今、やれることはすべてやった。
仁は政子の隣に立ち、こと切れた遺体の前でため息をつきながら刃の血をぬぐい刀を収める。
思いもよらないことであったが。
安達家襲撃の計画は想像をこえて用意された恐ろしいものであったことがわかってきたものの、同時に混乱する今のツシマの中では解決に至る情報を全て手に入れることは難しいことも分かってきた。当面は情報を整理し、新たな展開があることを期待するしかなさそうだ。
「仁、ここまで付き合ってくれて感謝する――この先は情報を求めるさ。知り合いを頼るつもりだ」
「わかりました。ではなにかわかりましたら、お知らせを」
境井 仁は安達 政子にこの先も必ず手助けすることを暗に伝えたが。実際は情緒不安定な政子への不安から申し出たというのが真実なのかもしれない。気性の激しい政子の憎悪は想像以上に危険で、敵を前にしたとたん。憎悪の炎に簡単に飲み込まれてしまい。肝を冷やしたのはここまで1度や2度ではない。
政子は何も言わなかったが、かわりに質問してきた。
「おぬしはどうする?」
「さらに南へ。叔父上救出にはさらに多くの合力をもとめなくてはなりませぬので」
「そうか。そうだな――」
そう答えながら政子は顔をあげるとそこには再び悩みをかかえた表情があった。
「境井、私の夫……我が子らの情報は本当に何もないのだろうか?」
「――まえにも申し上げましたが、乱戦でしたので詳しいことはなにも」
政子の夫は敵将の手で焼き殺され、その息子たちは自分や志村に続いて共に突撃したことは間違いない。
だが小茂田の浜から生きて戻ったという兵をこの時の境井はまだ誰も知らないし、見てもいない――。
「政子殿?」
「私は――私は小茂田の浜へ向かおうと思っている」
境井は政子の言葉に絶句する。
クトゥン・ハーンによって手配を受けている境井は知っている。このツシマで今、南から北上するということは命がけの行為に等しいということを。
だが仁が彼女を止めることは不可能だろう。ならば――。
「では……では約束してください」
「ん?」
「必ず黄金寺で数日、しっかりと体を休み。新たな情報を手にすることに集中すると」
「なんだ、別れるとなると途端に私を老人扱いするのか?」
政子は笑うが、仁は真剣な顔で首を横に振る。
「政子殿、安達家襲撃の計画はいまだ全貌が見えてきません。まずはお味方を増やし、仇を取るべく準備が必要」
「なるほどな。お前をまねろ、そういうことか」
「それもありますが――小茂田の浜は今もまだ危険な場所のはず。近づけば蒙古の兵の目をかいくぐることは難しいでしょう。なればこそ体調を万全にし、細心の注意をもたねば……」
「たどり着くことはできない、か」
静かにうなずき、肯定する。
政子であれば剣の腕は心配ないが、まずは己を大切にしてもらいたかった。
「ゲスな裏切り者は皆、斬り捨てました。これで黒幕は政子殿が生き延び、自分を探していることを知るはずです。それには時間が必要。相手は恐怖にかられ、次に動き出すときが我らも動く時。あせらず、生き延びなくては」
「よくわかった。お前の助言に従うことにする」
約束してくれた。これならおそらくは大丈夫だろう。
ではまた、短く別れを口にして。境井 仁は再びツシマの南へ馬を走らせた。
――――――――――
蒙古の軍が攻撃を――報復を受けたようだ。
四つ辻にもうけた関は、日吉を落とすための前哨基地であり。日吉に逃げこもうとする島民をとらえる場所としてクトゥン・ハーンは素早く設置させた要所であった。
それが今朝、連絡が取れなくなったらしい。
関に兵の姿はなく、しかし尋常ではない血が流れた形跡が残っていたとか。
なにがおきたか、想像はつく――。
部下はさっそくあの術師たちを連れて来いと言われると思ったが。将軍はしばらく無言の後、外に出るので部下を集めろとつぶやくように命じる。
「外へ?」
「女に会う」
能のない者たちはそれを聞いて戦での不満を解消するべく。将軍は女の体を求めるのか、と考えたが。将軍のそばにつく有能な将兵たちは己の上司のことはよくわかっていたのでそうは受け取らなかった。
フビライの血を受け継ぐクトゥン・ハーンはそのような小さな男では決してない。
勝利のためにすべてに貪欲であろうとし。ゆえに小さな負けに乱された感情を欲望で解消する、そんなことは必要としない。そもそもこの時期に女を抱けば研ぎ澄まされる感情が乱され非情になり切れなくなると考える人だ。
そしてその通り。
クトゥン将軍は金田城を出るとそのまま北部の海岸線を進み、見えてくるのは日本の見張り台。
ここにいる部隊は小茂田の戦のあと、再編する形で作られた新しい部隊で。ここ数日は新たな指揮官の元で訓練を行っていた。将軍はそこの到着するとすぐに迎えにあらわれた兵士に指揮官を呼べとだけ命令する。
そして案内されたゲルの中に入って座ると、数分と待たずにひとりの日本の女がそこに入ってきた。クトゥン・ハーンの前にひざをつく。
この部隊が特別な理由のひとつは。指揮官がこの裏切り者の女である、ということだろう。
「――お前とは初めて会う。クトゥン・ハーンだ」
女は将軍と視線を合わせない。
狡猾な女だ。またなにか秘めた決意も抱えているが、それを他人に読まれることを嫌うのか。一瞥して将軍はそこまで女の心を見抜いた。
普通であれば顔をあげさせ、服従を求めるべきだが。今回はやらなかった。
部下はこの女の技量を認めたが。目の前にいるこの女は戦士というよりも、己の美貌を自分に見せていると感じていた。将軍を前にして己の武ではなく美貌で関心を買おうとするとは――真の勇者のすることではない。
「お前の話は聞いた。そして部隊も与えた、さっそく働いてもらうぞ」
「――ですがまだ訓練が足りません。将軍が望まれる結果をだせるか確実なお約束は……」
脇に控える部下たちから危険な視線が女に向けられる。将軍が合図を出せば剣を抜いてすぐにも飛び掛かったであろうが、将軍はそんなことはしなかった。
冥人達の攻撃は思った以上に将軍を困らせていた。
兵を失うのは当然だが、なによりそれを率いる指揮官までも命を失っているのが厳しい。
有能な指揮官は己の命を無駄にしない。部下を捨て駒にしても逃げ延びて、それゆえに情報を持ち帰る。だがここまでのところ一方的に全滅が続くのは異常事態といえる。
それについてはすでに対処はしてあるが。
日吉への攻撃に己の信じる部下を送り出すのは避けたかった。そこで思いついたのがこの女である。
四つ辻の関が失われた以上、日吉への攻撃は簡単ではなくなった。
だが日吉は金田城の近く。そこで島民たちが湯につかり、傷を治さんとのうのうと過ごしていては手抜かりというものだ。放っておくわけにはいかない。
「名前は確か……巴だったな」
「はい、将軍」
「お前の話はすべて聞いた。だからお前にやってもらう。部隊はそのために与えた、わかるな?」
「はい」
「お前の師、石川を殺せ。できるな?」
「――はい」
「ならば日吉を落としてこいlすぐにむかえ」
伝えたいことは伝えた、言い終わると返事も聞かず。将軍は立ち上がり、そのまま馬に乗って金田城へと帰って行ってしまった。
巴と呼ばれた女は、ひとつため息をつくと弓を手にし。まだ付き合いの浅い部下たちに出陣の下知を下す。
元軍はたしかに勇猛であり貪欲な狼といえるが。それだけに洗練さが足りない。
この部隊であの石川を”今度こそ”討てるだろうか?
日吉に住む石川はかつて弓で知られた長尾家に仕え、伝説の弓取、長尾忠頼の再来とまでいわれた人物である。
しかしそんな彼も、長尾の家を出。小茂田の浜にも参戦しなかった。
生き残ることは難しいことを増やしてしまうものらしい――。
石川の屋敷に日吉の湯屋のおやじが真っ青な顔で卒倒しそうな勢いで駆け込んできたのもそのひとつだ。
「先生っ、石川先生!大変だ、まずいことになった」
「なんだ!?こっちは忙しい――」
先日の弟子である巴の襲撃で、滅茶苦茶になっていた己の道場をようやくのこと掃除を始めたばかりの石川はあっというまに不機嫌な顔になる。
かくいう湯屋のおやじも、石川のいう”掃除”の意味を理解し。2度驚いて裏返るように腰を抜かす。
「血、血じゃないですかっ!」
「そうだ。ほかに何だというんだ」
「どなたので?まさか石川先生がっ!?」
「もちろんワシがやった。数日前に蒙古の奴らが挨拶に来てな、弓矢を馳走してやったのよ」
実際は完全武装の暗殺者に襲われたと最初は思い。自宅にこもって再襲撃を待ち構えた。
敵は再び姿を現さなかったが。その理由が己の弟子であった巴だと確信する羽目になった。いや、楽しい話ではないし。そもそもまったく別の話だ。
「それよりおやじ、何を騒いでる。暇なら手伝いをよこして――」
「石川先生!それどころじゃないんです。四つ辻に関を築いた蒙古軍が殺されちまったんですよ!」
石川は人の血に汚れた雑巾の手を止めた。
顔をあげ、疑問から眉を跳ね上げて湯屋のおやじの顔をみつめる。
敵が死んだのならそりゃ大いに結構なことではないのか?それを大変だと騒ぐとは、さてはて最近は元軍に己をゆだねたい裏切り者が増えてしまったのだろうか?
蒙古軍は上陸を果たし、金田城を落とすと当然ながらまず周囲の村々が襲われた。
流人や農民たちは逃げ惑い。そして逃げ込んできたのがこの日吉である。
ここは温泉地である上、地形の起伏も激しい要害の地だと優秀な賞であればすぐにわかる。
だからこそ敵はここをあえてさけることで人々を追い込みつつ、時が来れば押しつぶしてやろうと周囲を取り囲んで時を稼いでいるのだ。
湯屋のおやじは両膝をつくと神妙な顔で事情を語り始めた。
日吉の民だって侍ではないが、今がどんな状況なのかくらいはわかっていた。
なので若く、すばしっこい若者たちを選別し。毎日、不定期の時間に日吉を囲む元軍の陣の様子を見に行かせていたのだという。
――ほう、感心なことだ。
村には大して興味を持たぬ石川は妙なことで感心する。
それが今朝、事情が一変した。
日吉の西に配置された四つ辻の関に近づいた和歌集たちは、いつものように馬鹿笑いする兵士の声も。朝飯前の良いにおいを漂わせ、立ちのぼる火の手もなく。そもそもいつもなら絶対にしないくらいに近づいてもしわぶきひとつ聞こえないことに恐れを感じた。
兵士たちが誰もいない――。
あったのは大量の血を吸ったらしい地面の痕跡と、無念さを感じさせる地面に突き立つ見事な飾りのついた刀。からになった馬小屋。
若衆の報告を最初は日吉の民は喜びで迎えた。
もしや小茂田の浜で生き残ったお侍がいたのかもしれぬ。いや、あの長尾の弓術指南だった石川先生がやってくださったのかも!
無邪気な彼らの喜びをぶち壊したのは、彼らの中にいた冷静な知恵を持つ若者の言葉であった。
――皆、なにがそんなにめでたいんだ?
――この日吉がついに終わるかもしれないってこの時にさ
最初はみな、この若者をへそ曲がりめと笑っていたが。
冷静に事実を整理していく若者の言葉をかみしめると、そのすべてが確かに良いものではないかもと思うようになってきた。
曰く……。
ひとつ、蒙古軍が関を撤退する理由はないし。戦った形跡があるなら襲撃を受けたのは間違いない。
ひとつ、石川がやったのならそれは日吉に報告があったはず。なら誰がやった?誰もそれを知らない。
ひとつ、騎兵を得意とする蒙古の関に馬がいなかったということは連れ出された可能性が高い。彼らはすでに日吉から離れ、遠くに行ってしまったのだろう。
ひとつ、では蒙古軍はこの事件をどう考える?誰が犯人だと思う?
答えはただひとつ。
敵が日吉を叩き潰す理由がいくつもふえたという結果しかない。
石川の口元に笑みが浮かぶ。
知恵者とはどこにでも一応はいるものらしい。
「たしかにそやつの考えには同意するな。さすがのワシでも日吉を囲む敵陣をひとりでどうにかはせんよ」
「そしてすでに先生のところに蒙古の兵は来ていたのですね――」
ああ、まぁな。
それはそれで別の話が絡むのだが、石川は言葉を濁した。
それよりも問題はこれからの日吉である。蒙古軍が選ぶ方法としてはふたつ。
ひとつは残り3軍をもって日吉を大軍でおとしにかかる。これなら間違いなく日吉は落ちるが、向こうも犠牲が出るだろう。
ならば――。
「石川先生っ」
「おそらくではあるが敵は動くだろう――困ったな、境井の奴を行かせるのではなかったなぁ」
湯屋のおやじはなにをいっているのかわからずきょとんとした顔をしているが。石川は顎髭をさすり、魔の悪さを嘆いていた。
先日の襲撃が己の弟子であった巴が蒙古に寝返ったと知った時。
たまたまそれに巻き込んだ若武者を石川は”自分の都合”だけで”新しい弟子”にしてやったのだ。
その若武者は――仁は敵に捕らわれた領主の志村救出を願っており。
石川は己の腕と知恵を貸すことで、巴の問題に巻き込むことに成功した。安達家を守っている政子をはじめとした女衆、そして牢人組織の菅笠衆。
彼らに接触しようと仁は今、ツシマを南へとむかっているはず……。
「これは少しばかり骨が折れるかもしれんなぁ」
「?」
石川のこの言葉の本意を知れば、湯屋のおやじはきっと仰天したであろう。
彼は巴が新たな部隊を率い、この日吉に攻め込むかもしれぬと考え。”あえて”日吉を餌にしようかとたくらんでいたのである。