9――とある一室にて
「ん?ああ、やっぱり?いや全く嫌になるほど優秀な妹だよ本当に。あー、いいよそのまま彼女たちと合流してこっちへ迎え入れて。要救助者?それはこっちで教会に連絡回しとくから現場でできる限り最上の治療を施してやってくれ。そう。それじゃよろしく」
ふー、と息をつき煙草を咥える。
魔術で指先に発生させたマッチの程の火で煙草に点火した後、大きく息を吸い込んだ。
肺が紫煙で満たされ雑多な思考とともにそれを吐き出す。
1人で過ごすにはあまりにも広い部屋。
だがそれは今の僕の居室であり天蓋付きの巨大なベッドも、程よくそれでいて存在感を示すように丁度された家具も僕が選んだもの。
それらへ溶け込むように紫煙はその色を無くしていく。
新たな空気を吸い込むと同時に雑多な思考を再開させる。
思えばもう3年になるのか。
当主であった母親が死んでからもう3年。
その当時の治世に比べればこの領地も幾分か発展しただろう。
大規模傭兵団と専属契約を結ぶことによる治安の大幅向上、及び常在戦力の強化。
所謂"産業魔術"と言われるものの分野開発。
これにより農作などに必要な人員の4割減を実現させることもできた。
そうして余剰に浮いた人員は芸術や音楽などの衣食住以外の文化発展、さらには職業軍人へと投入できる。
所謂職業選択の自由がある程度生まれたと言えよう。
もちろん働き口を減らすだけでは食いっぱぐれる者が大勢出てくる。
それを回避するために平民でも教育が受けられる機関、学校も創設した。
とはいえ学校に通えるのは極々一部の富裕層の平民に限られるが。
いや、そうでないと困るのだ。
誰も彼もが高等教育など受けてみろ。それこそ経済全体で見れば首が回らなくなる。
単純な話、王宮にすら召し使えられるレベルの教育を受けた人物が好き好んで一般鉱夫などになるか?という話である。
意図的に馬鹿な層を作ることは絶対に必要な事だ。
また学校には試験制度を導入し裕福な者であれば誰でも入学出来るという事態を避けている。
要するにドレイクの子供でもゴブリンの可能性はあるということだ。
逆に言えば学校に通えるほどの富裕層ではない平民であろうとも。
試験を非常に優秀な成績で突破することができれば、特待生扱いで入学出来る。
ダイヤは磨かねば分からないとはまさに。
優秀な人材を発見することは未来への投資に他ならない。
再び紫煙を肺に満たし、雑多な思考と共に放出する。
無能な小貴族の反発やら小賢しくなっただけの馬鹿どもの声など順風満帆とはいかずとも、この世界において次の時代を迎える用意ができつつある我が領地だが、
最近僕の頭を悩ませている案件もある。
それはわざわざミスティア王都で活躍している僕の超可愛くて優秀な妹を呼び出す程度には面倒な厄介事だ。
"魔物共の動きが活性化している"
要するにはこういうこと。
原因などは未だに不明。
手勢の傭兵やら常備軍を使って調査は進めているが状況は芳しくない。
そもこの我が領地に於いて脅威度の高い魔物は然程脅威にはならない。
矛盾しているように思えるだろうが実際そうなのである。
というのも脅威度の高い魔物というのは得てしてその生息数は決して多くない。
自然の摂理なのか、はたまた神とやらの気まぐれなのかはわからないが、現実そうなのである。
つまりは脅威度の高い魔物に関してはこちらも少数精鋭で対抗出来るということ。
そして幸い精鋭を集めることには苦労していない。
故に強力な魔物には更に強力な探索者や傭兵をぶつければいいだけなのである。
ミスティア王国の人口は全体で約200万人とされる。そしてこの国を拠点とするプレデター、及びマスター等級の探索者は全部で20人。
大体ではあるが10万人に1人の割合で世界の理からの逸脱者が存在することになる。
そして我が領土には20人の逸脱者のうち6名が常駐している。
要するにどんな災厄が降り注ごうがそれが武で解決できる問題であるならば大した脅威にはならないと言うことだ。
これが我が家が他の領主共と決定的に違う点である。
我が家と実力、格式ともに肩を並べられるのは北方に居を持つウォルコット侯爵家とミスティア王家くらいなものだろう。
さて幾分か脱線はしたが話を戻すとしよう。
脅威度の高い魔物は脅威たり得ないという話だ。
では我が領土を脅かす直接的な脅威とは何か。
それは"その他大勢"の魔物である。
要するにゴブリンやコボルトなどの実力者からすれば鎧袖一触とも言える雑魚である。
だが雑魚とはいえ決して侮れる存在ではないのだ。
数、その数が圧倒的に多い。夏場石をひっくり返した時に逃げ回っていく虫どもは幼子の頃に多くの者が目撃したことがあるだろうが、それを彷彿とさせる湧きっぷりである。
我が家は60万程の領民を抱える。そこらの木っ端貴族と比較にならないほどの大貴族であり、経済的な風通しの良さもある。
だがそれでも常備軍として編成できるのは2000人ほど。これは我が家の臣下である貴族達だけの軍である。
2000人の殆どが青い血であり、少数平民から選抜された戦士が在籍する常備軍。
だが常備軍の維持には如何せん金が掛かる。故に領内全体で対処せねばならない有事の際以外はこの2000名程の人員に軍役をかし領内の治安維持を行っているわけである。
そして気づいてもらえたとも思うのだが、60万の領民が暮らす領土を2000人で治安維持するのには多大な無理がある。
ならば常備軍の数を増やせばいいというそう簡単な話でもない。数を増やせば増やすほどコストは掛かるし、何より貴族からの反発がある。
平民を用いて常備軍を編成するにしても同じ。やはりコストと貴族からの反発がある。
もうあいつら面倒くさい。なんとか黙らないものだろうか。口にファイアーボールでも叩き込みたい。
いっそ妹に反発する貴族共の思考を乗っ取って傀儡にしてもらった方が早いだろうな。いや、だめだ。それは妹が非常に悲しい顔をする。
そんな中で確立されていったのが民間の常備軍を重用すること。
早い話が傭兵である。
だが一般的な傭兵と決定的に違う点としては、彼らが守るべき主君を持っているということである。
金で動くのが傭兵であるが、我が家で重用する傭兵たちはそれに加えて忠誠心を持っているのだ。
どういうことかと言えば彼らは傭兵という体になっている我が家の従士達ということである。
もともと我が家で重用していた従士達のネットワークを基礎として拡大し民間化させた彼らは通称"傭兵貴族"と呼ばれる。
早い話がそれまで農民などから徴兵していた従士達を闘争を生業とする専業兵士として転向させたというわけだ。
もちろん主君以外からの仕事を受けることを許可して。
閑話休題。さてそんなこともあり我が領土では軍事力を大幅に拡大しつつ軍権の中央集権化に成功していた。
この傭兵集団10000と貴族の常備軍2000。そして我が家が近衛隊として編成する500を全て合わせた12500人ほどが我が領土の真の常備軍の数といえる。
人口比率としては2%ほど。先の話であった農耕などの効率化によって問題なく健全にこれだけの常備軍を編成することが可能となった。
少ないと思うかもしれないがこれが限界も限界の数字である。そも我が領土周辺には敵対する貴族や諸外国がない中でこの数である。むしろ過剰と言われても可笑しくない数字なのだ。
だがそのかいもあって我が領土はミスティア王国内では屈指の治安を誇る。
しかしながら雑魚の魔物の数に対すると圧倒的に少ない数であるのもまた事実だ。
何度も言った通り軍を動かすには莫大なコストが掛かる。正直な話ゴブリンなど夏季の蝉ほど湧いて出てくる。
それらを討伐する為の手伝いとして探索者を雇うというわけだ。
大規模拠点であれば常備軍で。木っ端な拠点であれば探索者で。
そして雇った探索者も傭兵も青い血の常備軍も仕事で訪れる街に金を落としていく。
経済は回る。我が家も潤う。平民も潤う。傭兵も探索者も潤う。皆幸せ。僕も幸せ。
そういうわけである。まあもちろんそんな簡単な話だけではないが、ここでは割愛しよう。
長々と思考に耽っていた頭にコンコンコンという音が入ってくる。
木製の扉を鉄の手甲でノックする音。
最早聞き慣れたそれに対して僕は声をかける。
「開いてるよ」
その声に応えるようにドアが開く。
その先にいたのは1人の女。
身長は176cmほど。深い藍色の長い髪にマゼンタのメッシュがところどころ入っている。
耳にはいくつものピアスを開け、頭以外の全身をフルプレートの甲冑で覆っている。
背中には両刃の大剣--クレイモアを装備したマゼンタの瞳の女だった。
「お疲れイーヴァル。妹君から連絡はあったの?」
「オイフェミアからは何もないけど、彼女たちが潜った遺跡に向かわせた者から連絡があったよ。オイフェミアの一党は全員生存。複数の要救助者を救出し、ゴブリンの完全殲滅も完了したとさ」
僕ことイーヴァル・アルムクヴィストの言葉を聞きながら女はドサリとソファに腰を下ろす。
その所作は些か女性らしくはないが、どうしようもなく彼女らしくはある。
そして煙草を咥え僕の方を見つめてきた。
どうやら火が所望らしい。全く、どっちが主君なんだか。
彼女の前に手をかざし火をつけてやる。満足した猫のように瞳を細めた後、彼女は紫煙を吸い込んだ。
「完璧ね。私の予想では先に派遣した探索者の女達を孕み袋にして100くらいには膨れ上がっていたと思うんだけど、それをよくもまぁ」
彼女は紫煙を吐き出しながらそう言った。
鉄仮面とも揶揄されるほど無表情な彼女だが、私の目には愉快そうに微笑んだように見える。
彼女はそのまま言葉を続けた。
「妹君の一党は4人だったんでしょ?正直妹が可愛くないのかと疑ったわよ。私だったら絶対にそんな依頼は親しい人間に回さないわ。このド鬼畜シスコン白髪スーツめ」
「その言いぐさは酷くないかい?妹は可愛いに決まっているさ。でなければお家騒動の時探索者として送り出すことなぞせずに殺している」
お互いに紫煙を吸い込む。
ゆっくりと肺を満たし、同じくゆっくりと吐き出した。
「あんたのそういうところは嫌いよ。きっとあんたは必要と駆られればそんな可愛いと言っている妹君を躊躇いなく殺すもの」
「そもそも僕はそのような状況に陥ることを全力で回避しにかかるけどね。だがオイフェミアの一党はかなり面白くてね。きっと君の興味も引くと思うよ」
彼女は灰を落としながら猫のようなけだるげな瞳を向けてくる。
だがこれは本当に面倒くさくなっているときの瞳ではないことを僕は知っている。
むしろ早く続きを話せと催促する時の瞳だ。
「オイフェミアの一党。まず一人目は君も知っているであろう"スマイリー"メイ・グリンフィールドだ」
「ああ、あの。重甲冑で大槍振り回すタンク役の人ね。彼女は酷く優秀よ。"
僕は紫煙を吸い込んだ後声を出す。
「君からみてもそうなのかい?"首刈り"アリシア・レイレナード」
「その通り名はやめてよね。私から見ても同じ。メイ・グリンフィールドは酷く優秀な戦士であり斥候。それは今までの彼女の実績が物語っている。鉄火場に出ないもやしのあんたじゃわからないかもしれないけど、ダイアモンドっていう等級は伊達や酔狂で到達できるものじゃないの」
彼女、アリシアの手酷い言い草に苦笑するが、そればかりは事実なので口答えする気も起きない。
「それで?あと二人は?」
「それが正直良くわからないんだ」
彼女は猫のような視線を細めて僕を見据えた。
「よくわからない?」
ああと相づちを打ってから話を続ける。
「良くわからない。等級や風貌はわかっている。1人は黒いロングコートに枯れた羽のような帽子を身につけ肌の露出を極限まで抑えた男。振るう武器は鋸と鉈が組み合わさったような異形の武器とクロスボウのような単筒。等級はブロンズⅠだがシルバーへの昇格が決定事項らしい。呼び名は"狩人"」
「聞いた感じ
煙草を灰皿に押し付けた後僕は頷いて話を続ける。
「ああ。うちの諜報網を持ってしても素性不明。ある日突然あらわれ探索者登録もなしに魔物を好き勝手に虐殺していたらしい。まあ素性は兎も角として討伐した対象にはオーガやボーンナイトも含まれている。実力は間違いなくダイヤ以上だろうね」
「まああの妹君が信用しているならそれに値する存在ってことでしょう。彼女、思考盗聴のプロだし」
幼き頃散々オイフェミアに思考を覗かれて様々なトラウマを植え付けられたアリシアらしい言葉である。
いやうちの妹が本当に済まない。でも可愛いから許してやってくれ。
「もうひとりはフルプレートのフリューテッドアーマーに身を包んだ騎士風の男。こっちは最近有名だから知っているかもな。ほら、史上最速でゴールドへの昇格が決まったっていう」
「あー、吟遊詩人が謳ってたわね。なんだっけ、
「その通り。通称
アリシアも煙草を灰皿に押し付け火を消す。
そしてけだるげな瞳で問いかけてきた。
「ねえ。私が訊くのもなんなんだけど、イーヴァル。あんたは心配じゃないの?妹君の周りにこんな素性不明の男がはびこっていて」
「いや?全然?」
僕の返答に首だけをガックシと落とすアリシア。
そりゃ心配するわけないだろう。だって僕の世界一可愛くて最強の妹だぞ?
「オイフェミアが信用するっていうなら僕も信用する。その直感や魔術技術においてこの世界にオイフェミア以上の存在はいない」
「まぁ、わかるけどねぇ」
「逆にアリシアはアリーヤとこの二人が一緒にいたら心配するのかい?」
「するわけないでしょ。あの馬鹿姉だったら例え裏切られたとしても全てを灰に変えるわよ」
けだるそうに答えるアリシアは本当にけだるそうである。
マスター等級かつ自由人な実姉を持つと苦労するのは論理主義者の妹だということだ。
「あ、そうだわ。一つ報告があるの」
液体猫のようにいまにも溶け出しそうであったアリシアが居住まいを正して私の瞳と自分の瞳をぶつけてくる。
元より表情変化の乏しい彼女であるがその顔はいつにもまして真剣な表情のように感じられた。
「なんだい?」
僕は訊き返す。
彼女のこの様子からして楽しいことではあるまい。
「アルムクヴィスト領の辺境、テクノクラート子爵領から往来していた商隊護衛の3個分隊が殲滅された。文字通り。商隊も全員死亡」
思わず煙草を咥えながら思考に突入する。
3個分隊が壊滅?装備にも左右されるが大凡雑魚集団に負ける戦力ではあるまい。
だが彼女の言い方的にはうちの兵でもないのだろう。
「その分隊の所属は?」
私が真剣な眼差しで問を返せばアリシアは何一つ表情を変化させずに答える。
「うちのギルド、Rayleonard所属の部隊じゃない。テクノクラート領で商隊に雇われた名前もない傭兵集団だと推測されている」
「その分隊の構成は?」
「
「いやいい。まともな構成をしていることが分かれば十分だ。練度は?」
「私は件の分隊と面識ないからわからない。予想で良ければ」
「構わない。聞かせてくれ」
アリシアは煙草を吸うためにしか動かしていなかった手を使って紅茶をカップに注ぐ。
ヤニを吸っていたし少し喉を湿らせたくなったのだろう。
一口くちにつけた後言葉を再開した。
「現場に残っていた
猫のような瞳を上目遣いにし僕を覗き込んでくる。
アリシアはなまじ顔がいいので異性愛者の男であれば勘違いするであろうほど様になっている。
だが僕は知っている。彼女がこのように行うときは相手との知識レベルをすり合わせようとしているときなのだと。
伊達に15年以上近くで過ごしてきたわけではない。
「いや知らない。説明してもらっても?」
「オーライ。ドンダウレスはダウレスという草原地帯に生息する4足の大型爬虫類の成体。
どうやら状況は思ったよりも悪いらしい。
プラチナ等級の3個分隊が殲滅?小国であれば最高戦力たりうるぞ。
各組織によって異なるがアルムクヴィストにおける分隊というのは8人単位のグループを指す。
つまり24人以上の精鋭が殺されたというのか。
こんなことゴブリンやコボルトなぞにできるはずもない。
「更には敵は集団ではないみたい。もう死んでしまったけど商隊の御者が我々の部隊到達時には生存していた。彼は死ぬ直前まで、『紅い、紅い闇霊が来るッ‼』と発狂していたわ」
「"紅い闇霊"…」
顎に手を当てる。すぐにでも対策を行うべきだ。
その言葉が何を意味しているのかはわからない。
だができる限り最大の警戒を取るべきだろう。
「アリシア。場合によっては君たち
「構わないわ。戦力の逐次投入は愚策中の愚策だもの。一撃で相手を砕くというのは必定。だけど一つ訂正を」
彼女は少し不機嫌そうに眉をひそめた。
「なんだい?」
「