は誰に向けられたものであったのか。

 崔烏は息子に言って用意させた新しい着物を若武者へと差し出して見せた。

 

「これは?」

「礼というにはたいしたものではありませんが。こちらをお役立てていただければと」

「着物か。流人になれと?」

「はい。といいますか――その鎧姿は何かと目立ちます。あなたさまの正体を知られないためにも、このようなものも利用されるのが良いだろうと思われます」

「気が付かなかった。主人、感謝する」

 

 崔烏は「だれか」と言って若い娘に若武者の着替えを手伝わせた。

 汚れて壊れた鎧はすぐに外され、落ち武者はこの島ならばどこでも見かける旅人の姿へと変わる。

 

「まるで注文したかのようにぴったりだ」

「それはようございました。それと、鎧でございますが」

「ん?」

「良ければ私共がお引き取り致しますが――」

 

 別に商売に使おうというわけではない。この情勢では処分するしかないが、若者の手をわずらわせないでやろうという申し出であった。

 崔烏の言葉に若者はわずかに考えたが、首を横に振る。

 

「いや、やめておこう。俺にとっては鎧はあれしかないし、そもそもお前たちがこの後無事に日吉の湯にたどりつけたとしても。あの蒙古の軍勢にとらわれないという保証はない。

 奴らがこの鎧を見つければ、奴らはお前たちを痛めつけようとするだろう。俺がこのまま持っていくさ」

「わかりました」

 

 若武者だった旅人は鎧をまとめると、「では気をつけよ」と言い残し、風のように立ち去って行ってしまった。

 崔烏と息子は小さくなっていくその背中にお辞儀をする。

 

――あなたさまもご無事でありますよう、境井様。

 

 若武者と崔烏は直接会話を交わしたことはなかった。

 

 しかし商人である崔烏は城とも取引をしていた。

 だから当然、志村が愛する甥の境井仁の顔も名前も知っていた。

 刀をもって振り回し、山賊と変わらぬ愚かな若侍はツシマでも少なくないが。境井という若武者はきっと後に偉大な侍となって志村を助けるだろうと噂された人物である。

 

 剣術だけではなく、教養も身に着けた若者だと聞いていた。

 

 そんな若者がただひとり。

 このような場所にいたということは、なにか考えがあったに違いない。

 

 なのにそれでも崔烏らを助けてくれた。

 あの若武者がこれより何を成し遂げようとするのかわからないが――自分たちがしたことがわずかでも役に立てればと思う。

 

 

 ツシマの商人、崔烏にとって。

 この合戦における境井 仁という若武者について知るのはこれがすべてである。

 

 

――――――――――

 

 

 崔烏らは予定通り、日暮れまでに日吉の湯に到着することができた。

 宿屋の店主は事件を聞いて大いに慌て、わざわざ薬師を呼んできてくれた。体力のある若者や少年は助かるだろうといわれたが、逆に助からぬだろうと言われた怪我人達も当然いた。

 

「ぬい、入るぞ」

「旦那様――」

 

 哀れにも橋の上で殺されかけた少女は、それでもなんとかここまで生きてくれていた。

 しかし奇跡までは起こせなかった。少女の傷はあまりに深く、おそらく朝を生きて迎えることはないだろうと薬師は静かに予言していた。

 

「お前は亭主を失ったばかりだったのに。それがこんなことになっちまって、私は何と謝ったらいいのか」

「いいえ、いいえ。旦那様」

 

 女は正気の抜け落ちた真っ青な顔ではあったが、わずかに残す理性から首を左右にふった。

 いっそ自分を攻めてくれればよいのにと思ってここにきた崔烏にはつらい姿だった。

 

「この子はもうすぐこの世から去りますが。あの世でなら、あの人がきっと娘が来たと喜んで待ってくれているはずです。この娘は決して不幸ではありません」

「そうだね。そうかもしれないね」

「ですからお願いです。この子が穏やかに旅立てるよう、どうかいっしょに――」

「ああ、いいよ。ちゃんと見送ろう」

 

 血は違えど共に暮らし、共に喜びを分かち合う家族と思ってきた。

 女の願いはむしろ崔烏にとっても望むところであった。もうすぐこの世で苦しみ続ける少女は極楽へと旅立ち、そこできっと愛した父親と再会できるはずなのだ。そうでなければなんと救いのないことか!!

 

「そして旦那様、共に恨んでくださいまし」

「え、何をだい?」

「この娘の命が無駄にならぬよう。あの獣どもがすべて死に絶えますように、と」

「なんだって!?」

 

 正気を残していたと思った女のそれは消え果てた。

 もはや枯れ果てた涙に変わって浮かんでくる目じりの血が。女の怒りと悲しみの深さを知らしめ、崔烏の心におぞけが走った。

 

「私から娘とあの人を奪ったあの獣共。あれは必ず、必ずのこと皆殺しになれと祈ってほしいのです」

「なんてことをっ。これはお前の娘なのだぞ、正気を保て!」

「いいえ。この娘は幸福にならねばならなかったのです。それを許さなかったあいつら。あいつらは決して、決して許しはしないのです。たとえどんな手を使ったとしても――」

 

 己が愛する娘の魂で瘴気渦巻く地獄の釜口を開いて見せようなどと本気で口にするのか!?

 

 この女は正気と狂気の間でおかしくなりはじめているのだと崔烏は理解する。

 穏やかに娘にはあの世へ旅立ってほしいと口にしながら。逆にその魂を生贄に悪鬼羅刹を召喚してみせるなどと、意味が分からない。

 

「ぬ、ぬい!お前はっ」

「この娘は本当に良い子だったのです、旦那様。だからこそこの命になんの価値がないわけがないじゃありませんか」 

 崔烏にこれ以上、女を慰める言葉はなかった。

 ただただ怒ってしまった不幸を恨み、唇をかみしめてその場に残り続けるしかなかった。

 

 薬師の予告の通り、朝が来る前に哀れな娘はこの世を去った。

 残された哀れな母親はようやくにして人に戻って再び涙を流し、深く悲しむことができた。

 

 だが崔烏は忘れることはないだろう。

 あの瞬間。呼吸を止め、魂が抜けていく娘を見る母の顔は。まさしく夜叉そのものであったことを。




(設定・人物紹介)
・境井 仁
本編の主人公。

・崔烏
日本人の商人だけどそれっぽくない名前。
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