バスルームの洗面所でサパッと顔を洗ってから二人の待つキッチンに行く。万一彼女らが脱衣所にでもいたら洒落にならないので無論ノックは厳重にしましたとも。あれのそれはギリギリってところだけど、時間かけすぎて二人のパジャマエプロン見逃すという危機感には勝てなかったよ。
軽い音を立てて扉を開くと、朝食のいい香りが鼻腔を擽る。音に反応した二組の視線が俺を撫で、パジャマエプロンを見せつけるようにありがとうございます。ああ前屈みだよ悪いか。
夕べと同じソファーに腰掛け、しかし今度はテレビを点けることもせず全力で二人の姿を盗み見た。時折こちらを窺ってくる視線とかち合ってはそっと逸らし、でもまたすぐに目線を戻して後ろ姿を堪能する。いいじゃん二人も俺の寝顔見てたらしいし……。しかし何つーか、破壊力が絶大すぎてやばい。パジャマ姿だけでも普通なら男子禁制もいいところなのに、更にエプロンを着けた姿が見られる状況に至れる関係性とか、そんな油断してる感じを見せてくれる程に心を許してくれてることへの歓喜とか、そういう視覚以外のブーストがアホほどかかってて見れば見るほど魂が惹かれていく始末。やばい。
雪ノ下の濡れ羽色の御髪の隙間からくれる一瞥が、分かってやってるんじゃないかってくらい様になってる。見返り美人図が人気の題材になるっていうのも今の雪ノ下を見れば納得の一語だ。佇まいそのものがもう完成した芸術品と言って全く過言じゃない。その柳腰を後ろから思い切り抱きしめて、隙間もないほどに密着できればどれだけ心が満たされることだろう。
由比ヶ浜も由比ヶ浜で、嬉しそうに折々こちらを窺ってくるその仕草が圧倒的なまでの新妻感を醸し出していて心臓に大変よろしくない。雪ノ下のように器用に覗き見てくるわけじゃないから上半身ごとこっちを向くのだが、一瞬由比ヶ浜と目が合った後にそっと逸らす方向がエプロンを押し上げる大きな膨らみであるという俺の残念さ。だというのにその度恥ずかしそうに微笑むだけで、咎めもせず料理に戻る由比ヶ浜が俺に甘すぎる。恥じらう彼女を真正面からかき抱いて、お互いの身体を擦り付け合えたらどれほど心が安らぐだろうか。
そんな二人が睦まやかに三人で食べる朝ご飯を作ってくれているという至福。微笑みを交わし合うあの二人の瑞々しい紅に口付けられたら、それだけで絶頂してしまいかねない。
「出来たわ」
見惚れて見蕩れて惚けていたら、いつの間にか料理の完成が告知されていた。ちょっと今日は時間が経つのが早すぎるな。
雪ノ下が平皿に高級レストランで見かけるような銀のカバーを被せてテーブルに持ってくる。料理を隠す銀色の金属を取り除くと、ふわりと空腹を促す香りが広がった。
「お……パエリアか」
「ええ。海鮮のね」
そう言った雪ノ下の含みある笑顔を見て、共有する記憶が蘇ってきた。……となると、その後ろで緊張気味に同じものを携えた由比ヶ浜の皿の中身は。
「和風ハンバーグ……か?」
「あ、うん。よく分かったねヒッキー」
由比ヶ浜が驚いて、答え合わせに銀色の覆い……思い出した、あの後調べたらクロッシュって名前だったっけ……を取り払う。そこにはいつかのような火山のごとき木炭の残骸はなく、ただただ美味しそうなハンバーグが鎮座していた。
「ん……まあ、な」
じんわりと嬉しそうな由比ヶ浜から目を逸らして、模糊とした返事をする。
「嫁度対決の時のだろ? そりゃ、あのときの被害者俺だしな。忘れねーよ」
「あ、ひっどーい!」
軽く混ぜっ返すと、由比ヶ浜もぷんすかと乗ってくる。アレは食べてはならない味がしたからな……。
しかし嫁度対決か。懐かしい。つーか由比ヶ浜から料理のマイナススキル取っ払ったらもう最強過ぎるだろ。優しいわ可愛いわ気が利くわ優しいわ、もう絶対泣かせたくないし苦労させたくないから死ぬ気で働かざるを得ない。専業主夫とかいう戯言もう冗談でも言えねえよ。
雪ノ下も無敵過ぎるけど、雪ノ下の場合普通に俺より稼ぎそうなんだよな。絶対に泣かせたくないのは同じだが、どうするかは雪ノ下の希望と摺り合わせるのがいいだろうか。そして当たり前のように二人の旦那役に自分を配置して考えてたことに気付いて受ける衝撃。いやそりゃ俺以外の誰かを宛がって考えるとか想像の中だけでもその相手を縊り殺したくなるけど……だからって……なあ?
「でも」
「ん?」
ふと、由比ヶ浜が真顔に戻ってハンバーグの皿を俺に差し出す。
「今度は、ちゃんと美味しいよ」
「…………おう」
受け取って、パエリアの隣に並べる。朝から実に豪勢なことだ。午後八時過ぎてるけど。雪ノ下と由比ヶ浜もそれぞれ自分たちの分を持ってきてテーブルに並べる。俺のに比べて分量は控えめ。むしろ俺のが増量と言うべきかもしれん。
「じゃあ」
「うん」
「ええ」
そうして席に着き、いただきますをして湯気を立てるパエリアとハンバーグを食べた。雪ノ下のパエリアはあのときと変わらず最高に旨かったし、由比ヶ浜のハンバーグはあのときとは違って最高に旨かった。
そわそわした由比ヶ浜にそれを伝えるのには、少しばかり時間と気力が必要だったけど。破顔一笑した由比ヶ浜を見てしまっては、それ以上捻くれた言葉を募らせることも出来なかった。