ツシマ奇談   作:八堀 ユキ

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次回は火曜日に投稿予定。


四策

 捕らわれた領主、志村の甥。境井 仁(さかい じん)が反撃せんとツシマの南へとむかう中。

 元軍の勢いはますますさかんとなり。主要な道はほとんどが抑えられ、まだ運よく襲われていない村々は寸断されていた――。

 

 しかしそんな中にあって、解放された小川道場などでおこった怪現象は人々の希望となり。噂はツシマの中で徐々に広がっていく。

 またそれは槍川をはじめとした小茂田の浜へは向かわなかった侍たち残存兵力への攻撃がゆるくなるという思わぬ副産物も生み。戦の序盤こそ劣勢であった日本側も、まだ反抗の余力を完全に断たれたわけではないことを薄々ではあるが理解し始めていた。

 

 では冥人たちはあれからどうしているのか?

 部隊を襲い、小川道場を解放してからの動きは不明のままである。あの魔人たちは何を考えて現世へと立ち戻り、何を考えて人々を救ったり、救わなかったりするのか。未だ真実は闇の中。

 

 

 で、あるからしてと外道の術師達は言葉を続けた。

 我ら将軍の次の勝利のために4つの策を用意しました、と自信ある態度と声で語りだす。

 

 将軍コトゥン・ハーンは無表情のまま2人の話を聞いていた。

 実を言えば彼にとってここまでの状況はかなりよい方向で進んできていると考えていた。小茂田の浜での勝利に続いて、領主である志村を生きたまま手に入れたことは。彼がいまだ頑固に従うことを拒否したとはいえ、この後の占領政策においてとても有利な状況にあるといえた。

 

 ゆえに境井 仁。そして未だ正体の知れぬ冥人達。

 これらはそのうちに解決する些末な問題として存在はしていても、大きな障害になるとは考えてはいなかった。

 ゆえに彼は目の前で、自信ありげにかしずく外道たちの言葉にも。いちいち「なぜ?」などと興味をむき出しにして疑問を挟むことはない。役に立つと思うからまだ生かしているだけであり、役に立たないとわかれば処分するだけだ。

 

「まずは馬車」

「――話は聞いている。それを守る部隊も欲しいそうだな」

「その通り!まずはとらえしこの地の餓鬼どもの腹を裂いて心の臓を抉り出します。これを我らの術にて呪いをかけたのち道を歩かせるのです」

「ほう」

「道を行く馬車は土地に呪いをまき散らし。土地神はたちまちのうちに力を失えば、馬車を守る戦士たちを大きな恩恵を与えることになりましょう」

 

 この時、はじめて将軍の首が縦に振られ。口元の片方がつりあがって笑みを作る。

 とりあえず一応の満足を覚えたようだった。

 

「次、封印の塚にてさらに多くの戦士に力を与えまする」

「奪った村のひとつで石を積んでいると聞いている」

「その通り!塚が完成次第、我らがおもむき。術を施します」

「それだけか?」

「それだけです。が、これで多くの戦士が超戦士と呼ぶにふさわしい力を手に入れることになるでしょう」

 

 将軍コトゥン・ハーンはここでついに前のめりになってきた。

 

「女は?女も与えたはずだ。まさか己らで楽しんでいるわけではないだろう?」

「もちろんでございます。かの女めは寺の中に捕らえ、今は精神をさらに弱らせているところ。この後、我らの術を施すことでこの地に災いを降り注がせる悪鬼へと転じさせます」

「ほう」

「そして――これが本命」

 

 将軍の眉が曲がった。

 悪鬼と変化させる女が本命?ではこれまでも、またまだはなしていない策は何だというのか?

 

「将軍のお顔を拝見すれば疑問を持たれたことは当然わかります」

「話せ」

「では――」

 

 かしづいていた2人の術者はそろって顔を上げる。

 

「将軍の序盤の勝利はもはや確実。だとすればなぜ我らの力がさらに必要と考えるのか。それは本土への進行を早めたいからに相違ございません」

「よく読んだ――などと褒めると思うなよ。それくらいなら誰でもわかることよ」

 

 他人に、それも己が支配していると信じている相手に心を読まれるのは不快千万。それゆえクトゥン・ハーンの顔に笑みはないが。それでもこの会話を続けることは許した。

 

「我が軍の兵はすでに最強。しかしそれでも何か足りないものがあると感じられておられる。だからこそ我らの力を必要。これが理由と察しました。そして同時に気にいらぬことがあることも確かにあると」

「続けよ」

「まずは志村の甥、境井 仁!

 しかしあのような若造に何ができますか。あれも侍、どうせこの島を出ることもできず。時が来れば将軍の前へ自然とおびき寄せられましょう」

「うむ」

「となると将軍様がお気になされるのはもうひとつ――我らが軍を攻撃するもうひとつの存在!」

 

 クトゥン・ハーンの顔が愉快から不愉快へ。笑顔から怒りを含めたゆがんだ表情へ。

 

「そやつらの正体がわかるのか?」

「まだわかりませぬ。だからこそ、我らはこの策を用意しました」

「4つも用意するとは念のいったものよ」

「将軍、我らもかの奴らが行った殺戮の場について情報を得ております。なるほど、将軍が気になさるわけだ。

 その残虐非道のやり口、まるで――我が軍にそっくり」

 

 2人の外道の顔がにたりと笑う。

 殺し方が侍のそれではない――ならばやはりその正体は全力で探らねば。

 

「お前たちは女が本命と言ったな」

「さよう。されど簡単にはこの術は完成できませぬし。時間も必要。そしてなによりも”奴ら”に気が付かれては意味がない」

「気が付くとは?」

「女に悪鬼を降ろせば、とうぜんのことこの地の”魔”も気が付きましょう。己のそばに強い鬼はいてもらいたくないと考えるもの、邪魔もしてくるやもしれない。だからこそ別に策、別の罠を用意するのですよ」

 

 口で丸め込みに来ているのではなかろうか?

 支配はしてもこの外道たちの本質は絶対の悪。素直に信用できるのかと将軍の眉があがった。

 

「では馬車の真の狙いは?」

「土地神を苦しめれば。その声はこの土地に住まう霊力豊かな者の耳に嫌でも入りましょう」

「封印の塚とやらの真の狙いは!?」

「この国を守る古の神々の力を犯し、奪う。そこに出来た歪みで目は奪われましょう」

「なればまだ語らぬ最後の策とはなんだ!!」

 

 真っ赤に顔を紅潮させたクトゥン・ハーンは湧き上がる激情を殺せず立ち上がりながら外道たちを怒鳴りつけた。

 相手はそれに動じることなくただ一言。

 

――九死にて滅するなり

 

 と答える。

 それを聞くとすべてを理解した将軍クトゥン・ハーンは誰もが聞こえるほどの大きな笑い声をあげた。

 

 

――――――――――

 

 

 すすき野に隠れた侍たちの先頭に竜三はいた。

 仲間には山賊のごとく襲撃をかけるのだから見つかる心配はまずはない、と太鼓判を押したが。おそらくなんの役にもたたないだろうと本音ではわかっている。

 

 泥で薄汚れた野良犬。

 今の自分たちを例えるならこれがぴったりだった。まず体臭……匂いがひどい。彼らのそばに近づけばたちまち鼻がひん曲がるほどの汗と泥の混じった悪臭に顔をしかめるはず。その目や鼻、口元から離れようとしないハエ達。

 手の指は土と泥に汚れ、乾き。かさかさだ。これでは草木に姿を隠したとしても、距離を間違えれば相手に匂いだけで気づかれてしまうだろう。

 

――おい、ひどい匂いだ。風呂くらい入っておけ!

 

 竜三の昔の友は育ちの良さもあってか奇麗好きだった。

 あの頃でも文句を言っていたであろうあいつが、今の自分を見たら怒り出すかもしれん。腹の虫が空腹を訴えて鳴くと、周囲からも同じように訴える音が続く。

 

 風呂も必要だろうが、まずは飯だ!

 

 

 忠誠をささげる主を持たぬ菅笠衆のなかで竜三は自慢の剣の腕もあり、それなりの地位を与えられここ数年の人生を謳歌していた。

 その頃の自分は随分と勝手なことを口にしていたと思う。

 

 剣の腕を売り、稼いだ金で飯を食う。

 

 菅笠衆のそんな生き方は、名前や誉れ。侍のしがらみから解放された夢のような生活に思っていた。

 だが現実は――そんなに甘い話じゃなかったらしい。

 

 菅笠衆は実際は苦境の中で綱渡りの生活をやっていたようだ。

 実際、剣の腕を売るといっても口先だけの奴。いっそのこと山賊になればもっと楽に稼げると本気で主張する負け犬も少なくなかったし。宮仕えに愛想が尽きたと口では言っても、実は本心では再び失った地位を取り戻せないかと考える奴もいた。そういうどうしようもない奴らをまとめていた前の頭は賢かった。

 

 文句ばかりを口にする救いようのない奴らをなだめてすかし、時には追い出し。それで数を減らした菅笠衆が弱くはならないよう、侍として道を見失った竜三のような強い剣士を新たに求め続けた。

 そんな頭の下で竜三も夢のような生活を満喫する一方、負け犬となって侍であることを捨てようとしたり、苦しむ野良犬たちの姿を間近に見て学ばされた。

 

 そんな菅笠衆が小茂田の浜への参戦を決めた時はさすがに紛糾した。

 菅笠衆の頭の主張は「志村にこの剣の腕を買わせるなら本人の目の前で見せるのがいい」というものであったが、腕に自信のない臆病者たちは死にたくないという思いから嫌がっていた。

 

 竜三もあの時はあまりやる気はなかったものの。

 頭の口に言い負かされ――侍であれば戦場に立つのに恐れはないだろうと言われては黙るしかなかった。

 

 

 だがらあの浜に集結した侍たちを見たときは真っ蒼になった。

 圧倒的な兵士の数の差、戦い方の違い、火薬を用いた兵器の運用。爆発のそばであれの直撃を受けて死んだ兵士の顔が記憶にこびりついて離れない。己の剣のなんと無力なことか……。

 

 領主、志村がさらに敵陣奥へと突撃を開始すると同時に竜三は逃げた。味方を堂々と見捨てたのだ。

 志村のあのやりかたは死兵となる採算度外視の捨て身の戦法だ。勝つ負けるの話じゃない。

 

 だがすでに忠誠と誉れを別のものと考えて生きている竜三にはできない戦い方だった。

 しかし菅笠衆の頭は彼についていき、そしておそらくは死んだ。もしかしたらあの戦を最後の博打とし、同時に己と菅笠衆の死に場所と定めていたのかもしれない。

 

 なのに菅笠衆は生き残ってしまった。

 逃げ出した竜三の後を、同じく浜で死ぬ気のない奴らがついてきてしまったからだ。

 彼らは一様に小茂田の浜からの見事な撤退だったと竜三を称えた。そして竜三こそ菅笠衆の新しいの頭になるべきだといった。。最初は悪い気もしなかったが――日がたつごとに竜三にとって菅笠衆は重く、苦しいものへと変わっていった。

 

 山賊はやらぬ。しかし腕も売れないなら、蒙古をとりあえず襲撃すればいい。

 竜三の考えに皆は異議を口にしなかったが。失望を感じているのは明らかであった。

 

 

 よし今だっ、と声は出さないが竜三は腰をかがめながら駆け出した!

 いまやツシマの主要路は元軍が抑えてしまったが。そのおかげで逆にその道を進む補給部隊は狙いやすくなった。

 

 駆け寄った荷馬車に並んで歩く兵士の後ろから大上段に構えた剣を振り下ろしていく。

 以前であればまだ己の侍としての誉れが許さない、などと口にして決してやらなかったことだが今は違う。それにどうせ相手は侍ではない。ただの殺し合いなのだから自分たちがとりあえず勝てばいいのだ。

 

 頭と呼ばれるようになって分かったことだが、こういう時にいちいち自分の後ろに仲間がついてきてるかどうかなど気にしなくていいと学んだ。

 そんな弱気では彼らはさらに失望して今度は竜三の命を狙うかもしれないし。そもそも働かないなら食わせる飯はないと言ってやるつもりなのだから、どうでもいいことなのだ。

 

「次だっ、次にいけ!逃がしたらその分、食いものが減るだけだぞっ!」

 

 蒙古兵を前に竜三は声をあげて皆を叱咤する。

 こちらが食いついた最後尾の荷馬車の変事を察したのだろう。前に並ぶ荷馬車の速度が徐々に上がっていた。

 

「ひるむなっ!食らいついていけ!逃がすなよっ」

 

 叫びながら竜三は双剣が飛び掛かってくるのを刀と蹴りで突き飛ばし。盾を構えて迫ってくる敵に対しては猛然と切りかかっていく。

 蒙古兵の火薬兵器は恐ろしいものではあったが。剣を使う相手は竜三が苦労する相手は少ない。ただし盾を構える相手には、粘られるのでイライラさせられるがそれだけだ。

 問題があるとすれば槍使いと体格の大きな奴だが――菅笠衆がこちらにはいるのだ。数で押せば簡単だ。

 

――死ねェい!

 

 言葉はわからなかったが意味は理解できた。

 剣で突いてくる相手に対し、竜三は顔色も変えず相手の振り下ろす刃の先をわずかに動くだけでかわす。そして互いの間にできた空間に自分の体をはいりこませながら刃の先を相手の体に突き刺した。

 

 結局、菅笠衆はまた勝ち切ることはできなかった。

 輸送部隊は半分以上を逃がしてしまった。

 計画ではすべてを奪えたはずだったが――認めたくないが、皆の空腹が走り去る輸送部隊の半分以上を見送る結果となってしまったのだ。

 

――ひどいもんだ

 

 自分が人を斬っている間に、走り去る馬車をそれこそ野良犬のように顔をしかめるだけで足を止めて見送ってしまった己の菅笠衆の弱さに竜三は呆れるしかない。

 とはいえこの襲撃に万全の態勢で臨めないことはわかっていたわけだから、部下たちをただ怒鳴りつけても仕方のないことだと考えていた。

 

「頭――」

「どうした十蔵」

「3人が死んだ、怪我人はひとり」

「今回は多いな」

 

 輸送部隊を襲ったのは今回が初めてではない。

 相手は手練れを配置してきたのだろうか?だが現実は竜三の想像を下回る。

 

「しょうがない。皆、腹が減ってるんだ。戦うにしたって力が出ない」

「……荷物は確認したか?」

「あんたの目で確認してくれ」

「問題か?」

「はっきり言うがよくないぞ。仲間も落ち込んでる」

 

 畜生め!

 

 言葉の代わりに竜三は舌打ちだけをして速足で十蔵の横を通り過ぎていく。

 結果は確かにひどいものだった。全員の腹を満足させるとは思えない程度の粟。あとはゲルのための布や木材。少量の矢に弓しかなかった。

 蒙古軍は輸送部隊への襲撃を想定し、食いものをわずかに。あとは重く特に必要ではない資材を最後尾にわざと配置していたらしい。竜三らが暴れていた間に逃げていった荷が本命だったのだ。

 

――結局はまた負けたのかよ

 

 無表情を装うことで決して口にできない真実は、あまりにも辛いものだった。

 菅笠衆の若いのが。弓と矢の詰まった箱を指さして尋ねた。

 

「これ、売れると思うか?」

「売るだと?どこに、誰に売るって言うんだ。考えろ、馬鹿野郎」

 

 そう、ツシマはこの戦の最前線。商品を持っているとして誰かに売りたくとも、買うやつがいないのだ。

 すべてゴミではないが、菅笠衆の腹が満たされることもない。

 

「畜生が!」

 

 ついに癇癪をおこしたらしい誰かの声を聴きながら竜三は空を見上げた。

 俺たちの運はあの小茂田の浜で尽き果ててしまったのではないのか?無力感を感じる。同時に周囲の仲間たちから憎しみと失意のこもった視線を背中に感じた。

 

「頭、ひとつ考えがあるんだが」

「なんだ十蔵?」

「じつは奴らに交じって捕らわれた奴がひとりいた。まだ生きてる」

「――そうか、それじゃ話してみよう」

 

 楽しい作業でないが、ほかに手はなかった。

 刀を抜いたままの皆でそいつを囲み。無理やりに救ってやった礼をだせと迫るしかなかった。いや、気にすることはないはずだ。なに、命が助かったのだからそれくらい望んでも構わないだろう――。

 

 ひどい考えとはわかっているが、竜三はそうして無理やりにおのれを納得させた。

 

 

 その夜、傷の重い負傷者がまたひとり息を引き取った。

 そして朝が来ると、十蔵を含めた2人の仲間が姿を消していた。いっそ全員消えてくれれば良いのにと思うが――竜三の手の中にはまだ菅笠衆は残ったままだ。

 

 竜三が望んだ自由は徐々に遠い過去のものとなっていた。

 

 

――――――――――

 

 

 ツシマをさまようしかなくなった人々が集まりだした黄金寺では、同時に家族を失った嘆きの声もまた増えていく一方であった。

 そうした家族のひとつ。幼い兄弟を失って悲しむ両親と話した僧はため息をついて彼らから離れた。そこに同僚の僧が話しかけていく。

 

「どうした?」

「ああ、まぁな――」

 

 気の毒そうな顔をして肩を落としている夫婦を僧が見たことで何となく事情を察する。

 

「家族を失ったか」

「ああ、幼い元気な兄弟だったらしい」

「それは気の毒に……」

「逃げてる最中につい手を放してしまったそうだ。火にまかれ、姿を見失った」

「そうか。よくある話絵はあるが――いたたまれないな」

 

 混乱の中の別れは最悪の結果としか言いようがない。

 その子供らは運良く逃げてくれればと願いはするが。この状況では元軍につかまらなかったとしても、誰かにつかまり。人買いに売られる可能性が高い。おそらくあの家族が再び再会を果たす喜びの瞬間は、もう――。

 

「そんなっ、なんてことをいうんだ!ひどいっ」

 

 わずかな瞬間、夫婦から目を離した僧たちはいきなり非難の声をあげる父親と号泣する母親にはっとした。

 振り返ると曽元という坊主が、あの夫婦に対してなにか良からぬ言葉を口にしたようだ。それもまったく悪びれる様子はなく。夫婦の非難には動揺もせず「確かに伝えましたぞ」と言って離れていく。

 

 僧達は慌てて2手に分かれた。

 ひとりは夫婦をなだめに行き、ひとりは曽元に。

 

「曽元。曽元、おぬし、なにを話したのだ」

「ん?別に特別なことはなにも」

「そんなわけがないだろう。ちょっと、止まるのだ」

 

 腕をつかんで足を止めさせ。

 あの夫婦に何を言ったのか確かめようとする。

 

「なぜあんなことになったのだ!?話してみよ」

「――別に。ただ教えてやったのだ、そなたらの子はもはや生きてはいないだろう、と」

「なんと!?」

 

 何たる無情か!

 嘆く夫婦に冷酷な現実を叩きつけて、この僧は何も感じないというのか。。

 

「なぜそんなっ」

「別に驚く話ではないだろう。蒙古の軍は海を越えてやってきたのだ。こうした悲劇は戦がおこればそこかしこで起きている。今までもそうだったのだ、これからもそれは変わらぬ。嘆いても死んだ子は戻ってはこない。ならばここで飯を食い、新しい子でも――」

「曽元!!」

 

 おぞましさに毛が逆立ったが、相手はこちらの怒りには大して興味を示さない。

 それどころかフンと鼻で笑うとさっさと立ち去って行ってしまった。

 

 ああ、世の乱れは現世を捨てた僧の心までもここまで退廃させてしまうものなのか。

 

 夫婦はいまだ半狂乱のままで、多くの人々が今の騒ぎを遠目で見ている。

 この話題はすぐに噂となって広まるのだろう――黄金寺にはこれからも多くの人々が集まってくるだろうに、それを世話する僧があれほど冷酷では悲しみが癒されることない。人々の心に自分たちが希望を与えることの無力さを、僧は静かに感じていることしかできない。

 

 いや、そもそもあの曽元もあれほど冷酷無情な性の持ち主であったのだろうか?

 わからない。なにもかも、わからない。

 

 

 その夜、取り乱していた妻は深夜に体力が尽き。ようやくのこと眠りにつくことができた。

 夫はようやく眠ってくれた妻の顔を悲しみの表情で見つめながらホッとし、遠目でそれを眺めていた僧たちも少しだけ安心していた。

 

 

 彼女は夢の中で、赤い霧に満たされた世界にいた。

 

――ここは?

 

 ひとりしかいない恐怖も、暗く温かさのかけらもない不気味さにおびえることもない。ただ訳も分からないまま、なぜか心静かに穏やかでいられた。

 そして女は静かにその場に座り込む。

 石の敷かれた地面は、薄く水が張っているせいで着物がゆっくりと湿っていく。。

 

――あっ

 

 女の顔に不思議な安堵の混じった笑顔が浮かんだ。

 かつて己の腹から出てきた2児の記憶が思い出されたからだ。よく見ればただの水と思ったそれは、霧と同じように赤い血の色をしているのも関係があるのだろうか?

 下半身から白い着物が真っ赤に汚れていくのが、なぜか嬉しい。

 

「大松、源吾――あの子らの手を、あたしは離してしまいました。探しはしたのです。本当はもっと、もっと長く探したかったのです。でもあの異国の軍がやってきて、そこにはいられなくなりました」

 

 霧が動く。その中に人影がみえた気もするが、女の口は己の気持ちをそのまま吐き出していく。

 

「お坊様に言われました。あたしらのような悲劇は今はどこでもあることだと。子供を取り返すことを考えるくらいなら、新しくここで作ればよかろうと」

 

 悲しくて、それ以上に悔しくて涙があふれてきた。

 

「取り戻せないのかもしれないけれど。それでもあの子らが無事でいてさえくれれば。そうであってくれればっ」

 

 霧の中の影は4つに分かれてそこにいた。

 涙を流す哀れな女に必要以上に近づくことはないが、目を離すつもりもないらしい。

 

 そして女は服が濡れるのも構わず影に向かって叩頭する。それが救いの主かどうかもわからなかったが、本能に任せていきなり願ったのだ。

 

「どうか。どうか、あたしの子らを助けてくださいまし……」

 

 世界は闇に沈んでいく。

 時間が来たのだろうか?しかし女はあきらめることなく必死に願いを繰り返した。あの子らを、あの子らを、と。

 結局は4つの影は願う女になにもこたえることはなかった。しかしその言葉は最後まで確かに聞いていた――。




(設定・人物紹介)
・竜三
原作でも印象的な登場人物。
仁と関わり、人生を狂わされ続ける運命にある。

・曽元
黄金寺の坊主。
安達家の悲劇になにか理由があって関与した結果。この作品ではどうやらヤサグレていた模様。
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