什玖. 『地下室の
高い階段を一段一段上って地下室の出口に向かう。陽光が差す地下室の扉を出ると清々しい外の空気が僕を迎えた。僕の前を歩いていた赤髪の人が懐から紙切れを出した。そして後ろにいた僕を殴った男の人が白髪を靡けながら門の方に歩いて行った。
「父上からまた連絡が行くと思う。これはこの子の分だ。」
赤髪の人が白髪の男に紙切れを渡した。
「ハハハ、ありがとうございます。」
「また近いうちに来る。」
「はい。それでは、またお越し下さい。お待ちしております。ホオズキ様。」
二人が話を終えると赤髪の人は僕の左手を握ってこの屋敷から出た。そして門前に停めてあった黒い馬に僕を乗せる。僕は赤髪の人に言った。
「ぼ、僕馬乗れません…。」
すると、屋敷の中にいる時とは違つて優しそうな顔を作って僕に言った。
「安心しろ。一緒に乗るから大丈夫だ。」
「は、はい…。」
僕はいきなりの暖かさに顔を赤らめる。赤髪の人は僕の後ろに乗って馬を走らせた。
「しっかり掴まれよ。」
「はい!」
馬に乗って暫く走るとさっきの屋敷よりもはるかに広い屋敷が視界に現れた。屋敷の長い垣根に沿って正門に向かうと門番の二人が敬礼して赤髪の人を迎えた。
「「お戻りになりましたか、ホオズキ様。」」
「ああ、皆ご苦労。」
門番の人たちは黒く鳳仙花の紋様が刻まれた屋敷の大門を開いて僕たちを中へ案内した。正門を潜ると
「ここは…?」
「ここは私の住む屋敷だ。今日から君が暮らす屋敷でもある。だから私のために存分に働いてもらうぞ。」
僕は後ろに乗っている赤髪の人に顔を向けて目を丸める。
「僕が…ここでですか…?」
「そうだ。佐次郎…だったっけ?」
「は、はい。佐次郎です…。」
「これからよろしく頼むな。私はホオズキだ。」
「はい、ホオズキ…様!」
ホオズキ様は僕を馬から下ろして馬を厩舎に連れて行った。僕は広い居間の真ん中に突っ立ってホオズキ様が戻ってくるのを待っていた。すると、鮮やかな鮮紅色の髪と髭を長く伸ばした貫禄のある老人がカタカタと下駄の音を鳴らしながら僕に近づいてきた。僕は反射的に頭を下げる。
「新しく入った子かな?」
「は、はい。佐次郎と申します…。」
老人はゴツゴツした手で僕の頭を撫でた。
「父上、ここにおられたのですか。」
厩舎からホオズキ様が戻ってきて話した。
「ホオズキ、視察はどうだった。」
「
老人は髭を触りながら声を上げる。
「だからお前は甘いんだ!あの外国の尼にたぶらかされやがって…。」
「声が大きいです。陽光が差すところでその話はよしてください。」
「恥を知れ!一国の大臣たる者が敵国の尼に惚れるなんて情けないぞ!」
二人の難解な言い争いが始まると僕は黙って
「ゴホン…。それで、この子は?」
「この子は地下室の彼女らに仕えさせます。」
「人員の無駄だというのに…。好きにしやがれ。」
「言われなくてもそのつもりです。」
その時に居間の雰囲気は二人の気迫で凍てついた。
「行くぞ。」
ホオズキ様は顔を影を作って僕の手を引っ張ってその場から離れようとした。すると、
「慎重に考えろよ。ホオズキ。」
と、老人は声を低くして忠告する。
「はい。」
ホオズキ様も低い声でそのまま返した。そして僕を連れて屋敷の右奥にある小屋に向かった。
「あの方は…?」
「太政大臣ホウセンカ、私の父だ。昔から頭が固くてな。いつもいつからか目が合う度に口喧嘩をするようになった。悪いね。」
「い、いえ…。」
勇気を出して口を開けてみたがすぐに沈黙が戻る。そのまま二人で黙々と歩いて小屋の前に立つと、
「今日から君はここで働いてもらうよ。」
と、ホオズキ様が笑みを浮かべて僕の頭を撫でた。そして小屋の扉を開くと、扉の向こうには僕が閉じ込められていた地下室を思い出す階段が現れる。ホオズキ様は僕の左肩に手を当てて一緒に階段を降りた。
「僕はここでもまた地下に閉じ込められるんですか…?」
「ハハッ、とんでもない。そんなことは決してないよ。安心しろ。」
不安が混じった僕の声を聞いたホオズキ様は笑いながら僕を安心させた。
明かりがついた地下室の階段を降りて奥へ進むといきなり女の子の声が聞こえた。
「お父様?」
「ん…?」
僕はビクッとして足を止めると僕の肩に手を当てていたホオズキ様が僕の背中を押す。
「大丈夫。」
「お母様!お父様が帰られましたよ。」
明るい明かりがついている空間に着くとそこには綺麗な桜色の髪を肩まで伸ばした女の子と桜色の長い髪に花模様の
僕が佇んで彼女たちを見据えていると可愛らしい小袖を着ている桜色の髪の女の子が僕に顔を近づける。
「お父様、この子は誰ですか?」
「その子は今日から君らに仕える子だ。さあ、こっちは佐次郎だ。」
僕は頭を下げて自己紹介する。
「は、初めまして。僕は佐次郎と申します…。」
「そしてこっちは私の妻のサツキと娘の
和という女の子が僕に挨拶をしてくれた。
「よろしくね。佐次郎!」
「は、はい…!」
「よろしく頼むわね。」
正座していたホオズキ様の奥様も僕に挨拶してくれた。
「それじゃあ、私は宮に戻るからこの子はサツキお前に頼んだぞ。」
「分かりました。任せてください。」
サツキ様は微笑んでホオズキ様を見送った。ホオズキ様が視界から消えると綺麗な笑みを浮かべていたサツキ様は顔はすっかり寂し気な顔に変わる。無意識に僕はサツキ様に声をかけた。
「あの…。」
すると、サツキ様は再び笑顔を作って僕に返事をした。
「どうした?佐次郎君。」
「い、いえ…、なんでもありません…。僕はここで何をすればいいですか?」
「これから一つずつ教えてあげるわね。」
「はい、よろしくお願いします。」
いつもの癖で僕が頭を下げるとサツキ様は僕の頭を撫でながら言う。
「子供なのに落ち着いててまるで大人と話している気分だわ。和も見習いなさい。」
「えー。和も落ち着いてますよ!」
「本当かなー?」
「もう…お母様の意地悪!」
サツキ様と和様はとても仲がいい親子に見えた。僕もなぜか懐かしい気持ちを感じて向こうの地下室で凍てついた心がここに来てからそろりと打ち解ける気がした。頭を撫でられたことも母と別れてから初めてだった。また、こんなに頭を撫でられたこともなかったと思う。
「さて、仕事を教えるわね。和も手伝いなさい。」
「「はい!」」
僕は和様と一緒に地下室での仕事を教えてもらった。一通り仕事の説明が終わるとサツキ様は僕に言葉を一つ付け加える。
「佐次郎君、それから、もう一つたのみがあるんだけれど…。」
「はい。」
「私たちの話し相手になってくれるかい?」
「話し相手ですか?」
サツキ様は隣に座っている和様の頭を撫でながら僕に言った。
「そう。私はともかく、この子の友達になってくれない?」
「お母様…?」
和様は首を上げてサツキ様を見る。僕は二人の顔を交互にみてポリポリと頭を掻いた。
「僕なんか力もないただの下民です…。」
向こうの地下室で少しの教育を受けたことがあった。奴隷としての振る舞いや考え方など。僕もすっかりその教育に洗脳されていたようだった。自己卑下が当たり前のようになっている。
僕の言葉を聞いた和様は僕の方に顔を向けて言う。
「そんなに自分を卑下するように言わないで、佐次郎!」
「そうだわ。私たちはみんな同じヒトよ。あなたが悪いわけじゃない。貴族だの庶下民だの同じヒトに勝手に身分をつけたこの国がおかしいんだから…。君はただこれから生きる意味を探していけばいい。和、あなたもよ。」
「はい、お母様!」
その瞬間僕の左目から涙が溢れた。その一筋の涙は頬を伝ってポトリと下に落ちる。僕は二人の暖かい笑顔と言葉にとうとう涙を見せてしまった。
「「ど、どうしたの?!」」
二人は僕の涙に慌て出す。
「い、いえ…。ちょっと故郷の母さんのことを思い出して…。すみません…。」
僕は急いで涙を拭う。サツキ様は僕に訊いた。
「佐次郎君の故郷はどこ?」
「西の
「そうだったのね…。佐次郎君はお母さんに会いたい?」
サツキ様の質問に僕は別れる直前の母の姿を思い浮かべた。
「会いたい気持ちはいっぱいです。けど、僕と一緒にいると母さんは不幸になります。母さんと別れる時だって僕に目も合わせてくれませんでしたから…。」
僕のその一言にサツキ様は僕の両肩を握って声を上げて言う。
「そんなことない!子供と別れて悲しまない親なんていないのよ!」
「……。」
僕はギラギラしているサツキ様の両目を見て体が固まった。サツキ様の優しい目の奥にはなぜか哀しみが籠っているように感じる。さっきホオズキ様を見送る時のサツキ様の目が忘れられない。
その後僕は仕事をしながら二人といろいろと話をした。そして、いきなりサツキ様は僕に、
「ママと呼んでいいのよ?」
と言われた。その話に僕がうろたえていると、「お母様」と
「和もママって呼びたいです!」
と、甘えながら言う。そして、
「佐次郎も一緒にママと呼ぼうよ~。」
と、僕を誘う。僕はそのノリに口を開けた。
「マ…マ……。」
すると、サツキ様は和様と僕を両手で抱き寄せた。
「はい、ママですよ!可愛い子供たち。あっでも、お父様の前でこの呼び方はやめてね?」
「はーい!」
「はっはい…。」
話をするうちにサツキ様はどんな人なのか少しずつ分かってきた。この人は、もとは明るくておしゃべりが好きな性格だけど、この地下室の暗がりに身も心も静かな性格になったんだろう。分からなくもない。僕も向こうの地下室に閉じ込められている時性格が変わったのだから。
だから僕はサツキ様を元の性格に戻すために毎日話し相手になってあげた。僕はホオズキ様を除いて唯一外と地下室を出入りできる家僕だったから、外であったことを二人に良く話してあげたりした。僕の話を聞いて元気になっていく二人の姿を見ると僕もいつの間にか引っ込み思案な性格から積極的な性格になった。笑うことも増えたかもしれない。
——ママ、僕はここで上手くやっているよ。とても優しい人たちに出会えたんだ。ママも僕がいなくなって幸せになったのかな?いつか会いに行きたいな……。
僕はたまに母のことを思い出すと、二人に
「いつか、佐次郎君の故郷に行ってみたいね。」
「はい!和も行ってみたいです!花の香りに満ちた町!」
「佐次郎君のお母さんにも挨拶しに行こうね。」
と、一緒に故郷にいる母に挨拶しに行こうと言ってくれた。
屋敷の井戸で水を汲みながら二人の言葉を思い浮かべながら顔を崩した。
——言葉だけでも嬉しいや。
僕は橙色に染まっていく空を一度見上げると、水を汲んだバケツを持って地下室へ戻る。