「……………………」
目を閉じたまま目を覚ます。すうっと意識だけが浮上して、夢も見ないほどに深く寝ていたことを自然に悟る。
寝てた。めっちゃ寝てた。
痺れる頭の奥がアホほど寝てたんだってことをガンガンに主張してる。
胸と肩にかかる嫋やかな体重が、繋がれた手の滑らかさが、脳髄を多幸感で満たす香りが、今もなお二人と繋がっていることを教えてくれていた。
天井を向いたまま、ゆっくりと音もなく瞼を開く。
「……あ。おはよ、ヒッキー」
「……起きたのね。おはよう、比企谷くん」
……薄暗がりの中、一切の気配を消して目を開けたのに何で即座に気付くんだよ。
「……ん、おはよう、由比ヶ浜、雪ノ下。……寝顔、見てたのか?」
「え? あ-、えっと……ごめんね?」
「……仕方ないじゃない。あなたが寝ているんだもの。雑談であまり声を立てるわけにもいかないし……」
「あ、あー……気遣ってくれたのか。いや、起こしてくれてもよかったし、先に起きててもよかったんだが……。見てて面白いもんじゃないだろ?」
「んーん。面白かった……とは違うかな。えっと……なんか、格好良かったっていうか……。見てて、全然飽きなかったよ」
「急かすつもりはないと言ったでしょう。まして、先に起き出すなんて論外よ。今日一日はずっと三人でいるもの。……それに、あなたの寝顔、二人で堪能させてもらったのだし」
真正面から寝顔を肯んぜられて面食らう。頬の火照りを自覚しながら二人の顔を見ると、喜悦の視線とぶつかった。
満足げな二人のそれに耐えかねて、俺の方が先に逸らしてしまう。
「……な、今何時だ?」
視線ついでに話も逸らして、起き抜けに思ったことを問うてみる。
「大体、八時くらいね」
「え、マジで?」
床に着いたのが確か四時くらいだろ? ろくに休息も取らなかったこの三日あまりのこともあって無茶苦茶に寝たような気がしたんだが、
「午後の」
「マジで!?」
全くもってその通りだった。十六時間ってお前……。こんな寝たのって人生初じゃないのか俺。寝られる気がしないとは何だったのか……。
「え、お前らその間ずっと俺の寝顔見てたの……?」
「ええ、そうね……。とは言っても、私も十四時間くらいは眠っていたのよね。一人起きて、二人の寝顔を眺めていたら由比ヶ浜さんが起きて……」
「あたしも十五時間くらい寝てたみたい。だって、すっごい安心するし、気持ちいいんだもん……。でね、ヒッキー起こさないようにちょっとだけゆきのんとお話しして、ヒッキーの寝顔見て、それでまたぽつりぽつりとお話しして……。そんな感じで幸せだったよ」
にへら、と無防備な笑顔を見せてくれる。寝起きなのも相俟って、その可愛さや愛おしさが普段よりも深いところに突き刺さる。
「でも、今日って日を殆ど寝て過ごしちまったのは……」
「何度でも言うわよ。私は、今日という日をあなたたちと過ごしたいの。片時も離れず共にいる今に、不満なんて欠片もないわ。過ぎた時間を悔やむより、残る時間を惜しむより、今はただ……」
「うん……あたしも、それがいいな……」
「そう、か。そうだな……」
気が抜けたように笑ってしまう。繋いだ右手が誘うように握られ、ワンテンポ遅れて左手も委ねるように握られる。宝物を愛でるように、俺も両の手を握り返す。あーもーこれ気持ちよすぎる。癖になったらどうするんだ。特に二人が嬉しそうに相好崩してるとこなんかほんと目の毒。
……いかん、起き抜けだからかちょっと思考が緩みすぎてる。ただでさえ、なのにもう全く思考の抑制が利いてねえ。
「……にしても、こんな寝たの比喩でも何でもなく人生初だわ。寝られる気がしない、だとかのたまった口で何言ってんだって話だが」
「……まあ、そう、かしらね。私もあんなことは言ったけれど、私自身お話すらする間もなく寝入ってしまうなんて、思ってもみなかったわ」
「ん……でも、わかる、かな。この二日間あんまり寝てなかったのもあるけど……だって、こんなにあったかい眠りって、あたし、初めてだもん。……もっとちっちゃいころ、ママと一緒に寝たときも、もしかしたらこんなだったのかなー……」
遠くを懐かしむようなふわふわとした由比ヶ浜のその言葉が、すとん、と腑に落ちた。思わず両手をぎゅっと握ってしまう。
……そうか。安らいで、いたからか。
衝動的に二人を抱きしめたくなってしまう。膨れ上がる愛おしさを掌にまで抑え込んで、深い吐息と繋ぎ合う両手で発散する。
「……なるほどね。確かに、あれほど安心できた寝床なんて、生まれてこの方なかったもの。……納得したわ」
雪ノ下がクスッと笑って、一度強く手を握る。
「……さ、それじゃそろそろ朝ご飯にしましょう」
そしてそれを最後にそっとそれをふりほどく。ずっと握っていた手が離れる瞬間には、不覚にも一抹の寂しさを覚えてしまった。寝乱れた様子もない布団の中で、俺と由比ヶ浜をするりと乗り越えベッドを降りる。
「……午後八時に、朝飯か」
「いいのよ。今日は、私たち三人の世界だもの。私たちが起きた時間が朝なのよ」
「はは、らしくねえな。なんだその無茶苦茶な理屈。そういうのは俺の領分だろ」
「でも、ゆきのんらしいよ」
ああ、それはそうだ。そんな無茶でも髪を掻き上げ不敵な笑顔で堂々と言ってみる様は、確かに間違いなく雪ノ下だ。喉奥で笑いながらそんなことを思う。
「ゆきのん、あたしにも手伝わせて」
その言葉を最後に、由比ヶ浜と繋がっていた手もほどかれる。布団に一人残されて、手前勝手な寂しさが同じ分だけ降り積もる。
「一緒に、三人の朝ご飯、作ろう」
「あー……俺は」
「いいわよ。どこにいても、どこを見ていても。どうする? 一人で私の部屋で待っている? それともリビングでまた後ろ姿を眺めている? 今度はパジャマのエプロンが見られるけれど」
そう言って雪ノ下は艶然と微笑む。それやめてくれって。俺に効き過ぎるから。っつーかやっぱ見てたのばればれだったのか……。ままままあばれてりゅのなんて分かってたから? ダメージなんかないしちょうよゆうだし? 雪ノ下のからかうような微笑みも由比ヶ浜の仕方ないなって感じの甘い苦笑も完全にノーダメージだからね? ただの致命傷って奴だ。
「えっと……その……」
だから何で二人ともちょっと期待したような表情浮かべてるのかとね。どんな答え望んでるんだよもしかしたら俺の願望と一致してるんじゃないかって思っちゃうだろうが。
「……リビングで、待機させていただいてもよろしかでしょうか」
その盗み見宣言を聞いた途端、二人の笑みが花開く。もうほんと、俺をこれ以上惚れさせてどうすんだよ。どうしようもねえぞ。
あ、駄目だ。今絶対顔真っ赤だって鏡見なくても分かる。掛け布団に顔を埋めて緊急避難。……息を吸ったら雪ノ下を強く感じて、ちょっとこれ更に二人に顔見せらんなくなったんだけど。ねえ。
「ご自由に。今日も、何処を見ていても不問とするわ」
「……今少し先に行っていただくことは出来ませんでしょうか」
「ふ……ふふ……分かったわ。由比ヶ浜さん、行きましょう」
「うん、行こっか。じゃあヒッキー、また後でね」
顔を埋めた布団の隙間からちらりと見れば、二人連れだって和気藹々と部屋を出て行く。それを見届けて顔を上げ、詰めていた息を解き放ち、深く吸う。先刻ほどに濃密ではないといえ、それでも雪ノ下が香るこの部屋はやはり胸の動悸を強くする。一晩寝てもなお慣れず麻痺せず脳に訴えかけてくるってどういうことなの。
だが、それが分かっていても、二人と一緒に出るわけにはいかない理由があったのだ。
「……ばれなくて、ほんと、よかった……」
布団を捲り上げる。そこにはパジャマを突き抜けんばかりにガン勃ちした男の象徴があった。二人の柔らかさと匂いに包まれて一晩眠り、朝の生理現象に加えて起き抜けにパジャマエプロンとか想像させられてなおこうなるな、ってのはもう自然現象に喧嘩売るようなものだろ。勝ち目ねえよ。
この部屋にいてるともう息吸って吐いてるだけでも興奮していく一方なので、音を立てないようにゆっくり扉を開けて廊下に出る。同じように静かに閉めた扉に背中を預け、ずるずる崩れ落ちながらそこでようやく深呼吸する。
完全に平常時に戻るまでってのはもう実質的に不可能だとしても、せめて見た目誤魔化せるくらいまでは落ち着けていくことにしよう……。