弐什弐. 『右大臣クワ』
バタッ!
さっきから目が据わっていた
「お、おい…!」
「佐次郎!気をしっかりして!」
和は倒れた佐次郎を揺らして起こしてみる。でも、佐次郎は冷たい地べたから微動だにしなかった。
「なんて傷だ…。
俺は濁った血の色に染まった佐次郎の服に目が行く。今日呉服屋で買ったばかりの暗緑色の袴の布は血で固まって黒く変色を起こしてしまった。しかも胸元といい背中といい刃物で無惨に切られてズタズタになっていた。だから俺は彼の命が心配になった。それで俺は彼の体を仰向かせて胸に耳を当ててみる。
ドカンドカンドカンドカン…。
「元気すぎっ!」
ここまで傷を負っているのに彼の動悸は休むことを知らない。俺は彼の
そして涙目になった和はそんな佐次郎の体を揺らして起こそうとした。
「佐次郎!目を覚まして…。」
「おい、和っつったっけ?」
「は、はい…。」
「ただ気絶してるだけだからそんなに揺らさんどいて上げな。傷口が開いちゃうからさ。」
俺は和に佐次郎の腹部にできた傷穴を見せた。すると、彼女は手のひらで驚いて開けた口を塞ぐ。そして、
「うあああん!佐次郎!死なないで!」
と、さっきよりも激しく佐次郎の体を揺らしやがる。
「殺す気かいっ!!」
俺は彼女を必死に止めて落ち着かせるのに手間をかけた。そして倒れているホオノキと佐次郎を外まで運ぶのを手伝ってもらうことにした。
カラン…。
「ん?」
下から聞こえる重い鉄の音が耳に触って地面を向けると佐次郎が付けていたものと同じ形の鉄球付きの足枷が嵌められていた。これでは歩きにくいだろう。俺は佐次郎の時と同じく彼女の足枷も刀で斬り外した。
「これで歩けるか?」
「はっはい…。ありがとうございます…。」
俺は表部屋に繋がる通路に置いてある担架を取って来た。
「よっこらしょ…。担架があって助かったぜ。重くはないか?」
「はい、わっ私は大丈夫ですけど、貴方様こそお、重くありませんか…?」
彼女は心配俺は背中に佐次郎を背負ったまま担架にホオノキを載っけて階段を上ろうとしていた。こっちだってしんどいよ?けど彼女が一人で佐次郎を運べるとは到底思えないからこうするしかなかった。階段の下で一度外の光が差し込む出口を仰いでみる。
「この階段ってこんなに高かったっけ…。」
——体が重すぎてネガティブ思考になってしまう。早くここから脱出しなければ…。
俺は震える脚を動かして階段を一段ずつ上っていく。テクテクと階段を上って地下室から出ると外は凄惨な光景が俺たちを迎えていた。目の前に見えたのは真っ赤に血塗られた地面と建物の壁。そして居間に散らばっている兵士たちの死体や刀は俺の動悸を早まらせる。
「嘘だろ…。これを…こいつがやったのか?」
俺は後ろにおぶっている佐次郎の顔を見た。
パタッ!
担架を持った両手の均衡が後ろに傾いた。後ろに振り向くと、和が外の光景に驚いて手に持っていた担架を落としてしまった。俺は彼女に言った。
「周りはあまり見ない方がいい。これはちょっとやりすぎだな…。」
「ううっ…。」
担架から落ちたホオノキがようやく気づいたみたい。
「やっと気がついたか、このへっぽこ髭!さっさと起きろよ!」
「なっなんだ?俺、気を失っていたのか…。」
ホオノキは頭に手を当てながら身を起こした。そして周辺を見回してみる。そして倒れているユリ姫と戦斧を持ったホオノキの仲間を見つける。
「オダマキ!」
「え、ユリ?!」
ホオノキは慌てて仲間を起こしてみる。俺も佐次郎を和に預けてユリの様子を見る。
「こっちはただ気絶してるみたい。そっちは…。」
「クソ!許せねえ…。」
オダマキという彼の仲間は佐次郎並みの怪我を負って気を失っていた。
——すごい出血量だ…。
「とりあえずここから脱出だ!このままじゃそいつ死んでしまうぞ。」
「そうですね。」
「「ん?」」
背後から和ではない女性の声が聞こえた。俺たちは後ろに顔を向けた。顔を向けた先には陽光を浴びた雲のように綺麗な真っ白の髪の女性が黒ずくめの衣装を着て俺たちの背後に立ち、水晶のように清い緑色の瞳で俺たちを俯瞰していた。俺は咄嗟に刀を握って警戒した。すると、
「お前は
と、ホオノキがまるでこの黒ずくめの女性の正体を知っているような口調で訊いた。
「はい。」
女性は綺麗に青がかった緑色の瞳でこっちを俯瞰しながら答えた。俺はホオノキに訊く。
「雫って…?」
「雫は右大臣直属の陰の幹部だ。」
俺は右大臣という言葉を耳にして慌てて鞘から刀を抜いた。するとホオノキが横に手を伸ばして俺の前を止めた。
「大丈夫だ、落ち着け。」
「なんで邪魔するんだ、ホオノキ!右大臣ってお前の兄貴の仲間みたいなもんだろ?!」
「それが、違うんだ。だからとりあえずそ刀を鞘に納めろ。」
ホオノキが自分を信じろと言わんばかりに言った。
「一体どういうことだ?」
「ホオノキ様は私たち雫の所属ではありませんが非公式で右大臣クワ様の下で働く幹部です。」
白髪の女性が割り込んで説明した。しかし、俺は
「何の話なのかてんで分からないけど…。」
と、片目を細めて言った。ホオノキが改めて説明する。
「同じ大臣と言ってもみんなが兄貴みたいなクソ野郎なわけじゃない。右大臣は兄貴と違って戦争を拒む方だ。」
「じゃあ、俺たちの見方ってことか?」
「そう。」
俺は気を緩めて刀を鞘に納めた。ホオノキが黒ずくめの彼女に訊く。
「ところが、右大臣の配下である雫がなぜここにいるんだ?」
「
「そうか、やはり姫様のことで都内は大騒ぎになっていたのか。」
「花鳥宴の最中ですので宴会に差し支えない範囲で最低限の人員だけで捜索隊を結成させて動いています。」
「どうりで兵士が少ないと思った。いつもならこれの数倍はいたはずなのに。」
その女性はホオノキに提案をし出した。
「ホオノキ様、とりあえず彼らをクワ様の別荘へ連れて行くのはどうでしょうか。」
「右大臣の?」
「はい、オダマキも重傷ですし、あそこの彼女が抱えている少年も傷が深いです。クワ様の別荘で回復する必要があるかと思いますが…。」
「そうだな。」
俺たちは怪我人を背負って鳥之都から北に位置する右大臣の別荘に赴く。黒ずくめの彼女はユリ姫を
「ハア、ハア……。」
別荘に向かっている途中、和が道端で膝をついて息を切らしている。
「和、どうした?具合でも悪いのか?」
「い、いえ。こんなに歩くのは久しぶりでして…。」
行動を制限されていた彼女に長時間歩かせることはさぞ辛い仕打ちだろう。俺は彼女のために少し休憩を挟むことを提案した。しかし佐次郎たちの具合がさっきより悪化しつつあって一刻を争う状況だった。それでホオノキは俺の提案を断った。
「悪いがもう少し辛抱してくれ。」
「あそこの川を渡ると別荘です。もう少し頑張ってください。」
黒ずくめの彼女も遠くに見える川を指して言った。俺は仕方なく跪いている和に手を差し伸べて彼女をゆっくり起こした。そして陽光を照り返しながらサラサラと流れる川の前に着いた。俺は西側から東に流れる綺麗な川も眺めて訊く。
「綺麗な川…。っていうか、俺たちどうやってこの川渡るんだ?」
「この川は北の敵国ケイリンの南下に備えて橋を隠しています。」
「橋を?!」
「はい、この立て札を右に回すと川の下から隠し橋が浮いてくる構造です。」
すると、黒ずくめの彼女は川の前に立ってある立て札を右に回した。
ゴゴゴゴン…。
彼女が立て札を回した途端、地鳴りが轟く。そして川を横切る岩の橋が浮き上がってきた。
「おおお、でっけえ岩が浮いてきやがった!」
「さあ、渡りましょう。」
「おう!」
俺は出しゃばって橋を渡った。
「か、海時さん。足元気を付けてください!」
すると、後ろから和が俺に叫んだ。
「え?ウギャッ!!」
俺は橋の段差に気づかず躓いて転んでしまった。恥ずかしくて顔が真っ赤になった俺はホオノキたちに目を向ける。しかしホオノキたちは俺に目もくれず黙々と橋を渡っていった。
「が、ガン無視かよ…。」
「だ、大丈夫ですか?」
「俺を心配してくれるのはお前だけだ。ふううっ…。」
俺は彼女が差し伸べた手を握って体を起こした。そして佐次郎を拾って和と一緒に橋を渡った。俺たちが橋を渡ると黒ずくめの彼女は向こうで回した立て札と同じ立て札を今度は左に回して隠し橋を川の底に沈めた。
「すごい技術だな…。」
「この橋は昔シャガというキギス随一の科学者が考案したものです。」
「シャガって…。」
——確かシャガって…ソエの父ちゃんって言ってたよな…。
俺が顔を曇らせると黒ずくめの彼女が俺に訊く。
「ご存知ですか?」
「どっかで聞いたことあるようなないような…。」
ソエの父ちゃんと分かっていながら、なぜか俺は白を切ってごまかした。
「彼はキギスの科学技術を目覚ましく発展させた偉人だったのですが、残念ながら国の反逆を目論んだ嫌疑で処刑されたと聞きます。この話にも諸説あります。」
「そうなんだ…。」
彼女が歩きながらソエの父ちゃんの話をしてくれた。森で親の話を口に出した時にソエが表情を凍り付かせたのはこれが原因だったんだろうか。彼女については分からないことだらけだ。
——無事なんだろうな…ソエ。すぐ助けに行くからも少し我慢してくれ。
俺は思い耽って歩いた。すると、俺の前を歩いていたホオノキが急に佇んで鼻を打ってしまった。
「いってて…。ちゃんと歩かんかい!」
「もう着いたぞ。」
俺はホオノキの背中のから左に首を傾げて前方を覗き見る。俺たちの前にはホオズキの屋敷に負けない広さを誇る別荘が金色の瓦をいさばって視野を埋め尽くしていた。
「すんげぇ…。」
「きっ綺麗…。」
俺と和は口をあんぐりと開けてピカピカ光る別荘を見上げた。
「ここに始めて来た者たちはみんなお前たちと同じ反応をするんだ。」
「別荘にしては派手じゃねえ?!」
「右大臣は都内の屋敷よりもこの別荘に情を込めていますからね。」
黒ずくめの彼女が無表情で言う。しんどくないんだろうか。さっきから表情が一切変わらないんだ。
カシャッ!……ギギギギッ…。
別荘の黒い正門が大きな音を立てて開くと徐に荘内が目に映った。そして正門から人影がテクテクとこっちに歩いてくる。
「ハハハ、久しいな、ホオノキ君。」
別荘から歩いて近づいてくる謎の男の人がホオノキの名を呼んだ。すると、黒ずくめの彼女とホオノキはキリッとして左膝を突き拳を左胸に当てながら敬礼をした。
「え、ええ?どうした、お前ら?!」
「膝を突いて敬礼しろ!」
俺が戸惑うとホオノキが小声で俺に言った。男の人は朗らかに笑いながら言う。
「ハハハ、構わぬ!この水色の少年は
「はっ!左翼に取られる前に連れて参りました。彼らが付いていたおかげだと。」
黒ずくめの彼女が畏まって状況を報告した。俺は目の前まで近寄ってきた男の顔を見て固まった。彼は
俺の顔には彼の巨体で日陰ができた。俺は彼の不思議な気迫に押されて腰を抜かしてしまった。すると、彼は優しそうな笑みを浮かべて俺に言う。
「ハハハ、吾輩はこの国の行政を司る右大臣クワと言う者だ!そうビビらず、とりあえず中へ入りたまえ!皆もだ!ハハハ!」
「「はっ!」」
二人はキリッとした動きで立ち上がって右大臣の後ろに付いて中へ入ってしまった。和は俺が佐次郎を背負っていたせいか俺の後ろに突っ立って俺が別荘に入ることを待っていた。しかし俺は腰を抜かして地面に座り込んだままボウッと彼らを見据える。