「明日明後日で、雪ノ下の家の煩わしいことは全部終わらせておくから」
沈黙に支配される車中、雪ノ下は時折言葉を落として静寂に抗う。
「私たちの決着は、神様にだって邪魔はさせない」
そうするうちに、由比ヶ浜のマンションに辿り着いた。由比ヶ浜は寂しそうな笑みを浮かべて、一言。
「良いお年を」
とだけ言って、扉の向こうに消えた。逆光のせいかその体躯は、普段よりも小さく見えた。雪ノ下は俯けた微笑で同じ言葉をはっきりと返していたが、俺の返事は喉の奥に詰まったような明瞭としないもので、ちゃんと届いていたのかも分からなかった。
そして再び車は滑り出し、会話もなくもう一つの目的地まで運ばれる。
ふらふらと車を降りて先ほどの焼き直しを雪ノ下に送るが、これもまた届いていたかは分からない。ただ、雪ノ下からも同じ言葉が投げかけられた。
頼りない足取りで玄関まで歩き扉を開ける。無意識の習慣で鍵を締めて靴を脱いでいると、轟音を立てて扉を開いた小町がリビングから飛び出してきた。
「お兄ちゃん! 雪乃さんは……」
捲し立てる途中で、小町の勢いが窄んでいく。目には涙が浮かび、声に震えが交じる。
「…………ダメだったの?」
「いや……解決、出来たよ」
「え……えっ?」
「大丈夫だ。雪ノ下は、もう」
靴を脱ぎ、三和土から上がる。小町は虚を突かれたように口をぽかんと開けていた。
「な、ちょっ……紛らわしいよお兄ちゃん! なんなのさその顔は!」
どんな顔をしていたのだろうか俺は。自分ではよく分からない。
「…………ほんとにどしたの? ねえ、何があったの?」
本当にどんな顔をしていたんだろう。そんなに簡単にわかるものなのやら。
「分かるよ。小町が何年お兄ちゃんの妹やってると思ってんの」
溜め息一つ。お手上げだ。
「雪ノ下にな……決着を着けようって言われたよ」
「それって……」
小町の表情が一気に真剣味を増した。たった一文に詰められた、果てしなく重い意味が伝わったことが分かる。
「お兄ちゃんは……どうするの?」
「どう……しようかねえ」
本当に。
本当に、どうしようもない。
身動きが取れない苦しさというのは、本当にしんどい。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「お願いが、あるの」
小町が居住まいを正して、俺に向き直る。その目は、今までにないほど本気の光を湛えていた。
「……なんだ?」
小町は浅く息を吸って、吐く。そしてもう一度はっきり俺の目を見て、口を開く。
「家事とかは全部小町がやる。初詣とかも、めんどくさいなら……ううん、神様に頼むことじゃないし、そんなことしてる場合じゃないだろうから行かなくてもいい。お父さんとお母さんにも小町から言っておく。お守りも買ってくるよ。受験勉強は……多分手につかないだろうし、頭にも入らないだろうし、きっとそれどころじゃないってお兄ちゃんも分かってると思う。だから」
滔々と喋り続けた小町は、そこで深く息を吸い。
「考えて」
そう言った。
「小町のことも、他のことも、全部忘れていい。三人のことだけを考えて。理由も、あげない。お兄ちゃんが、お兄ちゃんだけの理由で、お兄ちゃんだけの答えを出して。頭がおかしくなるくらい考えて、考えて、考えて。……きっと、今がお兄ちゃんの人生で一番大切な時だから」
熱のこもった吐息と共に紡がれる言葉が、そっと俺の背中を押す。
「だから」
だから。
「考えて。お兄ちゃんのために。三人のために」
身動きが取れなくても。ドツボにはまっても。袋小路に迷い込んでも。
「……分かった」
考えることだけは、やめないようにしよう。
「……お兄ちゃんだからな。妹の願いは聞かないとな」
そう言うと、小町はにへっと相好を崩して、俺の腕を引っ張る。
「だーから、理由はあげないんだってば。そんなのポイント超低いよー?」
引かれるままに、リビングまで歩いて行く。そういや玄関だったなここ。
「……おかえり。雪乃さんのこと、頑張ったね」
ふと、顔を伏せて、静かにそんなことを言われたので。
「……ただいま。ありがとな、色々」
つい、俺もそんな言葉を返してしまっていた。