次回投稿は金曜日を予定。
元軍上陸からはや数日。
ツシマの民の嘆きは日ごと高まるばかり。
怪しげな男はいつものごとく僧服をまとい。今こそこのツシマは世の地獄と嘆く人々の間を歩いて回る。
敵軍から逃げ、隠れもする民のそばで耳を澄まし。時には自ら進んで「大丈夫でしたか」などと心にもない言葉を口にし、彼らの不幸を聞き出して密かに心の中で楽しもうとする。
だがその日、男は新しい不快な噂を耳にした。
「――そういえばお坊様、ご存じですか?かの鬼人のごときお侍様のお話を」
「鬼人?侍、ですか。お侍はたしか小茂田の浜で――」
無様に殺されたはず、と続けそうになって慌てて言葉を飲み込む。
が、相手はそれを気にしていない。
「ああ、ご存じではない。これがなんとも不思議な話でしてねェ」
怪しげな男の顔がゆがみ、ぐっと己の汚れた僧衣を強く握りしめる。
またか。またなのか!なぜなのだ?
この世の地獄にあってなぜ人は希望を見つけ出そうとするのかっ。
――――――――――
小川道場はツシマにおいては立派な道場と褒めたたえはするが、しょせんは田舎剣法と笑われるのも仕方がない。
道場の主はそういってよく笑っていた。
だからこそ剣をふるうのに侍にこだわらず。剣に興味を持ち、才能のある若者であれば道場に立たせて技を学ばせていた。
それもあってだろう。
小川の道場にはよく人が出入りし。生まれは卑しくとも実力があれば皆に尊敬されるので、侍に限らず民草は道場を深く愛した。
侍の中にはそうした小川道場のやり方に不満を持つ者はいたものの。
手近でそれなりの剣術を学ぼうと考えると、この道場の価値は無視することもできず。気に入らぬことは見えぬふりをすることでなんとなく過ごしてきた。
だが、元の軍がツシマに近づく時――道場の師範も決断を迫られた。
そこで彼は3つのことを言い残し、小茂田の陣に自分は参戦することにした。
ひとつは自分と同じく戦えるなら小茂田の浜に参戦すること。
ひとつは戦えたとしても、あえて小茂田の陣には向かわず。のちに戦えぬ民を救うために剣を手に尽力すること。
ひとつは残していく家族に対し、道場にこだわることなく無事に逃げ延び。どうか小川の道場の存続を果たしてくれること。
彼の誠心誠意の言葉に、子弟らはこれが今生の別れかもと涙を流したが。
そのうちの少なくない若者たちは道場を出るなり己の刀を手にし。これから来る厳しい状況でも生き残るためなのだと口にして盗賊へと堕ちたのは、まこと悲しむべき世の理である――。
とにかく時間を進めよう。
小茂田の浜の負け戦によって小川道場の剣士たちは無念の中。この世を去った。
師範の家族はその第一報を耳にするなり、涙を流して悲しむ間もなく道場からの撤退を試みた――が、しかし。皮肉にもかつて弟子であった山賊どもがあろうことかそこに押しかけようとし。
巻き添えを食って山賊どもに襲われた戦えぬ民達は思わず助けを求めて道場に殺到してきてしまったのだ。
結局、押し問答で山賊に墜ちた外道たちはおいちらすことはできたが。
助けを求めてきた人々を捨てられず。残された師範の家族らは道場から離れることはできたものの、道場を占拠しにやってきた元軍は追撃をやめず。道場そばにある民宿であっさりと追い付かれてしまう――。
「きっ、来た!来たぞっ!」
「お助けっ」
気力を尽くして山賊どもを口で追い返すことはできたものの。
肝心の恐れるべき元の軍の追撃がないと勝手に思い込んでしまい、道場そばの民宿で一休みをしていた人々に。舌なめずりする獰猛な大陸の狼たちは刀を血に染めようと残酷な笑みを浮かべて駆け足で迫ってくる。
すでにここまで来るのに魂魄尽き果てている彼らにできることなど何もなく。迫りくる死の恐怖に、すでに逃げ出す気力さえ残っていなかった。
――殺される。皆殺しにされちまう
元軍は侍を皆殺しにしただけでは物足らず。
ツシマで人を見れば生かしてはおかぬ獣のごとき悪鬼だとすでに噂を耳にしていた。
降伏など許されない。
慈悲はない。救いもない。
民宿の2階では師範の妻と、その後ろにまだ幼い3人の姉妹が震えながらしっかりと互いを支えあっていた。
父の言葉を思えばここで死ぬわけにはいかない。だが、獣共に自分たち女がつかまればどんな扱いを受けるのかわからない――。
母と長女は思う。どちらか妹のひとりだけでも逃がすことができればいいのでは?
だがうまくいくだろうか?腕の中で震えている妹たちはまだまだ幼く、ここまでしつこく追いかけてきた獣共への恐怖に打ち勝てずに逃げきれないかもしれない。
そもそもここから逃げ切れたとしても、この難しい状況のツシマで生き残ることができるのだろうか?と。
悩む時間は多くはなく、外ではついに腰を抜かして動けない男たちの頭上に刃が振りあげられていた。
――――――――――
冥府魔道を開くには、闇は必要ではなかったらしい。
鬼人、冥人を現世に召喚する条件とは何であったのか。その真実を知る者はいない。
だからこそ誰もが仰天したのだ!
空には太陽が輝き、音を立てて流れる川面は光をはじいていた。
鳥たちは軽妙に鳴きながら森林の中を飛び。雲は太陽を隠さず、静かに空を漂っている。
その中で突如、地獄の釜口が開いた。
死者の国より新たな冥人・侍がここに召喚されたのだ!
黒と黄金の鎧に兜。鬼人の頬面で表情は見えないが、生者でない証なのか。かの青白き狐火に似た目を輝かせる。
――っ!?
そこにいた誰もが驚き、動きを止めてしまった。
理解をこえた異常な現実。存在しないはずのツシマの侍は静かにおのれの刀を抜く。
異国の兵士に「かかってこい」の言葉は必要なかった。
「〇×◎●!!」
おそらくはののしり声と共に、ようやく気を取り戻した兵士たちは次々と侍へとびかかっていく。
しかし侍はまるで羽毛を刀でかき分けるように、襲ってくる敵を右に左にと刀を操って次々と弾き飛ばす。まさしくそれこそ達人の技、それは素人であっても見ればわかる神技の断片。
――囲め!押しつぶすんだ!
侍を中心にして8方向から包囲していく敵であったが、それでも相手は全くひるまない。
それどころか懐に片手を入れると、足元に何かをばらまいていく。
マキビシ。
後の世では忍者が使う暗器として有名な武器ではあるが。その使い方は決して簡単なものではない。
一般的には逃げる際に己の走る道の前方にこれを撒き。自分はその上を踏まぬように通り抜けることで、相手はそこに突っ込んで足元にけがを負うものだとされるが。この方法に実用性は低い。
むしろ襲撃する相手の進行先にばらまいておき。敵兵がこれに気が付けずにうっかり踏むのに合わせて攻撃を開始するというのが実用的といえるだろう。
だがここでの問題はそこではない。
古来よりマキビシは大陸においても使われていた武器である。すなわち、ここで使ったとてそれを目にしていた相手がその策におめおめとひっかかることがあるのだろうか?
ひっかかったのである。
あろうことかこの冥人・侍は、地面に振り撒かれたマキビシを自ら踏みにいき。
しかしまるで痛みを見せなかったせいで、相手はてっきりこけおどしだと勝手に判断。あろうことかそれをまねた結果、足の裏を貫く鉄の棘に次々と苦痛の声を上げる滑稽な姿を見せてしまう。
あたふたとよろける狼たちに侍の刃は冷たく輝くのみ。
刃が風を切る鋭い音が幾度かして、男達の絶望の声が重なって騒ぎが静かになる。
――終わったの?
宿の中でおびえていた女たちが恐る恐る外に出ると、そこには切り捨てられた敵兵の遺体と。魂が抜け落ちかかっている腰を抜かした男たちがいただけ。死体を作り出した張本人らしき人影はどこにもなかった。
「もし、なにがあったのです?」
「わからん。わしにはさっぱりにわからん」
だが。と男はつぶやく。
あの鬼人のごとき侍は瞬く間に兵士たちを切り捨てると、物も言えずに動けぬ男たちに「金色寺で待つがいい」とだけ言い残し。来た時同様、突然にここから消えたのだという。
「黄金寺――」
確かにあそこであればこれだけの人を連れていけるかもしれない。
安全とは言いきれないが、このままここにとどまるほうが危険だろう。
「では皆でまいりましょう。どなたかはわかりませぬが助けられた命ですから」
少女たちの顔に笑顔が戻ってくる。
冥人の物語は数多くあるが。冥人・侍の最初の記録はおそらくこれだと思われる。
その頃、人が立ち去った小川道場は元の部隊がしっかりと抑えていた。
その家に住んでいたと思われる家人らには部隊を送り出して追撃をさせている。1日もかからずに追いつき、必ずや指示通り皆殺しにしてからここへ戻ってくるはずだ。
部隊の指揮官は食料と武器を運び入れるように部下に命じつつ。
そこにたどり着くまでにとらえた旅人や民を即席で作った竹牢に放り込ませた。こいつらが明日の朝日を拝むことは決してないだろう。
情け容赦ない殺戮は、敵の兵士と民草の憎悪を吹き消すものだ。それが次の勝利の糧となる。
小川道場の人々は救われたが。彼らが帰るべき家は奪われたまま。
しかもそこはとりもどされる希望はない。領主、志村は敵に捕らえられ。その甥、境井仁はいまだツシマのどこかに消えたまま。
だが道場の屋根の上に白い狐と青い狐火が、下界の人間たちを見つめていつの間にか座っていた。
小川道場に冥人・刺客の出現の時が迫っていた。