僧がいつものように黄金寺の門の前をほうきで掃いていると、森の中から弓を担いだ男たちがイノシシを2頭つるして戻ってくるのを見て笑みを浮かべた。
「やぁ、これは今日も見事なシシですな。猟師、仁造とその仲間達の技ありですか」
「今日は4頭です。ま、悪くない、これを置いたらすぐにまた取りに戻らないと」
「ああ、それは本当に助かります」
黄金寺に集まる人は多くなる一方ではあるが。彼らが口にする食事はいつだって大問題である。
獣の肉は仏陀の教えからいえば好んで口にするべきではない、と考える僧も少なくないが。そんな寝言では集まっている人々の腹を満たすことはできないのだ。
だからこそ釣り師、猟師の力は貴重だ。
とはいえ彼らは兵士ではない。最近では蒙古軍も狩りや漁に人を出していると聞いている。森や川で彼らがうっかり出くわした、なんてことはあってほしくない。
棒で吊り下げた猪らを先に行かせ、猟師は僧の前で立ち止まった。
「それでどうでしたか?異国の兵の姿を見ましたか?」
「――見ました」
えっ、と僧は思わず声をあげそうになる。
黄金寺はツシマの金田城を北にみて島の中心に近いところに存在している。それゆえ今のところは元軍の脅威から黄金色の森で隠れて守られてはいるものの。戦う侍が倒れた今、ここも確実に安全とはいえない。
「ど、どこで?何人いましたか?」
「それが奇妙な話なのですが――」
そういうと猟師仁造は話し始めた。
今のところ黄金寺の近くで狩りをする彼の気がかりなことは、北西部にある川向うに蒙古軍の陣が建てられていることにある。おそらく敵が寺に兵を差し向けるならそちらからくるに違いない。
なので寺の外に出た時はできるだけこの方角に注意を向けるようにしていた。
ところが――。
今日、彼がいつものように林の中を歩いていると。敵陣のある川からこちら側へ渡ってきたと思われる兵の一団が河原で無残に殺されていたのをみて、息をのんだ。
敵陣の目の前ゆえ自分の姿を見つかるわけにはいかず。河原には近づけなかったが。遠目から見てもひどく無残なやり方で殺されたように見える。
「誰がやったのでしょう?どこぞのお侍様かなにかですかねェ」
「真っ先に思いつくのはこの近くにいる安達の家です。しかしそれだとおかしい、あそこのお侍様方は小茂田の浜へ出陣なされたと聞いたが。生きて戻られたという話は聞いてない」
「ああ、でもあの家でしたら政子様をはじめ女衆もおるはずですよ。男にも負けぬ気の強さと腕を持っていて、留守にしても家にまったく不安がないと。安達様は生前ここにお立ち寄りの際にはよく――」
僧は過去を思い出して明るく話すが、仁造の顔色は優れない。
「それはどうだろう――安達の家の女房方や子は黄金寺に来ていないのでは?」
「え、ええ。それは確かに」
僧たちが気にしていることのひとつがそれだった。
そもそもにしてこの黄金寺は安達の土地に近い位置にある。それゆえ交流もそれなりに深く、名前は覚えてないとしても見れば必ず顔くらいは見知った仲としてのつきあいがあった。
特に今は非常時である。
男衆の行方が分からない今こそ、頼れる安達家の残っている方々の力は欲しい。
そしておそらくだがむこうにとってもこの寺は安達家の幼い子供らを守るという点でも悪くない避難場所であるはずなのだ。だが今日まで、安達家からはなんの連絡はない。
「やはり安達様の家の様子は気になりますなぁ。一度誰かに様子を見てきてもらわねばならないのでしょうが、こちらも今は毎日のこと人手が足りない」
「とはいえ弓を担いだ猟師が坊主のかわりに来ました、というわけにもいかない。何せ相手はお侍だ、なにかに気に入らぬとへそを曲げられても困る」
確かに、確かに。
猟師と僧は互いの言葉に深くうなづき、納得する。特にあの家は男女そろって気性の激しいことでしられている。
挨拶伺いをするにしてもそれなりに支度に時間と手間が必要になるのだ。
「安達様への挨拶は僧の中でも話し合ってなんとかいたしましょう。そういえば確か、うちの曽元が少し前に立ち寄ったと聞いた気がします。数日はかかるかもしれませんが、また彼に行ってもらえないかなァ」
「そうなるとやはりすぐには答えは出ませんな。誰があの敵を屠ったのか――」
結局、謎だけが残ってしまった。
ではなにが起きたのか?
蒙古の陣から兵がくりだされ。川を渡り始める頃。黄金色の森の中から川に向かって熱い風が吹き抜けていく。
霊力豊かなものがそこにいれば、風が通り過ぎると同時に流れ始める怪しい気配に気が付けたであろう。
いつのまにか黄金の森の木々の陰から怪しき青い光が獲物を見つめていた。
襲撃は一瞬、すべてを屠ろうと複数の影がいきなり動いた。
新たな長弓に4本の矢を並べた弓取の攻撃は馬上で揺られているだけの気の抜けた兵士の命を刈り、すべてを落馬させた。木の影、枝の間から飛び出す牢人と刺客は驚く兵士たちの背後に回り。次々とその首や心の臓を冷たい刃でかき回していく。
そして最後に堂々と現れた侍は、声をあげる間もなく始まった殺戮の嵐に腰を抜かし。声もあげられぬ無力な存在となった兵士たちが逃げ出すことを許さずとどめを刺して回った。
なんと恐ろしい、冥人達よ。
敵陣の目の前、流れる川を渡ったその場所でいきなり殲滅させてみせたのだ。
――全てヨシ
冥人らは動かぬ死者たちの中で互いの顔を見合わせうなずきあった。
そもそも彼らの狙いは別にある。乗り手を失った馬たちの元へ行かうとその手綱を引いた。
冥人・牢人が口を開く。
『目指すは北』
『風が異国の妖術のにおいを漂わせておる。これは良い証ではない』
『それも複数。もしや我らへの罠ではあるまいか?』
それに続く侍、弓取の疑念に刺客は静かに首を縦に振るだけ。
冥人が死の国より召喚されるのにあわせ。ツシマに始まった異変の兆候に彼らは気が付いていたのだ。しかしそれは同時に敵である蒙古軍の手強さを、じつはまだこの冥人達もはかりかねているやもしれない。
『だが北へ。ほかに我らに道はなし』
再び侍が同じ言葉を口にすると全員は今度は無言で騎乗する。
白、黒、斑の馬たちは走り出せば風となる。金色寺で嘆く母がいた。幼い我が子の無事を願い、誰かに縋ることしかできない女は。生死の境に立つ危険を冒してよりにもよって冥人達に助けを願った。
そして驚いたことに冥人達はその願いを聞き届けようとしているのである。
奇跡は起きたが、この物語の先にあるものはまだわからない。
蒙古の軍が森に送り出した部隊が陣の目の前で全滅したことに気が付いたのはそれから1時間はたったころ。
民を虐殺して来いと送り出した精兵たちであったはずなのに、目の前で襲われた上。声も出せないまま殴殺されたと聞き。指揮官は激高して机をたたくが、それで終わった。
指揮官の怒りは愚かな決断を下す原因となったのだ。河原で殺された遺体をそのままに放置するだけでなく、何が起こったのか調べることもしなかったのだ。この指揮官は経験が浅かったのかこの敗北を軽く考えていたのだ。
自分たちの陣の前に野ざらしにされる味方の無残な姿と死臭、それで兵士達の士気が上がるわけがない。
なにより見て見ぬふりをしたのだから将軍クトゥン・ハーンは冥人達が動き出したことを知ることはない。
――――――――――
怪しげな男は道の途中で敵に捕らわれたが逃げてこれたという旅人と話していた。
「大変でしたねェ」
当然だがいつものように笑みを心の中に隠す。
「ええ、まったくついてませんよ。ひどい目にあってばかりだ、それもこれも。お侍様が小茂田の浜で負けちまうせいですよ!」
運よく生き残れてよくそんな口を利けたものよ、男の笑顔はさらに深いものとなる。
この運のない男は元軍の侵攻など馬耳東風。気が付けば畑に近づいて部隊にみつかり。慌てて逃げようとして泥に足を取られ。あっさりつかまった。現実をようやく理解したのは牢に入れられた後だった。
蒙古軍の捕虜の扱いの残酷さに身は震え、いまさらながら仏に助けを乞うて願った。
そんな間抜けな男を仏は見捨てはしなかったようだ。
馬引きとして輸送部隊に同行させられ、菅笠衆を名乗る浪人たちによって助けだされたのだという。
「ところがですよ!これがもう、とんでもない連中なんですよ」
「はぁ」
「そのお侍達、あたしを助けた後。全員で血刀を手に囲んできましてね。命を助けた礼にお前は何ができる、とこう聞いてくるんですよ」
「それはひどい」
顔をしかめて見せるが、実際は何とも思わない。
菅笠衆は確か主を持たない牢人集団だったはず。非道を行わぬ、山賊行為に手を染めず。孤高を気取って偉そうに侍面をしているが。どうやらこの苦境でついにやり方を変えたのかもしれない。
「あたしゃただの農民。しかもいきなりとっつかまっちまった捕虜だったんだ」
「ええ、ええ」
「でも連中はそんなことじゃ納得しやしないでしょう?本当に滅茶苦茶な――」
それならなぜおまえはここにいるんだよと心の中で嗤う。
殺気立っていたという牢人たちが相手では、頭を下げて感謝いたします程度の言葉では納得しなかったはず。
「ではどうやって許してもらったのです?」
「――いえ、頭を下げたわけじゃありませんよ。それならあたしゃここにはいません、たたっ斬られたでしょうね、間違いなく。実際汚らしい連中で鼻がひん曲がりそうで、腹の虫も何度も騒がせていましたから」
「おお」
「でも実は――荷を出すとき、異国の奴らがなにやら怪しげな包みを荷物に潜ませていたところをあたしゃこっそり見ていたんでございますよ。コレが役に立ちましてね!」
なるほど、それをさしだしたわけか。
どうせ牢人が報酬を求めなければ自分が奪おうとでもこっそり考えていたのだろう。
「菅笠衆ですか。まったく、捕らわれた民から助けた礼を出せと迫るとは嘆かわしい限り。本当にひどい世の中になってしまいましたねェ」
「ええ、ええ。全くその通りですよ。最悪な連中です!」
世の悲鳴はますます増えるばかり。
怪しき男にとってこれほど楽しい日々はない。
――――――――――
外道の術師たちはちょうど兵士たちが持ってきた膳を平らげ。せめてこれに馬乳酒でもつかないものかと嘆いていた時であった。この2人にしては珍しく和やかだった空気がいきなり凍り、黙ってしまう。
「……わかったか?」
「感じた。我らの罠にかかったようだが。しかし存外に速い」
いきなりどこからか霊力を持った集団が突如としてあらわれ。彼らが用意した罠に向かって猛然と突き進んでいる気配をはっきりと感じることができたのだ。その出現と行動の速さは、彼らの想像をこえてあまりにも機敏にすぎた。
「
「しかし生きた人と考えると、我らからの隠れ方が優れている。もしやそれだけの術がこの島にはある?」
「そんなことはないはずだ。そんなはずはない」
まだ断言はできないが、その可能性は低いはず。
いずれは何かはっきりとさせるために。また新たになにかを考えなければならないだろうが、それは今ではない。
「封印の塚はすでに終わった。陣の中の兵士はその影響を受け始めてる。例の荷はどうだ?」
「すでに用意したものは北で歩かせている。徐々に力を増やしているが――」
「ならば我らは女の事に集中をせねば」
誰かが罠に食いついてきた以上、外道の術師たちものんきにはしていられないのだ。
この国を憎悪する悪鬼を顕現させ。味方にせねばならない。
「とにかくなにがしかの結果を出さねば。将軍は満足せぬだろうよ」
悩ましい息を吐くと2人はさっそく立ち上がる。
金色の森の中、境井 仁は困惑と共に地面に残された馬の足跡を追っていた。
黄金寺を通り過ぎ、新たな助力を得ようと安達の家に立ち寄ったところ事件が起きた。いや、正確には起きていた。
家を守っているはずの女子供、誰もいなかった。
それどころか何者かの襲撃を受けたかのような形跡がある。蒙古軍と小茂田の浜で対決したこの数日の間に、どこぞの山賊にでも襲われたとでもいうのだろうか?
道の前方に、地面に矢が何本も突きたち。血が流れたらしい跡をみて今度こそ背筋が凍る。
――ここで誰かが死んだ。
流れたちは地面が吸い取ってはいたが出血量は尋常ではなく。死体はないが、家を脱出したと思われる安達の家の女子供を皆殺しにせんとここで追跡者たちは矢をもちいて殺しにかかったのだろう。略奪をもくろむ山賊がここまでしつように追跡をしただと?
瞬間、首筋に冷たい殺気を感じた。
体が素直に反応し、腰の刀を一気に引き抜いて殺気の主をにらみるける。
「安達……政子殿、わたしです。境井 仁です!」
「――小茂田の浜で死んだと思ったが。なんという格好をしている」
商人、崔烏より譲り受けた流人の姿となっていることをさしているのだろう。
「小茂田の浜から生き延びることができましたが、敵に囚われた叔父上の救出に失敗しました。この姿も、蒙古の軍に手配されていますので」
「姿を偽っているわけか。ここに何をしに来た?」
途端、再び政子の視線が剣呑なものへと変化する。
はっきりと仁の来訪になにがしかの疑いを持っているのは明らかであった。
「金田城に叔父上は囚われております。取り戻すには力を再び結集させる必要があります。まず、日吉にいる石川先生を訪ねまして。そのあとここへ」
「本当か?」
「安達家は武名に優れたお家ならば、女衆であったとしても力を借りれぬかと思い参りました。ただ、その――」
「なんだ?」
「なぜか家には襲撃された跡が残され。わけもわからず足跡を追ったところ、ここで政子殿に会いました。なにがあったのですか?」
安達 政子はそれには答えず。彼女の夫と息子たちのことを聞いてきた。
蒙古の将軍クトゥン・ハーンによって無礼にも笑いものとするかのように焼き殺されたとはいえず。仁は表現をぼかしてただ戦死したことのみを伝えた。
「……馬はいるな?ついてくるがいい」
出陣した男たちの運命を聞かされると、政子はそういって先頭に立った。
どうやらどこかへつれていこうとしているらしい。
そこで見た光景の凄まじさに境井 仁の頭の中は真っ白となり。顔色は血の気が引いて真っ青、足は震えた。
安達の家の子供たち、そして女たちの墓がそこに並べてあったのだ。その数ときたら!
「亭主殿と息子たちが出てすぐだった。夜に何者かの襲撃があってな。
なんとか姉と孫たちを逃がそうと嫁たちを叱咤して戦ったが――誰も守れなかった」
「誰も!?」
「そうだ。嫁たちもよく戦ったが、追ってきた相手の数が多く。そしてしぶとかった。
私も自分の身を守るので精一杯で――」
そこまで語ると政子の言葉が詰まる。
ツシマに勇者は誰かと問われれば幾人も候補の名前は上がるだろうが。一番の女傑は誰かと尋ねられれば答えはただひとり、安達家の政子様だと皆が答えていた。
その政子が怒りと悲しみに耐えきれず、涙を流しながら口元を隠す姿など仁に想像できるわけがない。
「まさかこのような時に味方を裏切るとはっ」
「仁、安達の家はもう終わりだ。ツシマの裏切り者のせいで私以外の全員が死んでしもうた!」
「……」
「お前の用件は聞いた。だが助けることはできぬ。私は家族の仇をとる」
――この人は死ぬ気なのかもしれぬ。
そう思うと自然と口が動き、仁は助太刀を申し出ていた。
この若武者にも思いがあった。
かつて母を失い、父も失い。この世にただひとり残された、孤独。
さらにこの政子は自分と違い、このまま復讐の道を走り出せば修羅となるのも同じ。たちまちのうちに憎悪の嵐に飲み込まれ自滅してしまうかもしれない。
「おぬしを巻き込んだ末、死なせるわけにはいかん」
「政子殿、それがしは死にませんよ」
境井 仁はそう答えるとカラカラと笑い声をあげた。
金色に輝く森はしずかに吹き抜ける風に枝を揺らしていた。